上 下
31 / 55

ナスタチアム侯爵邸 1

しおりを挟む
フィオナがナスタチアム侯爵邸に着くと、侯爵夫妻をはじめとした家人が総出でずらりと並んで出迎えた。
フィオナは一瞬息を呑んだが、すぐに能面のような表情に戻ると、
「お世話になります、ナスタチアム侯爵並びに夫人。フィオナと申します。大層なお迎えをありがとうございます。またナスタチアム侯爵家の皆様におかれては私のような三番手の側女の世話を押しつけられてさぞご迷惑かと存じます。出来るだけ皆様のお手を煩わせないよう努めますのでまでお邸の片隅に住まわせていただくことをお許しください」
と深々と頭を下げた。

出迎えた執事はじめ使用人たちは呆然とし、侯爵は戦慄した。
(なん、てことだ__!)
フェアルドから聞いてはいたが、聞くのとじかに目にするのとは全く違う衝撃だった。
フィオナが戻って来るならとなんとか起き上がってきた夫人は今にも倒れそうだ。
皆が絶句する中、
「お、お嬢様……」
声をあげたのはメイド頭だ。
フィオナが生まれる前から侯爵家に仕え、文字通り娘のようにフィオナの成長を見守って来た一人だ。
「フィオナお嬢様……」
涙ぐみながら歩みよろうとするメイド頭に、
「ここのメイドを取り仕切っている方かしら?私が使わせていただく部屋はどこか案内していただける?」
まるで初めて会った人間に対するそれに執事もごくりと唾を呑み込んだが、「こちらです。ご案内致します。ハンナ、お前も来なさい」と固まっているメイド頭を軽く小突くようにして促した。
「妃殿下は私とハンナが案内する。皆は仕事に戻るように」
と指示して歩き出した。
フィオナ付きとして後宮にあがっていた者達も粛々と後に続いた。
「あぁっ……!」
残された侯爵夫人をはじめとして多くの泣き声がその場に響いた。



「こ、こちらでございます……」
震える手と声でハンナが案内したのはフィオナの部屋だった。
ほんの数ヶ月前まで、フィオナが育った部屋。
その部屋を一瞥したフィオナは、
「立派なお部屋ね。ここを私なんかが使って良いのかしら?私など日の当たらない倉庫に夜具を置いただけの部屋にでも放り込んで下さってよかったのに」
「……ここはお嬢様のお部屋です」
「それを私などに使わせて良いの?」
「__ここはお嬢様のお部屋です!」
つまり貴女の部屋ですと叫びたいのを堪えるハンナはそれ以外の言葉が出てこなかった。

部屋の中は完璧に整えられ、フィオナが出て行く前と同じ状態を保っていた。
「お嬢様の部屋ですから、フィオナ妃殿下以外の方が使うことはありません。どうぞお寛ぎください」
ハンナに代わりそう言った執事がハンナを促して退室すると、フィオナは軽く息を吐いてソファに腰掛けた。

一方、玄関ホールでは「申し訳ありません、旦那様、奥様。お嬢様のことを託されておきながらこのような__」マイアはじめ後宮に付き添った側付きたちが揃って頭を下げていた。
「いや、陛下より全て聞いている。お前たちのせいではない。私も陛下に従うのではなく、お諌めするべきだったのだ。何を置いても反対してあの子を行かせるべきではなかった、せめて先に話すべきだった……お前たちもそう言ってくれていたのにな。私が陛下に賛同したせいであの子に責められたのだろう、済まなかった」
「旦那様……」
だが、涙ぐむマイア達の目の前ではらはらと止まらぬ涙を流す夫人は「一体何があったの?どうしてフィオナは私達に初めて会った他人のように振る舞うの?」
「エリス……!報告書は一緒に目を通していただろう、あの子は陛下同様、私たちのことも許していないのだ!」
「読みましたとも!あの子が後宮に着いてすぐ心を閉ざしてしまったことも、誰とも話さない人形のようになってしまったことも、陛下を拒否していたにも関わらず懐妊したことも!」
ぐ、とマティアスは言葉に詰まり、皇城でのフェアルドとのやり取りを思い出していた。





「すまない侯爵!済まない!」
まるで地に頭を擦り付けるような勢いで謝るフェアルドに言われたのは、このままフィオナを後宮に置いてはいけない、壊れてしまうだろうということと、フィオナの心身の成長を待たずに手を出してしまったこと。
懐妊したら里帰り出産を認めるのでナスタチアム侯爵邸で療養出産をさせて欲しいという事__マティアスは言われた時絶句した。

何故、まだ幼さの残る娘に手を出したのか?
心身ともに受け入れるまで待つと言っていたではなかったか?
しかも直ぐ懐妊ということは、手を出したのが一度や二度ではなかったということだ。
「何故、とお聞きしても?」
「私が、弱いせいだ。フィオナを失ったら生きていけない。触れずにはいられなかった。だが、このまま後宮ここにいても弱っていくばかりだろう。生まれ育った邸ならば、或いは」
「娘は今私達からの手紙すら拒否しているのですぞ?側付きの我が家から付いて行った者たちも」
「わかっている。それも私が悪い、何もかも私のせいだ」
そう言うフェアルドの瞳の奥に宿ったほの昏い光に、侯爵は寒気を覚えた。

長い付き合いではあるが、フェアルドはとにかく“陽の気“を備えた青年だった。
容姿が太陽神のようなのはもちろん、纏う雰囲気も華やかで陰りがない。
それは本人が持つ天性のものだ。
有能であるだけでなく柔軟性があり、誠実でありながら政治において清濁合わせ呑むことをよく知っていた。
切り捨てるべきところは切り、取るべきものを間違えない。
それでいて娘に対してはどこまでも真っ直ぐだった__はずだった。

その彼が、それがここまで追い詰められるとは。
皇帝という重責は、どれほど重いのか。
「……良ければ、気が済むまで殴ってくれ。それで気が晴れるとも思えないが」
「ええ。失礼ながら私の手が痛むだけかと」
「ならば剣で、と言いたいところだが。それはもう少し待ってくれ」
そう言って昏い瞳を瞬かせる皇帝に、ナスタチアム侯爵は何も言えなかった。

















しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

魅了魔法…?それで相思相愛ならいいんじゃないんですか。

iBuKi
恋愛
私がこの世界に誕生した瞬間から決まっていた婚約者。 完璧な皇子様に婚約者に決定した瞬間から溺愛され続け、蜂蜜漬けにされていたけれど―― 気付いたら、皇子の隣には子爵令嬢が居て。 ――魅了魔法ですか…。 国家転覆とか、王権強奪とか、大変な事は絡んでないんですよね? 第一皇子とその方が相思相愛ならいいんじゃないんですか? サクッと婚約解消のち、私はしばらく領地で静養しておきますね。 ✂---------------------------- カクヨム、なろうにも投稿しています。

裏切りの代償~嗤った幼馴染と浮気をした元婚約者はやがて~

柚木ゆず
恋愛
※6月10日、リュシー編が完結いたしました。明日11日よりフィリップ編の後編を、後編完結後はフィリップの父(侯爵家当主)のざまぁに関するお話を投稿させていただきます。  婚約者のフィリップ様はわたしの幼馴染・ナタリーと浮気をしていて、ナタリーと結婚をしたいから婚約を解消しろと言い出した。  こんなことを平然と口にできる人に、未練なんてない。なので即座に受け入れ、私達の関係はこうして終わりを告げた。 「わたくしはこの方と幸せになって、貴方とは正反対の人生を過ごすわ。……フィリップ様、まいりましょう」  そうしてナタリーは幸せそうに去ったのだけれど、それは無理だと思うわ。  だって、浮気をする人はいずれまた――

バイバイ、旦那様。【本編完結済】

ちくわぶ(まるどらむぎ)
恋愛
妻シャノンが屋敷を出て行ったお話。 この作品はフィクションです。 作者独自の世界観です。ご了承ください。 7/31 お話の至らぬところを少し訂正させていただきました。 申し訳ありません。大筋に変更はありません。 8/1 追加話を公開させていただきます。 リクエストしてくださった皆様、ありがとうございます。 調子に乗って書いてしまいました。 この後もちょこちょこ追加話を公開予定です。 甘いです(個人比)。嫌いな方はお避け下さい。 ※この作品は小説家になろうさんでも公開しています。

わたしは不要だと、仰いましたね

ごろごろみかん。
恋愛
十七年、全てを擲って国民のため、国のために尽くしてきた。何ができるか、何が出来ないか。出来ないものを実現させるためにはどうすればいいのか。 試行錯誤しながらも政治に生きた彼女に突きつけられたのは「王太子妃に相応しくない」という婚約破棄の宣言だった。わたしに足りないものは何だったのだろう? 国のために全てを差し出した彼女に残されたものは何も無い。それなら、生きている意味も── 生きるよすがを失った彼女に声をかけたのは、悪名高い公爵子息。 「きみ、このままでいいの?このまま捨てられて終わりなんて、悔しくない?」 もちろん悔しい。 だけどそれ以上に、裏切られたショックの方が大きい。愛がなくても、信頼はあると思っていた。 「きみに足りないものを教えてあげようか」 男は笑った。 ☆ 国を変えたい、という気持ちは変わらない。 王太子妃の椅子が使えないのであれば、実力行使するしか──ありませんよね。 *以前掲載していたもののリメイク

完璧令嬢が仮面を外す時

編端みどり
恋愛
※本編完結、番外編を更新中です。 冷たいけど完璧。それが王太子の婚約者であるマーガレットの評価。 ある日、婚約者の王太子に好きな人ができたから婚約を解消して欲しいと頼まれたマーガレットは、神妙に頷きながら内心ガッツポーズをしていた。 王太子は優しすぎて、マーガレットの好みではなかったからだ。 婚約を解消するには長い道のりが必要だが、自分を愛してくれない男と結婚するより良い。そう思っていたマーガレットに、身内枠だと思っていた男がストレートに告白してきた。 実はマーガレットは、恋愛小説が大好きだった。憧れていたが自分には無関係だと思っていた甘いシチュエーションにキャパオーバーするマーガレットと、意地悪そうな笑みを浮かべながら微笑む男。 彼はマーガレットの知らない所で、様々な策を練っていた。 マーガレットは彼の仕掛けた策を解明できるのか? 全24話 ※話数の番号ずれてました。教えて頂きありがとうございます! ※アルファポリス様と、カクヨム様に投稿しています。

【完結】彼と私と幼なじみ

Ringo
恋愛
私には婚約者がいて、十八歳を迎えたら結婚する。 ある意味で政略ともとれる婚約者とはうまくやっているし、夫婦として始まる生活も楽しみ…なのだが、周囲はそう思っていない。 私を憐れむか馬鹿にする。 愛されていないお飾りなのだと言って。 その理由は私にも分かっていた。 だって彼には大切な幼なじみがいて、その子を屋敷に住まわせているんだもの。 そんなの、誰が見たってそう思うわよね。 ※本編三話+番外編四話 (執筆&公開予約設定済みです) ※シリアスも好物ですが、たまには頭を空っぽにしたくなる。 ※タグで大筋のネタバレ三昧。 ※R18命の作者にしては珍しく抑え気味♡ ※念のためにR15はしておきます。

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

旦那様、私は全てを知っているのですよ?

やぎや
恋愛
私の愛しい旦那様が、一緒にお茶をしようと誘ってくださいました。 普段食事も一緒にしないような仲ですのに、珍しいこと。 私はそれに応じました。 テラスへと行き、旦那様が引いてくださった椅子に座って、ティーセットを誰かが持ってきてくれるのを待ちました。 旦那がお話しするのは、日常のたわいもないこと。 ………でも、旦那様? 脂汗をかいていましてよ……? それに、可笑しな表情をしていらっしゃるわ。 私は侍女がティーセットを運んできた時、なぜ旦那様が可笑しな様子なのか、全てに気がつきました。 その侍女は、私が嫁入りする際についてきてもらった侍女。 ーーー旦那様と恋仲だと、噂されている、私の専属侍女。 旦那様はいつも菓子に手を付けませんので、大方私の好きな甘い菓子に毒でも入ってあるのでしょう。 …………それほどまでに、この子に入れ込んでいるのね。 馬鹿な旦那様。 でも、もう、いいわ……。 私は旦那様を愛しているから、騙されてあげる。 そうして私は菓子を口に入れた。 R15は保険です。 小説家になろう様にも投稿しております。

処理中です...