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伊吹は

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 わかってるんだけれど、と呟くように漏らすおれに、じゃあ僕たちのこともわかってよ、と有都さんは小さく返してきた。

「難しく考え過ぎだよ」
「……むずかしく、」
「僕の前世がアルベールだっただけ。伊吹も、玲於さんも。どっちの記憶もあってもいいじゃない、お得だと思えば」
「お得って……」
「あのしおらしいイヴも、今の元気な伊吹もどちらもかわいくて、その両方を知ってることは得でしかないと思うけど」

 マリアと穏やかに話すイヴも、三つ子の竜とエディーと一緒に走り回るイヴも、妹のことで悩む伊吹も、お腹いっぱいって満足そうな伊吹も、全部かわいいよ、まだまだあるよ、全部聞く?

 そう耳元で囁くようにつらつら上げていく有都さんにもういいと首を振ると、残念、と笑いを堪えるような声がした。
 有都さんはふざけてる訳ではないとわかるから、恥ずかしいけどそれを受け入れる。
 確かに難しく考え過ぎなのかもしれない。
 有都さんもアルベールも、格好良いし優しいし、どっちのことも覚えてるのはうん、お得だと思うけど。
 まあ、少しずれてるのもわかる。
 けどそれは口にしない。有都さんがおれを宥める為に言った言葉なのだと理解してるから。

「お前には感謝してるんだよ」
「……?」
「伊吹がイヴにならなきゃ、俺たちはお前を思い出せなかったかもしれない、見つけてと言わなきゃ、探さなかったかもしれない」
「……うん」
「イヴのことはもう懐かしい想い出なんだよ、今は伊吹に会えて良かったと、有都を見つけられて良かったと、……伊吹が想い出にならなくて良かったと、そう思うくらいに」

 アルコールのにおいがする。
 そう感じたのと同時に、瞼に唇が落とされた。
 やっとか、と思った。やっと、玲於さんがその気になったのかと。
 ……なんかおれが考えてたのとは違うけど。

 そのまま頬と耳元、それから首筋。触れるだけの軽いキスだった。
 口元は飛ばされたみたいで、少し物足りない。
 じっと玲於さんを見つめると、苦笑して、それからやっと唇に重なった。
 でもそれも挨拶のような、すぐ離れてしまうもの。
 ……いや、挨拶のようなっていったって、あの世界と違って今のおれたちにとってキスは挨拶ではないんだけど。

「あ」
「どうした」
「……おれが悪いのかな」
「え、何の話」

 背後から有都さんも焦ったように声を掛ける。
 おれが比べてるのかな、って思ったんだ。

「おれがイヴに拘ってるのかなって……」

 そりゃああんな経験、普通に有り得ないことだと思う。
 前世だとか違う世界だとか、竜とか魔法とか、また現世に戻ってきたと思ったらふたりに……ふたりだけではないけど、想い人に再会出来たとか。
 イヴと比べて、イヴのお陰だとか、イヴのせいだとか、イヴの方がだとか、全部をイヴと絡めてしまって、それってイヴに責任を押し付けてるみたいだ。
 別に彼がおれを呼んだ訳でもないのに。自分を被害者みたいに。
 寧ろ良いところはおれが取っちゃったような気もするし、彼だって被害者だし、何なら今のこのしあわせの為に前世へ改革に行ったようなものなのに。
 勝手にイヴに負けたような気持ちになるなんて。

 自信がなかった。イヴじゃないといけない気がした。
 イヴであることが前提でないと愛されないと思った。
 幾ら伊吹と名前を呼んでもらえても、触れてもらっても、おれがイヴであったことがだいじで、だからふたりはおれを見てくれるんだって。
 それは間違いじゃない。
 そうじゃなければふたりはおれのことを想ったりなんてしなかった。
 それが嫌なんじゃない。
 そういう出会い方だって間違いじゃないと思う。

 問題なのは、おれがただ、ひとりだけ弱いこと。
 どうでもいいと思えなかった。お得だからいいじゃんとか、今しあわせなんだからいいじゃんだとか。
 だって今しあわせだったって、終わりが来ると考えるとこわい。

「イヴみたいに……愛される根拠がないから」
「根拠、」

 国に重宝されるような能力、家柄、愛されて育ったことからくる素直さや穏やかさ、そういうものは全て持ち合わせてない。
 おれが誇れることは愛莉だけだった。
 ただ純粋に、必要としてくれるのも。

「だって……おれ、なんもいいとこ、ないよ、イヴみたいに能力だって……もう、なくて」
「そんなの僕にだってないよ、玲於さんにも」
「権力もないしな」
「いや権力はありますよ」
「……社長」
「王子なんてのとはまた別だろう」
「でもその分しがらみもないですよね」
「自由だな」

 ふふ、と笑うふたりにもう焦りは感じなかった。
 有都さんがぎゅうと腰を抱き、玲於さんは頬をさらりと撫でる。

「伊吹がいいよ」
「ああ」
「かわいくて堪んないの。能力なんてなくたって、僕たちが惹かれたのはそこじゃないよ、イヴに能力がなくたって、伊吹に能力がなくたって、僕たちが愛しいと思ったところはそこじゃない」

 じゃあどこ、とは訊けなかった。
 そんなの、訊けるのはちょっとくらい自信があるひとか、無謀な奴しかいないと思う。少しばかり褒められる容姿はその内衰えるものだとわかっているし。
 ぎゅう、と無意識にシャツを掴んだ手に長い指が重なった。有都さんの手だ。
 その手毎玲於さんの大きな手が覆う。
 そんなことに少しだけ、安心してしまうようになったのは、まあ悔しいことにそれはイヴの記憶もあるからだ。
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