上 下
30 / 49

29 騎士団長は見た

しおりを挟む
時間が少し巻き戻って、マリーローズとその母親たちがヒソヒソ話(その実全然潜んでいないが)で盛大に王家の失態を周囲に広めているところを、騎士団長は顔を青くしてこっそり覗き見ている。
体躯の大きい自分はあまり近くに寄ると視界に入ってしまうから、ギリギリ声の届くエリアまで離れ、木々の隙間からかろうじて声と姿を捉えている。

聞こえてくる内容は、
「随分歩いて王宮の奥まった部屋に連れて行かれて王女殿下に引き合わされた」
「そこで王女殿下に“何故自分が贈ったドレスを着ていないのか“と詰問された」
「着れるはずがない、あのドレスはロード伯と王女殿下の瞳の色を混ぜた色のものだった」
とロード伯が行なっている夫人への仕打ちとも言える数々。
そしてそれを聞いて同調していく貴族たち。

極めつけは、
「王女殿下が仰るには、あの色のドレスを着て夜会に出る私の姿が見たかったそうですわ。その為にロード伯に我儘を言ってここに来たと」
「なんですって?!それじゃ馬鹿息子が貴女を頑なに休憩室に連れて行きたがったのは_…!」
「はい。王女殿下の希望を叶えるためだったようです」
「なんてこと……!よくもうちの娘を!」
セントレイ伯爵夫人の手にある扇子がメリメリと音を立てている。

怒っている。
めちゃめちゃ怒っている。
(不味い……)
「ごめんなさいマリーローズ、あの時何としても止めるべきだったわ」
ロード伯の母親である侯爵夫人も義娘の味方のようだ、益々不味い。

『結婚式の事といい、今日の事といいあんまりと言えばあんまりな……』
という呟きが伝播していく。王家への不信感が熾火のように高まっていく。

「全く結婚式の事といい、我がカイゼル侯爵家を馬鹿にするにも程があるわ……!」
侯爵夫人が煽る。
「そうよ!今夜の宴だって最初は他国の要人のためのレセプションがなくなった穴埋めだったそうじゃない!この国の貴族家を馬鹿にしているのではなくて?!」
伯爵夫人がさらに煽る。

長年社交界を渡り歩いている貴族夫人のひと言に、周囲も一気に
『まあ。急な夜会とは思っていましたけど』
『そんな噂は確かに聞きましたけど、、』
『まさか本当だったのか?』
という声が溢れた。

「全く、ロード伯があんな風にすぐどこかへ行ってしまうものだから護衛騎士の中で一番身分の高い者にエスコートさせるしかなかっただけだというのに!」
「まあ。広間で何があったのですか?」
「ロード伯があんなだから貴女も情夫を持つことにしたのではないか、などと妄言を流布しようとする愚か者たちがいて、不愉快だから私たちも早々に失礼することにしたのよ。全く、我が家の騎士たちに対しても無礼千万な」
「まあ_…そんなことが?ルイスはとても素晴らしい騎士ですのに。ルイスと踊れないことに腹を立てた御令嬢の仕業でしょうか?」
「あゝ、そうかもしれないわね。ルイスは身分ある騎士だし」
「そうね、こんな場所に長居は不要よ!帰りましょう!!」

そう声高に宣言して去っていった女傑たちには、アベル・ロードという人物の所在を(非難してはいたが)気にする素振りは一切ない。
ロード伯夫人であるマリーローズさえ、同じ邸に帰るとういうのに気にする様子が全くない。
「上手くいっていない」と聞いてはいたが、そりゃあ結婚式であれはないとも思っていたが。

自分が知る限り、マリーローズ・セントレイはアベルに淡い恋心を抱いていたはずだ。

他の令嬢のように大っぴらに差し入れを手にアタックしてきたりはしなかったが、いつも本や花を手に、通りすがりのついでのようにアベルに視線を送っていた。

二人の結婚が決まったのが急で驚きはしたが、似合いの夫婦だと思った。
アベルと王女殿下は噂されているようないかがわしい関係ではないし、セントレイ伯爵家は評判の良い家だ、騎士伯を得ているといっても任務一筋で社交がからきしのアベルの心強い味方となるだろう。

そう、思っていたのに。

結婚式の準備中は呼び出しを極力控えていたし、打ち合わせや衣装選び、ダンスの練習等も積極的に行い、その間に二人はしっかり絆を育てていたと思う__だが、あの結婚式は流石にないと思った。


だが、翌日登城してきたアベルは「朝食の席で会ったが怒ってはいなかった」とはにかんで言ったので鷹揚な令嬢、いや夫人なのだなと思った。
結婚式の夜、王城に留め置かれたのは知っていたので、
「だがやり直しはきちんとしろよ?最初が肝心だ。先に部屋に花を飾らせておくとか、無理ならせめて花くらいは買って帰れ。いくら夫人の心が広くても、任務で家を空け通しの騎士の妻は不満が溜まりやすい。その点夫人はお前に惚れているから、大抵の事は大目にみてくれるだろうが_…、」
「花を買って帰れば、妻の機嫌は治るのでしょうか?今朝は食欲がないと言って、すぐに席を立ってしまいましたが」
「そりゃ初夜が今からとなれば、緊張もするだろう。だがそうだな、式の夜は明けてしまっているから、今から全部やり直しってわけにも……いっそ酒の力でも借りるか?」
そう言った騎士団長の言葉に、聞き耳を立てていた周囲の団員があれよあれよと盛り上がってアベルに酒を奢ったあの日の夜、正確には翌日から明らかにアベルの様子が変わった。

翌日会った時、
「昨夜は上手く行ったか?」
と軽い気持ちで聞いたら、
「酔いを醒ませと冷や水を浴びせられました」
と返され、
(しまった。奥方はまだ十七だったか)
まだデビューして一年の少女相手に昨日のアドバイスはまずかったかもしれない、と思う騎士団長はまさかこの“冷や水を浴びせられた“が物理的なことだとは思ってもみない。

そしてこの日から、ほんの数時間しか帰れなくとも、必ず毎日帰宅するようになったのだ。それが何時になろうとも。
騎士仲間は最初、
「そこまでして新妻の顔が見たいのか」
とからかったが、
「今は、見られないんだ」
と返されて言葉を失った。
それだけでなく、日々目に隈が増えていく。
「お前……大丈夫か?」
もしや毎夜励んで寝ていないのかと訊ねたのだが、
「大丈夫ではありません、このままでは離え、、いえなんでもありません」
と答えたのを最後に、何も話してくれなくなった。

業務報告はきちんとするのだが、ひとり言が増えた。

「まだ紳士度が足りないと言われた」
「このままでは妻と会わせてもらえない……頑張らないと」
「女性は壊れもの……頭に頂く女王さま……いや、女王とはなんだ?」
近寄ってみると意味のわからないことをブツブツ言っているのだが、詳しく教えてはくれなかった。

そして今日の夜会で破綻寸前、いやもう完全に破綻していると初めて知った。
まず、夫人がアベルにエスコートされていない。
それだけでなく、夫人がアベルの色のドレスを着ていない。

何故だ?
今日の夜会は、陛下が「申し訳ないことをしてしまった」というお詫びの意味で、披露宴の代わりに二人を主役として執り行うと言っていなかったか?

実際ファーストダンスに指名された令嬢は、
「結婚式でのことがショックで、踊りのステップを全て忘れてしまった」
と断った。
アベルとは邸でも顔を合わせていないと。
国王相手でも一歩も怯まず、王妃のいまひとつなフォローも一顧だにせず言い切った。

これは不味い。
さーっと青ざめた騎士団長の後ろでは無言でその様子を見ていた妻がピシリと扇子を鳴らし、団長ことネイトは竦み上がった。

そして今、休憩室に行ったはずの二人(護衛やお付きはもちろんついていたが)のうち夫人だけが、アベルの行動に不快感を露わにして帰っていった。
(まずい。マズい、不味い、マズい……!)
木の幹に捕まって体格に似合わずプルプルしている団長の背後から、
「あ・な・た」
と愛しい妻の呼び声がして、ネイトは凍りつく。
「ナ、ナディア……」
おそるおそる振り返ったネイトの目の前には、
(いつの間にっ?!)
と叫びたくなるほど、こんな近く背後に忍び寄られたのを全く気付かせない妻の顔があった。
笑みを浮かべているのに、それがとても恐ろしい。
「やはり夫人は帰ってしまったのね。今日こそお話できると思ったのに」
残念がっている台詞は心からのもので、他意はない。

“騎士の妻“は特殊だ。
普通の貴族夫人と違い、夫の留守を守り、自分も守らなければならない。
だからこそ、騎士団長が己の部下を気遣うように、団長夫人も部下の騎士の妻に気を配り、助け合う仕組みパターンが出来上がっている。
全てを聞いているわけではないが、騎士団長であるネイトはアベルを、ナディアはマリーローズを特に気にかけてやって欲しいと言われていた。

十七歳の少女にいきなり王命での政略結婚。
はじめに聞いた時は憤ったナディアだが、
「マリーローズ嬢も、元々アベルに想いを寄せていた」
と夫から聞かされたナディアは、
「ならば心から祝福して味方になりましょう」
とあの結婚式に臨んだ。

だが、新郎がいきなり花嫁を置き去りにしてしまったうえ、新婦である彼女もそのまま披露宴に出席することなく帰ってしまい、何も伝えることができなかった。
「ねぇあなた?私あれから何度かロード伯夫人に招待状を送りましたの。披露宴があんなことになってしまったうえ、あの日以降ロード伯夫妻は一度も公の場に出てこなかったのですもの。でも、夫人からの返事はいつもお断りしますノーだったわ」
「そ そうか……まあまだ夫人も若いし…、少し暑いな」
と汗だくな首元を緩める夫に対し、
「肌寒いくらいですわよ。あなたは気付かなかったの?」
「な、何をだ?」
話題の路線変更に失敗したネイトの声が上擦る。

「結婚式での夫人の挨拶よ。見事な口上だったけど、“私がもうこのような場で皆さまにご挨拶させていただく機会はもうないと思いますが“って文言が入ってたのよ?」
「?そりゃあ、結婚式は普通何度もするもんじゃないだろう」
「そうかしら?そこは“機会はもうない“でなく“また別の集まりでお会いした際には“と言うものじゃない?なら」
「!!」
「私には“自分はこの先一切ロード伯夫人として社交する気はない“って宣言に聞こえたわよ?“王命の政略結婚なんて所詮こんなもの“ともあの時呟いていたし」
「そんな、では、まさか_…」
(令嬢がアベルに惚れていないなら、赦しているはずがない_…)
ネイトはその場に這いつくばった。

だとしたら、自分はなんて的外れなアドバイスをしてしまったのだろうか。
マリーローズがアベルに惚れていないなら、全ての前提が変わってくる。
「__それで?」
という妻の言葉にネイトは文字通り飛び上がった。
比喩でなく、その場で猫に出くわしたネズミのように数センチだけ宙に浮いたのだ。
「ロード伯のあの後の様子はどうだったの?それに対してあなたはどう対処したのか詳しく聞かせてちょうだい?」

そう言われたネイトの頭に浮かんだのは走馬灯__ではなくて、明日の朝仰向けになれず、うつ伏せで痛みにうめく自分の姿だった。
扇術を護身術として習う夫人はいるが、ナディアは鞭を使う。
なぜ鞭なのか聞いてみた時、「この方が性に合うので」と答えられて「あゝそうですか」としか言えなかった。
もちろん無闇矢鱈に振り回すのでなく、動物の調教や盗みをした使用人や街で出会った盗人とか__最後は貴族夫人のやることではないが、ナディアは振るうべき時を弁えている人である。

その弁えている人物を怒らせる方が悪いのだとわかってはいる。
わかってはいるのだが、もう少し手加減をしてくれないかなーとネイトは星に願った。


*・゜゚・*:.。..。.:**:.。. .。.:*・゜゚・*




間に合った!ちょっとだけ伏線回収入りました。
推敲の見落としは随時発見次第対応しますm(_ _)m

先日も感想祭りありがとうございます❣️
なんだか皆様に私事の相談してアドバイス頂く現場と化してる部分もあったり……( ̄▽ ̄;)
いつも体調面を気遣っていただき&エールありがとうございます❣️
まだまだ昼間は暑く、朝晩寒いので皆様もご自愛ください✨

しおりを挟む
感想 783

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

探さないでください。旦那様は私がお嫌いでしょう?

雪塚 ゆず
恋愛
結婚してから早一年。 最強の魔術師と呼ばれる旦那様と結婚しましたが、まったく私を愛してくれません。 ある日、女性とのやりとりであろう手紙まで見つけてしまいました。 もう限界です。 探さないでください、と書いて、私は家を飛び出しました。

わたしはくじ引きで選ばれたにすぎない婚約者だったらしい

よーこ
恋愛
特に美しくもなく、賢くもなく、家柄はそこそこでしかない伯爵令嬢リリアーナは、婚約後六年経ったある日、婚約者である大好きな第二王子に自分が未来の王子妃として選ばれた理由を尋ねてみた。 王子の答えはこうだった。 「くじで引いた紙にリリアーナの名前が書かれていたから」 え、わたし、そんな取るに足らない存在でしかなかったの?! 思い出してみれば、今まで王子に「好きだ」みたいなことを言われたことがない。 ショックを受けたリリアーナは……。

婚約破棄された令嬢が記憶を消され、それを望んだ王子は後悔することになりました

kieiku
恋愛
「では、記憶消去の魔法を執行します」 王子に婚約破棄された公爵令嬢は、王子妃教育の知識を消し去るため、10歳以降の記憶を奪われることになった。そして記憶を失い、退行した令嬢の言葉が王子を後悔に突き落とす。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

アリシアの恋は終わったのです【完結】

ことりちゃん
恋愛
昼休みの廊下で、アリシアはずっとずっと大好きだったマークから、いきなり頬を引っ叩かれた。 その瞬間、アリシアの恋は終わりを迎えた。 そこから長年の虚しい片想いに別れを告げ、新しい道へと歩き出すアリシア。 反対に、後になってアリシアの想いに触れ、遅すぎる行動に出るマーク。 案外吹っ切れて楽しく過ごす女子と、どうしようもなく後悔する残念な男子のお話です。 ーーーーー 12話で完結します。 よろしくお願いします(´∀`)

みんながみんな「あの子の方がお似合いだ」というので、婚約の白紙化を提案してみようと思います

下菊みこと
恋愛
ちょっとどころかだいぶ天然の入ったお嬢さんが、なんとか頑張って婚約の白紙化を狙った結果のお話。 御都合主義のハッピーエンドです。 元鞘に戻ります。 ざまぁはうるさい外野に添えるだけ。 小説家になろう様でも投稿しています。

「私が愛するのは王妃のみだ、君を愛することはない」私だって会ったばかりの人を愛したりしませんけど。

下菊みこと
恋愛
このヒロイン、実は…結構逞しい性格を持ち合わせている。 レティシアは貧乏な男爵家の長女。実家の男爵家に少しでも貢献するために、国王陛下の側妃となる。しかし国王陛下は王妃殿下を溺愛しており、レティシアに失礼な態度をとってきた!レティシアはそれに対して、一言言い返す。それに対する国王陛下の反応は? 小説家になろう様でも投稿しています。

処理中です...