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しおりを挟む◇◇◇
けほ、と乾いた咳が出る。
部屋の空気も乾燥しているが、それよりもその咳の原因としては乾燥ではなく体調の方だ。
多分、風邪をひいた。
そんなに熱は高くない、と思う。躰は痛いけどそれは行為のせいであって、インフルエンザなんかの節々の痛みとは違う。
こんな時期に、暖房をつけてるとはいえ、裸でずっと過ごしていたようなものだから。そりゃ風邪だってひくか。
悠真さんは約束通り朝にはいなかった。
汚れたTシャツは悠真さんのにおいと、自分のにおいが混ざって変な気分になった。
でもそれに興奮してしまった自分はおかしいのかもしれない。
馬鹿みたいにそのにおいをかいで自分で慰めてしまった。
その日の夕方、もしかしたらまた来てくれるかも、とか期待をしたけれど、前倒しにしたのは自分。
その日も来てほしいなんて連絡も出来ず、いつも通り残りの発情期をひとりで耐え、やっと落ち着いたと思ったらこれ。
おれもいい大人だ、働いてないけど大人だ、たかがこの程度の風邪くらい、栄養を摂って薬を飲んであったかくして寝れば治る、そうわかってる。
本当なら病院に行って薬を出してもらった方がいいのだろうが、これくらいなら市販薬でいいんじゃないかなという甘い考えと、何より発情期が終わったばかりで外、ましてや病院に行くのは憚られた。
おれのフェロモンはもう誰にも効かないとはいえ、気をつけるに越したことはない。
発情期後の体力を削がれた躰では違う病気を貰う可能性もあるし。家にいるに限る。
大丈夫、これくらい寝てれば治るのだ、寝てれば。
……でも動けない。体温計すら取りに行けない。
薬を飲む為に何か胃にいれなきゃと思うのだけど、手元には水のペットボトルと、今は食べる気も起きないカロリーバーくらいしかない。そもそも薬を取りにも行けない。
服を着る元気も、でろでろかぴかぴのシーツを替える元気も、カーテンを開ける元気すらない。
こういう時に頼れるのはひとりしかいなかった。
◇◇◇
「千晶くんだいすき……」
「大丈夫だよお、これ食べたら寝ようね」
おれの要請でわざわざうちまで来てくれたのは千晶くんだ。
花音から合鍵を借り、買い出し、それから部屋に入り、おれの躰を拭き、服を着せ、シーツやカバーの交換、洗濯、部屋の掃除に片付け、極めつけはお粥を口元まで運ばせてしまっている。
優しい出汁の味が美味しい。
「大丈夫?熱くない?」
「らいじょおぶ……ん、おれ、自分で食べ……」
「零したら火傷しちゃう。あ、嫌なら」
「ヤじゃない、けど」
ふうふうと冷ましたお粥をあーん、とまた口元まで運ばれる。
花音ったら、体調崩した時、いつもこんな風に甘やかされてるんだろうか。
「ごめんね、何から何までさせちゃって……そんなつもりはなかったんだけど……その、ごめん、ほんと……汚いもの見せて触らせてしちゃって……」
「大丈夫だよ、かずねくんだって、かのんちゃんに見られるより僕の方が幾らかましでしょ」
自分のもので汚したくったシーツや躰をいやなかおひとつせず綺麗にしてくれた千晶くんは、まさに天使のようだった。
いいよいいよそのままで、お粥と薬と水だけ置いてってくれたら自分で食べるから、と慌てるおれに、そのままにして帰る方がいやだからと全てを綺麗にされてしまった。
「かのんちゃん、自分が仕事休んで行くっていうの止めるの大変だったんだから」
「……ごめん」
「かずねくんにはあまり効かないみたいだけど、かのんちゃんのアルファ性強いでしょ、発情期終わったばかりでも体調崩してたらもしかしたらかずねくん、吐いちゃうかもって」
「え」
「番のいるオメガに強いアルファは拒否反応出ることもあるからね、いつもは平気でも今日はわからないし、万が一そうなっちゃったら、ふたりともショックだし、かなしいでしょう」
「う……」
「ふたりとも、もっと僕を頼ってくれていいのに」
「もう十分めちゃくちゃ頼ってるよ……」
にこ、と笑った千晶くんは、ちゃんと食べられたね、はい薬。飲める?と同い年だというのに兄のように振る舞い、食器を下げに行ってしまった。
千晶くんにはいつも何かをしてもらってばかりだ。何かお礼をしなきゃ。急には思い浮かばないけど。
花音の番が千晶くんで良かった、なあ……
躰もベッドも綺麗にしてもらい、腹もあたたかいもので満たされ、千晶くんに甘やかされ、漸く落ち着いた気がする。
つい、うとうととしてしまう。
千晶くんが戻ってくるまで起きてなきゃ。お礼、言わなきゃ。
そう思うのに、瞼が閉じるのを止めることは出来なかった。
◇◇◇
誰かの話し声と、それから少しして扉の閉まる音がした。
……千晶くん、帰っちゃったのだろうか。花音と電話、してたのかな。
後で……後ででいいかな、お礼、電話。まだ眠たい。疲れてる、発情期はあんまり寝た気がしないから。
またうとうととしているところで、廊下を歩く音に気付いた。
あれ、千晶くん、まだ帰ってなかったのだろうか。
さっきの玄関の音は……おれ、なにか買ってたっけ、それとも近所のひと?花音が我慢出来ずに来ちゃったのかな。
そうか、じゃあ千晶くんにはやっぱりお礼、言わなきゃ。
そう思って、重たい瞼を開き、寝室の扉が開くのを待つ。
でもそこから入ってきたのは、千晶くんではなかった。
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