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少し恥ずかしそうに、もう一度抱き締めていいかと確認を取られる。
そんなの、訊かなくたってもうずっと、望んでたことなのに。
頷くことすらせずに、そのまま有都さんの腕の中に飛び込んだ。
また力強く抱き締める腕に心臓は煩くなって、それなのに安心する。
肩口に頭を寄せると、その頭も掻き抱くように、ぎゅうぎゅうとされて、もう髪もぐちゃぐちゃだな、と心のどこかでぼんやり考えながらも、でもそんなことはどうでもいい。
いつも優しい手つきだったアルベールが、今は必死におれを離さないよう強く抱き締めることに、ああこのひとにもちゃんとおれの残した言葉は無事に呪いになってくれてたんだな、と思った。
レオンと、玲於さんと同じだ。
おれがいなくなった前世で、おれと離れていた今世で、それでもちゃんと覚えていてくれてありがとう。
おれからしたらこの数ヶ月、たったの数ヶ月。
瞳を開いた時から近くには愛莉がいて、伯母と伯父に安心を貰い、数日後には玲於さんとも杏さんとも会えて、守られるように生きてきた。
でも玲於さんも有都さんも、その前から数十年、期待をしながら、絶望しながら、もしかしたら少し諦めた時もあったかもしれない、それでも覚えていて探してくれてたのかな。
「何の音?」
急に鳴り始めた音楽に、電話?と杏さんが口を挟む。
すぐ頭上で、アラームです、と声がした。
夢?もう起きろってこと?えーやだ、折角アルベールと会えた夢なんだからもう少し……ととろとろぽやぽやした頭で考えて、それからその穏やかな声がバイトが……と、漏らしたことでこれは夢じゃない、と覚醒した。
「休憩終わりだ!過ぎてる!」
「えー、ふたりとも真面目、こんな時に」
早退したら?と言う杏さんに、確かにそうしたい気持ちはある、と思う。
このまま溶けちゃうくらいもっとぎゅっとしててもらいたい。
そう、イヴの時なら言えたかもしれない。
でも、現実はそんなに甘くないのだ。
……起きてからのおれには結構甘かったけど。
おれには愛莉の学費や生活費、ゆくゆくは伯母たちの家を出て行く資金を貯めるという目標がある。
その為にはちゃんと働かなくてはいけない。
高卒の何も出来ないおれを雇ってくれた会社だ、いつまでも玲於さんの好意に甘え続ける訳にもいかない。
本当にもっともっと、アルベールに、有都さんにもっとくっついてたいのだけど。
「有都さん、バイト何時まで?」
「今日は六時まで」
じゃあ六時半頃にそこのコンビニで待ち合わせしませんか、と提案する。
良かった、夜遅くまでとかじゃなくて。
「玲於さん……レオンさまと今日、ごはん、夕食の約束してて……一緒に行きたいなって」
「……うん、絶対行く」
そんなやり取りの間も離れるのが惜しくてずっとくっついていたから表情がわからなかった。
お互いちゃんと生活がある。お互い知らない生活が。
だから仕事もバイトもちゃんとしなくちゃ。
でもやっぱりこのあったかい腕から出たくない。
アルベール……有都さんはこんな時まで甘やかすのが上手い。
くしゃりと髪を撫でて、頬をくっつけて、かわいい、と呟いた。
そこからおれのかおもよく見えないと思うんだけど。
もう一度アラームが鳴って、行かなきゃ、と名残惜しそうに呟く有都さんにうん、と頷いた。
杏さんと一緒に外まで見送りに行って、また後でね、絶対だよ、と念を押して、杏さんに連絡先交換しな、と言われて慌ててスマホを出した。
現代人として当たり前のことなのに、つい前世のようにたまにその存在を忘れてしまう。
受付の女性社員が心配そうに、でも、好奇心も隠せていない様子でこちらを見ていた。
また誤魔化すように杏さんがこの子の義兄で、と肩を叩く。
数年ぶりに会ったものだから気持ちが昂って……と続けると、社長に会いたいと仰ってたので、三角関係かと思いました、と冗談のように笑った彼女に、まあ間違ってない、とおれに耳打ちする。
……社長の変な噂がどんどん広まってしまう。
◇◇◇
午後の仕事は正直ずっと上の空だった。ずうっと頭の中に有都さんがいたから。
あの後、玲於さんにも成功したって話をしなきゃ、と思い出したおれに、だめ、と杏さんからストップがかかった。
そんなことをしたらあのひとは仕事ほっぽって帰ってきちゃう、と。
もう十分勝手なことをしてきている。これ以上他の社員の邪魔になることをしてはいけない。玲於さんにはちゃんと仕事をしてもらわなきゃ。
そして、それともうひとつ、驚かせる方が楽しいじゃん、とまるで悪戯でも考えてるかのように笑った。
流石に野暮だからついていかないけど、面白いことあったら教えてね、と残して、杏さんはきっちり定時で上がって行った。
六時半まで少し時間があったので、残っていた雑用を済ませて、まるで退勤後の女性社員のようにトイレの鏡でおかしいところはないか確認して……だってあのふたりの隣に立つのはいつも緊張する。
寝癖ひとつでも気にしなくちゃいけない気になってしまう。
有都さんにぐしゃぐしゃにされた髪も整えて、よし、と会社を飛び出した。
そんなの、訊かなくたってもうずっと、望んでたことなのに。
頷くことすらせずに、そのまま有都さんの腕の中に飛び込んだ。
また力強く抱き締める腕に心臓は煩くなって、それなのに安心する。
肩口に頭を寄せると、その頭も掻き抱くように、ぎゅうぎゅうとされて、もう髪もぐちゃぐちゃだな、と心のどこかでぼんやり考えながらも、でもそんなことはどうでもいい。
いつも優しい手つきだったアルベールが、今は必死におれを離さないよう強く抱き締めることに、ああこのひとにもちゃんとおれの残した言葉は無事に呪いになってくれてたんだな、と思った。
レオンと、玲於さんと同じだ。
おれがいなくなった前世で、おれと離れていた今世で、それでもちゃんと覚えていてくれてありがとう。
おれからしたらこの数ヶ月、たったの数ヶ月。
瞳を開いた時から近くには愛莉がいて、伯母と伯父に安心を貰い、数日後には玲於さんとも杏さんとも会えて、守られるように生きてきた。
でも玲於さんも有都さんも、その前から数十年、期待をしながら、絶望しながら、もしかしたら少し諦めた時もあったかもしれない、それでも覚えていて探してくれてたのかな。
「何の音?」
急に鳴り始めた音楽に、電話?と杏さんが口を挟む。
すぐ頭上で、アラームです、と声がした。
夢?もう起きろってこと?えーやだ、折角アルベールと会えた夢なんだからもう少し……ととろとろぽやぽやした頭で考えて、それからその穏やかな声がバイトが……と、漏らしたことでこれは夢じゃない、と覚醒した。
「休憩終わりだ!過ぎてる!」
「えー、ふたりとも真面目、こんな時に」
早退したら?と言う杏さんに、確かにそうしたい気持ちはある、と思う。
このまま溶けちゃうくらいもっとぎゅっとしててもらいたい。
そう、イヴの時なら言えたかもしれない。
でも、現実はそんなに甘くないのだ。
……起きてからのおれには結構甘かったけど。
おれには愛莉の学費や生活費、ゆくゆくは伯母たちの家を出て行く資金を貯めるという目標がある。
その為にはちゃんと働かなくてはいけない。
高卒の何も出来ないおれを雇ってくれた会社だ、いつまでも玲於さんの好意に甘え続ける訳にもいかない。
本当にもっともっと、アルベールに、有都さんにもっとくっついてたいのだけど。
「有都さん、バイト何時まで?」
「今日は六時まで」
じゃあ六時半頃にそこのコンビニで待ち合わせしませんか、と提案する。
良かった、夜遅くまでとかじゃなくて。
「玲於さん……レオンさまと今日、ごはん、夕食の約束してて……一緒に行きたいなって」
「……うん、絶対行く」
そんなやり取りの間も離れるのが惜しくてずっとくっついていたから表情がわからなかった。
お互いちゃんと生活がある。お互い知らない生活が。
だから仕事もバイトもちゃんとしなくちゃ。
でもやっぱりこのあったかい腕から出たくない。
アルベール……有都さんはこんな時まで甘やかすのが上手い。
くしゃりと髪を撫でて、頬をくっつけて、かわいい、と呟いた。
そこからおれのかおもよく見えないと思うんだけど。
もう一度アラームが鳴って、行かなきゃ、と名残惜しそうに呟く有都さんにうん、と頷いた。
杏さんと一緒に外まで見送りに行って、また後でね、絶対だよ、と念を押して、杏さんに連絡先交換しな、と言われて慌ててスマホを出した。
現代人として当たり前のことなのに、つい前世のようにたまにその存在を忘れてしまう。
受付の女性社員が心配そうに、でも、好奇心も隠せていない様子でこちらを見ていた。
また誤魔化すように杏さんがこの子の義兄で、と肩を叩く。
数年ぶりに会ったものだから気持ちが昂って……と続けると、社長に会いたいと仰ってたので、三角関係かと思いました、と冗談のように笑った彼女に、まあ間違ってない、とおれに耳打ちする。
……社長の変な噂がどんどん広まってしまう。
◇◇◇
午後の仕事は正直ずっと上の空だった。ずうっと頭の中に有都さんがいたから。
あの後、玲於さんにも成功したって話をしなきゃ、と思い出したおれに、だめ、と杏さんからストップがかかった。
そんなことをしたらあのひとは仕事ほっぽって帰ってきちゃう、と。
もう十分勝手なことをしてきている。これ以上他の社員の邪魔になることをしてはいけない。玲於さんにはちゃんと仕事をしてもらわなきゃ。
そして、それともうひとつ、驚かせる方が楽しいじゃん、とまるで悪戯でも考えてるかのように笑った。
流石に野暮だからついていかないけど、面白いことあったら教えてね、と残して、杏さんはきっちり定時で上がって行った。
六時半まで少し時間があったので、残っていた雑用を済ませて、まるで退勤後の女性社員のようにトイレの鏡でおかしいところはないか確認して……だってあのふたりの隣に立つのはいつも緊張する。
寝癖ひとつでも気にしなくちゃいけない気になってしまう。
有都さんにぐしゃぐしゃにされた髪も整えて、よし、と会社を飛び出した。
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