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恵み月の嵐

第114話

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 金色のお耳がぱたぱたと動いた。ぎゅう、っと抱きしめられて遠慮なく背中へ手を回す。
「ぼくが前世の年齢とか考えず素直に甘えられるのは、ルカ様だけですよ」
「知っているよ」
 ぽんぽん、と頭を撫でられて目を閉じる。胸へ顔を埋めた。ルクレーシャスさんからは、仄かに乾いたシダ―ウッドとお菓子の甘い香りがした。
「スヴァンくん」
「はい」
「君はわたくしを心配させた罰として、わたくしにキャラメルを奉納しなさい」
「……台無しです、ルカ様……」
「はははっ」
 ぼくがぼやくと、ルクレーシャスさんは耳をぱたぱたさせて笑った。しばらくぼくを抱えたまま、あやすように揺らしてフレートを呼ぶ。
「スヴァンくんをお部屋に戻して、わたくしにキャラメルを取って来ておくれ」
「……かしこまりました」
 開きっぱなしにした扉の枠に凭れかかり、手を振るルクレーシャスさんをフレートの肩越しに眺める。普段はぼくのすることに口を挟まないのに、ちゃんと頼りになる師匠だ。
 フレートに抱っこされて自室へ戻る。ぼくの部屋の前に、イェレミーアスが待っていた。
「ヴァン」
 ぼくを認めると、手を広げる。フレートの腕から、イェレミーアスの腕へ移動した。
「では、私は晩餐の準備をしてまいります」
「うん。お願いね」
 普段通りに夕食を済ませ、イェレミーアスとラルクと共に湯あみをして、イェレミーアスと一緒にベッドへ横たわる。最近はそこに、ルチ様も加わって三人で眠ることがほとんどだ。ルチ様は明け方になると、大抵いつの間にか姿を消している。精霊のお仕事があるんだろうか。この世界でも、明けの明星は金星のことである。そう、明けの明星。ルチファー。神に逆らった天使の名だ。
「今日は皇宮へ行く用事はないから、私の朝稽古を見学するのだよね? ヴァン」
「はい。いつも通り、木陰で読書をしながら見学します」
「じゃあ今日は、朝稽古の後に訓練場を一周走ろうね、ヴァン。だから今日は、まず軽装で出かけよう」
「……ひぇ……、はい……」
 ひぃふぅ言いながらなんとか訓練場を一周走り、イェレミーアスに抱えられて屋敷へ戻る。風呂に入りたかったけど水は貴重なので、体を拭くだけに留めて午前の授業を受け、午後はヨゼフィーネ伯爵夫人からマナーとダンスを習う。マナーとダンスの授業が終わったら、今日は事業について考える。
 本格的に貴族向けの競馬を事業化することにした。この世界は騎士が居るから、騎士たちの訓練として馬場競技がある。そして馬場競技の優勝者が誰になるかを当てる、賭博もある。しかしそもそも騎士の鍛錬が目的なため、馬の障害物レースみたいなものなのだ。単純に馬が出走するだけの、いわゆる競争《レース》というものはない。
 しかも競馬はありとあらゆる収益化への手段を含んでいる。馬主を貴族に限れば、名誉と権力を示すこともできる。騎手は下級貴族と平民から募り、賞金を与える。名馬を育てる下級貴族や平民も潤う。二、三年で実現したい。そのための計画を練って、具体的に指示を出すためにメモをして行く。
 初めはぼくが馬主、騎手の雇用、全てを兼務するしかない。儲かると十分周囲に知らしめてから、年会費を払えば他の貴族も馬主として参加できるようにすればいいし、どの馬にどの騎手が乗るかは公平にくじ引きとかにすればいい。騎手は主催、つまりぼくらが自由に雇用できるようにするつもりだ。これはいずれは平民も騎手になれるようにするためである。そう、孤児院で育てた子たちを適材適所で雇用するのだ。孤児院の孤児たちの中から適性のある者を育てれば、ぼくの名声も広がる。いいことづくめた。ぼくはなんて悪い子なんだろう。うひひ。
 机に向かっているぼくの手元を覗き、イェレミーアスは苦笑いをした。椅子の背もたれに置かれた手の熱を感じて、ぼくは振り返った。
「なるほど、賭け金から賞金と配当を引いたものを、馬の持ち主と騎手に還元するのか。儲かると分かれば貴族がこぞって自分の馬を競技へ出せと言うだろう。君は本当に非凡だな、ヴァン」
「……金に汚いのですよ、イェレ兄さま」
 後ろ盾がないぼくは、とにかく誰にも利益を奪われない、自分だけの資金を稼がねばならない。イェレミーアスたちを養うにも孤児院を経営するにも、金が要る。
「……よい馬を育てる牧場を、いくつか知っている。君の力になれるかい? ヴァン」
「! ありがたいです、イェレ兄さま。とってもとっても、助かります!」
 あとは騎手だ。当然、乗馬を嗜むのは騎士と貴族のみ。もしくはそれこそ、騎士向けに馬を育てている牧場に関わっている平民くらいだろう。初めは騎士か、貴族から騎手を募るしかないだろう。
「あとは騎手なのですが……」
 騎士は全て、デ・ランダル神教と皇王に忠誠を誓ったエファンゲーリウム騎士団の団員で、貴族出身か貴族家門に属している。それ以外は平民の傭兵で、傭兵たちのことは騎士とは呼ばない。つまり大きな括りで言うと、騎士は全て皇王の部下、というわけである。二、三回腕試しで賭けレースに出場するくらいは咎められないだろう。しかし正式な雇用主が皇王である騎士は、賭けレースで賞金を稼ぐことを専門にはできない。そう、それが大事だ。今のところ騎手になれるのは騎士だけだが、騎士を辞してまで騎手になりたがる騎士はいない。だから平民の新たな職業としての道が開けるというわけだ。だがまずは騎手が要る。要る、のだが。
 イェレミーアスは腕を組んで頭を傾け、視線を右上辺りへ流した。
「例えば、領主が社交で皇都に来ている間、付き添いとしてタウンハウスへ同行した騎士たちはその間、暇ができる。当主の護衛に付く人数は限られているが、領地から同行するのは一個師団だ。相当の人数が皇都のタウンハウスで訓練しながら待機になる。そういう待機している騎士たちの小遣い稼ぎにもなるし、分団ごとに分けて競わせれば士気を鼓舞することにも繋がる。ラウシェンバッハの当主は代理のグイードだから、グイードに頼んでラウシェンバッハの、父が目をかけていた騎士に声をかけてみようか?」
「グイードというと、リース卿ですか?」
「ああ」
 ちなみに一個師団というと、作戦遂行に必要な各種部隊を含めた実行部隊、ということなので最小でも六千から一万人くらいの騎士からなる。当主と皇都に上がるのだから、エリート中のエリートであり腹心が率いる部隊だろう。まぁ、今回の社交シーズン、リース卿は皇都には来られなかったわけだが。そう、諸々が急過ぎて間に合わなかったのだ。それでもおそらくは、イェレミーアスを代理として出発する予定を組んでいたはずではあるが……。
 しかし、前ラウシェンバッハ辺境伯を殺したハンスイェルクはラウシェンバッハ辺境伯が今年の社交シーズンには、皇都へ来られないことを知っていたので準備万端だった。だから顔を出せたわけである。自分がラウシェンバッハ辺境伯の死に関わっていますよ、と言わんばかりの行動だが、そんなことに気づくような人間ならもっと上手く立ち回っているだろう。
「……リース卿は、ラウシェンバッハのタウンハウスへ滞在なさるのでしょうか」
「どうだろう。叔父上がタウンハウスへ居座るのではないかな」
 そりゃそうか。ハンスイェルクからすれば、皇都のタウンハウスに居る前ラウシェンバッハ伯爵の勢力を一掃しておきたいに違いない。
「来年もそんな状態ならば、リース卿やご一行をこちらへお泊めするのもよいかもしれません」
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