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「いい加減ジャンさまを解放してあげて下さい!」
ばしん、と響いた音に比べればこどもが叩いたかのような痛みだった。
ほんの少し、頬が紅くなる程度の。
それだけの痛みで、おれは思い出してしまった。
卒業パーティ、その大勢の観客の中、おれは冷たい視線の中でひとり、棄てられてしまうのだ。
「只今を持って、イヴ・エル・ミシャールとの婚約を破棄するものとする!」
……これは、ゲームの中の世界だ。
但し、もうここまできてしまえば、そこからの逆転劇など、おれは知らない。
◇◇◇
「おにーちゃん、元気でね、これ、あげる、ママに内緒ね」
そのピンクの機体にはハートと花と女の子のシールが貼られていた。
妹の愛莉はおれと両親に挟まれていたにも関わらず、唯一まともな子だった。
そんな彼女から渡されたゲーム機は、おれの心を幾らか穏やかにさせてくれた。
両親の離婚。
父親曰く、見た目だけが取り柄の、学もなければ倫理観もない女だった母親と、そんな女に騙されたと思っている、母親曰く頭の堅い面白くない父親だった。
母親はハーフで綺麗な顔立ちをしていたが、何度も浮気、不倫を繰り返し、とうとう父親から離婚を言い渡される。
妹は母親が連れていく、兄はお前が面倒をみろとおれを残し、僅かな貯金を握り締め、母親は愛莉だけを連れて男のところへ逃げた。
元々女児がほしかったと、小さい頃から何度も聞かされていた。
六つ離れた妹が生まれるまでは女の子の格好をずっとさせられていた程だ。
おれの容姿は母親似で、クォーターではあるが、祖母の血が濃く出ていたと思う。
明るい髪に、白い肌、ヘーゼルナッツのような薄い瞳。実際に女の子であればさぞ母親は喜んだであろう。
けれどおれは男の子だったから。周りのひとたちには腫れ物扱いの親子でしかなかった。しかしこどもたちにはそんなことは通用しない。
お前男なのにそんな格好してんのかよ、似合わねーぞ、なあドッチボールしようぜ、服を汚したらおかーさんに怒られる?お前んちのおかーさんやべーよな!
そんなことが母親の耳に入ったものだから、それはそれは手が付けられない程暴れた。
勿論おれを誘いに来る友人はいなくなったし、愛莉が生まれて母親が大人しくなった後も、どこでスイッチが入るかわからないと、おれは何も言えない人間に育ってしまった。
愛莉は父親似だったのだ。
顔立ち自体は綺麗な子だった。
真っ黒の髪に、真っ黒の瞳、ハーフが自慢だった母にはない要素だった。だけど女の子というだけでよかったらしい母親は満足気で、大層愛莉をかわいがった。
それで良かった。
おれはそんな母親を刺激しないよう、端っこにいるだけ。
おれが怒らせなければ、母さんは愛莉に優しくしていられる。
それがおれに出来る、少し歳の離れた妹を守る術だった。
父親は家にいる時間が減って、母親は愛莉に構いきりの生活。
それでもおれはまだ、そこに居れるだけでよかったのだ。
そんな生活は、おれが高校に上がる前まで続いた。
前述の通り、不倫を繰り返す母親に父親が切れたのだ。
それも後になって、自分も他の女性と再婚する為だとわかるのだけれど。
おれは母親に似ている。けれど母さんには、おれは父親に似てると取られていたらしい。
あいつに似たあんたなんていらないわ、と置いていかれた。父親似の妹を連れて。矛盾ではあるが、あのひとにとってはそういうものかと割り切ってはいた。もう振り回されるのは十分だった。
愛莉は大変に甘やかされて育った。けれど反面教師というやつなのだろう、その割にはまともな子に育ったと思う。
親の離婚で離れ離れになることで、心配なのはその妹のことだけだった。
まだ小学生中学年の妹は、慣れてるから大丈夫だよ、と乾いたような、大人びた笑い方をするようになってしまった。
あたしは大丈夫、それよりおにーちゃんが心配、と言える子だった。
これあげる、ママに内緒ね、と渡されたのは、古い携帯ゲーム機と少しのカセット。
愛莉にはたくさんのゲームや玩具が買い与えられていたから、古いゲーム機がひとつくらいなくなってても気付かないだろうと。
事実それは良い暇潰しになった。
テレビに繋ぐ必要もないし、充電式だから電池もいらない、それだけあったらひとりで長い夜を耐えることが出来た。
しっかりしてるとはいえ、まだ幼い妹にはそれだけのつもりしかなかったと思う。それでもお兄ちゃんにはそのゲーム機が心の拠り所になってしまうくらい、嬉しかったんだ。
母親の置いていったおれを見て、父親の新しい彼女……後の義母は苦虫を噛み潰したようなかおをした。
再婚を考えていた男が、高校に上がる歳の息子を引き連れてきたのだ、そりゃあ嫌なかおもするってものだ。おまけに憎たらしい母親似ときた。
大丈夫です、卒業まで家に置いてさえくれれば、すぐに出ていきます、だからおれのことは必要最低限、気にしないで下さい。
驚いたのは腹違いの弟がいたことだ。
不倫だなんだと母親と離婚したくせに、自分もちゃっかり他の女と別の家庭を作っていたのだ。
妹よりみっつ歳下の弟はかわいいとは思えなかった。
ずっとおれのことを悪く言われて育ってきたのだろう、懐かないのは仕方ないとはいえ、そんな彼をこちらが愛する必要もないと思った。
おれのきょうだいは愛莉だけだ。
ばしん、と響いた音に比べればこどもが叩いたかのような痛みだった。
ほんの少し、頬が紅くなる程度の。
それだけの痛みで、おれは思い出してしまった。
卒業パーティ、その大勢の観客の中、おれは冷たい視線の中でひとり、棄てられてしまうのだ。
「只今を持って、イヴ・エル・ミシャールとの婚約を破棄するものとする!」
……これは、ゲームの中の世界だ。
但し、もうここまできてしまえば、そこからの逆転劇など、おれは知らない。
◇◇◇
「おにーちゃん、元気でね、これ、あげる、ママに内緒ね」
そのピンクの機体にはハートと花と女の子のシールが貼られていた。
妹の愛莉はおれと両親に挟まれていたにも関わらず、唯一まともな子だった。
そんな彼女から渡されたゲーム機は、おれの心を幾らか穏やかにさせてくれた。
両親の離婚。
父親曰く、見た目だけが取り柄の、学もなければ倫理観もない女だった母親と、そんな女に騙されたと思っている、母親曰く頭の堅い面白くない父親だった。
母親はハーフで綺麗な顔立ちをしていたが、何度も浮気、不倫を繰り返し、とうとう父親から離婚を言い渡される。
妹は母親が連れていく、兄はお前が面倒をみろとおれを残し、僅かな貯金を握り締め、母親は愛莉だけを連れて男のところへ逃げた。
元々女児がほしかったと、小さい頃から何度も聞かされていた。
六つ離れた妹が生まれるまでは女の子の格好をずっとさせられていた程だ。
おれの容姿は母親似で、クォーターではあるが、祖母の血が濃く出ていたと思う。
明るい髪に、白い肌、ヘーゼルナッツのような薄い瞳。実際に女の子であればさぞ母親は喜んだであろう。
けれどおれは男の子だったから。周りのひとたちには腫れ物扱いの親子でしかなかった。しかしこどもたちにはそんなことは通用しない。
お前男なのにそんな格好してんのかよ、似合わねーぞ、なあドッチボールしようぜ、服を汚したらおかーさんに怒られる?お前んちのおかーさんやべーよな!
そんなことが母親の耳に入ったものだから、それはそれは手が付けられない程暴れた。
勿論おれを誘いに来る友人はいなくなったし、愛莉が生まれて母親が大人しくなった後も、どこでスイッチが入るかわからないと、おれは何も言えない人間に育ってしまった。
愛莉は父親似だったのだ。
顔立ち自体は綺麗な子だった。
真っ黒の髪に、真っ黒の瞳、ハーフが自慢だった母にはない要素だった。だけど女の子というだけでよかったらしい母親は満足気で、大層愛莉をかわいがった。
それで良かった。
おれはそんな母親を刺激しないよう、端っこにいるだけ。
おれが怒らせなければ、母さんは愛莉に優しくしていられる。
それがおれに出来る、少し歳の離れた妹を守る術だった。
父親は家にいる時間が減って、母親は愛莉に構いきりの生活。
それでもおれはまだ、そこに居れるだけでよかったのだ。
そんな生活は、おれが高校に上がる前まで続いた。
前述の通り、不倫を繰り返す母親に父親が切れたのだ。
それも後になって、自分も他の女性と再婚する為だとわかるのだけれど。
おれは母親に似ている。けれど母さんには、おれは父親に似てると取られていたらしい。
あいつに似たあんたなんていらないわ、と置いていかれた。父親似の妹を連れて。矛盾ではあるが、あのひとにとってはそういうものかと割り切ってはいた。もう振り回されるのは十分だった。
愛莉は大変に甘やかされて育った。けれど反面教師というやつなのだろう、その割にはまともな子に育ったと思う。
親の離婚で離れ離れになることで、心配なのはその妹のことだけだった。
まだ小学生中学年の妹は、慣れてるから大丈夫だよ、と乾いたような、大人びた笑い方をするようになってしまった。
あたしは大丈夫、それよりおにーちゃんが心配、と言える子だった。
これあげる、ママに内緒ね、と渡されたのは、古い携帯ゲーム機と少しのカセット。
愛莉にはたくさんのゲームや玩具が買い与えられていたから、古いゲーム機がひとつくらいなくなってても気付かないだろうと。
事実それは良い暇潰しになった。
テレビに繋ぐ必要もないし、充電式だから電池もいらない、それだけあったらひとりで長い夜を耐えることが出来た。
しっかりしてるとはいえ、まだ幼い妹にはそれだけのつもりしかなかったと思う。それでもお兄ちゃんにはそのゲーム機が心の拠り所になってしまうくらい、嬉しかったんだ。
母親の置いていったおれを見て、父親の新しい彼女……後の義母は苦虫を噛み潰したようなかおをした。
再婚を考えていた男が、高校に上がる歳の息子を引き連れてきたのだ、そりゃあ嫌なかおもするってものだ。おまけに憎たらしい母親似ときた。
大丈夫です、卒業まで家に置いてさえくれれば、すぐに出ていきます、だからおれのことは必要最低限、気にしないで下さい。
驚いたのは腹違いの弟がいたことだ。
不倫だなんだと母親と離婚したくせに、自分もちゃっかり他の女と別の家庭を作っていたのだ。
妹よりみっつ歳下の弟はかわいいとは思えなかった。
ずっとおれのことを悪く言われて育ってきたのだろう、懐かないのは仕方ないとはいえ、そんな彼をこちらが愛する必要もないと思った。
おれのきょうだいは愛莉だけだ。
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