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第三章 清廉なるティタニエラ
第四話 裁きを代行する獣③
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ジャンジットテリオスの圧倒的な気配がふわりと消える。
ミスティルはしばらく茫然としていたが、やがてハッと我に返ったようだ。
「あれっ……私……あれ?」
「大丈夫か?」
リシアがミスティルに歩み寄り、その手を掴んだ。
「あの……なんだか、記憶が飛んでいるような……」
「ちょっとしたアクシデントだ、気にすることはない。それより、来たぞ」
床の模様に魔力が走り、四人の体がゆっくりと浮き上がり始める。
ジャンジットテリオスの招待だ。剣を握りしめ、総司は遥か天を見上げる。
「ベル」
「なに?」
「気にする必要のないことを気にしてぼさっとするなよ。庇える余裕は多分ないからな」
「……はいはい。見せてあげるとしますかね、カイオディウム聖騎士団、近衛騎士の力を」
四人の体は塔の頂へとたどり着く。角のような四つの先端、その先に宿る光へとゆっくりと吸い込まれていき、そして、光が弾ける。
眩い光の中を抜け、塔よりも更に上空へ――――四人は、一気にばらばらに、勢いよく放り出された。無数の島の残骸がデブリのように浮かぶ、あの天空の最中に。
「うおっ――――」
突然の浮遊感、そして落ちる感覚。空中で態勢を立て直し、そして一瞬だけ言葉を失う。
天空の覇者が創り上げた幻想的な領域。下から見上げていた時には見えなかったが、無数に浮かぶ岩の群れの中に、ひときわ巨大な塊があった。
それは白亜の金属で構成された、不自然に途切れる曲線で創り上げられた神秘的な建造物。城とも神殿とも言えない、謎めいた巨大な建造物の中心に見えるのは、例えるのならば「祭壇」だろうか。不自然に途切れる曲線を描いた金属の、通路のような構造物が複雑に交差し、卵型の塊を創り上げている。その奥には日の光を遮るように、時計のようなリングが浮いており、ゆっくりと回転していた。
そして、総司は確かに見た。
祭壇を抱く卵型の塊の頂点。リングの端と建造物が重なる、後光が差す位置に。
くすんだ銀の翼を広げる強大な存在が、まさに臨戦態勢といった様子で巨大な口を開けているのを、確かに見た。
幻想的な天空の領域で、浮遊感に体を預けたままではいられなかった。無数に浮かぶ岩に着地し、すぐさま別の岩へと飛び移る。
直後に、とんでもない魔力を内包した、紫と濃紺と黒が入り混じるレーザーのような砲撃が、総司が先ほど足蹴にした岩を巻き込んで彼方へ通り過ぎて行った。
「あれが――――」
くすんだ銀の鱗を持つ巨大な生物が、翼を広げてふわりと飛び上がった。両腕と両足には獰猛な爪が光り、その胴体と手足の長さに不釣り合いなほど翼が巨大で、尾が長い。天に浮かび上がるその姿は、見る者を魅了すると共に絶望を与える。
総司の元いた世界においては、時代によって、或いは地域によって、善なる者にも悪なる者にもなった伝説の生物。
ある時は悪魔の具現として。或いはそのメタファーとして。
ある時は英雄の象徴として。或いはその心強き支えとして。
おとぎ話の世界に幾度となく登場し、親が子供をしつける時に脅し文句として使われることもあれば、おとぎ話を愛する子供たちの憧れとなることもあった。
ウェルステリオスが、中国の「龍」のようと形容するのならば、ジャンジットテリオスは欧州、例えばウェールズの赤き竜のような生物を示す時によく用いられる「竜」に近い。
幻想と伝説を可視化する「ファンタジー」そのものを具現化した存在、“ドラゴン”。その中でも頂点に君臨する、リスティリアの空を制圧する者。
“裁きを代行する獣”、天空の覇者ジャンジットテリオス。ここはもう、かの神獣の領域である。
「はっ!!」
ミスティルが最も早かった。四人の中でも特にジャンジットテリオスを恐れていたはずの彼女は、その実直な性格故か、やると決めたらやる女である。
ジャンジットテリオスの顔に、首に、胴体に、手足に、白い魔法の陣が浮かび上がり、一瞬、ジャンジットテリオスを拘束したかに見えた。
しかし意味を為さない。ジャンジットテリオスは濃紺と紫が入り混じる雷撃のような魔力を全身から発散し、ミスティルの魔法を容易く粉砕する。
「ダメ……力が、違い過ぎる……!」
わずかな抵抗の余地すらなかった。ジャンジットテリオスは、その体に重力など掛かっていないかのように自在に空を舞い、巨体に似合わないすさまじい速度で総司へと接近する。総司は剣を構えて、岩に足を踏ん張り、その突進を迎え撃った。
「来い!!」
勢いをつけて振りかざしたジャンジットテリオスの爪を、リバース・オーダーで受け止める。金属がぶつかり合うガキン、という鈍い音の後、総司の体が軽々と吹き飛ばされた。
「ぐっ……!」
弾かれて、飛ばされただけ。総司の人外の耐久力もあり、致命傷には至らないが――――
体を突き抜ける衝撃、圧倒的な膂力。真っ向勝負で敵いようがないという事実が、総司の脳裏を衝撃と共に駆け巡る。
再び、ジャンジットテリオスが魔力のレーザーを放とうと口を開けた。獰猛なる竜の口に濃紺の魔力が蓄えられ、放たれる一瞬前。
ベルの声が轟いた。
「“ギアテッド・サレルファリア”!!」
駆け抜ける疾風。ジャンジットテリオスの砲撃よりも速く、天を駆け抜ける一陣の風。
遥か天空を鳥のように疾走するベルが、総司の体を空中で捕まえて、そのままギュン、と空を横切る。ジャンジットテリオスの一撃は大きく外れ、遥か彼方の空を切り裂いた。
バイクがブレーキを踏んで急停止するかの如く、ギャッと鈍い音を立てて岩の上で停止するベルの足には、鈍い金色の金属でできたソルレットが装着されていた。魔力を帯び、淡い金色の光を帯びた風が、ベルの操作の元ゆるやかに二人の周囲を旋回する。
「悪い、助かった……!」
「いやそれよりさぁ」
風の流れが変わる。
ゴウッ、と激しく吹き荒れる突風。ジャンジットテリオスの魔力が上昇し、ゆっくりと浮かび上がりながら、総司とベルを睨みつける。
「ぜんっぜん、勝てる未来が見えないんだけど……?」
総司が鋭く剣を振るった。蒼銀の魔力が三日月の形を成し、飛ぶ斬撃となってジャンジットテリオスへと一直線に突撃する。
しかし、かの神獣は避けもしなかった。耳をつんざく覇者の咆哮、そして拡散する圧倒的な魔力。それだけで、総司の攻撃をいとも簡単にかき消してしまった。
続いて、どこからか白亜の金属が浮かび上がってきて、ジャンジットテリオスの号令で総司へと突撃してきた。ベルが再び跳躍し、華麗な足技でその金属の投擲を粉砕する。
刃のように鋭い蹴り。ベルが操る魔法“サレルファリア”は、風を味方につける魔法の一つであり、ベルはそれと足技に特化した戦闘スタイルを持つ。金色のソルレットは魔法で呼び出した魔法道具の一つであり、ベルの足技の威力を飛躍的に高めると共に、酷使される足を保護する役割も持つ。空中を自在に飛び回り、目にもとまらぬ速さで敵を仕留める近接戦闘特化型。それがベル・スティンゴルドのスタイルであり、強さである。
だが、それ故にジャンジットテリオスとは相性最悪で、ベルでは決定打を打ち込めない。総司ですらも容易く弾かれる圧倒的な膂力を前にしては、近接戦闘は命を捨てることと同義と考えていい。
「“ランズ・ゼファルス”!」
リシアが使った魔法が、ジャンジットテリオスの周囲に出現し、その翼を貫こうと光の槍をぶつける。
しかし、当然のように通じない。リシアの魔法の威力では、ジャンジットテリオスが身じろぎ一つせずともその体を貫くに至らないのである。容易く折れた槍を見て、リシアは目を見張った。
続いてミスティルも、立て続けに仕掛ける。出来る限りジャンジットテリオスから距離を取った岩の上で両手を翳し、白く輝く無数の矢を射出、ジャンジットテリオスをかく乱すると共に動きを封じる作戦に出るが――――
やはり、咆哮と魔力の拡散だけで、攻撃全てがかき消されてしまう。
「なら――――」
ミスティルが腕を上下に動かした。その腕の間に白い光が宿ると、それは「弓」の形を取る。
ミスティルの身長ほどもある、巨大な弓。ミスティルはそこに魔力の矢を――――巨大な矢をつがえて、ジャンジットテリオスに狙いを定めた。
総司の目がその姿を捉えた。やるべきことを悟り、ジャンジットテリオスに向けて飛びながら、蒼銀の斬撃を乱射する。
総司の攻撃は、ジャンジットテリオスもその直撃を避けたいようだ。総司を迎撃するためにジャンジットテリオスが咆哮し、注意を逸らしたその一瞬。
ミスティルが、誰にもその言語を理解することが出来ない、不思議な言葉を紡ぐ。歌のように響くその詠唱は、太古の昔からエルフに受け継がれる、ヒトが決して到達し得ない奇跡を齎すもの。
“古代魔法”と、ヒトが便宜的に呼ぶその魔法は、ヒトが知るあらゆる魔法とは次元を異にする、魔法という概念の原点にして、一つの到達点。
命の危機に瀕するであろう危険な旅路にミスティルが同行することを、大老クローディアが許した理由はただ一つである。
彼女が、エルフの中でも指折りの魔法の使い手であり、「強い」からに他ならない。
その魔法の威力は、放たれる前から十分に感じられた。最も近くにいたリシアが、味方であるはずのミスティルの魔法発動を前にして、身じろぎ一つできなくなってしまう。
魔力の質そのものが違う。鮮やかに広がる穢れなき魔力の気配は、リシアが今まで感じたことのない澄み渡るような心地よさと共に、底冷えするような圧倒的なものを感じさせた。
「――――発動、“星の雫”」
放たれた矢は、弓につがえていたものよりも更に巨大な流星となり。
天を切り裂き、覇者へと挑む。古代魔法“星の雫”。ミスティルが持つ魔法の中でも最強の一撃であり、それは単なる「攻撃」のみに留まらない。
古代魔法とは伝承魔法の一つ上に位置するもの。それは例えば雷や水、風といった属性を操るものではなく、概念そのものへの干渉を一時的に可能とする奇跡の具現。世界の法則からほんのわずかな間だけ外れることを許された、女神に近づく所業である。
“星の雫”が齎すは次元の断絶。空間を切り裂き破壊する、ミスティルには似合わないとも言える力。星とはリスティリア世界そのものを意味し、ミスティルが狙いを定めた「敵」を、この世界から排斥する一撃。エルフの中でも特筆すべき莫大な魔力を持つミスティルであればこそ実現可能な魔法である。が――――
それが容易く通じる相手であれば、そもそもジャンジットテリオスは「恐るるに足らぬ」存在でしかない。総司の妨害があったものの、ジャンジットテリオスは既に、流星の如く迫る一条の光を待ち構えていた。
放たれるブレス、破壊の力。ミスティルの操る古代魔法が、通常の魔法よりも女神の所業に近づけるというのであれば、神獣とは女神の意思の代行者であり、更に上の領域に住まう者。濃紺と紫と黒が入り混じる莫大な魔力の奔流は、ミスティル渾身の一撃とぶつかり合い、空中で炸裂し、そして打ち破る。
突き抜けたブレスが、ミスティルに向けて突進していた。
「あっ――――」
「“ルディラント・リスティリオス”!!」
既に陽動を終えた総司が、ミスティルとブレスの間に割って入り、無敵の護りを発動する。女神と精霊、それに連なるあらゆる生命が行使する奇跡の結果を拒み、打ち消す左目。誇り高き国が救世主に与えた反逆の輝き。神獣ジャンジットテリオスの魔力に満ち溢れたブレスも例外ではなく、白の強い虹色の光が、ジャンジットテリオスの一撃をかき消していく。
その輝きがふわりと収まった時。
ジャンジットテリオスが空中を回転しながら振り回した尾が、総司の眼前に迫っていた。
「ソウシ――――!」
リシアが叫ぶが、意味を為さず。
ミスティルの驚異的な魔法と、それに対する神獣の反撃を遠目に見て、呆気に取られて動けなくなっていたベルも、最早間に合わず。
ジャンジットテリオスの巨大な尻尾をぶつけられた総司は、形ばかりの防御の姿勢を取るが意味もなく、総司の体はすさまじい速度で吹き飛ばされ、神獣が現れたあの卵型の建造物、その祭壇まで叩き落された。
ジャンジットテリオスが、建造物の祭壇、その前にズン、と着地する。
しかし、その歩みは止まることとなる。
リシアが両手を広げ、剣を置き、神獣の前に身を投げ出したからだ。
総司が激突した衝撃で一部が崩壊した祭壇の中で、総司は見事にボロボロになって、ぐったりと倒れ伏していた。女神が与えた加護、その驚異的な耐久力は並大抵の攻撃では突破できない。しかし相手はまさに、彼にその加護を与えた「女神」の力の具現ともいえる存在だ。彼の無敵性は、神獣の前ではほとんど意味を為しておらず、ジャンジットテリオスの強烈な一撃はその護りを容易く突破した。
総司が動けないとなれば、もはや勝ちの目はなくなった。リシアが示す降参の意思を見て取り、ジャンジットテリオスは――――
ふわりと浮かび上がると、翼をはためかせて建造物の裏側へと消え去っていった。
ミスティルはしばらく茫然としていたが、やがてハッと我に返ったようだ。
「あれっ……私……あれ?」
「大丈夫か?」
リシアがミスティルに歩み寄り、その手を掴んだ。
「あの……なんだか、記憶が飛んでいるような……」
「ちょっとしたアクシデントだ、気にすることはない。それより、来たぞ」
床の模様に魔力が走り、四人の体がゆっくりと浮き上がり始める。
ジャンジットテリオスの招待だ。剣を握りしめ、総司は遥か天を見上げる。
「ベル」
「なに?」
「気にする必要のないことを気にしてぼさっとするなよ。庇える余裕は多分ないからな」
「……はいはい。見せてあげるとしますかね、カイオディウム聖騎士団、近衛騎士の力を」
四人の体は塔の頂へとたどり着く。角のような四つの先端、その先に宿る光へとゆっくりと吸い込まれていき、そして、光が弾ける。
眩い光の中を抜け、塔よりも更に上空へ――――四人は、一気にばらばらに、勢いよく放り出された。無数の島の残骸がデブリのように浮かぶ、あの天空の最中に。
「うおっ――――」
突然の浮遊感、そして落ちる感覚。空中で態勢を立て直し、そして一瞬だけ言葉を失う。
天空の覇者が創り上げた幻想的な領域。下から見上げていた時には見えなかったが、無数に浮かぶ岩の群れの中に、ひときわ巨大な塊があった。
それは白亜の金属で構成された、不自然に途切れる曲線で創り上げられた神秘的な建造物。城とも神殿とも言えない、謎めいた巨大な建造物の中心に見えるのは、例えるのならば「祭壇」だろうか。不自然に途切れる曲線を描いた金属の、通路のような構造物が複雑に交差し、卵型の塊を創り上げている。その奥には日の光を遮るように、時計のようなリングが浮いており、ゆっくりと回転していた。
そして、総司は確かに見た。
祭壇を抱く卵型の塊の頂点。リングの端と建造物が重なる、後光が差す位置に。
くすんだ銀の翼を広げる強大な存在が、まさに臨戦態勢といった様子で巨大な口を開けているのを、確かに見た。
幻想的な天空の領域で、浮遊感に体を預けたままではいられなかった。無数に浮かぶ岩に着地し、すぐさま別の岩へと飛び移る。
直後に、とんでもない魔力を内包した、紫と濃紺と黒が入り混じるレーザーのような砲撃が、総司が先ほど足蹴にした岩を巻き込んで彼方へ通り過ぎて行った。
「あれが――――」
くすんだ銀の鱗を持つ巨大な生物が、翼を広げてふわりと飛び上がった。両腕と両足には獰猛な爪が光り、その胴体と手足の長さに不釣り合いなほど翼が巨大で、尾が長い。天に浮かび上がるその姿は、見る者を魅了すると共に絶望を与える。
総司の元いた世界においては、時代によって、或いは地域によって、善なる者にも悪なる者にもなった伝説の生物。
ある時は悪魔の具現として。或いはそのメタファーとして。
ある時は英雄の象徴として。或いはその心強き支えとして。
おとぎ話の世界に幾度となく登場し、親が子供をしつける時に脅し文句として使われることもあれば、おとぎ話を愛する子供たちの憧れとなることもあった。
ウェルステリオスが、中国の「龍」のようと形容するのならば、ジャンジットテリオスは欧州、例えばウェールズの赤き竜のような生物を示す時によく用いられる「竜」に近い。
幻想と伝説を可視化する「ファンタジー」そのものを具現化した存在、“ドラゴン”。その中でも頂点に君臨する、リスティリアの空を制圧する者。
“裁きを代行する獣”、天空の覇者ジャンジットテリオス。ここはもう、かの神獣の領域である。
「はっ!!」
ミスティルが最も早かった。四人の中でも特にジャンジットテリオスを恐れていたはずの彼女は、その実直な性格故か、やると決めたらやる女である。
ジャンジットテリオスの顔に、首に、胴体に、手足に、白い魔法の陣が浮かび上がり、一瞬、ジャンジットテリオスを拘束したかに見えた。
しかし意味を為さない。ジャンジットテリオスは濃紺と紫が入り混じる雷撃のような魔力を全身から発散し、ミスティルの魔法を容易く粉砕する。
「ダメ……力が、違い過ぎる……!」
わずかな抵抗の余地すらなかった。ジャンジットテリオスは、その体に重力など掛かっていないかのように自在に空を舞い、巨体に似合わないすさまじい速度で総司へと接近する。総司は剣を構えて、岩に足を踏ん張り、その突進を迎え撃った。
「来い!!」
勢いをつけて振りかざしたジャンジットテリオスの爪を、リバース・オーダーで受け止める。金属がぶつかり合うガキン、という鈍い音の後、総司の体が軽々と吹き飛ばされた。
「ぐっ……!」
弾かれて、飛ばされただけ。総司の人外の耐久力もあり、致命傷には至らないが――――
体を突き抜ける衝撃、圧倒的な膂力。真っ向勝負で敵いようがないという事実が、総司の脳裏を衝撃と共に駆け巡る。
再び、ジャンジットテリオスが魔力のレーザーを放とうと口を開けた。獰猛なる竜の口に濃紺の魔力が蓄えられ、放たれる一瞬前。
ベルの声が轟いた。
「“ギアテッド・サレルファリア”!!」
駆け抜ける疾風。ジャンジットテリオスの砲撃よりも速く、天を駆け抜ける一陣の風。
遥か天空を鳥のように疾走するベルが、総司の体を空中で捕まえて、そのままギュン、と空を横切る。ジャンジットテリオスの一撃は大きく外れ、遥か彼方の空を切り裂いた。
バイクがブレーキを踏んで急停止するかの如く、ギャッと鈍い音を立てて岩の上で停止するベルの足には、鈍い金色の金属でできたソルレットが装着されていた。魔力を帯び、淡い金色の光を帯びた風が、ベルの操作の元ゆるやかに二人の周囲を旋回する。
「悪い、助かった……!」
「いやそれよりさぁ」
風の流れが変わる。
ゴウッ、と激しく吹き荒れる突風。ジャンジットテリオスの魔力が上昇し、ゆっくりと浮かび上がりながら、総司とベルを睨みつける。
「ぜんっぜん、勝てる未来が見えないんだけど……?」
総司が鋭く剣を振るった。蒼銀の魔力が三日月の形を成し、飛ぶ斬撃となってジャンジットテリオスへと一直線に突撃する。
しかし、かの神獣は避けもしなかった。耳をつんざく覇者の咆哮、そして拡散する圧倒的な魔力。それだけで、総司の攻撃をいとも簡単にかき消してしまった。
続いて、どこからか白亜の金属が浮かび上がってきて、ジャンジットテリオスの号令で総司へと突撃してきた。ベルが再び跳躍し、華麗な足技でその金属の投擲を粉砕する。
刃のように鋭い蹴り。ベルが操る魔法“サレルファリア”は、風を味方につける魔法の一つであり、ベルはそれと足技に特化した戦闘スタイルを持つ。金色のソルレットは魔法で呼び出した魔法道具の一つであり、ベルの足技の威力を飛躍的に高めると共に、酷使される足を保護する役割も持つ。空中を自在に飛び回り、目にもとまらぬ速さで敵を仕留める近接戦闘特化型。それがベル・スティンゴルドのスタイルであり、強さである。
だが、それ故にジャンジットテリオスとは相性最悪で、ベルでは決定打を打ち込めない。総司ですらも容易く弾かれる圧倒的な膂力を前にしては、近接戦闘は命を捨てることと同義と考えていい。
「“ランズ・ゼファルス”!」
リシアが使った魔法が、ジャンジットテリオスの周囲に出現し、その翼を貫こうと光の槍をぶつける。
しかし、当然のように通じない。リシアの魔法の威力では、ジャンジットテリオスが身じろぎ一つせずともその体を貫くに至らないのである。容易く折れた槍を見て、リシアは目を見張った。
続いてミスティルも、立て続けに仕掛ける。出来る限りジャンジットテリオスから距離を取った岩の上で両手を翳し、白く輝く無数の矢を射出、ジャンジットテリオスをかく乱すると共に動きを封じる作戦に出るが――――
やはり、咆哮と魔力の拡散だけで、攻撃全てがかき消されてしまう。
「なら――――」
ミスティルが腕を上下に動かした。その腕の間に白い光が宿ると、それは「弓」の形を取る。
ミスティルの身長ほどもある、巨大な弓。ミスティルはそこに魔力の矢を――――巨大な矢をつがえて、ジャンジットテリオスに狙いを定めた。
総司の目がその姿を捉えた。やるべきことを悟り、ジャンジットテリオスに向けて飛びながら、蒼銀の斬撃を乱射する。
総司の攻撃は、ジャンジットテリオスもその直撃を避けたいようだ。総司を迎撃するためにジャンジットテリオスが咆哮し、注意を逸らしたその一瞬。
ミスティルが、誰にもその言語を理解することが出来ない、不思議な言葉を紡ぐ。歌のように響くその詠唱は、太古の昔からエルフに受け継がれる、ヒトが決して到達し得ない奇跡を齎すもの。
“古代魔法”と、ヒトが便宜的に呼ぶその魔法は、ヒトが知るあらゆる魔法とは次元を異にする、魔法という概念の原点にして、一つの到達点。
命の危機に瀕するであろう危険な旅路にミスティルが同行することを、大老クローディアが許した理由はただ一つである。
彼女が、エルフの中でも指折りの魔法の使い手であり、「強い」からに他ならない。
その魔法の威力は、放たれる前から十分に感じられた。最も近くにいたリシアが、味方であるはずのミスティルの魔法発動を前にして、身じろぎ一つできなくなってしまう。
魔力の質そのものが違う。鮮やかに広がる穢れなき魔力の気配は、リシアが今まで感じたことのない澄み渡るような心地よさと共に、底冷えするような圧倒的なものを感じさせた。
「――――発動、“星の雫”」
放たれた矢は、弓につがえていたものよりも更に巨大な流星となり。
天を切り裂き、覇者へと挑む。古代魔法“星の雫”。ミスティルが持つ魔法の中でも最強の一撃であり、それは単なる「攻撃」のみに留まらない。
古代魔法とは伝承魔法の一つ上に位置するもの。それは例えば雷や水、風といった属性を操るものではなく、概念そのものへの干渉を一時的に可能とする奇跡の具現。世界の法則からほんのわずかな間だけ外れることを許された、女神に近づく所業である。
“星の雫”が齎すは次元の断絶。空間を切り裂き破壊する、ミスティルには似合わないとも言える力。星とはリスティリア世界そのものを意味し、ミスティルが狙いを定めた「敵」を、この世界から排斥する一撃。エルフの中でも特筆すべき莫大な魔力を持つミスティルであればこそ実現可能な魔法である。が――――
それが容易く通じる相手であれば、そもそもジャンジットテリオスは「恐るるに足らぬ」存在でしかない。総司の妨害があったものの、ジャンジットテリオスは既に、流星の如く迫る一条の光を待ち構えていた。
放たれるブレス、破壊の力。ミスティルの操る古代魔法が、通常の魔法よりも女神の所業に近づけるというのであれば、神獣とは女神の意思の代行者であり、更に上の領域に住まう者。濃紺と紫と黒が入り混じる莫大な魔力の奔流は、ミスティル渾身の一撃とぶつかり合い、空中で炸裂し、そして打ち破る。
突き抜けたブレスが、ミスティルに向けて突進していた。
「あっ――――」
「“ルディラント・リスティリオス”!!」
既に陽動を終えた総司が、ミスティルとブレスの間に割って入り、無敵の護りを発動する。女神と精霊、それに連なるあらゆる生命が行使する奇跡の結果を拒み、打ち消す左目。誇り高き国が救世主に与えた反逆の輝き。神獣ジャンジットテリオスの魔力に満ち溢れたブレスも例外ではなく、白の強い虹色の光が、ジャンジットテリオスの一撃をかき消していく。
その輝きがふわりと収まった時。
ジャンジットテリオスが空中を回転しながら振り回した尾が、総司の眼前に迫っていた。
「ソウシ――――!」
リシアが叫ぶが、意味を為さず。
ミスティルの驚異的な魔法と、それに対する神獣の反撃を遠目に見て、呆気に取られて動けなくなっていたベルも、最早間に合わず。
ジャンジットテリオスの巨大な尻尾をぶつけられた総司は、形ばかりの防御の姿勢を取るが意味もなく、総司の体はすさまじい速度で吹き飛ばされ、神獣が現れたあの卵型の建造物、その祭壇まで叩き落された。
ジャンジットテリオスが、建造物の祭壇、その前にズン、と着地する。
しかし、その歩みは止まることとなる。
リシアが両手を広げ、剣を置き、神獣の前に身を投げ出したからだ。
総司が激突した衝撃で一部が崩壊した祭壇の中で、総司は見事にボロボロになって、ぐったりと倒れ伏していた。女神が与えた加護、その驚異的な耐久力は並大抵の攻撃では突破できない。しかし相手はまさに、彼にその加護を与えた「女神」の力の具現ともいえる存在だ。彼の無敵性は、神獣の前ではほとんど意味を為しておらず、ジャンジットテリオスの強烈な一撃はその護りを容易く突破した。
総司が動けないとなれば、もはや勝ちの目はなくなった。リシアが示す降参の意思を見て取り、ジャンジットテリオスは――――
ふわりと浮かび上がると、翼をはためかせて建造物の裏側へと消え去っていった。
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それが、目を覚ましたら見知らぬ森の中、しかも手元にはなぜかしっかりとした地図と、ちょっとした冒険に必要な道具が揃っていたのだ。

30年待たされた異世界転移
明之 想
ファンタジー
気づけば異世界にいた10歳のぼく。
「こちらの手違いかぁ。申し訳ないけど、さっさと帰ってもらわないといけないね」
こうして、ぼくの最初の異世界転移はあっけなく終わってしまった。
右も左も分からず、何かを成し遂げるわけでもなく……。
でも、2度目があると確信していたぼくは、日本でひたすら努力を続けた。
あの日見た夢の続きを信じて。
ただ、ただ、異世界での冒険を夢見て!!
くじけそうになっても努力を続け。
そうして、30年が経過。
ついに2度目の異世界冒険の機会がやってきた。
しかも、20歳も若返った姿で。
異世界と日本の2つの世界で、
20年前に戻った俺の新たな冒険が始まる。
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