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5.源氏旗揚げ編

第40話(1181年12月) 新しい恋……はじまらない

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 出雲大社・拝殿

 厳しい顔をした貴一の正面には、安倍国道が陰陽師の装束で座っていた。側には鴨長明だけがいる。

「寒いな。なぜ扉を開けたままにしておる。馬鹿は風邪をひかないだろうが、私の体には堪える」

「チッ、お前に煙の術を使われると面倒だからに決まっているだろ」

「ふっ、怪しげな煙で己を見失ったのは、そなたであろうが。因幡の国府を見てきたぞ。陰陽術に素人が手を出すなど笑止千万。そなたは私が操ってこそ、正しき鬼になれる」

「相変わらず嫌な目で人を見る。人を己の道具としか見ない、下種野郎の目だ!」

「名人は道具を選ぶ。だから私に選ばれたことを誇るがいい。ほとんどの人間は使い物にならなかった。私の術に耐えられる肉体を持つものは、そなたと静御前と――」

「もういい! 話していると虫唾が走る。手短に用件を言え」

「では、時忠様のお言葉を伝よう。まず一つ目。『貴様なら飢民救済できると信じていた。褒美として、長門・石見・出雲・伯耆・因幡の五カ国の国司に任命する。滞っている年貢を納め、朝廷への忠勤を励め』だ」

「よくもまあ抜け抜けと……。五カ国は俺の力で取ったものだ。任命などしてもらわなくて結構」

「二つ目は『我が娘との縁談を申し込む。貴様も平家一門に迎えよう』だ。わらび姫をお連れしておる。異例のことだが、そなたが承諾すれば、この場で縁談成立だ。祝いとして山陽道から国一つ渡すとまで時忠様は言っておられる」

 貴一と長明は顔を見合わせた。

「露骨に懐柔してくるね。わかりやすくていいけどさあ」

――時忠様のことだ。国一つ与える代わりに、出雲大社五カ国が平家の……、いや、自分の傘下に入れば一石二鳥ぐらいに考えていそうだ。

 時忠は平清盛夫人の弟で、一門の中では清盛と血のつながりがない非主流派だ。強引な政治手法は一門の反感を買っていると聞く。だが、出雲大社が時忠派になれば、平家内での勢力図が変わる。

「国道、時忠様は新しい平家の棟梁、宗盛に不満があるのか?」

「知らぬ。そなたが気にする必要もない。さあ、もう伝えることはすべて伝えた。早く縁談を承諾しろ」


「――断るよ。蕨ちゃんをお嫁さんにできないは残念だけどね」

 国道は目を見開いた。

「血迷ったか! 労せずして国一つ手に入るのだぞ!」

「あはは、お前でも興奮することがあるんだな」

「……まさか源氏と手を組んで、京を挟み討ちにするつもりなのではあるまいな」

「当然、そう思うよね。でも、心配しなくていい。時忠様に言ってくれ。これ以上、出雲大社軍は東に進むことはない。だから、源氏との戦いに集中していいって」

――まあ、それでも平家は負けるんだけどね。

 苦々しい顔をしたまま国道は立ち上がった。袖を払いながら貴一に言った。

「伝えよう。来る途中、鉄の塊がたくさん動いていた。あの術がそなたをここまで驕り高ぶらせているのであろう。だが図に乗るな。はじめは驚いたが、詳しく知れば炎と水の陰陽術の応用にすぎぬ。私にも理解できた」

「陰陽術で無理やり聞きだしたのか!」

「ほう。太刀に手をかけてどうするつもりだ?」

「スサノオ様! 相手は縁談の使者です。斬ってはなりませぬ」

 長明が貴一の前に出て止めたが、殺気が貴一の身体からあふれ出す。

「危険な男だ。私もタダで術をもらうつもりはない。礼にこれをくれてやる」

 国道は懐から手のひらに収まるサイズの小さな壺を取り出すと、貴一に向かって放り投げた。

「これは何だ?」

 貴一が手に取る。しかし、目を向けた先に国道の姿は無かった――。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 貴一と長明は安倍国道一行が去っていく列を大神殿から眺めていた。

――蕨ちゃん、さびしそうな顔をしていたな。もしかして俺の嫁になりたかったりして。いや、そんなワケないか。

 「縁談を受けても良かったのでは? 人質も手に入り、内政にも集中できます。スサノオ様は平家が負けると言っていますが、今は少しずつ盛り返していると聞きます」

「雑魚を相手に勝っているだけさ。必ず平家は負ける。今、平家方についてみろ。今度は飢民じゃなくて、源氏をこっちにぶつけてくるよ。例え自分の娘が出雲大社にいようともね」

「最終的には源氏と戦うことになりますか?」

「そうだ。源氏は手強いよ。あいつがいるからね」

 そう言った貴一の頭には親友・中原広元の姿が浮かんでいた――。
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