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5.源氏旗揚げ編

第36話(1181年1月) 餞別or嫌がらせ

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 1180年8月に源頼朝が挙兵し、10月に源平初めての大戦となる富士川の戦いが駿河(静岡県)であった。水鳥の羽ばたき音に平家が驚いて退却したことで有名な戦いだ。この後から本格的な戦が続くのだが、この一戦の持つ意味は源平両軍にとって大きかった。

「舐められたら終いなのだ」

 平時忠は六波羅の平清盛の屋敷から自邸に戻る牛車の中で吐き捨てるようにいった。
 皆の反対を無視して強引に進めた福原遷都から半年。結局、平清盛は京へ都を戻すことに決める。京都防衛のためだ。

 源頼朝の挙兵に激怒した清盛が、孫の維盛を総大将に派遣すると決めたとき、時忠は計画の杜撰さに反対した。兵と兵糧は進軍しながら集め、現地の平家勢力と協力して戦うというものだったからだ。

 干ばつで米の収穫が悪いと言っても、清盛は聞かなかった。早く攻めたいという感情が先走っているのは、時忠にもわかった。

 結果、ろくに兵も兵糧も集まらず、平家軍は戦う前から脱走兵を出していた。こうなっては、わざわざ源氏に勝利をプレゼントするために富士川まで出向いたのと同じである。7万の大軍で攻めると豪語していたのも、世間に平家の大敗を印象付けた。

 富士川の敗北以降、関東の源頼朝のほかにも、美濃源氏(岐阜)、近江源氏(滋賀)、信濃源氏(長野)、越前大衆(福井)、加賀大衆(石川)、南都大衆(奈良)、伊予河野氏(愛媛)、肥後菊池氏(熊本)、豊後緒方氏(大分)が反乱を起こした。頼朝以外は大した敵ではなかったが、年貢米が届かなくなったのが痛かった。

「義兄上は余裕が無くなった」

 今日も時忠は清盛に対し、美濃源氏と近江源氏、そして出雲大社の懐柔をし、味方に取り込むことを進言したが、聞き入れられなかった。清盛は強硬策を取り続け、京の周りの敵対勢力を一つずつ潰すよう命じていた。

 清盛のあせりは時忠にはわかる。親平家の高倉上皇(後白河法皇の子、安徳天皇の父)が崩御し、幽閉している後白河法皇の存在が重くのしかかってきた。自身も重い病にかかっている。そんな中、味方だと思っていた西国でも反乱が起こった。ここで弱気を見せれば一気に平家政権が崩壊すると感じているのだろう。

「わしも飼い犬に噛まれた義兄上の気持ちもわからないではない。だがやり方がまずい」

 出雲大社が伯耆国と石見銀山を奪い、富士川の戦いの後は因幡国まで侵攻してきている。しかも、各地で起こっている反乱と違い、戦後の統治まで考えているように見える。時忠の見るところ、そこまで先を考えているのは源頼朝と鬼一法眼しかいない。

「やつは昔から何を考えているのかわからないところがあった。だが、勢いづかせるわけにはいかん」

 時忠は自邸に戻ると、すでに待たせていた男に声をかけた。

「屋敷からなかなか出ないと聞く。ご苦労であった」

 時忠に静かに頭を下げたのは、中原広元であった。
 貴一と書簡を交わすほど親しいのは赤禿あかかむろによって調べがついている。

「時間が無い。端的に問う。法眼を懐柔する手はあるか?」

「一時的ならば。因幡国に加え周防国まで与えれば3年はおとなしくなるでしょう」

「脅しは効かぬか? 平家は四方が敵とはいえ、数万の軍を持っている」

「鬼一には平家が西に向ける軍が無いことを見抜いております。干ばつにより京が餓死者であふれかえらんとしていることも」

「小賢しいのう。出雲大社に弱みは無いのか?」

「勢力を伸ばす速度が遅いことぐらいかと。源頼朝は関東豪族の利権を保護することによって味方に引き込み、札を表から裏に変えるように急速に勢力を拡大しました。だが、出雲大社はそうはならない」

「なぜだ? 一カ月で伯耆国を落としたぞ」

「落とすまでです。鬼一に敵対勢力に対する寛容さはありません。残党になった豪族や寺社の有力者をすべて国外に追い出すまでは、次に進めない。鬼一が目指すのは民以外の階級が存在しない国です」

「馬鹿げたことを……。狂っておるな。急所はないのか?」

「頼朝が豪族を利で釣ったように、鬼一は民を利で釣っています。他国ではありえない食の保証。ここが出雲大社の強みであり、弱さです」

「なるほどな。確かに貴様は優秀だ。つけこむ隙がわしにもわかった――しかし、薄情でもあるな。法眼は友では無いのか?」

「いずれ、鬼一がぶつかる問題です。気付くのなら早い方がいい。私からの餞別です」

「餞別? もう会わないつもりなのか?」

 広元はその質問にはほほ笑むだけで、答えようとはしなかった。

―――――――――――――――――――――――――――

 中原広元が屋敷に戻ると、書庫のような部屋に貴一が寝転んで酒を飲んでいた。
 平清盛が危篤という噂を確かめるために、京に数日前から潜入していたのだ。

「時忠様は怒っていたか?」

「そうでも無い。あの方の仕事は山積みだからな。ただ、出雲大社には手を打ってくるだろう。時忠様におのれの弱点を伝えたからな」

「なんだと? 何を言った?」

「楽しみにしておくんだな。私もおのれの覚悟のほどが知りたい――貴一、中華の歴史が変わるとき、人口の半分が死ぬことも多々あった。それを忘れるな」

「なぜ、そんなことを言う?」

 貴一が広元を凝視する。広元は話を変えた。

「おのれの読み通り、平家は終わる。私も京を出る気になったよ」

「おっ! やっと出雲に来てくれるのか!」

「いや、関東に下る。源頼朝から誘いが来た。私に政治を任せてくれるという」

「なぜ、源氏に行く!」

「ふふふ、さきほどから『なぜ』ばかり言っているな――そう悲しい顔をするな。私はようやくおのれと対等になれたのだ。ずっと考えていた。おのれとは違う、私の国造りについて。友ならば旅立ちを祝ってくれ」

「敵になるかもしれないんだぞ」

「かも、ではない。敵になるのだ。もう会うこともないだろう」

「……泣いているのか?」

 広元の頬を一筋の涙が濡らす。

「私が流す最後の涙だ。餞別代りに見ておくといい」

「政治のために友だけじゃなく、感情も捨てる……。それがお前の覚悟なんだな」


 翌日、広元の姿が京から消えた。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 1181年3月。

 貴一は平清盛の病死を確認すると、攻略中だった因幡国(鳥取県・東部)に戻った。すでに弁慶隊は残党掃討に入っている段階だ。因幡国は貴一が過去に無差別殺戮を犯した因縁の国でもある。足取りは重かった。

――せめて善政を敷いて罪滅ぼししなきゃ。

 鴨長明に状況を聞くと、占領して間もない、伯耆国・因幡国の収穫は干ばつの影響で壊滅的だった。二カ国占領で増えた5万の民の胃袋は、他で収穫した米を持ってくるしかなかった。出雲大社は今年から朝廷への年貢を止めている。

「今年は何とかなるでしょう。ただ、これからも移民・流民を受け入れるとなると……」

「米の配給が厳しいか……。鉄道工事を止めてでも伯耆・因幡の開墾・灌漑をしたほうがいいね。今は平家も東国に気が向いている。清盛公が頼朝の首を持って墓前に供えるよう遺言したっていうし――」

 農業政策について、長明と話していると、京から早馬が飛び込んできた。

「京から大軍が向かっております! その数、10万!」

「何ぃ!!」

 攻められないと安心しきっていた出雲大社に衝撃が走った――。
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