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 ◇◇◇

 医者や愛莉の話からわかったのは、おれは二ヶ月も起きなかったのだということ。
 筋力も衰えてますからね、暫くはリハビリしましょうね、と看護師は微笑んだ。

 そうなった理由を訊くと、また愛莉が泣いた。
 泣きながらめちゃくちゃ怒っていた。それはおれにでもあり、原因にでもあり。
 その怒りっぷりに、だからかあ、と納得してしまった。

 離婚した父さんとその再婚相手、前々から不倫していてその時に出来た子。おれと愛莉にとっては腹違いの弟。弟とは思えない程かわいげがなかったけれど。
 彼にとってはおれは家族の邪魔をするだけのいけ好かない奴だったからその態度は仕方ない。
 仕方ないけれど、ならおれにだって愛着は湧かない訳で。
 あの日、その生意気でかわいくない弟が虐められてるのを偶然見てしまった。
 かわいくないとはいえまだ小学生、いや、でもこどもの喧嘩かもしれないし、と見て見ぬ振りをするか悩んでいた時だった。

 そこは単発バイトの帰り道の川沿いで、普段はこどもたちもよく遊ぶような場所で、でもその日は昼まで雨が降っていた影響で水量が多かった。
 お陰で遊んでる子もいなくて、こっそりと悪事を働くには丁度よかったのかもしれない。
 揉み合いになり、弟が川に落ちた。
 ……普段ならよかった、でも日が悪かった。
 流石に見て見ぬ振りを出来る程、彼を憎んでいた訳じゃない。いや、そこまで多分考えられなかった。
 おろおろする小学生しかいない中、どうにか出来るのは自分しかいないと思った。

 結果、間抜けにも見事に溺れてしまったらしい。
 そしてそれに対して愛莉に怒られた。それはもうものすごく。
 おにーちゃん、運動神経よくない癖に。泳ぐのも上手くない癖に。なんで他に助けを呼ばずに飛び込んじゃうの。ばか。死んじゃうかと思ったんだから。
 泣きながら怒る愛莉に、何度馬鹿と言われたか。
 弟は無事だった。
 病院代はその気まずさからか父さんと義母が払うという話で纏まってるとか。まあ頭だけは回る父親のことだ、多分虐めっ子たちの両親にも出させてるのだろうけれど。

 そんな訳で病院にいる理由もわかった。もう少し退院出来ない理由もわかった。
 問題なのはそれから二ヶ月も経っているということ。

 卒業間近だった高校の卒業式はとっくに終わっている。
 ともだちなんていなかった、卒業式に出たかった訳じゃない。
 おれにとってだいじなのは、その後の生活だった。春休みも終わり、本来ならもう働いている筈だった。
 小さな会社の事務。
 ……多分もうクビだろう。一度も出社も連絡もないまま。
 高校を出たら家を出る約束だった。それはどうなっただろう、一応保証人は父さんだったし、連絡も来てるだろう。
 仕事がないんじゃ家賃なんて払えない、職場に近くて安くて、ボロアパートだったけれど最後の一部屋だった、もう解約して誰かに貸してしまったかもしれない。

 どうしよう、あの家に戻れるのだろうか。
 世間体だとか、一応弟を救った兄なのだから断られたりはしないだろうけれど、自分自身がその空気に耐えられないだろう。
 だってついこの間まで……そうだ、おれはあのあたたかい家にいたのだから。
 ぎゅう、と拳を握ると、その手に愛莉がそっと小さな手を重ねた。

 ……仕事は多分簡単に見つからない。
 それまでに幾つかバイトを探して掛け持ちして、お金を貯めて、部屋を借りて……愛莉に心配させなくても済むまでにどれくらい掛かるだろう。

「あのね、おにーちゃん、あたし」

 今ママと離れてるの。
 俯くと長い睫毛が前髪で隠れる。
 細い首が寒そうだと思った。あんなに綺麗な髪だったのに。

「……母さんが愛莉を離す訳」
「妹が出来たの」
「え」

 聞いてない、と思った。
 そりゃあ愛莉との連絡手段なんてないに等しかったけど。
 ここに愛莉がいるのも不思議なくらいで。
 父さん経由で話がいったとして、そうだ、母さんが愛莉をおれの病室にひとり置いておく訳がないのに、なんで気付かなかったんだろう。

「まだね、生まれたばっかりなんだけど……ママとおにーちゃんにそっくり、で……」

 愛莉が口を噤んだ。
 母さんが欲しかったのは娘。
 特に自分に似た娘が欲しかった。
 自分に似ていたおれに女の子の服を着せ、愛莉が生まれてからは父親似というのを見ない振りして自分に似てるわ、とかわいがった。
 そして、また生まれた妹とやらはおれと母さんに似てるという。きっとハーフの母さんの特徴を受け継いだ薄い瞳の色と髪色なのだろう。

「……今どこにいるの」

 施設だろうか。
 施設でも、愛莉が今救われてるならいい。
 早く働かなきゃ。愛莉と早く一緒に住まなきゃ。

「伯母さんのところ」

 もうすぐあたしを迎えに来てくれるよ、と笑う。
 意外とあっさりとした表情で。

「でもね、あの、すごく良いひとなの。優しくて。ママに似ててね、でもその……全然違って。その、話聞いてくれる?」
「うん……」
「……結構ね、ショックだったの、あんなママでも」
「うん、」
「おにーちゃんにしたこともわかってるし、あたしだってママと一緒にいたかった訳じゃない、お父さんだって何人もかわったんだよ」
「……やっぱりかあ」
「でもやっぱり、いざ見放されるとなると、こわくて」

 それはだってまだ中学生だ、面倒を見てくれるひとがいなくては生きていけない。
 兄のところに、父親に一緒に引き取ってもらえるかもわからない。
 そんな愛莉が先に頼ったのは祖母だった。自分じゃなかったのは、仕方ないと思いたい。
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