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3.奥州編

第21話(1176年7月) 蝦夷と奥州

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 陸奥国・平泉から北西に進んで行くと北上川の支流である胆沢いざわ川にぶつかる。貴一たちは水田地帯を抜け、川の上流に向かって山を登った。先頭を熊若。その後に貴一、弁慶と一列に進んで行く。

「法眼様は本当に国を作られたのですね。前に言っていた社会主義国なのですか」

「まだまだだよ。今は資本家と宗教指導者と軍人による独裁国だ。朝廷に抵抗できる力を持つまでは、それでいくしかないんだよねえ……。情けない話だけど」

 熊若は京で貴一の話し相手をずっとしていただけあって、現代用語を交えた会話にもついてこれる。

「仕方ないですよ。蝦夷は平等な社会でしたが、朝廷の植民政策に飲み込まれました。まず、抵抗できる力を持つという法眼様の考えは間違ってません――間もなく、集落に着きます。族長の話は法眼様のお役に立つでしょう」

 川の上流には小さな湖があった。湖のほとりに数十軒ほどの小屋が並んでいるのが見えてきた。煙の筋が数本昇っている。

「法眼様。ここから先は馬を引いていきましょう。馬上からの挨拶は彼らの誇りを傷つけます」

 三人は馬を引いていくと、小屋の中から髭モジャの男たちが現れた。麻の服の縁だけ染められており、革のベルトのようなものをしている。

――凄い髭だね。ボーボーというか、ボリューミーというか。

 熊若は族長と呼ばれる白髪交じりの男に、貴一と弁慶を紹介した。

「この客人が天下無双の法眼殿か。私はこの部族の長、アエカシと申す。たいした話はできないが、何でも聞かれるがよい」

「人の気配が少ないのは?」

「ちょっとした騒ぎがあって、みなそちらに集まっている。まあ気にせず中へどうぞ。肉もたっぷり用意している」

 小屋の中に案内された貴一たちは、串に刺した肉にむしゃぶりついた。
 みなの腹がふくれた後、貴一とアエカシの会話が始まった。

「蝦夷には族長がいるだけで階級の差は無いと聞いています。素晴らしい社会だ。だが、今はあなたたちの上に藤原氏、さら上には朝廷がいる。当然、不満は――」

「ある。蝦夷は自由な民だ。束縛を嫌う。しかし、蝦夷の大半は恭順・同化の道を選んだ」

「そうなった歴史を教えてくれませんか」

「自由の民である蝦夷が、戦いに勝つために束縛を求める矛盾に陥ったからだ――500年前に大和人が奥州に入ってきて水田を耕した。すぐに驚くほどの数に増えた。蝦夷は追い払おうと戦を起こした。蝦夷は強く、何度も大和人を追い払った。しかし、何人殺そうが、大和人が大勢やってきた」

「蝦夷の人口は5万から10万。大和人と比べると余りにも少ない」

「そうだ。蝦夷に比べ、大和人は爆発的に増えた。それでも蝦夷は戦い続けた。しかし、戦が長引けば、狩りができず飢えが襲ってくる。次に、戦いに勝てない大和人は蝦夷を懐柔し始めた。農耕の技術を教える代わりに裏切りを要求してきたのだ」

「離間ですね」

「法眼殿の言う通り、蝦夷の軍は部族の集合で成り立っている。戦いの盟主を選ぶことはするが部族間に上下はない。部族の行動は自由だ。部族に農耕生活という選択肢ができたとき、離反する部族が出てきた。離反を防ぐために蝦夷は部族を束縛するようになった――結果、自由を大事にする部族まで離れ、蝦夷はバラバラになった」

「恭順するのも自由、戦わないのも自由――」

「徐々に蝦夷の戦いの目的が変わった。大和人と蝦夷の対立が、大和人に懐柔された蝦夷と蝦夷の対立に変わった」

「救いが無いな……」

「戦いは大和人と融和した蝦夷の勝利に終わった。だが、これは大和人と蝦夷の双方が歩み寄った結果ともいえる。農耕生活を手に入れたことにより、蝦夷の数は増えていった。上に朝廷が圧し掛かってくるが、蝦夷としては栄えていったともいえる。朝廷に逆らわなければ狩猟生活も許された」

「部族間の横並びの関係は――」

「無くなった。階級が蝦夷にも産まれた。朝廷に比べれば簡素なものだがな。客人は嫌うが、階級は悪いことだけではない。蝦夷はまとまる方法を覚えたのだ。まとまれば強さになる。蝦夷は前よりも強くなった」

アエカシは誇らしげに言葉を続けた。

「100年前、陸奥国の蝦夷の長である安倍氏が朝廷に反乱を起こした。この平泉から奥はすべて安倍氏が支配していたが、朝廷に税を納めることを止めたのだ。朝廷は軍を差し向けたが、安倍氏は勝ち続けた。何度も言うが、まともに戦えば蝦夷は強い」

「しかし、負けた」

 アエカシがあきらめの表情に変わる。大きく息を吐いた。

「またも離間だ……。出羽国にも蝦夷の長である清原氏がいた。討伐軍の将軍・源頼義よりよしは好条件で懐柔し、清原氏を討伐軍に引き込んだ。500年前と同じく、朝廷・蝦夷連合軍と蝦夷の戦いになった。戦いの流れは逆転し、安倍氏は滅んだ」

「戦闘では蝦夷が勝ち、政略で蝦夷が負けた……」

「蝦夷の気持ちは複雑だ。戦いには負けたが、勝ったのもまた蝦夷なのだ。戦いの後、清原氏が陸奥・出羽両国の実質的支配者となった。むろん、朝廷の下での支配だがな」

「その清原氏も無くなった――」

「跡継ぎをめぐり争いが起こり、実子ではない清原清衡きよはらきよひらが勝った。皮肉にも滅ぼされた阿部氏と藤原氏の子だ。そして清衡は奥州藤原家の初代、藤原清衡を名乗った」

「藤原氏の政治は?」

「蝦夷も尊重してくれている。三代目秀衡様の妾も蝦夷の女だ。もう時代は変わった。奥州は大和人、蝦夷、そして両方の血を引くものたちが住んでいる。奥州は蝦夷だけのものでは無くなったのだ」

「尊重というと――」

「狩猟生活を認められ、農耕に比べ不安定な生活は、馬の放牧や商いの一部を任されることで保護されている。その代わり、戦いが起こった際には、最精鋭として激戦地に回される。仲間は多く死ぬが、勇者として扱われるのは蝦夷の誇りだ」

――それって、捨て駒じゃないの? でも言うと傷つくよね、たぶん。

 貴一はだいたいの歴史がわかったので、アエカシに礼を言った。

「いや、言い伝えを大まかに話したので、細かいところは蝦夷の中でも違うこともあるだろう。同化を嫌う蝦夷の中には海を渡って北に移り住んだ者もいる」

 貴一は居住まいを正した。

「ここに来た理由はもう一つある。俺の国と同盟を結んで欲しい」

「秀衡様とではなく?」

「俺と蝦夷の間に余計なものは挟みたくはない」

「えらく気に入ってくれたものだな。しかし、結んだとて、国は遠く離れている」

「技術同盟から始めよう。出雲国は大量の馬が欲しい。それも中央の小さい馬ではなく、奥州の良い馬だ。だが、奥州から出雲までいちいち馬を連れてくるのは難しい。だから馬を上手く育て増やせる人が必要です」

「代わりに何の技術をくれる?」

「良い鉄の作り方です。奥州の武器を持った敵と戦ったが、簡単に太刀が折れた。その後も注意深く武器を見ていたが、みな鉄が粗末だった。出雲からは製鉄の技術者を送ろう」

 アエカシは返事の代わりに呑んでいた盃を貴一に渡した。
 貴一は受け取って盃の酒を飲み、同盟が成立した――。
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