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明星色の想い出と、忘れてはいけない記憶

第29話

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「でもなぁ、先にタウンハウスを買って離宮から出るにしても、警備がなぁ……」
『警備?』
「そうなんです。ぼくの高祖母がフリュクレフ王国の女王だったのですが、皇国からの独立を要求している元フリュクレフ王国の民がぼくを利用するために接触して来ないとも限らないし、父の愛人の実家であるリヒテンベルク子爵からすればぼくが居なくなれば万事円満解決でしょうし」
『……ヴァン、わたしが守る。わたしの許しがないもの、ヴァンへ悪意を持つもの、誰も入れなくできる』
「ほんとですか?」
『うん』
「でもルチ様、ご迷惑じゃないですか?」
『ヴァン、心配。その方が、困る』
「……じゃあ、お願いしてもいいですか?」
『うん』
 わぁ、そんな嬉しそうに微笑まれると断れないじゃないですかぁ。大変に美しいですありがとうございます。タウンハウスはマウロさんに土地探しをお願いしている。実はもう、ルクレーシャスさんに実物は見に行ってもらってほしい土地は決まってるんだ。何度も言うけど、ぼくは離宮から出られないからね。誰かに代わりに見に行ってもらうしかない。
「じゃあ、ルチ様がこちらへいらっしゃる日に合わせて引越し決行しましょう! ジーク様にうろちょろされるのも、バルタザール伯に痛くもない腹を探られるのももう御免ですし!」
『冬の間ならいつでもいい。暖かくなってからなら、夜に移動が終わるようにすればいい。結界を張る』
 何よりもう、誰の顔色も伺わなくていい。誰の腹も探らなくていいし、探られなくて済む。その分増えた危険からは、ルチ様とルクレーシャスさんが守ってくれる。そうしたらぼくは、今よりほんの少しだけ気持ちが楽になる。
「スヴァンくん、明星の精霊様はなんと?」
「冬ならいつでも、暖かくなってから引っ越すなら夜に移動が終わるように、ですって。タウンハウスに結界を張ってくれるそうです」
「……明星の精霊様の……結界……またすごいことになったな……」
「やっぱり、そうですよね……」
「うん……」
 目を閉じて、それからぼくを抱えるルチ様へ体重を掛ける。ルチ様は応えるようにぼくの体を揺らした。
「せっかくルチ様が守ってくださるんですもの。ルチ様とルカ様が頼れと言ってくださる今、甘えておくことにします!」
「よし、それならヴェンへはわたくしから話しておくよ。あとねぇ、スヴァンくん」
「はい」
「君さえよければ、君をわたくしの養子に迎えようと思う。返事は今ではなくていいよ。考えておいて」
 諸々考えて、ぼくが離宮を出るのならばそれがいいのだろう。離宮はぼくを閉じ込める鳥かごであると同時に、ぼくを守る強固な壁でもある。それを自らの足で出て行くとなれば、保護者の存在は必須だ。
 ふる、と体を震わせる。本来のスヴァンテ・フリュクレフは、こんなに簡単に離宮を出ることなどできなかっただろう。前世の記憶があるぼくですら困難な問題がたくさんあり、五歳という年齢のもどかしさを感じている。だとしたら本来ここに居るべきであった、スヴァンテ・フリュクレフはどうだろう。周りの大人たちに搾取され困難に直面し、立ち行かなくなり身動きが取れなくなってから後悔したに違いない。今ですら、一歩間違えればすぐにそうなるだろう。
 信じたい。信じられない。信じきれない。どこまで信じていいのか、どこまで頼っていいのか、誰を信じていいのか、誰を疑えばいいのか。何も分からない。何が正解かどこにも答えはない。
「とりあえず、ぼくがここから出るには両親以外の後見人が必要ですよね」
「……そうだね」
 ルクレーシャスさんは、ぼくが言わんとしていることを何となく察したのだろう。怒るでもなく、機嫌を損ねるでもなく、ルクレーシャスさんは静かにぼくの言葉を待っている。
「養子の件は少し考えさせてください。養子になるのを断っておいて虫のいい話ですが、ルカ様にぼくの後見人をお願いしてもよろしいでしょうか」
「いいよ。わたくしは初めから、そう言っている。わたくしを利用しなさい、と」
「どうしてルカ様は、ぼくによくしてくださるんですか」
 そう。ぼくは信じきれないでいる。
 悲しいかな、「大人として当たり前に子供を守る」なんて倫理観の人間はごく少数だ。そこに自分にとって益がなければ無関心、あるいは僅かの旨味さえ吸い上げようとする者が大多数なのである。ルクレーシャスさんにとって、ぼくは利益などない存在だ。彼が、ぼくへ手を差し伸べる妥当な理由が見つからない。
 だからぼくは、彼を信じきれないでいる。
 妥当な理由のない善意を、信じてはいけないから。
「……大人として当たり前のことをしているだけだよ、と言いたい所だけれどね。わたくしは、後悔しているんだよ」
「何を、ですか」
「『好奇心はネコをも殺す』ということわざを、わたくしに教えてくれた子が居てね」
「――!」
 夜空の星座が、前世の世界とは違うように。この世界のことわざもまた、前世の世界とは異なる。だからルクレーシャスさんが、前世の世界のことわざを知るわけがない。つまり前世の世界から来た誰かが、ルクレーシャスさんにそのことわざを教えたということだ。
 夜空色の精霊さんの膝に抱えられたまま、向かいのソファでティーカップを傾けたルクレーシャスさんを見つめる。ティーカップを軽く揺らしながら、ルクレーシャスさんの瞳はここではないどこかを眺めている。
「この世界には、異世界の人間を召喚する魔法がある。喪われた魔法で、正しく発動したのは書物で確認できるだけでも、二回しかない。膨大な魔力と、あらゆる犠牲を糧とする禁忌の魔法だ」
 ティーカップを揺らす手を止めても、ルクレーシャスさんの瞳は揺れたままだった。
「追い詰められた人間というのは本当に愚かで傲慢なんだよ、スヴァンくん。さらにわたくしは己の好奇心を満たすことしか頭にない、最低の人間だった。喪われた魔法を再現することにしか興味がなかった。わたくしが初めて、別の世界から人間を無理矢理連れて来るということの意味を理解したのは、彼が泣きながら『帰りたい』と呟いた、その時だったんだ」
「彼、って……」
「魔王を倒した勇者。新永織十《あらながおりと》という、ニホンという国から召喚した少年だった。わたくしが、召喚した」
 細くて長い指がティーカップの紅茶をインク代わりに、大理石のテーブルへ指先を走らせる。ルクレーシャスさんは、驚いたことに漢字で正確に勇者の名前を書いて見せた。
「忘れてはいけない、忘れられない名前だからね。わたくしは一生、彼について語り続けなくてはならない。そうしたところで、贖罪になりはしない。わたくしの愚かで大きな過ちの話だ」
 わたくしの懺悔を聞いてくれるかい。
 ルクレーシャスさんは顔を上げてぼくを見つめた。けれどその虹彩にはぼくは映っていない。深い深い後悔と、己の罪と。過去を覗き込む瞳が、淡々と語り出した。
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