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瞬間、息を呑んでしまった。
その背中から視線を逸らせない。
逸らしたいのに、食い入るように見てしまうのはその背に見惚れたからではない。
気付かなかった、いつも服を着てたから。背中側を見ることなんてなかったから。
「どうしたの」
「な、んでも、ない……」
振り返った悠真さんに、つい視線を外してしまった。
どっどっどっ、そう心臓が煩いのは、緊張するとか恥ずかしいとか、そういうのじゃない。
見たくないもの、気付きたくないものを見てしまったから。
背中に残る爪痕。
それはおれのものではない。だっておれは痕なんて残してない。覚えてない。
知ってた、わかってた、筈だった。
でもこんな生々しい痕跡を見ると思い知らされる。
悠真さんはおれのものじゃない。自分でそう約束をした。
都合の良い相手になりたい、してほしいと。にばんでもさんばんめでもいいと。
動揺をする方がおかしいのだ。こんな、わかりきっていたことに。
「……っ」
それでも今更この欲が消えることはない。
ごめんなさい。
そんな、誰に謝ったって許されるものではないとわかっていても、今更。
おれはもう、このひとに抱かれないと苦しいって知ってしまった。
「和音?」
「……は、はやく」
「ああ、うん」
近付いてきた悠真さんに、誤魔化すように腕を伸ばして、その頭を抱き締めた。
◇◇◇
なにかのにおいがする。
ああ、コーヒーだ、コーヒーのかおり。
千晶くんがきてくれたのかな。そう首を動かすと、薄暗い部屋の中、すぐ近くに座っていたのは悠真さんで、暫く固まってしまった。
「あ、起きたの、どう、お腹空いた?何か食べられる?」
「……」
「動けない?」
「……コーヒーくさい」
「あ、勝手に飲んだの駄目だった?」
おれはコーヒーは苦手だ。においもすきじゃない。
千晶くんと、たまにくる父親がすきで、そのふたりの為に置いていた。
劣化しても困るし、悠真さんも飲んで構わないけど。
違う、そんなことより、まだいてくれたことにびっくりしたけど、でも安堵もした。
まだいてくれる。外はもう暗い、少なくとも朝まではいてくれる、と思う。
「苦手なら次からは紅茶とかにしようかな」
「別に……」
「いいんだよ、別に絶対コーヒーじゃないとってわけでもなし、変な拘りないから」
そんな言葉にすら、また来てくれるんだと勝手に約束を感じ取ってしまう。勝手に嬉しくなる。
和音も何か飲む、と訊かれて、水、と答えた。
この常温のやつでいいの、とベッド脇のペットボトルを取り、キャップを開け、おれの頭を少し傾けて口元に運ぶ。
こくこくと口をつけると、また頭をそっとベッドに置き、キャップを締め、横に置いた。
おれの口元を拭い、軽く頭を撫でられてしまう。介護をされてるようだなと思うと少し笑ってしまった。
「今何時……」
「八時くらいかな」
おれの腕を上げ、そこに巻かれた時計を示す。そうだよな、おれ、腕時計してた筈なのに、未だに見る癖がつかない。部屋の時計やスマホで確認してしまう。
夜の八時。昼過ぎに起きて、それから昼寝どころかガチ寝をかましてしまった。十分過ぎる程。
それなのに躰が酷く重い。
続けての性行為は、ひとりで慰めるより体力も全身の筋肉も使ってしまっていたようだ。
ここまで酷い怠さは高熱を出した時以来で、無理をすれば動けるんだろうけれど、極力動きたくない。指先ひとつ動かすことですら億劫に感じてしまう。
動けない?と訊く優しい声に、こくりと頷くだけでいっぱいだった。
「お腹は?空かない?」
「空かない……」
「でも何か食べなきゃ。何か食べれそうなものある?」
「いらない……」
食事を摂らないどころか運動までしている訳で、何か口にしないととわかってはいるけれど、喉を通る気がしない。
あたたかいのはどう、お粥とかくたくたに煮込んだスープや、そうだうどんは?と訊く悠真さんに、箸どころかスプーンすら落としそうと返すとにっこり笑われた。
……食べさせてって言ってるみたいだと、そこで気付いた。
「それで食べてくれるなら作るよ、待ってて、冷蔵庫、何があったかなあ」
そう、立ち上がろうとした悠真さんの裾を、つい、ぎゅうと掴んでしまった。そんな動作ですら躰が軋む。
……起きてる時に、どこかに行かれるのがいやだった。
「作ってくるだけだよ、和音は寝てていいし」
「……」
「何か食べてほしいだけ。ね、このまま帰ったりとか、しないから」
「……」
「うーん……」
裾を離そうとしないおれに、悠真さんは少し考えて、じゃあ一緒行こうか、と抱えあげた。
「体調悪い時って不安になるひとも多いからね、まあ発情期も似たようなものだし」
「えっ、う、え、落ちっ……」
「落ちないようじっとしてて。そう、はいいーこ」
急に浮いた躰に驚いて足がばたついてしまう。
悠真さんにこどものようにあやされ、落とされる恐怖に大人しくなったおれを褒めるように背中をぽんぽんと叩く。
そんな歳じゃない、と唇を尖らせると、その唇に悠真さんのものが重なり、何でこのタイミングで、と瞳を丸くすると、かわいいかおしてたから、してほしいのかと思って、と瞳を細めた。
キス待ちなんかじゃなかった、でもその擽ったいようなキスは、少しだけ、気持ちが落ち着いた。
その背中から視線を逸らせない。
逸らしたいのに、食い入るように見てしまうのはその背に見惚れたからではない。
気付かなかった、いつも服を着てたから。背中側を見ることなんてなかったから。
「どうしたの」
「な、んでも、ない……」
振り返った悠真さんに、つい視線を外してしまった。
どっどっどっ、そう心臓が煩いのは、緊張するとか恥ずかしいとか、そういうのじゃない。
見たくないもの、気付きたくないものを見てしまったから。
背中に残る爪痕。
それはおれのものではない。だっておれは痕なんて残してない。覚えてない。
知ってた、わかってた、筈だった。
でもこんな生々しい痕跡を見ると思い知らされる。
悠真さんはおれのものじゃない。自分でそう約束をした。
都合の良い相手になりたい、してほしいと。にばんでもさんばんめでもいいと。
動揺をする方がおかしいのだ。こんな、わかりきっていたことに。
「……っ」
それでも今更この欲が消えることはない。
ごめんなさい。
そんな、誰に謝ったって許されるものではないとわかっていても、今更。
おれはもう、このひとに抱かれないと苦しいって知ってしまった。
「和音?」
「……は、はやく」
「ああ、うん」
近付いてきた悠真さんに、誤魔化すように腕を伸ばして、その頭を抱き締めた。
◇◇◇
なにかのにおいがする。
ああ、コーヒーだ、コーヒーのかおり。
千晶くんがきてくれたのかな。そう首を動かすと、薄暗い部屋の中、すぐ近くに座っていたのは悠真さんで、暫く固まってしまった。
「あ、起きたの、どう、お腹空いた?何か食べられる?」
「……」
「動けない?」
「……コーヒーくさい」
「あ、勝手に飲んだの駄目だった?」
おれはコーヒーは苦手だ。においもすきじゃない。
千晶くんと、たまにくる父親がすきで、そのふたりの為に置いていた。
劣化しても困るし、悠真さんも飲んで構わないけど。
違う、そんなことより、まだいてくれたことにびっくりしたけど、でも安堵もした。
まだいてくれる。外はもう暗い、少なくとも朝まではいてくれる、と思う。
「苦手なら次からは紅茶とかにしようかな」
「別に……」
「いいんだよ、別に絶対コーヒーじゃないとってわけでもなし、変な拘りないから」
そんな言葉にすら、また来てくれるんだと勝手に約束を感じ取ってしまう。勝手に嬉しくなる。
和音も何か飲む、と訊かれて、水、と答えた。
この常温のやつでいいの、とベッド脇のペットボトルを取り、キャップを開け、おれの頭を少し傾けて口元に運ぶ。
こくこくと口をつけると、また頭をそっとベッドに置き、キャップを締め、横に置いた。
おれの口元を拭い、軽く頭を撫でられてしまう。介護をされてるようだなと思うと少し笑ってしまった。
「今何時……」
「八時くらいかな」
おれの腕を上げ、そこに巻かれた時計を示す。そうだよな、おれ、腕時計してた筈なのに、未だに見る癖がつかない。部屋の時計やスマホで確認してしまう。
夜の八時。昼過ぎに起きて、それから昼寝どころかガチ寝をかましてしまった。十分過ぎる程。
それなのに躰が酷く重い。
続けての性行為は、ひとりで慰めるより体力も全身の筋肉も使ってしまっていたようだ。
ここまで酷い怠さは高熱を出した時以来で、無理をすれば動けるんだろうけれど、極力動きたくない。指先ひとつ動かすことですら億劫に感じてしまう。
動けない?と訊く優しい声に、こくりと頷くだけでいっぱいだった。
「お腹は?空かない?」
「空かない……」
「でも何か食べなきゃ。何か食べれそうなものある?」
「いらない……」
食事を摂らないどころか運動までしている訳で、何か口にしないととわかってはいるけれど、喉を通る気がしない。
あたたかいのはどう、お粥とかくたくたに煮込んだスープや、そうだうどんは?と訊く悠真さんに、箸どころかスプーンすら落としそうと返すとにっこり笑われた。
……食べさせてって言ってるみたいだと、そこで気付いた。
「それで食べてくれるなら作るよ、待ってて、冷蔵庫、何があったかなあ」
そう、立ち上がろうとした悠真さんの裾を、つい、ぎゅうと掴んでしまった。そんな動作ですら躰が軋む。
……起きてる時に、どこかに行かれるのがいやだった。
「作ってくるだけだよ、和音は寝てていいし」
「……」
「何か食べてほしいだけ。ね、このまま帰ったりとか、しないから」
「……」
「うーん……」
裾を離そうとしないおれに、悠真さんは少し考えて、じゃあ一緒行こうか、と抱えあげた。
「体調悪い時って不安になるひとも多いからね、まあ発情期も似たようなものだし」
「えっ、う、え、落ちっ……」
「落ちないようじっとしてて。そう、はいいーこ」
急に浮いた躰に驚いて足がばたついてしまう。
悠真さんにこどものようにあやされ、落とされる恐怖に大人しくなったおれを褒めるように背中をぽんぽんと叩く。
そんな歳じゃない、と唇を尖らせると、その唇に悠真さんのものが重なり、何でこのタイミングで、と瞳を丸くすると、かわいいかおしてたから、してほしいのかと思って、と瞳を細めた。
キス待ちなんかじゃなかった、でもその擽ったいようなキスは、少しだけ、気持ちが落ち着いた。
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