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そんなこどもの約束をしてから、凜がうちに来ることはなくなった。
凜の両親は事故で亡くなり、凜も巻き込まれた。
多分俺はその話を聞いていない。
小学生には酷い話だ、親戚という訳でもなく、数回会ったことがあるだけ、それだけの関係の俺達に詳しい話は不要だったのだろう。
葬儀には父だけが出たのか、母も出たのか。それもわからない程、俺達には何も変わらない生活だったんだと思う。
そして俺が凜のことなんてすっかり忘れてしまってそれから数年後。
前述の通り俺は末っ子として家族からは甘やかされていて、でも我ながらそれなりに真っ直ぐ育っていたと思う。
この歳になると家族を疎んじることも多くなるというが、俺はそんなこともなく、家族にべったりだったし、誰もそれを嫌がらなかった。
兄は勉強を教えてくれたし、姉は一緒に遊んでくれた。
どこかに連れて行ってと強請れば父は仕事を調整して連れて行ってくれたし、こわい夢を見れば母が一緒に寝てくれた。
過度な我儘はなく、誰かを悪く言うこともなく、不満もなく、毎日楽しく生きていた。
母が倒れるまで。
躰が弱いひとだった。
入院することも多かった。大体は数日で戻ってきていたけれど。
今考えればそれはヒート中の隔離の時もあったのかもしれない。
でもいつもちゃんと笑顔で帰ってきたから、その時もいつもと一緒だと思っていた。
ただいま、寂しかった?今日はお母さんと一緒に寝る?
そんな風に、いつも通りに笑って帰ってくると思っていた。
その日、お小遣いで花を買って、学校帰りに病院に寄って、びっくりした?今日はひとりで来れたよって、そう驚かせようって、何度も来た病院の入口を潜って、エレベーターに乗って、個室の前まで行って、最初になんて言って入室しようかなんて考えて。
そんなことを目論む俺の耳に入ったのは、死にたい、という昏い声だった。
どうしたのお母さん、そう言って飛び込むところだった。
他のひとの声がして、扉を開けようとする手が止まった。
あそこに私の味方なんていない、という母の声に、あそことはどこだろう、と考える。普通に考えれば家のことでしかないんだけれど。
「みいんなアルファばかり、出来た子達ばかり。恵まれた子達に私のことなんてわからない」
「死にたい、酷く惨めな気分になるの、私に出来ないことをあの子達はなんでもないように出来ちゃうの」
「別にあのひとを愛してる訳じゃない、オメガがアルファに逆らうなんて出来る訳ない」
「あのひとと結婚したら私の生活は保証されるから。でもこんな気持ちになるならアルファの子なんて産まなきゃ良かった、他のひとを選べば良かった」
「憎たらしいくらい出来た子達、さんにんも産んで、誰もベータにもオメガにもならないなんて」
「私ひとり、あそこには戻りたくない、もう嫌なの」
俺達のことだ。
母が俺達のことを話している、そしてもうひとりいるのは男性のようで、相槌を打つそのひとに甘えたような声を出しているのが酷く気持ちが悪かった。思わず、その場から逃げた。
仲が良い家族だと思っていた。
オメガだとかアルファだとか関係なく。
でも母は俺達を疎ましく思っているようだ。
母に惨めな思いをさせたかったんじゃない。
テストで百点を取るのも、かけっこで一番になるのも、金賞を獲った絵も、頑張った料理も、覚えた掃除洗濯も、褒めてもらいたかったからだ。
頑張ったねって、偉いねって。自慢の子だって。
当たり前なんかじゃなくて、アルファだからとかじゃなくて、お母さんの子だから、そう褒めてもらいたくて、笑ってもらいたくて、楽をさせたくて頑張ったことだ。
見せつけるつもりも、惨めにさせる気もない。追い詰めたかった訳じゃない、そうさせてしまったのなら謝りたい。
でもそう出来なかったのは、母が家族ではない他のひとに甘えていたから、女になっていたから。
そして、その翌日、病院から消えたから。
母はベータの医者と消えた。
周りは大騒ぎだったけど、家族だけは落ち着いていた。
俺だけが納得が出来なくて、泣いて喚いて怒って、母への暴言を吐く俺を抱き締めて、あのひとは心が弱いだけなんだと、赦してあげてと言う。
……俺にだけ隠されていた、母の弱いところ。
俺以外は知っていた。俺がこどもだから、幼いから、皆して俺にだけ隠していた。兄も姉も知っていたのに、俺にだけ、良い母親に見せていた。
訳がわからなかった。
弱いひとだから赦してあげて?
狡いのはあのひとではないか。俺達は何も悪いことはしていない。
父は優しかったし、ちゃんと愛してるように見えた。
恋愛結婚だと、母が自分で言っていたじゃないか。
俺達だって、ただ母を慕っていただけ。
年の離れた兄にも反抗期らしい反抗期はなかったし、姉とも仲良く買い物とか行っていたし、俺だって、まだちゃんとアルファだと診断された訳でもなし、普通に甘えていただけだ。
ちゃんと、母が俺達に教えた通り、オメガだって、偏見を持たずにって、皆に優しくするようにって、そう、ちゃんと守ってきたつもりだ。
なのにそっちが裏切ったんじゃないか、狡いのはそっちじゃないか。
父を捨て、子を捨て、他のひとを選んだのはそっちじゃないか。俺達はオメガの母を悪く扱ったことなんて、なかった。
俺は荒れに荒れて、数日家族とも口を聞かなかった。
それでも毎日末っ子を気にする家族に折れて、またちゃんといつも通りの生活が出来るようになって、そして、数ヶ月後、やっぱり貴方達がだいじだと、胡散臭い笑顔で母が帰ってきた。
凜の両親は事故で亡くなり、凜も巻き込まれた。
多分俺はその話を聞いていない。
小学生には酷い話だ、親戚という訳でもなく、数回会ったことがあるだけ、それだけの関係の俺達に詳しい話は不要だったのだろう。
葬儀には父だけが出たのか、母も出たのか。それもわからない程、俺達には何も変わらない生活だったんだと思う。
そして俺が凜のことなんてすっかり忘れてしまってそれから数年後。
前述の通り俺は末っ子として家族からは甘やかされていて、でも我ながらそれなりに真っ直ぐ育っていたと思う。
この歳になると家族を疎んじることも多くなるというが、俺はそんなこともなく、家族にべったりだったし、誰もそれを嫌がらなかった。
兄は勉強を教えてくれたし、姉は一緒に遊んでくれた。
どこかに連れて行ってと強請れば父は仕事を調整して連れて行ってくれたし、こわい夢を見れば母が一緒に寝てくれた。
過度な我儘はなく、誰かを悪く言うこともなく、不満もなく、毎日楽しく生きていた。
母が倒れるまで。
躰が弱いひとだった。
入院することも多かった。大体は数日で戻ってきていたけれど。
今考えればそれはヒート中の隔離の時もあったのかもしれない。
でもいつもちゃんと笑顔で帰ってきたから、その時もいつもと一緒だと思っていた。
ただいま、寂しかった?今日はお母さんと一緒に寝る?
そんな風に、いつも通りに笑って帰ってくると思っていた。
その日、お小遣いで花を買って、学校帰りに病院に寄って、びっくりした?今日はひとりで来れたよって、そう驚かせようって、何度も来た病院の入口を潜って、エレベーターに乗って、個室の前まで行って、最初になんて言って入室しようかなんて考えて。
そんなことを目論む俺の耳に入ったのは、死にたい、という昏い声だった。
どうしたのお母さん、そう言って飛び込むところだった。
他のひとの声がして、扉を開けようとする手が止まった。
あそこに私の味方なんていない、という母の声に、あそことはどこだろう、と考える。普通に考えれば家のことでしかないんだけれど。
「みいんなアルファばかり、出来た子達ばかり。恵まれた子達に私のことなんてわからない」
「死にたい、酷く惨めな気分になるの、私に出来ないことをあの子達はなんでもないように出来ちゃうの」
「別にあのひとを愛してる訳じゃない、オメガがアルファに逆らうなんて出来る訳ない」
「あのひとと結婚したら私の生活は保証されるから。でもこんな気持ちになるならアルファの子なんて産まなきゃ良かった、他のひとを選べば良かった」
「憎たらしいくらい出来た子達、さんにんも産んで、誰もベータにもオメガにもならないなんて」
「私ひとり、あそこには戻りたくない、もう嫌なの」
俺達のことだ。
母が俺達のことを話している、そしてもうひとりいるのは男性のようで、相槌を打つそのひとに甘えたような声を出しているのが酷く気持ちが悪かった。思わず、その場から逃げた。
仲が良い家族だと思っていた。
オメガだとかアルファだとか関係なく。
でも母は俺達を疎ましく思っているようだ。
母に惨めな思いをさせたかったんじゃない。
テストで百点を取るのも、かけっこで一番になるのも、金賞を獲った絵も、頑張った料理も、覚えた掃除洗濯も、褒めてもらいたかったからだ。
頑張ったねって、偉いねって。自慢の子だって。
当たり前なんかじゃなくて、アルファだからとかじゃなくて、お母さんの子だから、そう褒めてもらいたくて、笑ってもらいたくて、楽をさせたくて頑張ったことだ。
見せつけるつもりも、惨めにさせる気もない。追い詰めたかった訳じゃない、そうさせてしまったのなら謝りたい。
でもそう出来なかったのは、母が家族ではない他のひとに甘えていたから、女になっていたから。
そして、その翌日、病院から消えたから。
母はベータの医者と消えた。
周りは大騒ぎだったけど、家族だけは落ち着いていた。
俺だけが納得が出来なくて、泣いて喚いて怒って、母への暴言を吐く俺を抱き締めて、あのひとは心が弱いだけなんだと、赦してあげてと言う。
……俺にだけ隠されていた、母の弱いところ。
俺以外は知っていた。俺がこどもだから、幼いから、皆して俺にだけ隠していた。兄も姉も知っていたのに、俺にだけ、良い母親に見せていた。
訳がわからなかった。
弱いひとだから赦してあげて?
狡いのはあのひとではないか。俺達は何も悪いことはしていない。
父は優しかったし、ちゃんと愛してるように見えた。
恋愛結婚だと、母が自分で言っていたじゃないか。
俺達だって、ただ母を慕っていただけ。
年の離れた兄にも反抗期らしい反抗期はなかったし、姉とも仲良く買い物とか行っていたし、俺だって、まだちゃんとアルファだと診断された訳でもなし、普通に甘えていただけだ。
ちゃんと、母が俺達に教えた通り、オメガだって、偏見を持たずにって、皆に優しくするようにって、そう、ちゃんと守ってきたつもりだ。
なのにそっちが裏切ったんじゃないか、狡いのはそっちじゃないか。
父を捨て、子を捨て、他のひとを選んだのはそっちじゃないか。俺達はオメガの母を悪く扱ったことなんて、なかった。
俺は荒れに荒れて、数日家族とも口を聞かなかった。
それでも毎日末っ子を気にする家族に折れて、またちゃんといつも通りの生活が出来るようになって、そして、数ヶ月後、やっぱり貴方達がだいじだと、胡散臭い笑顔で母が帰ってきた。
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