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青年前期
第52話 非常事態
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「どうかなさいましたか?」
九年間こんなことは一度もなかったので、リヴァが慌てて彼女に駆け寄ると、震えながら必死に胸元を押さえている。
「胸が痛むのですか?」
はあはあと息を切らせながら、肩を上下させているシキの眼が一瞬ぼやっと赤く光ったように見えた。そんな眼をしているのは初めて会った時以来見たことがない。
「……痛い! 心が痛い! ……張り裂けそう」
何だかとてつもなく嫌な予感がすると、抱きかかえるために両手を伸ばしたら、やめて欲しいと言わんばかりに手で合図をしてくる。
そしてリヴァの顔を不安そうにちらりと見ると、シキは野原を走り出して塔へと向かった。
リヴァが慌てて追いかけると、寝所と同じ最上階にある衣装部屋で慌ただしく動き回っている。
それは、俄かには信じ難い光景だった。
自分で履いたことなど一度もないブーツに足を突っ込み、よたよたと足を引きずりバランスを崩しそうになっている。しかも白い外套だって腕は通したものの留め方を知らないから前が閉じていない。
リヴァは思わず脇下から抱きかかえ、彼女の顔を見て大声で叫んだ。
「何処へ行く気なのです? あなたはこの塔から出ることは許されていない。出たらどうなるか、ご存じのはずだ!」
「…………私を呼んでいる。助けてって」
「何……を言っているのです?」
シキの顔は自分の身に何が起きているのか、はっきりとはわかっていないようだった。
実際、体内を流れる血液が沸騰するように熱くなり、まるで強力な磁石同士が引き合うような力で、何かに突き動かされ身体が勝手に動いている。
シキは見よう見まねで外套を留め、ブーツがずり落ちないように何とか紐を括り付けると、一気に階段を玄関ホールまで駆け下り大きな両開きの扉をバーンと開けた。
まさか、本気で塔の外に出る気か?
力ずくで、何とかしようとしても、彼女が本気を出せばとても太刀打ちできないだろう。あのぼんやりと赤く光っている眼をしている時はとくにだ。
そしてそれこそが、この塔に彼女が幽閉されている本当の理由。
リヴァが追いかけて外に出ると、厩舎の方から馬の声がし、シキは白い馬に騎乗し手綱を握っている。
いやいやいや、塔じゃなく、バミルゴから出るつもりなのか?
もしもそんな事になったら……。
アルギナの、いやこの国の重大な秘密が白日の下に晒され、国外に知れ渡ってしまう。
これは国家を揺るがす非常事態なのではないか?
バミルゴの出入口は一箇所の門だけ。その手前で何とか追いつくことが出来れば……。
もうすでに走り出した彼女を見て、リヴァも急いで黒い馬に跨ると後を追った。
シキは塔がある郊外から街中へと向かって疾駆していく。
人がまばらに見えはじめたため、顔が見えないように外套の袖で覆いながら片手で器用に手綱を操り、ついに人が行き交うバミルゴの街中へと馬が入って来た。
城塞都市バミルゴでは、広い道が迷路のように入り組んでいる。普段から馬が行き交うことはめったになく、宮殿で兵士が訓練で使っているくらいである。
アルギナのような位の高い神官が移動するときも、神官たちの引く唐車が基本であった。
シキが乗った白い馬に、街中にいた人々は驚き慌てて道を開けた。そして馬が立ち去った方向を誰もがもの珍しそうに見つめている。
しばらくすると今度は黒い馬に跨ったリヴァが物凄い勢いで彼女の後を追いかけ街中に入って来た。
街中は人が多すぎる! それに彼女も速い。
この国唯一の通用門。
遠くの方からどよめきが聞こえ、その声は、近づくにつれ徐々に大きくなる。ただならぬ気配に門の前で門兵たちは剣を構えて立ちはだかった。
遠くから白い外套を纏った人物の乗った馬が、もの凄い速さでこちらに向かってくる。
「止まれ! 止まらぬと容赦しないぞ!」
立ちはだかる兵士たちが大声で叫ぶ声が聞こえる。
シキは一瞬、鞘から剣を抜こうかと手をかけた。
しかし無用な混乱を起こしたくなかったので、何とか思いとどまる。
そして袖をおろし、両手で手綱を握りしめた時、その手が赤い光を発し出した。
どいて、どいてちょうだい!! 誰も傷つけたくないの。お願いだから……。
祈るような気持ちで彼女がその手の平を門兵たちの方に向けると、強風により彼らの何人かが門の壁に叩きつけられた。その強風は放ったシキの方にも跳ね返り、外套のフードが脱げかかってしまう。
叩きつけられた兵士たちのもとに駆け寄った一人の兵士が、白い馬の方を見上げた。
するとそこには銀色の髪を靡かせ、翠色の瞳で心配そうに倒れている兵士たちを見つめる、この世のものとは思えない、美しい少女の姿が一瞬だけ垣間見えたのである。
「おっ、女!? まさかこの国にあのような……」
そして兵士の前を通り過ぎると、白い馬は瞬く間にバミルゴの門から出ていった。
幻想と現実の区別がつかない状態のまま、兵士が馬の走り去った方を眺めていると、次は黒い馬が後ろからやってくる。
その馬に乗った男はいきなり手綱を引いて兵士たちの前で馬を止めた。
「大至急、非常事態だと宮殿にいるアルギナに伝えよ。私は必ずこの国の秘密を連れ戻すとな!」
そう兵士に言い残して、ついに国外へ出たシキの後を追ったのである。
九年間こんなことは一度もなかったので、リヴァが慌てて彼女に駆け寄ると、震えながら必死に胸元を押さえている。
「胸が痛むのですか?」
はあはあと息を切らせながら、肩を上下させているシキの眼が一瞬ぼやっと赤く光ったように見えた。そんな眼をしているのは初めて会った時以来見たことがない。
「……痛い! 心が痛い! ……張り裂けそう」
何だかとてつもなく嫌な予感がすると、抱きかかえるために両手を伸ばしたら、やめて欲しいと言わんばかりに手で合図をしてくる。
そしてリヴァの顔を不安そうにちらりと見ると、シキは野原を走り出して塔へと向かった。
リヴァが慌てて追いかけると、寝所と同じ最上階にある衣装部屋で慌ただしく動き回っている。
それは、俄かには信じ難い光景だった。
自分で履いたことなど一度もないブーツに足を突っ込み、よたよたと足を引きずりバランスを崩しそうになっている。しかも白い外套だって腕は通したものの留め方を知らないから前が閉じていない。
リヴァは思わず脇下から抱きかかえ、彼女の顔を見て大声で叫んだ。
「何処へ行く気なのです? あなたはこの塔から出ることは許されていない。出たらどうなるか、ご存じのはずだ!」
「…………私を呼んでいる。助けてって」
「何……を言っているのです?」
シキの顔は自分の身に何が起きているのか、はっきりとはわかっていないようだった。
実際、体内を流れる血液が沸騰するように熱くなり、まるで強力な磁石同士が引き合うような力で、何かに突き動かされ身体が勝手に動いている。
シキは見よう見まねで外套を留め、ブーツがずり落ちないように何とか紐を括り付けると、一気に階段を玄関ホールまで駆け下り大きな両開きの扉をバーンと開けた。
まさか、本気で塔の外に出る気か?
力ずくで、何とかしようとしても、彼女が本気を出せばとても太刀打ちできないだろう。あのぼんやりと赤く光っている眼をしている時はとくにだ。
そしてそれこそが、この塔に彼女が幽閉されている本当の理由。
リヴァが追いかけて外に出ると、厩舎の方から馬の声がし、シキは白い馬に騎乗し手綱を握っている。
いやいやいや、塔じゃなく、バミルゴから出るつもりなのか?
もしもそんな事になったら……。
アルギナの、いやこの国の重大な秘密が白日の下に晒され、国外に知れ渡ってしまう。
これは国家を揺るがす非常事態なのではないか?
バミルゴの出入口は一箇所の門だけ。その手前で何とか追いつくことが出来れば……。
もうすでに走り出した彼女を見て、リヴァも急いで黒い馬に跨ると後を追った。
シキは塔がある郊外から街中へと向かって疾駆していく。
人がまばらに見えはじめたため、顔が見えないように外套の袖で覆いながら片手で器用に手綱を操り、ついに人が行き交うバミルゴの街中へと馬が入って来た。
城塞都市バミルゴでは、広い道が迷路のように入り組んでいる。普段から馬が行き交うことはめったになく、宮殿で兵士が訓練で使っているくらいである。
アルギナのような位の高い神官が移動するときも、神官たちの引く唐車が基本であった。
シキが乗った白い馬に、街中にいた人々は驚き慌てて道を開けた。そして馬が立ち去った方向を誰もがもの珍しそうに見つめている。
しばらくすると今度は黒い馬に跨ったリヴァが物凄い勢いで彼女の後を追いかけ街中に入って来た。
街中は人が多すぎる! それに彼女も速い。
この国唯一の通用門。
遠くの方からどよめきが聞こえ、その声は、近づくにつれ徐々に大きくなる。ただならぬ気配に門の前で門兵たちは剣を構えて立ちはだかった。
遠くから白い外套を纏った人物の乗った馬が、もの凄い速さでこちらに向かってくる。
「止まれ! 止まらぬと容赦しないぞ!」
立ちはだかる兵士たちが大声で叫ぶ声が聞こえる。
シキは一瞬、鞘から剣を抜こうかと手をかけた。
しかし無用な混乱を起こしたくなかったので、何とか思いとどまる。
そして袖をおろし、両手で手綱を握りしめた時、その手が赤い光を発し出した。
どいて、どいてちょうだい!! 誰も傷つけたくないの。お願いだから……。
祈るような気持ちで彼女がその手の平を門兵たちの方に向けると、強風により彼らの何人かが門の壁に叩きつけられた。その強風は放ったシキの方にも跳ね返り、外套のフードが脱げかかってしまう。
叩きつけられた兵士たちのもとに駆け寄った一人の兵士が、白い馬の方を見上げた。
するとそこには銀色の髪を靡かせ、翠色の瞳で心配そうに倒れている兵士たちを見つめる、この世のものとは思えない、美しい少女の姿が一瞬だけ垣間見えたのである。
「おっ、女!? まさかこの国にあのような……」
そして兵士の前を通り過ぎると、白い馬は瞬く間にバミルゴの門から出ていった。
幻想と現実の区別がつかない状態のまま、兵士が馬の走り去った方を眺めていると、次は黒い馬が後ろからやってくる。
その馬に乗った男はいきなり手綱を引いて兵士たちの前で馬を止めた。
「大至急、非常事態だと宮殿にいるアルギナに伝えよ。私は必ずこの国の秘密を連れ戻すとな!」
そう兵士に言い残して、ついに国外へ出たシキの後を追ったのである。
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