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8.源氏の将星編

第55話(1184年3月) 空白地帯

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 備後びんご国(広島県東部)国府。

「義仲は! どこへ行った!」

「すでに騎馬隊を率いて備中びっちゅう国(岡山県西部)へ攻め入っておる――それにしても、義仲は雑魚相手だと異様に強いな」

「そうか。弁慶、長明が入国次第、弁慶隊も備中国へ向かう。それまで兵を休ませてくれ」

 貴一は弁慶に命じると、地面の上で大の字になった。

 一之谷の合戦が終わった3日後、因幡国に戻った出雲大社軍は京から帰還した木曽義仲隊と、そのまま山陰鉄道に乗り、長門国(山口県北部)に向かった。

 そこから先は不眠不休で山陽道の国々に攻め入った。義仲に預けた騎馬隊を先鋒として、周防すおう国(山口県南部)、安芸あき国(広島県西部)、備後国(広島県東部)の国府を3週間足らずで落とすことに成功する。

 元々、山陽道は平家の勢力圏である。だから一ノ谷の合戦にも多くの豪族・兵を送り込んでいた。その平家が敗れたせいで山陽道は武力がほぼ無い空白地帯となり、出雲大社は火事場泥棒のように山陽道の国々を奪っていった。

 寺社勢力も『大魔王がやってくる』と知ると、大いに恐怖し、抵抗せず逃げた。寺社に対しては、スサノオの名は義仲以上に悪名が轟いている。

――一ノ谷の戦の結果を鎌倉が知り、次の命令を源氏軍に持ってくるまで、早馬を使っても往復で2週間。そろそろ動きがあるはず。今のうちに山陽道をできる限り押さえないとね。百万石を超えれば、出雲大社も奥州藤原氏に並ぶ国力になる。

 山陰鉄道と連結する山陽鉄道の工事も絲原鉄心が着手していた。内政は最低限のことだけを鴨長明がやっている。

「鴨長明様が神楽隊と共に国府に入られました!」

 伝令が報告に来た。

「弁慶、起きろ! 次に寝るのは備中国を落した後だ!」

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(源範頼視点)

「播磨国(兵庫県南部)に続き、備前国(岡山県東南部)を落した。これで兄上(頼朝)の機嫌が少しでも良くなればいいが――」

 源範頼は不安げな顔で梶原景時に問う。範頼は多くの兵を失ったことで、頼朝から嫌味たっぷりの書状を送られていた。

「ご安心なされよ。範頼様にはこの景時がついておりまする」

「義経は今では一ノ谷の英雄だ。それに比べると我が身が情けない」

 一之谷で勝利を決める活躍をした義経軍は、平家の捕虜を連れて京へ凱旋していた。京の民衆や朝廷は義経と義経軍にいた御家人を英雄視し褒めたたえている。

 義経たちはそのまま京の治安維持につき、範頼は京から出て山陽|道の攻略を命じられた。

「あんなのはマグレでござる。御曹司(義経)は軍令や作戦を無視しました。鎌倉殿は独断を嫌います。いずれ、御曹司もお叱りを受けるでしょう」

「そ、そうだな。私はちゃんと兄上の言いつけを守っておる」

 範頼は頼朝からの注意書きが記してある書状を取り出して見せる。

「そうです。そうです。源氏軍2万4000のうち、2万は範頼様に預けられております。これが鎌倉殿の信頼の証です。さあ、次は美作みまさか国(岡山県東北部)を落しましょう。ただし、戦はそれがしと土肥実平どひさねひらにお任せ下され」

 土肥実平は相模国の豪族で源頼朝旗揚げ以来の重臣である。梶原景時が頼朝に降るときや、奥州から来た義経を取り次いだのも実平で、御家人たちからの信頼も厚い。一ノ谷では義経とともに別動隊として活躍し、塩谷口の攻略で大きな手柄を上げている。

「それはいいのだが、なぜ私を軍議に加えようとせぬ」

「鎌倉殿の意です。お気に召されませぬか?」

 それまで笑顔だった景時の表情が変わった。

「い、いや、問題ない。よろしく頼む」

――私はお飾りか。みな私を無能だと思っているのだろう。だが、いつかはきっと……。

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(源義経視点)

 京・六条の義経館

「皮肉なものだな。英雄になったゆえに京に閉じ込められた。山陽道を任された範頼兄がうらやましい」

 一ノ谷の英雄である義経もおもしろくない毎日を送っていた。木曽義仲の襲撃を受けた恐怖が抜けきれない後白河法皇は、最強の武将に京の治安の責任者に義経を指名したのだ。そのため、義経は今回の山陽道攻略の任から外された。

 伊勢義盛がなだめるように言う。

「焦る必要はありますまい。平家軍の拠点は四国や九州。山陽や山陰の攻略など他の者に任せておけば良いのです」

「だが、山陽・山陰を攻略した勢いでそのまま四国や九州に乗り込むかもしれない」

「それは、ありえません!」

 義経主従から少し離れたところに座っていた熊若が声を上げた。

「法眼様が負けるなどありえません!」

「ははは、山陰には鬼一がいるからな。範頼兄には荷が重い相手か」

「恐れながらご無理かと。義経様、今のうちに船を集めておいてはどうしょう? 再び将軍を命じられたときに四国に渡る船が無ければ、優れた兵法も使いようがありません」

 熊若の意見に義経と義盛は顔を見合わせる。

「戦に出ずともやれることはあるか……。義盛、摂津国(大阪府北部)から紀伊国(和歌山県・三重県南部)を周り、船を持っている豪族を説得しろ。ただし味方にも内密にな」

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 京の片隅に「霧の神社」と呼ばれる建物があった。本殿を中心に常に靄がかかっており、時折、人の悲鳴が聞こえるので、誰も近づこうともしない。
 霧の神社に一人の女が入っていく。手には太刀だろうか、布に包まれた物を持っていた。
 本殿の中から陰陽師姿の阿部国道が女を迎え入れる。

「静御前よ。よく大陸から戻ってきた。南宋で出雲大社は何をしていた?」

 阿部国道は静御前を座らせて茶を一杯与えると、質問を始めた。

「噂通り、火薬の原料となる硝石を手に入れようと躍起になっております。ですが、皇帝が密輸を含め、厳しく取り締まっていますので難しい様子。ただ、近く皇帝が譲位をするという噂があります。それが――」

「愚かなのか?」

「はい。太子の評判がよくありません。政治が乱れれば、禁輸も緩むでしょう――そして最近、取り締まりの危険を冒してまで硝石を出雲へ渡そうとする商人もでてきました。その理由はこれです」

 静御前が包みを広げる。中から出てきたのは出雲大社が試作した火縄銃だった――。
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