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 ふわっと柔らかいものが触れたのはほんの一瞬。
 またすぐに次が来ると思ってた。それなのに何もなくて、薄く瞳を開けると綺麗なかおがすぐ近くにあるだけ。
 ふっと笑って、目元を、頬を、耳元を撫でる。それはもう……おれの勘違いでなければ愛おしそうな表情で。

 あ、今ので終わりなんだ、なんだ、そっか、そう、うん、病院だし、鍵なんて閉めてないし、杏さんがいつ戻ってくるかわからないし、看護師さんとか、もしかしたら愛莉も来てくれるかもしれないし……
 ……期待しすぎちゃった。

「はー……」

 近距離での溜息に肩が跳ねた。
 あれ、何か間違えたかな、思ってたのと違ったかな。
 玲於さんからしたら数十年振りのおれとのキスは、昔の思い出とは違ったかな、なんて急に不安になってしまった。
 そういえば唇がかさかさしてるかもしれない。何度も唇を噛んでしまったから、皮が剥けてしまってるかも。
 自分の唇をぐにぐにあたためるように指先で弄る。そんなことをしても潤いなんかしない、悪化するだけだとわかってるのに。
 愛莉に安い薬用リップクリームでも頼もうかな、もう遅いけど。

「こどもみたいなこと止めなさい」
「うあ」
「弄ると血が出るぞ」
「ン……」

 口元からおれの手を退けると、もう一度溜息を吐いた。
 そう何度もされると気にしちゃうんだけど……そう思ってると、こんなにこどもっぽいのになあ、と漏らす。

「話し方も癖も、こどもっぽいのに」
「……ごめんなさい」
「謝らせたいんじゃない」
「でも……」
「イヴを思い出すのに、イヴより少し幼いと思うのは気の所為かな」
「……それは、おとなになったイヴと一緒にいたからでは……十八なんてこんなもの、だと思う……けど……」

 正直友人がいなかったもので、教室で騒いでる同級生しか思い出せない。
 自分が特別こどもだとは思えないけど。やっぱり見た目かなあ。そんなにかなあ。

「おれ、あんまり見た目とか気にしてなくて……」
「ん?」
「今はその……病院の借りてるだけだし……その、持ってるのもそんなにないし……でも、次買うのはおとなっぽいの、買うから……」
「服のこと言ってる?」
「うん……すぐは買えないんですけど、でも、えっと、髪とか靴とか鞄とか……あっそうだ、貯めてたのが……」

 引越し資金は丸々は無理でも、それや安いスーツなんかも一式揃えなきゃって、少しずつバイト代も貯めてた。
 就職がパァになった今、それを使っておとなっぽくなればこのひとの隣に立っても恥ずかしくならないくらいになれないだろうか。
 いや就職がなくなったとはいえ働かないといけないし、面接だって行かなきゃ、これからは制服が使えないんだからやっぱりスーツは買わなきゃだし……
 おとなになるのもお金が掛かる。

「……いいよ、無理しないで」
「でも気になるんでしょ」
「嫌な訳じゃない、何度も……言ってないな」
「何を……」

 かわいいからだよ、と言った声は酷く優しかった。
 言い聞かせる時の話し方だとわかっているけれど、その話し方が嫌だと思ったことはない。
 こども扱いは気になるけれど、たまにむっとするけど、心底嫌な訳ではないんだ、きっとどこかで満たされてるから。
 こんな話し方、おれにしたひとはいない。
 前世でやっと体験した。でもそれは伊吹に対してのものではなく、イヴに対してだったから。
 だから今、伊吹を見つめて、伊吹に話し掛ける玲於さんが嬉しい。

「困っちゃうよな、お前なら全部かわいいんだよ、自分でも引くくらい。今だってここが病院じゃなかったら止められなかったかもしれない」
「今って……」
「このまま連れて帰りたいくらい。でもまだ本調子じゃないだろう?早く治して、デートでもしようか」
「へあ……」
「服だって何だって俺が買ってやる、無理におとなぶらなくていい、伊吹に似合うものを買おう」
「か、買って欲しい訳じゃ」
「俺がそうしたいんだよ、お前の気が引きたいんだ、……伊吹がかわいくて仕方ないから」

 ひとつひとつの言葉がストレートで、胸がぎゅうぎゅうする。
 かわいいと言われることが嬉しいんじゃない、好意を口にされるのが嬉しいだけ。
 名前を呼ばれるのも嬉しい。イヴを通してるんじゃない、伊吹を見てくれてるのかなと思うから。
 だって、おれだってあれがずっと欲しかった。

「おとなになるまで、おとなになっても、今度は伊吹と離れないから」
「……ゔん、」

 おれの意見は聞かずに決める玲於さんはまさに王子気質で、でもそうだな、レオンより少し、丸くなった気がする。
 まあこっちの世界で王子さまムーヴなんてやってられないんだろうけど。
 ……知ってるひとのようで、知らないことがたくさんある。
 それでも惹かれてしまう。もっと知りたくて、知ってほしくて、もっとたくさん、一緒にいたい。

「おれももういなくなるのやだ……」

 今度はイヴじゃなくて、伊吹の番だと思いたかった。
 玲於さんは何も言わずに抱き締める。
 茶化すことなく、ただ体温だけを移すような、溶けてしまうような、そんな時間。
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