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第一章【少年よ冒険者になれ】

41・試練、不思議な世界で。(2)

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 ゆっくりと移ろう季節を感じながら、テレスは青春の日々を過ごしていく。それはどこまでも平凡で、平和で、退屈で、それでも時折わくわくしたりドキドキする、そんな当たり前の日々だった。

「梅雨前にもっと部活をやっておかないと」

 フェリアがそう言い出したのは放課後の部室だった。

「えー、小テスト作らなきゃいけないのに~。だいたい梅雨ったってまだ四月の中旬でしょ~?」

 反対派の顧問のレンダは疲れた顔で机に突っ伏している。

「でも、六月は雨ばかりになっちゃいますし、ほら、先輩たちは受験勉強に入っちゃいますよね?」
「そうですね、私は推薦なので大丈夫ですけど、ボード君は……」
「テレスに沢山宿題を出されて大変なんだよぉ~」
「後輩に勉強を頼っておいて文句を言わないでくださいね、ボード先輩。春休み中もほとんど毎日教えていたんですから」
「怖い! 敬語なのが逆に怖いよ~!」

 肝試しでも不良に絡まれても動じないボードだが、テレスのこの笑顔と態度は怖いらしい。

「まあ、でも、どちらにせよ五月の頭にはやりはじめないと、梅雨は厳しいですよね」

 ウィルが空を指さす。六月は天気が読みづらい。夜遅くに学校に残るにはいろいろと許可が必要なので、天気が読みやすい五月のうちに観測をする回数を増やしたい、それが生徒側の意見なのだ。新学期が始まってからは、まだ許可を得ていないため、もっぱら部室に集まって雑談も含めた話し合いばかりなのだ。新入生の勧誘も控えているというのに、これでは息も詰まってしまう。

「うう、でもなー、屋上の使用許可申請に夜間申請、あれ何枚も書くの大変なんだよ~、なんで全部手書きかな~? 今、西暦何年だよ! 西暦のバカ!」
「いや、西暦は悪くないでしょう」

 ウィルの突っ込みむなしく、レンダはまた突っ伏してしまう。

「書類は私も手伝いますから。レンダ先生、お願いします」
「本当?」
「え?」
「手伝ってくれるの?」
「はい。まあ」
「八割くらいくらい?」
「四割くらいです!」
「えー」

 甘えてくるレンダを、フェリアはきっぱりと突き放す。

「じゃあ俺はテストを作るのを手伝いましょうか?」
「え? いいの?」
「いいわけないでしょ! まったく、ウィルは」
「冗談冗談!」

 これもテレスにとっては最初からオチまでわかっているような展開。だが、思わず笑みがこぼれた。

「そういえば、あれはいつ出来上がるんですかねぇ~」

 テレスの方を見ながら、上級生なのに敬語で語り掛けるリプリィの話に一瞬主旨が掴めなかったが、リプリィの「ほら、勧誘用の」という補足で合点がいった。

「ああ、あれは三日前に頼んだばかりですからね、さすがにまだ出来てはいな……」

 そのとき、テレスの言葉を遮るようにドアが開いた。勢いをつけた豪快な音とともに現れたのは、アリスだった。

「みんな! できたって!」

 テレス以外の皆は頭にクエスチョンマークを浮かべているが、テレスはなんとなく理解できた。

「もしかして、トーニャ先生の?」
「そうそう! 相変わらず早いよね~!」

 皆、思わず「おぉ~」と驚きの声を漏らす。だが、テレスには微かな違和感が残った。あまりにも予定調和というか、起こるべきことが台本通りに進み続けているような気がしてならないのだ。
 ともかく一行は、技術の授業を担当しているトーニャのところへ向かった。

「おう、来たか」

 女だてらに口調は荒いが、生徒の相談にもはっきりとした言葉で答えてやるなど、裏表がないところが人気の先生である。今回もテレスたちの依頼を、二つ返事で引き受けてくれた。

「どうだい。こんなんでよかったかな」

 皆の前に現れたのは、球体の装置である。下から電源コードが出ていて、通電させるとその球体が光りながらゆっくりと回転する。そう、プラネタリウムである。

「すごいです、これ! ちゃんと穴も空いてる!」

 先ほどまで感じていた違和感もどこへやら。テレスも感動を隠せないでいる。

「ま、簡易的なものだけどね。新入生に見せるにはちょうどいいんじゃないか」
「十分ですよ! ありがとうございます! トーニャ先生!」

 皆、テレスに続いて次々に礼を言う。

「ま、まぁ。別にいいんだよ、あたしは。暇だったし。さ、部室に持ち運ぶのはお前らの仕事だぞ。行ってこい!」

 自然とそろった「はい!」という返事が部屋に響く。そして、部室でのモヤモヤした状態が嘘のように、皆きびきびと仕事を始めた。

「あらあら照れちゃって。遅くまで残って作ってたくせに」
「あ? 暇っつったら暇だったんだよ!」
「はいはい。ほんと、ありがとうね」
「いいよ。ああいう笑顔を見せられたら、疲れも吹っ飛んだ」

 先生として同期であるレンダとトーニャは、見た目も性格も凸凹だが、案外これで気が合っているらしい。こういう若くて面倒見のいい先生がいる学校というのは得てして活気があるものだ。ここも例外ではないのだろう。それは、生徒たちの前向きな姿勢がなによりも証明していた。

 その後、新入生勧誘会では微調整をしたプラネタリウムを使って大盛況に終わった。つい先日まで小学生だった一年生にとっては、星や空の説明や、活動内容の紹介をするよりも、刺激があってわかりやすかったことだろう。それを見守っていたレンダやトーニャも自然と微笑んでいたのは言うまでもない。

「新入生、いっぱい来てくれますかねぇ」
「ええ、あれだけインパクトがあったのなら、きっと来ますよ」

 不安と期待が半々という表情のリプリィにテレスが答える。

「じゃあ、もっとお肉持ってこないとね」
「いやいや、お弁当は自分の教室で食べるんじゃないですか、きっと。一年生たちは」
「じゃなくて、部活中も」
「ダメです! 部活中は食べるの禁止ですからね」
「そんなぁ……」
「ボード先輩、どんだけ食欲あるんすか」

 ボード、フェリア、ウィルも会話が弾んでいる。テレスもかなり満足していた。一年生たちの反応、他の部活の勧誘に来ていた同級生、上級生たちが楽しんでくれていることを肌で感じられたのが嬉しかった。なにより、自分自身もプラネタリウムに感動していた。
 夜、晴れた空を見上げれば当たり前のようにある星々。それよりも粗末で偽物なはずのプラネタリウムに、なぜ心を動かされるのか。今の少年にはこの疑問の答えが出せそうにないが、それでも以前よりも一段と星が好きになっていたのは確かだった。

 後日、ようやく屋上使用の認可が下り、夜間の天体観測を決行することになった。これから入ってくる一年生たちへの説明がたどたどしくならないようにする考えもあるが、あのプラネタリウムを観たことで皆のテンションも上がっていたのだ。
 望遠鏡を屋上へと慎重に運び、設置する。田舎のいいところは、都会と比べて夜の街の明かりがかなり少ないところだ。夜空はできるだけ暗い方がいい。暗ければ暗いほど、点々と存在する小さな光が際立つ。
 様々な調整を終え、望遠鏡をのぞき込む。望遠鏡の傍らでは、厚紙を巻いて光の範囲を絞った懐中電灯をもって、星座表で星を確認している順番待ちのメンバーがいる。
 テレスの目に、肉眼よりもずいぶん大きくなった星が飛び込んでくる。とはいっても大学や研究機関が使用するような望遠鏡と比べてしまえば安物である。それほど詳細を知ることはできない。ただ、確認していた事前情報が彼の想像力を掻き立てる。今見えている恒星のほとんどが、我らが太陽よりもずっと大きく、そして果てしなく遠いところに存在しているのだ。肉眼でもその光や位置は十分確認できるが、こうして望遠鏡を通してみてみると、ほんの少しだけその星と近づけた気がした。

「やっぱり、星はいいねぇ」

 望遠鏡から少し距離を取り、暗闇の中で隣に座ったアリスは、テレスにはなんだか笑っているように感じられた。

「そうだね。こうしていると、なんだ自分の悩みなんてちっぽけだと思っちゃうよ」
「え、テレスに悩みなんてあるの?」
「あるよ。なさそうにみえる?」
「みえない。よく難しい顔してるし」
「でしょ」

 そういって二人はクスリと笑った。望遠鏡の方に目をやると、ボードがリプリィの説明を受けながら望遠鏡をのぞいている。星座表を確認する係のウィルの顔が懐中電灯の反射で少し見えたが、笑いをこらえているところを見ると、またボードがトンチンカンなことを言っているようだ。
 屋上が夜間に解放される時間は短い。他の部活はとっくに終えている時間なのだから当然である。最後に皆で集まって、肉眼で空を見るときの目標となる一等星の名前や星座を確認する。これから入ってくる後輩たちに教えるのは、望遠鏡の使い方と、こういった基本的な星の見方である。事実、久しぶりの天体観測であり、忘れっぽいアリスやボードにとってはいい復習になったようだ。
 レンダ先生を囲っての星の確認も終わり、部員たちは各々満足したようだ。

「そういえば俺、小さいころ星を勘違いしてたな」
「なに? あなたのことだから……全部UFOだと思ったとか?」
「いや、そこまで馬鹿じゃないからね、俺」

 ウィルの話にフェリアが突っ込む。でも、ウィルならそう考えていてもおかしくないと、他の皆も妙に納得してしまった。

「じゃあ、どんな風に勘違いしていたのよ」
「いやな、丸いじゃん。星って。だから、こう、球体じゃなくってお皿みたいなものだと思ってたんだよ」

 この言葉を聞いた瞬間、テレスの脳裏に強い違和感が走った。昔はこの地球を偉い学者たちでさえも平面であると考えていた。遠くへの航海の実績が十分でなく、天体への知識や物理の発達が浅いうちはそんなものなのだろう。そういった意味では幼いウィル少年の勘違いもそれほど不思議ではない。だが、テレスの頭の中ではあまりにおかしな現象が起きていたのだ。
 天文部に所属し、望遠鏡で土星や金星などをその目でみたり、重力に関する知識も一般の生徒よりも詳しい自信が彼にはあった。だが、何故か恒星や惑星を今の今まで平面だと考えていたのだ。小学校の理科でも、テレビでも図鑑でも、普通に習うはずのこの常識が、彼の知識から完全に欠落していたのだ。
 同時に、何かむず痒いような感覚が頭の中を占拠する。何かを忘れていることはわかるが、何を忘れたのかを忘れているため思い出せない、あの感覚。日常でままあることではあるが、ここまで強烈なそれに遭遇したのは記憶になかった。
 彼の異変に気が付いたレンダとウィルがそばに駆け寄る。

「どうした? テレス。気分でも悪いのか?」
「大変! テレス君、大丈夫?」

 二人の慌てぶりに、他の皆も集まってくる。テレスは返事もできず、目を大きく見開いいたままその様子を眺めていた。思い出せそうなものが思い出せない焦りと困惑、それが体を駆け巡っているはずなのに、その映像は何故か冷静に受け止められていた。

「先生の目を見て。ちゃんと呼吸はできてる?」
「俺のことわかるか? 何か話せるなら、ゆっくりでいいから話してくれ!」

 必死にテレスに話しかける二人を見て、何故かテレスは喜劇でも見ているように可笑しな気持ちになる。そして、ようやく彼の頭の中のカオスな状態は収まり、体の自由を取り戻す。

「レンダ先生、ウィル」
「なぁに?」
「おう、どうした?」

 心配そうな二人の顔を交互に見て、乾いた喉を潤すために、一度唾を飲み込む。そして頭の中に浮かぶ違和感を最もシンプルな形で言葉にする。

「あんたたち、誰?」

 その瞬間、周りの空気は固まり、動きが止まり、暗い中わずかに色を帯びていたレンダやウィルの顔から色がなくなっていく。完全にモノクロで、無風で、寒くも暑くもない、いや、温度という概念すらなくなったような空間に変化した。
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