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懸念も芽吹く、芽吹き月

第57話

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「イェレ様、あの、あまり見つめられると恥ずかしいです……」
「あっ、あの、すみません……!」
『ヴァン』
 不機嫌丸出しでルチ様は体を横にずらした。ぼくはイェレミーアスやローデリヒへ背を向けて浮いている状態である。イェレミーアスは少し体を引いていたので、ルチ様のことも見えているっぽい。
「あっ、そうだルチ様。ありがとうございます。あとでお歌を歌いますね。とりあえず、お疲れ様でした」
 子供のようにぼくの腰へ抱きついて、歌ってくれとせがむルチ様を思い浮かべる。時々、幼い素振りを見せるんだよね。だから僕以外の人間へ塩対応していても、怒りにくいという部分があるにはある。
『歌、好きだ。ヴァン、またあの歌、歌って。でも今は、褒めて』
 ルチ様が少し頭を下げてぼくを上目遣いに見る。その髪を撫で、労う。よすよす。お利口さんでしたね。全力でよしよししておく。ご機嫌が直ったようだ。
「えっと……まぁ、スヴェンだから精霊に好かれるとかもアリか……」
 何だよその納得の仕方は。ローデリヒが一人うんうんと頷いている。
「さぁ、ここで立ち話もなんですので、皆さん中へどうぞ。とはいっても、ぼくもこの屋敷を見るのは今日が初めてなんですが。よろしければマウロさんもお茶をどうぞ……」
 振り返るとマウロは、まだ気絶したままのようで体格のいい侍従たちに運ばれて行った。これでお付き合いが切れるとかないよね? お願い! どうにか慣れてください!
 頭を撫でられ満足したからか、ルチ様はぼくを下してくれた。屋敷に向かって歩き出す。
「皆様、ご案内いたします」
 フレートが頭を垂れ、手で屋敷の中を指し示した。いつの間にか、馬丁が御者に近づき、案内している。そうか、これから外で暮らすとこういう人も雇わなくちゃならないんだ。感心しながら屋敷の中へ入る。ホールに使用人がずらりと並んで頭を下げていた。侍女だけでも二十人くらい居そうだ。侍女の先頭にベッテを見つけて少々安堵した。侍従らしき男性も並んでいる中に、ヴィノさんとダニーも見つけた。
「おかえりなさいませ、主様」
 さすがはフレートとマウロさん。短期間でここまで使用人を揃えるとは。おまけにルチ様の魔法もあるから、ひとまずは使用人に寝首を掻かれるとかの心配もなさそうだ。頭を下げる使用人の奥で、いかにも儚い美人と、ぼくより少し年上と言った感じの女の子がこちらを見ている。
「はじめまして。スヴァンテ・フリュクレフと申します。ラウシェンバッハ辺境伯夫人、ベアトリクス様」
 にっこり微笑んで頭を傾ける。ベアトリクスはぽかんと口を開けたまま、ぼくの頭の動きを目で追った。苦笑いでベアトリクスの頭を撫でたイェレミーアスが促す。
「トリクシィ、スヴァンテ様にご挨拶は?」
「……あっ! はじめましてスヴァンテ公子、ベアトリクス・ラウシェンバッハです……」
 ベアトリクスはもじもじしながらもドレスの端を持ち上げ、カーテシーをして見せた。んまぁ、おませさん。かわいいなぁ。年が近いと妙に気恥ずかしいよね。分かるよ。
「このたびはご助力いただき誠にありがとう存じます、フリュクレフ公子。ヨゼフィーネ・ラウシェンバッハと申します」
「お疲れでしょうに挨拶までさせてしまって申し訳ありません。お加減が悪ければ、部屋で休んでいただいて構いません。もしよろしければ、お茶を準備いたします。どうぞ、ゆっくりお過ごしください」
 頭を下げた辺境伯夫人の手へ、そっと手を重ねる。イェレミーアスはお母さん似のようだ。微笑みかけると、辺境伯夫人は堪えた様子で唇を笑みの形へ作って見せた。無理をしているだろう。話すべきことだけを手短に話して休ませた方が良さそうだ。
 フレートの案内で応接室へ歩き出す。振り返ると、ラルクが手を振ってヴィノさんに付いて行くところだった。ぼくも手を振る。応接室へ入ると、ぼくの偉大なる師匠が、限界ぎりぎりまでほっぺにパルミエパイを詰め込んでいた。
「……ルカ様……お客様がいらっしゃるというのになんて意地汚い……」
「んぐふっ!」
 呆然と呟く。ローデリヒが吹き出した。ルチ様も小さく笑い声を上げたのを聞き逃さない。ルクレーシャスさんは行儀悪くごくごくと紅茶を飲み干して、ぼくへ微笑んだ。口の周りに食べカスを付けたまま。
「おかえり、スヴァンくん。意外と遅かったね?」
「ベッテ、布巾」
「はい」
 ベッテの方へ視線もやらずに、手を差し出す。絶妙の間合いで手へ置かれた布巾でルクレーシャスさんの口元を拭った。
「大変お見苦しいところをお見せいたしました。ルカ様、ご挨拶は済んだんですよね?」
「したよ~」
「ほんとですか、イェレ様」
「あ、はい……」
 苦笑いのイェレミーアスに直感する。してない。
「してないでしょう、してないでしょう、絶対! すみません、本当に。いきなり不審者が現れて驚きましたよね? 本当にごめんなさい。この人、こんなでも本物のベステル・ヘクセ様なんです、嘘じゃないです本当なんです。ルカ様、きちんとご挨拶してください」
「したってばぁ。杖を見せたから、自己紹介したのと同じだよ、スヴァンくん。わたくしパイを食べるのに忙しいんだよ?」
 ほらやっぱりぃぃぃ。きちんと挨拶してないじゃん、杖を見て向こうが紋章から判断してくれただけでしょう、もうこの師匠は。
「ルカ様。ぼくもう、キャラメル作りませんよ」
「どうしてそんなこと言うの、スヴァンくんの意地悪! ベステル・ヘクセのルクレーシャス・スタンレイだよ! スヴァンくんの師匠をやっている。スヴァンくん、キャラメル! キャラメルは!?」
 この人段々、幼児退行してないか? お菓子さえ与えておけば大人しい、頼れる大魔法使いの手を握る。
「……明日、作ります。ほら、きちんと座ってください、ルカ様! 皆様もどうぞ、お掛けください……」
 なんだろう、屋敷に着いて三十分も経っていないのにぐったりするほど疲れている。ぼくもソファへ座ろうと座面を振り返ったら、先に座ったルチ様が両手を広げていた。
「……」
『ヴァン』
 にこにこと、両手を揺すって催促している。諦めてぼくは、ルチ様のお膝に腰かけた。ヨゼフィーネさんも、ベアトリクスもぼくの顔と、ぼくの座っている座面を交互に見ている。そりゃそうだ。そうだよね。いくら魔法がある世界だって言っても、人が浮いてるんだもんびっくりするよね。悲鳴を上げないだけ二人はすごい。淑女教育がしっかり身に付いている証拠だ、とかそんなこと言ってる場合じゃなさそう。二人とも体が弱いんだった。お願い倒れないでね?
「えっと……お疲れのところ申し訳ないのですが、まずお伝えしたいのはぼくは何もないところに話しかけたり何もないところで浮いたりしますが、お気になさらないでください。害はないんです……」
「ぶっは!」
 再びローデリヒが吹き出した。さすがラウシェンバッハ辺境伯の嫡男。後継者教育がしっかりなされているのだろう。イェレミーアスは視線をぼくの顔に向けたまま、笑みを崩さない。
 改めて口に出してみると何と言うことはない。師匠も不審者なら、弟子も不審者だこれ……。
 初めて会った皇宮の外の人へ初めに伝えなくちゃいけないことが、これ。ぼくはぐったりと、体中の力を抜いて項垂れた。
 皇宮での皇太子殿下生誕八周年パーティーの招待状を持って、ジークフリードはやって来た。乗って来た豪華なタウンコーチには、しっかり皇家の紋章である「レーヴェデアデンブリッツバイセン雷を噛む獅子」が入っている。まぁ、王族とかって獅子を紋章に入れがちだよね。厨二病的なアレは異世界でもあるんだよ、分かる。
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