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大きくなったわねえ、と微笑む。
それは躰のことじゃない。
「忘れないでね」
甘くて柔らかい、じんわりとする声。
忘れない。
おれが伊吹に戻っても、戻れなくても、また知らない誰かになってしまっても。
母さまの子であったことをずっと覚えていたい。ずうっと。
「……!」
『落ちないように掴まっていてね』
マリアが揺れる。
下の方ではまだ乱戦中だ、人数は圧倒的に第一王子側が勝っているのだろうが、竜の存在がいちばんの問題だ。
大きな翼を動かすと、ごお、と強い風がまた火の勢いを強くする。冷静に考えることが出来ないようだ。マリアは少し、その風に煽られてしまったが。
この調子なら確かに魔力消費も早そうだけれど、下のひとたちが心配だ。
義弟が原因なのだから隣国の民でどうにかする、というのは同意なのだけれど、すぐ近くで怪我人や、最悪死亡する者が出たら堪らない。
関係ないし、なんて思えなかった。
おれは自分勝手で、自分がいちばんだいじで、自分のことしか考えられない。
でもだからこそ、ひとの痛みもわかると思っている。
ゲームの登場人物だと思っていた時からそう。
イヴは、おれは、そして大概のひとは、悪役になりきれる程鈍くはなれないのだ。
「マリア、もう少し近付けるかな」
『危ないわよ』
「こっちに気を逸らさせてほしいんだ、攻撃するように見せて、後は逃げてくれていいから」
母さまもいるから無理はさせたくない。
多分相手はこちらにも気付いている、あれだけ派手に空へ上がり、今も見える範囲にいるのだから。
でもこちらに何もしてこないのは余裕がないからだ。
竜を差し向ける先はおれたちではなく、明確に自分たちを捉えに来たとわかる第一王子側だということ。
それならおれたちはそれを引っ掻き回すだけ。
こっちもいるのだと気を逸らすことが出来れば隙が生まれる。
下降するマリアに強い風が吹く。
第一王子の言う通り火を吹く訳ではないようだ。
風を操るのはマリアと同属性。つまりマリアとの相性は悪くはないが、良くもない。
寧ろこちらから風をおこせば火事の範囲を広げてしまう。
おれたちから見て、どこまでが幻覚でどれが本物の火なのかわからない。
生身の人間がそこに複数いる以上、危険なことは出来ない。
だからおれたちに出来ることはただただ隙を待つこと。
「母さま、落ちないで下さいね、マリアもおれたちを落とさないように結界を張りながらは難しいと思う」
「ええ、そうね……自信はないけれど」
マリアの首元には一応、アルベールの用意した手綱がある。
それだけで母さまの細い腕が耐えられるか。
命綱なんてない、ぐるぐるに繋いでおきたいけれど。
「大丈夫よ……マリアが回転なんてしなければね」
「そんなことをされたらおれも落ちます」
近付いて、離れて。
義弟はマリアに何かをする余裕はない。手元の竜を操るだけで精一杯だ。
おれたちの方を先にどうにかしてしまった方がいいのだろうけど、それにしてはもう第一王子側が手の届く距離にいる。
そちらを優先すると、おれたちが空から制圧する。
どう考えたって詰んでるのだけれど、渦中の人物はそんなこと気付かない、気付かない振りをしているものだ。
また近付いて離れてを繰り返しながら、怪我はないか、意識はあるか、こちらには君に敵意はないと何度も話しかけるけれど、ちゃんとした返事は返ってこない。
操られた竜にはやっぱり会話は難しいみたいだ。
でもだからこそ、怪我をさせたくない。操られている竜は悪くない。
竜の暴れぶりに、もうそろそろだな、と思う。竜を操る余裕がなくなったのだろうと。
このまま放っておけば、義弟の魔力がなくなる前に捕まえることが出来るのでは。
その考えはすぐに変わった。
暴れ方が酷過ぎる。魔力が切れる前に、付近一帯が全て壊されてしまいそうだ。
「そろそろ止めてあげた方がいいわね」
「……そう、ですね」
出来ればマリアを近付けさせたくない。
その分危険は増すし、竜の爪は鋭い、捕まえるだけでお互い怪我をさせる恐れもある。
レオンが治す前のマリアの怪我を思い出した。
人間があれを喰らっていたら死んでいた。
どちらが傷を負っても痛々しい。
……でもやはり人間にそれが向く前に止めなくては。
「!」
マリアが降下を始めた直後、竜は同じくこちらを向いて、翼を広げた。
怪我のひとつは覚悟しないといけないのだろうか、いやだなあ、誰であっても竜でも悪い奴であったとしても痛がるところは見たくない。
マリアは特にそう、卵の時から一緒にいるから、どれだけ大きくても強くても、人間とは全く違う生き物だとわかっていても、それでも家族だと思っているから。
気を付けてという暇もなかった。
爪が、牙が目の前に飛び込んでくる。
近くで見ると思ってたより大きいかも、なんて考えたのは、余裕があったからではない。
「……?」
ぴた、とその勢いが止まり、ぐぐ、と爪先が下がる。
大きく開かれた口が閉じて、がちんと歯のぶつかる音がした。
同時におれから離れた母さまが、大丈夫よ、と呟いた。
お母さまが何の為についてきたと思ってるの、と言っていた。
自分の魔力を使い切っても竜を止める為。
それが出来るのは、母さましかいなかった。
「母さま……!」
それにもっと早く気付けばよかった。
マリアの肩から落ちる母さまに、おれの手じゃ間に合わない。
それは躰のことじゃない。
「忘れないでね」
甘くて柔らかい、じんわりとする声。
忘れない。
おれが伊吹に戻っても、戻れなくても、また知らない誰かになってしまっても。
母さまの子であったことをずっと覚えていたい。ずうっと。
「……!」
『落ちないように掴まっていてね』
マリアが揺れる。
下の方ではまだ乱戦中だ、人数は圧倒的に第一王子側が勝っているのだろうが、竜の存在がいちばんの問題だ。
大きな翼を動かすと、ごお、と強い風がまた火の勢いを強くする。冷静に考えることが出来ないようだ。マリアは少し、その風に煽られてしまったが。
この調子なら確かに魔力消費も早そうだけれど、下のひとたちが心配だ。
義弟が原因なのだから隣国の民でどうにかする、というのは同意なのだけれど、すぐ近くで怪我人や、最悪死亡する者が出たら堪らない。
関係ないし、なんて思えなかった。
おれは自分勝手で、自分がいちばんだいじで、自分のことしか考えられない。
でもだからこそ、ひとの痛みもわかると思っている。
ゲームの登場人物だと思っていた時からそう。
イヴは、おれは、そして大概のひとは、悪役になりきれる程鈍くはなれないのだ。
「マリア、もう少し近付けるかな」
『危ないわよ』
「こっちに気を逸らさせてほしいんだ、攻撃するように見せて、後は逃げてくれていいから」
母さまもいるから無理はさせたくない。
多分相手はこちらにも気付いている、あれだけ派手に空へ上がり、今も見える範囲にいるのだから。
でもこちらに何もしてこないのは余裕がないからだ。
竜を差し向ける先はおれたちではなく、明確に自分たちを捉えに来たとわかる第一王子側だということ。
それならおれたちはそれを引っ掻き回すだけ。
こっちもいるのだと気を逸らすことが出来れば隙が生まれる。
下降するマリアに強い風が吹く。
第一王子の言う通り火を吹く訳ではないようだ。
風を操るのはマリアと同属性。つまりマリアとの相性は悪くはないが、良くもない。
寧ろこちらから風をおこせば火事の範囲を広げてしまう。
おれたちから見て、どこまでが幻覚でどれが本物の火なのかわからない。
生身の人間がそこに複数いる以上、危険なことは出来ない。
だからおれたちに出来ることはただただ隙を待つこと。
「母さま、落ちないで下さいね、マリアもおれたちを落とさないように結界を張りながらは難しいと思う」
「ええ、そうね……自信はないけれど」
マリアの首元には一応、アルベールの用意した手綱がある。
それだけで母さまの細い腕が耐えられるか。
命綱なんてない、ぐるぐるに繋いでおきたいけれど。
「大丈夫よ……マリアが回転なんてしなければね」
「そんなことをされたらおれも落ちます」
近付いて、離れて。
義弟はマリアに何かをする余裕はない。手元の竜を操るだけで精一杯だ。
おれたちの方を先にどうにかしてしまった方がいいのだろうけど、それにしてはもう第一王子側が手の届く距離にいる。
そちらを優先すると、おれたちが空から制圧する。
どう考えたって詰んでるのだけれど、渦中の人物はそんなこと気付かない、気付かない振りをしているものだ。
また近付いて離れてを繰り返しながら、怪我はないか、意識はあるか、こちらには君に敵意はないと何度も話しかけるけれど、ちゃんとした返事は返ってこない。
操られた竜にはやっぱり会話は難しいみたいだ。
でもだからこそ、怪我をさせたくない。操られている竜は悪くない。
竜の暴れぶりに、もうそろそろだな、と思う。竜を操る余裕がなくなったのだろうと。
このまま放っておけば、義弟の魔力がなくなる前に捕まえることが出来るのでは。
その考えはすぐに変わった。
暴れ方が酷過ぎる。魔力が切れる前に、付近一帯が全て壊されてしまいそうだ。
「そろそろ止めてあげた方がいいわね」
「……そう、ですね」
出来ればマリアを近付けさせたくない。
その分危険は増すし、竜の爪は鋭い、捕まえるだけでお互い怪我をさせる恐れもある。
レオンが治す前のマリアの怪我を思い出した。
人間があれを喰らっていたら死んでいた。
どちらが傷を負っても痛々しい。
……でもやはり人間にそれが向く前に止めなくては。
「!」
マリアが降下を始めた直後、竜は同じくこちらを向いて、翼を広げた。
怪我のひとつは覚悟しないといけないのだろうか、いやだなあ、誰であっても竜でも悪い奴であったとしても痛がるところは見たくない。
マリアは特にそう、卵の時から一緒にいるから、どれだけ大きくても強くても、人間とは全く違う生き物だとわかっていても、それでも家族だと思っているから。
気を付けてという暇もなかった。
爪が、牙が目の前に飛び込んでくる。
近くで見ると思ってたより大きいかも、なんて考えたのは、余裕があったからではない。
「……?」
ぴた、とその勢いが止まり、ぐぐ、と爪先が下がる。
大きく開かれた口が閉じて、がちんと歯のぶつかる音がした。
同時におれから離れた母さまが、大丈夫よ、と呟いた。
お母さまが何の為についてきたと思ってるの、と言っていた。
自分の魔力を使い切っても竜を止める為。
それが出来るのは、母さましかいなかった。
「母さま……!」
それにもっと早く気付けばよかった。
マリアの肩から落ちる母さまに、おれの手じゃ間に合わない。
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