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雨水月

第12話

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「うんもう、今この受け答え自体が五歳児の受け答えじゃないからね?」
 言ってしまえたら楽なのに。ルクレーシャスさんはぼくが別の世界で生きていた記憶があると言っても、驚かない気がする。でもまだ出会って一ヵ月くらいで話すには信頼関係が足りない。えへへ、と誤魔化して応接室へ向かう。
 この離宮の主人は今、ぼくなので本来ならどの部屋に入るにもノックも声かけも要らない。だがルクレーシャスさんは、ぼくを抱えたまま片手でチーク材のドアを軽くノックした。扉が内側へ開く。フレートが少し顔を覗かせ、頭を下げた。ソファから立ち上がったマウロさんの表情は、何というかこれまた見慣れた色をしている。
「スヴァンテ様、改めてご挨拶申し上げます。パトリッツィ商会のマウロ・パトリッツィと申します。スヴァンテ様の素晴らしきお考えを実行に移すべく、わたくしどもの商会をお選びいただきました栄誉に最上級の謝意を表したいと思います」
「そうなりますよね。いやはや、わたくしはとんでもない子を弟子にしたかも知れません」
「その見識の広さ、まさにエウロディーケの寵児と言えましょう」
 エウロディーケとはデ・ランダ皇国が信仰するデ・ランダル神教に於ける技巧の神である。デ・ランダル神教は多神教だ。皇族はデ・ランダル神教最高神である光の神、デ・ランダルの子孫ということになっている。ちなみにエウロディーケとは、髪の毛振り乱し鎚《つち》を持った姿で表され、火の神を夫に持つ中々クレイジーな感じの神様である。この二柱の神は夫婦セットで鍛冶の神となる。
「フレートから、大体の話を聞いていただいたと思います。では、細かい要望などをお伝えしてもよろしいでしょうか」
「はい、ぜひ」
 マウロさんの向かいの座面へぼくを下し、ルクレーシャスさんは隣に座った。フレートはドアの側に控えている。ルクレーシャスさんとの事前の打ち合わせ通り、貴族向けと平民向け、それからシナリオは二種類用意することを告げて作って欲しいものの細かい指示を出す。フレートが差し出した図面を渡し、さらに細かい指示を伝えるとマウロさんは少し考え込んでから頷いた。
「私の抱えている職人と相談していくつか試作品をお作りしてお持ちします。そうですね……半月ほどいただけますか。こんなに詳細な図面があるなら、職人もすぐに作業へ取りかかれるでしょう」
 えっこの落書きが詳細な図面になっちゃうの。そりゃ言葉で説明するより図解があった方が分かりやすいかなとは思ったけど。職人さんたちはもちろん平民で、文字の読み書きはできない人が大半だ。それゆえの配慮だったんだけどな。
「一番難しいのはルーレットになると思います。基盤の方の出っ張りと回転側の爪の薄さをかなり調節しないと、すぐ止まってしまうか中々止まらないかになってしまうんじゃないかとぼくは思うんです。だから、試作する前の段階で職人さんにお会いできるといいんですが……」
「承知いたしました。職人を連れて来られるよう努めます」
 ベッテがお茶を運んで来た。マウロさんは静かにティーカップを仰ぎ、それからふくよかな頬を緩ませた。
「スヴァンテ様。これよりこのマウロ・パトリッツィ、スヴァンテ様に誠心誠意お仕えさせていただく所存でございます」
「こちらこそ、どうぞよろしくお願いします。実を言うと、ボードゲームが成功したら作成をお願いしたい別の玩具のアイデアがまだあるので」
「それは……非常に楽しみでございますね。となれば私、早速戻って職人を連れて来る算段をさせていただきとうございます。そのボードゲーム以外の玩具もぜひ、我が商会に御下命くださいませ!」
 マウロさん、貴族的な言い回しもちゃんと理解してくれる人で助かった。今の会話でも二つ返事ということは、ひとまず任せていいだろう。
「よろしくお願いします。フレート、お見送りをお願いしますね」
「かしこまりました」
 閉じた扉をちらりと眺め、ティーカップへ口をつけるとルクレーシャスさんは口を開いた。
「リガトナ、ハイランズ……。皇王への献上品としてのみ作られる逸品。いや、スヴァンくんは本当に非凡な五歳児だね……」
「えへへ……。たまたま、皇王へプリンを献上した際に賜ったんですよ……」
 リガトナハイランズの名で知られる希少茶葉。パトリッツィ商会一押し、皇国の南に位置するリガトナ島は良質な茶葉の産地として有名である。その良質な茶葉の中でもハイランズの名を冠することができるのは、標高二千メートル以上の高地で栽培された茶葉の先芽を摘んだもののみである。自分の商会で扱っているのだから、この茶葉が皇国近隣で流通している茶葉の中で一番高く、手に入れられるのは皇族のみであることは承知しているだろう。だからこそ、このお茶をもてなしの一品として選んだ。これからの、お互いのためになる付き合いをしたいという意味を込めて。
「つまり君は、たった一杯の紅茶で皇王から希少な茶葉を賜ることができるほどの才覚がある、ということを示したんだ。本当によく頭の回る子だ。おまけに『まだ他にアイデアがある』と伝えて、下手なことをすればパトリッツィ商会と競合する他の商会へそれを持ち込むこともできる、と脅すことも忘れないとは。まったく末恐ろしい子だね」
 恐ろしいと言いながら、ルクレーシャスさんはどこか楽しそうだ。ぼくは苦笑いをしてティーカップへ口を付けた。
「ぼくには後ろ盾がありません。明日をも知れぬ身です。有利な手札は集められる時に集め、使うべき時に使わないと」
 立ち上がって、ルクレーシャスさんはぼくの足元へ跪いた。それから膝に置いたぼくの手を取って、あやすように揺らす。
「後ろ盾はあるよ。君はもう、わたくしの弟子だ。存分にわたくしの名前を利用しなさい。『ルカ様に言い付けるぞ!』ってあの癇癪殿下みたいに真っ赤になって拳を振り回しながら言ってやればいいんだよ。だからね」
 そんなに早く、大人になろうとしないでね。そう言って、ルクレーシャスさんはぼくの頭を撫でた。
 いつもならテラスでお茶の時間だが、今日は皇太子殿下にもご遠慮いただいて応接室で客人の対応をしている。ボードゲームとフローエ卿を皇宮へ貸し出した。それほどにフローエ卿と皇太子殿下には聞かれたくない話をするのだ。
 パトリッツィ商会の、マウロさん。その横にとても萎縮した様子で立つ白髪頭の初老の男性に見せながら、紙へペンを走らせる。
「ですので、こういう感じの金具があれば同じ大きさの板をこう、重ねて収納できて、引き出すと広い面を確保できます。これを二枚作って、こことここを蝶番で繋げて、折り畳んで金具で止められるようにして取っ手を付けるとほら、小さくまとまるでしょう? すると子供でも持ち運びしやすくなるんですよ。だから板はある程度薄い方がいいんです」
 この世界にスライドステーという金具が既に存在すればいいのに。ないらしいから説明がめんどくさい。ぱたんぱたんぱたーんって折り畳みテーブルとかみたいにステーで繋いだ板が重なって収納できて平面になるんだよぉ! 蝶番とはまた違うの! 蝶番で繋げた部分を中心にこう、Wみたいになるようにね、金具をね、ああもうどう説明したらいいの! のでいつも通りにぼくは紙に図面を書いている。
「おお、そういうことですか! ぼっちゃんは本当に賢くていらっしゃる……」
 図面を覗き込んだ白髪頭のおじいちゃんは、マウロさんのところのお抱え職人であるリナルドさんだ。マウロさんが故郷から連れて来たというくらいだから、腕は確かなのだろう。
「で、こう……広げた時にコインやサイコロがゲーム盤の上から外へ出ないよう、縁を囲むように高さが欲しいんです」
「ふむふむ」
 リナルドさんはぼくが説明を始めると、緊張より興味が勝った様子で手元を覗き込んで来る。でもやっぱ緊張しているのか、くたびれた毛糸の帽子を絞るようにして両手で握り締めたままだ。
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