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伊吹は
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「……出よ」
どれだけ浸かっていたかわからない。時計はあるけど入った時間を覚えていない。
指先がふやけてないから、きっとそんなに長くはなかったと思う。
一時間経っても上がってこなかったら迎えに行くからなって玲於さんも言ってたけど迎えは来なかったし。
「……」
どうしよう、思い出すと段々恥ずかしくなってきた。玲於さんはお酒を呑んでいたけど、有都さんは呑んでなかった。
呑んだら眠くなっちゃうからって、そんなちょっとかわいいことを言って。
でも眠くならないようにしているのは、今からおれを抱く為の、そんなかわいくない理由だ。
抱かれる為の準備の入浴。
この脱衣所を出て、自分で寝室に行くのは、了承したということなのだ。
「……なんか罰当たりな気がしてきた」
世間は盆休みだ。それはうちの会社も同じ。
昨日は伯母に連れられて祖母の家に行った。
殆ど記憶にない祖母は、少しぎくしゃくとした態度だったけれど、それでもおれたちを受け入れてくれたし、今まで何も出来なくてごめんね、自分は何も出来なくてごめんね、と謝ってくれた。
謝ってほしくて祖母の家に行ったのではない。ただ家族をまた始めたかっただけ。両親とはそれが出来ないし、望んでないから。
その家族である愛莉は盆休みの間は部活もないからと友人と遊ぶらしく、おれが泊まってくると言ってもどうぞ、と少し冷たい態度だった。
普段なら兄が休みの日に構ってくれないから拗ねてるのかと受け取るところだったけれど、今のおれは違う、呆れられてるのだ。それを思い出してまたずうんと心が重くなる。
お兄ちゃんは盆休みを利用して、結婚する気もない男たちに抱かれます、今から。
適当なお付き合い、のつもりなんかじゃない。勿論ちゃんと本気だ。
他のひととならこんなに悩んでない。悩むまでもなくお断りだ。
でもさあ、結婚は出来ないじゃん。同性だし、相手はふたりだし。どっちか片方なんて選べないし、おれが除かれたらそれはそれでさみしくて死んじゃう。
アルベールとレオンにそのまま結婚してほしかった時とはもう違うんだもん。
前世でも今世でも結婚しないで、ふたりにもさせないで。それは気になるけど、でもいやなの、もう。ひとりだけいなくなっちゃうのも、それをふたりに押し付けるのも。
さみしいのも、さみしくさせるのも、我慢させるのも、もういやなんだ。
◇◇◇
「まあ随分煽るような格好してきたねえ」
ゆっくりゆっくり、寝室までの廊下を歩いた。
奥の方から、穏やかな話し声や低い笑い声がする。
ノックをせずにその扉を開けると、有都さんは驚いたようにそう言った。
「……だって、これしかなかった、用意、してくれたやつ」
「どうせ脱ぐんだからいいだろ」
「……」
着替えとして用意されていたのは半袖のTシャツが一枚。下着すらない。
大きなシャツはまるでワンピースのようになっていて、あの夜を思い出す。
……あの時は下着はあったけど。
「そんな言い方しなくてもねえ?ほら、こっち来て」
有都さんが手にしていたスマホを置いて、おれに向かって腕を伸ばす。
心許ないシャツの裾を気にしながらそろそろと歩くおれに、有都さんはすぐにぴんときたようだった。
そんなんだからおっさんくさいって言われるんですよ、と玲於さんを睨みつける。
この下は履いてません、なんて自己申告するのも恥ずかしいけれど、見破られてしまうのも恥ずかしい。
視線が足元に向き直ったこともわかってる。電気を消してほしい、そう思うけど、電気を消すというその行為があからさまで口に出せない。
女の子じゃないのに、女の子じゃないから、そこを見られるのが恥ずかしい。
「……っ」
「ふふ」
ベッドに腰掛けた有都さんは、すぐ目の前まできたおれの腰を抱いて満足そうに笑い、膝の上に座らせる。
アルベールみたい、と思った。
「髪、まだ少し濡れてる。ちゃんと乾かしてきたら良かったのに」
「ん……」
「大丈夫?風邪ひかない?乾かしてあげようか」
「……夏だし。すぐ乾く」
「エアコンついてるよ」
「ぅあ」
乾ききってない髪を確かめるように梳いた有都さんの指先が耳に触れた瞬間、声が漏れてしまった。
慌てて口元を押さえると、驚いたようなかおをした有都さんはすぐににっこりと笑顔を作る。
……その笑顔はアルベールに似てるけど、アルベールよりちょっといじわるなやつ。
「ごめんね、ドライヤーする時間、待てないや」
「ん、う、」
「ね、手ェ退けて、キスしたいなあ」
「ゔ……」
キスは何回もした。
アルベールとも、レオンとも。
有都さんとも玲於さんとも、何度も。
車の中でこっそり、この家でも、たくさん。
それでも、何回したって、どきどきする。
今日はもう逃げられない、逃げない。
だから、キスをしたらもう始まってしまう。
こわいかと問われて首を横に振る。良かった、と漏らして、有都さんはおれの手の上からキスをした。
自分で口元を覆っておきながら、違う、そこじゃない、なんて思う。じゃあ手を退ければいいだけなんだけど。
「伊吹」
「うう……」
名前を呼ばれると弱い。もうちょっと、色んな話をしたかったけど、その視線に、声に、自分だってその先を求めてしまう。
甘くて優しくて、宥めるような、でも少しだけ咎めるような声。
そう、おれ、伊吹なんだよなあ、ずっと。
どれだけ浸かっていたかわからない。時計はあるけど入った時間を覚えていない。
指先がふやけてないから、きっとそんなに長くはなかったと思う。
一時間経っても上がってこなかったら迎えに行くからなって玲於さんも言ってたけど迎えは来なかったし。
「……」
どうしよう、思い出すと段々恥ずかしくなってきた。玲於さんはお酒を呑んでいたけど、有都さんは呑んでなかった。
呑んだら眠くなっちゃうからって、そんなちょっとかわいいことを言って。
でも眠くならないようにしているのは、今からおれを抱く為の、そんなかわいくない理由だ。
抱かれる為の準備の入浴。
この脱衣所を出て、自分で寝室に行くのは、了承したということなのだ。
「……なんか罰当たりな気がしてきた」
世間は盆休みだ。それはうちの会社も同じ。
昨日は伯母に連れられて祖母の家に行った。
殆ど記憶にない祖母は、少しぎくしゃくとした態度だったけれど、それでもおれたちを受け入れてくれたし、今まで何も出来なくてごめんね、自分は何も出来なくてごめんね、と謝ってくれた。
謝ってほしくて祖母の家に行ったのではない。ただ家族をまた始めたかっただけ。両親とはそれが出来ないし、望んでないから。
その家族である愛莉は盆休みの間は部活もないからと友人と遊ぶらしく、おれが泊まってくると言ってもどうぞ、と少し冷たい態度だった。
普段なら兄が休みの日に構ってくれないから拗ねてるのかと受け取るところだったけれど、今のおれは違う、呆れられてるのだ。それを思い出してまたずうんと心が重くなる。
お兄ちゃんは盆休みを利用して、結婚する気もない男たちに抱かれます、今から。
適当なお付き合い、のつもりなんかじゃない。勿論ちゃんと本気だ。
他のひととならこんなに悩んでない。悩むまでもなくお断りだ。
でもさあ、結婚は出来ないじゃん。同性だし、相手はふたりだし。どっちか片方なんて選べないし、おれが除かれたらそれはそれでさみしくて死んじゃう。
アルベールとレオンにそのまま結婚してほしかった時とはもう違うんだもん。
前世でも今世でも結婚しないで、ふたりにもさせないで。それは気になるけど、でもいやなの、もう。ひとりだけいなくなっちゃうのも、それをふたりに押し付けるのも。
さみしいのも、さみしくさせるのも、我慢させるのも、もういやなんだ。
◇◇◇
「まあ随分煽るような格好してきたねえ」
ゆっくりゆっくり、寝室までの廊下を歩いた。
奥の方から、穏やかな話し声や低い笑い声がする。
ノックをせずにその扉を開けると、有都さんは驚いたようにそう言った。
「……だって、これしかなかった、用意、してくれたやつ」
「どうせ脱ぐんだからいいだろ」
「……」
着替えとして用意されていたのは半袖のTシャツが一枚。下着すらない。
大きなシャツはまるでワンピースのようになっていて、あの夜を思い出す。
……あの時は下着はあったけど。
「そんな言い方しなくてもねえ?ほら、こっち来て」
有都さんが手にしていたスマホを置いて、おれに向かって腕を伸ばす。
心許ないシャツの裾を気にしながらそろそろと歩くおれに、有都さんはすぐにぴんときたようだった。
そんなんだからおっさんくさいって言われるんですよ、と玲於さんを睨みつける。
この下は履いてません、なんて自己申告するのも恥ずかしいけれど、見破られてしまうのも恥ずかしい。
視線が足元に向き直ったこともわかってる。電気を消してほしい、そう思うけど、電気を消すというその行為があからさまで口に出せない。
女の子じゃないのに、女の子じゃないから、そこを見られるのが恥ずかしい。
「……っ」
「ふふ」
ベッドに腰掛けた有都さんは、すぐ目の前まできたおれの腰を抱いて満足そうに笑い、膝の上に座らせる。
アルベールみたい、と思った。
「髪、まだ少し濡れてる。ちゃんと乾かしてきたら良かったのに」
「ん……」
「大丈夫?風邪ひかない?乾かしてあげようか」
「……夏だし。すぐ乾く」
「エアコンついてるよ」
「ぅあ」
乾ききってない髪を確かめるように梳いた有都さんの指先が耳に触れた瞬間、声が漏れてしまった。
慌てて口元を押さえると、驚いたようなかおをした有都さんはすぐににっこりと笑顔を作る。
……その笑顔はアルベールに似てるけど、アルベールよりちょっといじわるなやつ。
「ごめんね、ドライヤーする時間、待てないや」
「ん、う、」
「ね、手ェ退けて、キスしたいなあ」
「ゔ……」
キスは何回もした。
アルベールとも、レオンとも。
有都さんとも玲於さんとも、何度も。
車の中でこっそり、この家でも、たくさん。
それでも、何回したって、どきどきする。
今日はもう逃げられない、逃げない。
だから、キスをしたらもう始まってしまう。
こわいかと問われて首を横に振る。良かった、と漏らして、有都さんはおれの手の上からキスをした。
自分で口元を覆っておきながら、違う、そこじゃない、なんて思う。じゃあ手を退ければいいだけなんだけど。
「伊吹」
「うう……」
名前を呼ばれると弱い。もうちょっと、色んな話をしたかったけど、その視線に、声に、自分だってその先を求めてしまう。
甘くて優しくて、宥めるような、でも少しだけ咎めるような声。
そう、おれ、伊吹なんだよなあ、ずっと。
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