上 下
33 / 55

侯爵は後悔する

しおりを挟む
城から戻ってその話を聞いた侯爵は、庭の東屋にフィオナを呼び出した。

フィオナが嫁いだ日からこうして会うのも話すのも初めてだ。

「エリスが、臥せってしまったよ」
フィオナが戻って来てから何とか親子の時間を持とうと、少しでも邸を明るく保とうと奮闘していたエリスだが、今日の事でまたベッドに臥せってしまった。
「それは大変ですわね。お大事になさってくださいませ」
(__もっと早くに向き合うべきだった)
そう能面のような娘の顔を見て思うが、今更取り繕ったところで無駄だとわかっていた。
「それほど、許せないか……?」
私達を、皇帝陛下を。
「許すも許さないもございません。私は陛下や侯爵の決めたことに従うのみの駒でございますゆえ」
「!、誰かがお前にそう言ったのか?」
「いいえ。誰も、何も、言葉では言いません。ですが行動で示すのですわ。お前はここに行け、そこに移れ、ああしろこうしろと、口先だけは希望を聞く振りをして好き勝手に動かすのですわ、私の体を。まるでチェスの駒のように」
「っ、」
違う、そんなことはないと叫びたいがフィオナの言っている内容は間違ってはいない。内心はどうあれ、確かに自分達の都合でフィオナを振り回していることに変わりないのだから。
黙ってしまった侯爵に、
「ナスタチアム侯爵は愛する方を他の方と共有する事に嫌悪感がないのですか?」
「な、ん……」
言葉を失うマティアスに、フィオナは畳みかける。
「愛する方を他の方と共有するという行為を男性はあまり気にしないものなのでしょうか?疑問には思わないのでしょうか?私には無理です、吐き気が致しますわ」
そう言い切った娘に、ナスタチアム侯爵は気付く。
フィオナは正気を失っているわけではない。ただただ許せないのだ、自分への裏切りを。
娘が嫌悪を抱いている一夫多妻の最中に放り込んだことも、それを提案・実行した者も、知っていて黙っていた者も等しく憎悪している。
(私達は間違えた)
静かに娘が去った後の庭園で、
「少々、恨めしく思いますぞ陛下……」 
と暗い夜空を見上げて呟いた。

フェアルドには帝位を望む意思などなかった。だが有能過ぎた。
頑健な美丈夫で、民からの信任も厚い。
だからこそ、急な即位にも関わらずこの国は安定している。
その野心なき皇帝が唯一望んだのが娘だった。
先代からの負の遺産として二人の側室を迎えなければならなかったから、娘は三人目の側室となるがこのタイミングで迎えいれなければ各国から続々と正妃候補として側室が送り込まれてしまうという現実があった。
元々正式な婚約者である娘を早々に迎え入れれば、そういう輩への牽制にもなるというのも一理ある事も確かだった。
だからこそ、あの時は青年皇帝の熱意に負けて了承したが、侯爵は後悔していた。

蝶よ花よと育っていても娘は愚かな娘ではない。
きちんと説明と手順を踏んでいればここまで頑なにはならなかったろう。
妻も使用人も、邸で大切に育ててきたがたった数ヶ月、嫁いでたったそれだけでここまで壊れてしまったのだ、ほんの数ヶ月前まであんなに愛くるしく笑っていた少女が。
一切の感情を消し、親である自分達の事さえ侯爵、侯爵夫人と呼ぶ。
娘からすれば三人目の側室となる事を自分以外は知っていた、黙って送り出さざるを得なかった屋敷の者全員が許せないのだ。
「愚かな娘だと嘲笑っていたのでしょう?」と側付き達に言ったと聞いた。
そんなことはない、屋敷の者たちは何年も睦まじい二人を見てきたからこそ送り出したのだ。

当初予定した形とは違ったが二人は必ず上手く行く、娘は幸せになると疑っていなかった。
まだ幼さの残る娘を後宮に送り込むことに一抹の不安は残っていたが、腹心のメイド達も側につけた上で送り出しフォローをさせれば大丈夫だろうと思ったが全てが逆効果だった。
娘は腹心だった者たちに身の周りの世話をされるのさえ嫌がるようになり、彼女らを寄せ付けなくなった。
一人になりたがり、怪我をしても声ひとつあげず放置して血を流すままにしたことさえあったという。

皇帝がせめてと二人で選んだ家具類を部屋に誂え娘を迎えたが、「こんなもの、三番目の側女には不要」と見向きもせず、贈られたドレスも開封すらせず。
連れて行った使用人たちとすら会話もせず__誰にも、一切心を許さなくなった。
皇帝陛下たっての命令だったとしても、娘からすればただの裏切りには違いない。娘を自身の孫とも娘とも思っていた家令はやつれ、娘に母と認識されなくなった妻はショックで臥せってしまった。今は邸内全てが暗い。

あの青年皇帝にのしかかる責任は重い。
娘を心から愛している事も知っている。
重責に耐え得るのは生半なまなかなことではないだろう。
臣下としても義理の父としても出来る限り支えたいとも思っているからこそ責める事はしない、出来ないが__やはり、やりきれない。
「……どうして、こんなに早くに……」
何故、こんなに早く夭逝してしまわれた。
貴殿には心から愛し合った妃も、帝位など欠片も望まず貴殿を支え続けようと誓った弟君もいたのに。
弟君に全てを押し付けて、妃殿下を悲しませて。
結果、現皇帝フェアルドは娘のことで判断を誤った。
このまま娘が失われれば、あの皇帝とて壊れかねない。
だが、娘はもうまともに聞く耳を持たない。
ただ自分の身がやつれるまま萎れるままに任せ、まともな栄養ひとつ取ろうとしない。
腹の子どころか、娘自身生きようとしていないのだ。
何も望んでいない娘に、何を与えれば良い?
何かひとつでいい、何か__侯爵は一人、庭園で悩み続けた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

魅了魔法…?それで相思相愛ならいいんじゃないんですか。

iBuKi
恋愛
私がこの世界に誕生した瞬間から決まっていた婚約者。 完璧な皇子様に婚約者に決定した瞬間から溺愛され続け、蜂蜜漬けにされていたけれど―― 気付いたら、皇子の隣には子爵令嬢が居て。 ――魅了魔法ですか…。 国家転覆とか、王権強奪とか、大変な事は絡んでないんですよね? 第一皇子とその方が相思相愛ならいいんじゃないんですか? サクッと婚約解消のち、私はしばらく領地で静養しておきますね。 ✂---------------------------- カクヨム、なろうにも投稿しています。

今更、いやですわ   【本編 完結しました】

朝山みどり
恋愛
執務室で凍え死んだわたしは、婚約解消された日に戻っていた。 悔しく惨めな記憶・・・二度目は利用されない。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

バイバイ、旦那様。【本編完結済】

ちくわぶ(まるどらむぎ)
恋愛
妻シャノンが屋敷を出て行ったお話。 この作品はフィクションです。 作者独自の世界観です。ご了承ください。 7/31 お話の至らぬところを少し訂正させていただきました。 申し訳ありません。大筋に変更はありません。 8/1 追加話を公開させていただきます。 リクエストしてくださった皆様、ありがとうございます。 調子に乗って書いてしまいました。 この後もちょこちょこ追加話を公開予定です。 甘いです(個人比)。嫌いな方はお避け下さい。 ※この作品は小説家になろうさんでも公開しています。

業腹

ごろごろみかん。
恋愛
夫に蔑ろにされていた妻、テレスティアはある日夜会で突然の爆発事故に巻き込まれる。唯一頼れるはずの夫はそんな時でさえテレスティアを置いて、自分の大切な主君の元に向かってしまった。 置いていかれたテレスティアはそのまま階段から落ちてしまい、頭をうってしまう。テレスティアはそのまま意識を失いーーー 気がつくと自室のベッドの上だった。 先程のことは夢ではない。実際あったことだと感じたテレスティアはそうそうに夫への見切りをつけた

あなたの子ではありません。

沙耶
恋愛
公爵令嬢アナスタシアは王太子セドリックと結婚したが、彼に愛人がいることを初夜に知ってしまう。 セドリックを愛していたアナスタシアは衝撃を受けるが、セドリックはアナスタシアにさらに追い打ちをかけた。 「子は要らない」 そう話したセドリックは避妊薬を飲みアナスタシアとの初夜を終えた。 それ以降、彼は愛人と過ごしておりアナスタシアのところには一切来ない。 そのまま二年の時が過ぎ、セドリックと愛人の間に子供が出来たと伝えられたアナスタシアは、子も産めない私はいつまで王太子妃としているのだろうと考え始めた。 離縁を決意したアナスタシアはセドリックに伝えるが、何故か怒ったセドリックにアナスタシアは無理矢理抱かれてしまう。 しかし翌日、離縁は成立された。 アナスタシアは離縁後母方の領地で静かに過ごしていたが、しばらくして妊娠が発覚する。 セドリックと過ごした、あの夜の子だった。

一年で死ぬなら

朝山みどり
恋愛
一族のお食事会の主な話題はクレアをばかにする事と同じ年のいとこを褒めることだった。 理不尽と思いながらもクレアはじっと下を向いていた。 そんなある日、体の不調が続いたクレアは医者に行った。 そこでクレアは心臓が弱っていて、余命一年とわかった。 一年、我慢しても一年。好きにしても一年。吹っ切れたクレアは・・・・・

裏切りの先にあるもの

マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。 結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。

処理中です...