記憶が戻った伯爵令嬢はまだ恋を知らない(完結) レジュール・レジェンディア王国譚 承

詩海猫

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 __ま、こんなもんだろう。

 居並ぶ人々が呆気に取られる中、私は下品にならない程度の早足で広間を後にした。
 ユリウスが音もなく背後に付く。
「なあに?」
 何か言いたそうな気配を察して背後のユリウスに問う。
「お見事でした、セイラ様」
「バレてた?」
「いえ、あの令嬢がセイラ様が目を離した隙にグラスを傾けたのは本当ですから。殆どの人間は(わざと被った事に)気付かなかったと思いますが、何故わかったのです?」
 ジョアンナがグラスを傾けると。
「だってあの方、とてもわかりやすいんですもの。この紅茶を引っ掛けてやりたい、て顔に出てたから浴びて差し上げたのよ」



 実際彼女は新興貴族で中立派ではあったが、上昇志向が強くどちらかと言えば中身は特権派に近い。
そんな彼女がわざわざ中立派に敢えて身を置いていたのは私とリズの不興を買わない為だ。
 ハリエル商会の一番の大口取引先はローズ伯爵領とエヴァンズ商会。
 そしてそのハリエル商会は”取り扱ってる紅茶の種類が最多を誇る”だけであってハリエルを通さなければ手に入らない、なんてものは特にない。
うちもエヴァンズも切った所で特に問題はないが、ハリエル家からすれば切られれば痛手だろう。
だから私やリズに追従するような態度ではいた。

 だが、可愛げがあるというべきか甘いと言うべきか、本心では私達を嫌ってる事が隠しきれてない。
 商会の跡取り娘として育てられ、本人も上手く出来てるつもりなのだろうがまだまだだ。
 紅茶の知識は素晴らしいし、淹れるのも上手なのだが私やリズに注いでくれるたび「少しでいいからひっかけてやりたい」という思いがひしひしと伝わってくるので密かに観察していたらある時たまたま見たのだ。
ブツブツ言いながら練習しているのを。
あれは本気で引いた。

思っているだけでなく、練習までしていたとは。

 そして後日、ヴァニラに対して成功するのを私は目の当たりにした。
 彼女は大仰に泣きそうな顔で謝罪し、育ちの良いヴァニラは「そんなに目立たないから気にしないで」と軽く流していたが、当のヴァニラが背を向けた途端、実に満足そうな笑みをこっそり浮かべたのを私は見逃さなかった。

 __気に入らない。

 その心根に心底嫌悪感を抱いた私は、リズには彼女がわざわざ練習している事を明かして気を付けるよう促し、私もリズも彼女のやり口を知っているのでその後被害にあう事はなかったがいつかヴァニラの分の意趣返しをしてやろうと思っていたのでちょうど良かった。
 上昇志向が強く玉の輿狙いの彼女に皇太子を紹介してあげたのだ、感謝してもらたいたいくらいだ。
 尤も、”本日の主役”の一人である私のドレスを不注意で台無しにした挙げ句、“取って変わって皇太子のお相手をするなんて何て図々しい令嬢なのだろう“とひそひそ言われてる事必至だし、あの男爵令嬢に黒太子の相手は荷が重いだろうが、当の本人に「後をお願いします!」と言われてしまったのでは退出する事も出来ず針のむしろだろう。
良い薬だ。

「……なるほど」
 小声すぎる会話は周囲に聞かれる恐れはないがここはまだ伏魔殿だ。
 それ以上の会話は避けて宮への道を急ぐ。

 そこに、兄が走ってくるのが見えた。
「セイラ!」
「お兄様、王太后様のご容態は?」
私は真っ先に気になってた事を訊ねた。
「いや、俺は真っ直ぐここにきたからまだ__今部下が行っている、お前はど__どうしたんだそれは!?」
「見ての通り、ので退出する所です。ルキフェル皇太子殿下への挨拶は済んでいますので問題ないでしょう」
 察しのいい兄はそこまで聞いて経緯いきさつを何となく理解したらしい。
「まあ、ならいいが__気をつけろよ?相手はあの”花嫁攫い”皇帝の孫だ。いいか?絶対一人になるなよ?」
「レオン様にも同じことを言われましたがーー」
 どうだろ?
あの皇太子が自分わたしにそこまでの情熱を持ってるとは思えないが。
「それから、家には暫く帰って来るな」
 「え?」
 帰って来るなって言われた今?
黒太子が滞在してる城にこのままいろと?

「今、何て言いました?」
 一応確認する。
 正直、この伏魔殿に長居はしたくないしいくら良くしてもらってもあの部屋を”自分の部屋”だとは思えない。
思うには時間がかかるだろうし、そもそもレオン様の猛攻が怖い。

 が、聞き間違いではなかったらしい。

「家には帰って来るなと言った。父上が留守な今、母上やエドワードを危険に晒すわけに行かないだろう。黒太子の狙いがお前なら__」
 リュートはそこまで言って妹の纏う雰囲気がひんやりしたものになったのに気付いて黙るものの、もう遅かった。

「セ、セイラ……?」
「そうですか。私には帰る家はもう無いんですのね?」
「?!っ待て!そんな事は言ってない!ただ警備上の問題で__」
 どうやら言い方を間違ったらしい、とリュートが気付いた頃には既に遅し。
セイラの頭の中で何かがぷつりと音を立てて弾けた。

「言ったではないですか!私がいると周りの人間が危険だからもう帰って来るなと!」
「もう、とは言ってない!暫くと言ったんだ!」
「大差ないではないですか!私は四ヶ月後にはここに嫁ぐ事になってるのでしょう⁉︎どうせ同じようなものだから構った事ではないとでも思ってるのではありませんか?!」
「待て、それは違う」
珍しく宥めるようなリュートの口調も、今のセイラには逆効果だった。

 普段のセイラなら“実家に万が一ドラゴンの飛来などがあった場合の被害も考えてこちらにいた方が安全“という考えに言われなくとも気付くのだが。

  生憎今のセイラは“普段の様“ではなかった。

昨日の朝からこっち緊張のし通しで、気を抜く暇もなかったのだ。
今だって会場入りして楽団の存在に気付いた途端 僅かにあった余裕も、思った以上に時間もないのに気づいて上手く抜け出せる手が会場を見渡した時あれしか思いつかなかった。
 上手くいったから良かったもののダメならただ仮病で倒れるか、悪くしたら今頃黒太子とファーストダンスを踊っていたかもしれない。

 こんな駆け引きの場にずっといるのはもう御免だった。

早く家に、でなければ学園の寮でもいい、帰りたかった。
 だが学園の寮は夏休み中閉鎖されている。

 どうにか冷静に妹と話をしようと試みるリュートだが緊張状態が続きすぎた故に一気にキレたセイラにそれは無理だった。
「__そういえば、お兄様は知ってらしたのですよねぇ?レオン様が何年も前からこういうつもりでいらしたこと。道~理でレオン様以外の異性と私が少しでも話してるとやたら口うるさく注意して来る確率が高くておかしいと思ってたんです」
「!い、いや、それは__」
 痛い所を突かれて黙るリュートにセイラの舌鋒は止まらない。
「そうですわよねお兄様は兄である前に殿下の家臣ですものね?」
「っそれは違う!あくまでお前が年頃になるまでは黙っているべきだとの父上の意向で__」
「だったら何故レオン様以外の人との会話にいちいち反応したりそれを報告したりする必要があったのです?!」
「っ、それは……」
「あゝもうお兄様とは口をききたくありません!!お兄様と呼ぶのも腹だたしいですわ!と・いうか家に戻るなと言うならお兄様と呼ぶ必要ももうありませんわよね?!」
「待て!何でそうなる!?家に戻るなと言うのは一時的な措置で__」
「一時的っていつまでですの?!一週間?一ヶ月?それとも一生ですか?!」
「っそれは__」

 危険がなくなるまで。
或いは黒太子が帰国するまで。
正確に期限が切れないのは当たり前だと頭でわかってはいても。
「どうぞ任務にお戻り下さい、ローズ隊長」
 感情が割り切れず、声音が意図せず冷たくなる。
「!」
 ショックを受けたように固まるリュートを残してその場を後にした。
 突然始まった兄妹喧嘩に口を挟む間もなかったユリウスもリュートに一礼し後に続いた。




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