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10.屋島の取引編
第70話(1185年2月) 平時忠の密約①
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出雲大社国での再開から1週間後、貴一と熊若は瀬戸内海上にいた。
ポンポンと音を立てて、煙を吐きながら二人を乗せた小型蒸気船が進んでいく。
「人の感情に色がついているねえ……」
熊若が源義経の能力について話すと、貴一は考え込んだ。
「それは共感覚ってやつかもしれない」
「共感覚?」
「文字や数字に色がついて見える人がまれにいるんだよ。音や声の場合もある」
熊若はハッとした顔で叫ぶ。
「それです! 義経様は音にも色があると言っていました!」
「だとしたら、やっかいだね。伏兵や偽の退却も見抜かれるということになる。じっとしていても兵士の感情や気までは隠せないだろうからね。義経を罠にかけるとしたら――」
「あっ、法眼様。平家の小早舟が近づいてきました」
小型の快速船・5艘がアメンボのように。スーッと囲んできた。
「黒旗にのろし。出雲大社のスサノオ殿か!」
リーダー格らしき男が言った。
「そうだ! 平大納言時忠様に会いに来た!」
「それがしは松浦水軍を率いる松浦高俊と申す! 貴船に乗って案内する」
松浦高俊は柄の長い熊手を蒸気船に引っ掛けて船を近づけると、ひょい乗り込んできた。
――器用だなあ。敵船にも簡単に切り込んでいきそうだ。
遠目に見えていた陸地が近づいてきた。平家の拠点である屋島は讃岐国の中央(香川県高松市)にあり、周りには四国最大の穀倉地帯、讃岐平野が広がっている。
「あれ、まっすぐ屋島に向かわないのか?」
船の方向が変わったので貴一は聞いた。
「時忠様から人目につかぬよう、裏から回れと命じられている」
――ああ、そうか。屋島には俺が奪った山陽道に領地を持つ豪族もいる。そいつらに見つかると話がややこしくなるもんね。
「松浦殿は出雲大社が憎いか?」
「それがしは肥前国(佐賀県と長崎県)の党だから気にはしない。と言うより、同じく貿易をする者として興味を持っている。パンダの像を船首に付けた出雲船団の航海術の上手さは南宋にも響き渡っているからな。実は航海術の秘密を探ろうと、貴船を一度だけ襲ったことがある」
松浦高俊はそう言うといたずらっぽく笑った。
「――しかし、失敗した。乗り込んだら、放し飼いの熊がわんさかいてな。慌て驚いて逃げてしまったわ。この必要以上に頑丈な鉄船といい、出雲大社は風変わりなことをする」
鉄で覆われた船べりを拳で叩くとカンカンと音がした。
松浦高俊の腕を見て、熊若が言った。
「その刺青、蝦夷が好んで使う文様に似ています」
「おお! 熊若殿は蝦夷の出か! それがしも蝦夷だ。ただし、何代も前のことだがな。蝦夷であったことを忘れぬために、この刺青をしているのだ」
岸で松浦高俊と別れると、別の武者が時忠の仮屋敷まで貴一を案内した。
仮屋敷の中に入ろうとしたとき、貴一は視線を感じて立ち止まった。その方向を見ると何か飛んできた。貴一はそれをキャッチする。
「ああ、蕨ちゃん! 久しぶり!」
平時忠の娘、蕨姫は恥ずかしそうに屋敷の中に隠れた。
キャッチした手の中にあったのは細かく折った紙だった。拡げると、自分との縁談を断った貴一に対しての恨み混じりの恋歌が書いてあった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
(讃岐国屋島・時忠仮屋敷)
「源平の戦いの中で貴様だけが儲けている。貴様は戦の神ではない。欲の神だ」
時忠の仮屋敷の一室で、時忠が扇子の先を貴一に向けてきた。この部屋は人払いがしてあり、二人のほかには熊若と時忠の息子の時実しかいない。
「時忠様は以前、出雲大社に飢民をぶつけてきました。お互い様でしょう。今日の会合は文句を言い合うためでは無いはず――」
「そうだ。貴様から使者が来たときは思わず苦笑した。同じことを考えていたところだったからな。戦いに敗れたとき、いかにして平家を残すか――だが、このような話は屋島では誰にもできぬ」
「誰も負けるとは思ってないのですね」
「ああ。だが、威勢が良いが根拠が無い。肝心の兵が増えぬ。一ノ谷の敗戦で平家は兵力だけではなく威信も大きく損なった。今では四国や九州の反平家勢力が勢いづいて、兵を鎮圧に回さねばならぬ始末だ。そして鎮圧が終わるまで指をくわえて待つほど源氏は愚かではない」
時忠は扇子をパチリと鳴らす。
「この時忠が憎むものは無能と無益。長引く戦乱は最たるものだ。いつまでも安徳天皇を流浪させるわけにもいかん。どうせ負けるのなら、力を残したまま源氏に降るが吉だ――無論、この時忠が中心となってな」
「朝廷に戻って復権するつもりですね。相変わらずの自信家だ」
貴一は昔を思い出してうれしくなった。
「そのための布石を今から打っておく。貴様を呼んだのもその一つだ。戦になれば、わしは神器の側を離れるわけにはいかん。安徳天皇と建礼門院(天皇の実母)をお救いしてほしい。源氏だけではなく、平家からもだ」
貴一は露骨に嫌な顔をする。
「俺のことをよくご存じのはず。天皇を殺すかもしれませんよ」
「ああ、貴様のことはよく知っている。6歳の童子を殺せる男ではない」
貴一は黙り込んだ。
「もちろん、タダでとは言わん」
「何ですか? 国をくれると言っても、今の平家にそんな力はないでしょう。空手形だ」
「――神器の一つ、草薙の剣を渡す。朝廷との駆け引きに使え」
貴一は唸った。平家滅亡後のことを考えると、欲しいカードではある。
――やっぱ、時忠様は有能だよ。この人が出雲に来てくれるといいんだけどなあ……。
貴一は時忠の提案を受け入れることにした。
ポンポンと音を立てて、煙を吐きながら二人を乗せた小型蒸気船が進んでいく。
「人の感情に色がついているねえ……」
熊若が源義経の能力について話すと、貴一は考え込んだ。
「それは共感覚ってやつかもしれない」
「共感覚?」
「文字や数字に色がついて見える人がまれにいるんだよ。音や声の場合もある」
熊若はハッとした顔で叫ぶ。
「それです! 義経様は音にも色があると言っていました!」
「だとしたら、やっかいだね。伏兵や偽の退却も見抜かれるということになる。じっとしていても兵士の感情や気までは隠せないだろうからね。義経を罠にかけるとしたら――」
「あっ、法眼様。平家の小早舟が近づいてきました」
小型の快速船・5艘がアメンボのように。スーッと囲んできた。
「黒旗にのろし。出雲大社のスサノオ殿か!」
リーダー格らしき男が言った。
「そうだ! 平大納言時忠様に会いに来た!」
「それがしは松浦水軍を率いる松浦高俊と申す! 貴船に乗って案内する」
松浦高俊は柄の長い熊手を蒸気船に引っ掛けて船を近づけると、ひょい乗り込んできた。
――器用だなあ。敵船にも簡単に切り込んでいきそうだ。
遠目に見えていた陸地が近づいてきた。平家の拠点である屋島は讃岐国の中央(香川県高松市)にあり、周りには四国最大の穀倉地帯、讃岐平野が広がっている。
「あれ、まっすぐ屋島に向かわないのか?」
船の方向が変わったので貴一は聞いた。
「時忠様から人目につかぬよう、裏から回れと命じられている」
――ああ、そうか。屋島には俺が奪った山陽道に領地を持つ豪族もいる。そいつらに見つかると話がややこしくなるもんね。
「松浦殿は出雲大社が憎いか?」
「それがしは肥前国(佐賀県と長崎県)の党だから気にはしない。と言うより、同じく貿易をする者として興味を持っている。パンダの像を船首に付けた出雲船団の航海術の上手さは南宋にも響き渡っているからな。実は航海術の秘密を探ろうと、貴船を一度だけ襲ったことがある」
松浦高俊はそう言うといたずらっぽく笑った。
「――しかし、失敗した。乗り込んだら、放し飼いの熊がわんさかいてな。慌て驚いて逃げてしまったわ。この必要以上に頑丈な鉄船といい、出雲大社は風変わりなことをする」
鉄で覆われた船べりを拳で叩くとカンカンと音がした。
松浦高俊の腕を見て、熊若が言った。
「その刺青、蝦夷が好んで使う文様に似ています」
「おお! 熊若殿は蝦夷の出か! それがしも蝦夷だ。ただし、何代も前のことだがな。蝦夷であったことを忘れぬために、この刺青をしているのだ」
岸で松浦高俊と別れると、別の武者が時忠の仮屋敷まで貴一を案内した。
仮屋敷の中に入ろうとしたとき、貴一は視線を感じて立ち止まった。その方向を見ると何か飛んできた。貴一はそれをキャッチする。
「ああ、蕨ちゃん! 久しぶり!」
平時忠の娘、蕨姫は恥ずかしそうに屋敷の中に隠れた。
キャッチした手の中にあったのは細かく折った紙だった。拡げると、自分との縁談を断った貴一に対しての恨み混じりの恋歌が書いてあった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
(讃岐国屋島・時忠仮屋敷)
「源平の戦いの中で貴様だけが儲けている。貴様は戦の神ではない。欲の神だ」
時忠の仮屋敷の一室で、時忠が扇子の先を貴一に向けてきた。この部屋は人払いがしてあり、二人のほかには熊若と時忠の息子の時実しかいない。
「時忠様は以前、出雲大社に飢民をぶつけてきました。お互い様でしょう。今日の会合は文句を言い合うためでは無いはず――」
「そうだ。貴様から使者が来たときは思わず苦笑した。同じことを考えていたところだったからな。戦いに敗れたとき、いかにして平家を残すか――だが、このような話は屋島では誰にもできぬ」
「誰も負けるとは思ってないのですね」
「ああ。だが、威勢が良いが根拠が無い。肝心の兵が増えぬ。一ノ谷の敗戦で平家は兵力だけではなく威信も大きく損なった。今では四国や九州の反平家勢力が勢いづいて、兵を鎮圧に回さねばならぬ始末だ。そして鎮圧が終わるまで指をくわえて待つほど源氏は愚かではない」
時忠は扇子をパチリと鳴らす。
「この時忠が憎むものは無能と無益。長引く戦乱は最たるものだ。いつまでも安徳天皇を流浪させるわけにもいかん。どうせ負けるのなら、力を残したまま源氏に降るが吉だ――無論、この時忠が中心となってな」
「朝廷に戻って復権するつもりですね。相変わらずの自信家だ」
貴一は昔を思い出してうれしくなった。
「そのための布石を今から打っておく。貴様を呼んだのもその一つだ。戦になれば、わしは神器の側を離れるわけにはいかん。安徳天皇と建礼門院(天皇の実母)をお救いしてほしい。源氏だけではなく、平家からもだ」
貴一は露骨に嫌な顔をする。
「俺のことをよくご存じのはず。天皇を殺すかもしれませんよ」
「ああ、貴様のことはよく知っている。6歳の童子を殺せる男ではない」
貴一は黙り込んだ。
「もちろん、タダでとは言わん」
「何ですか? 国をくれると言っても、今の平家にそんな力はないでしょう。空手形だ」
「――神器の一つ、草薙の剣を渡す。朝廷との駆け引きに使え」
貴一は唸った。平家滅亡後のことを考えると、欲しいカードではある。
――やっぱ、時忠様は有能だよ。この人が出雲に来てくれるといいんだけどなあ……。
貴一は時忠の提案を受け入れることにした。
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