月が導く異世界道中extra

あずみ 圭

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extra41 漫画24話支援SS それ、この後すぐです

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 使用人達の慌ただしい動きが屋敷のあちらこちらで見られる。
 ここはパトリック=レンブラントの私邸。
 十分な経験を積んだメイドですら誰の目を気にする事なく走り回っている始末だ。突然のアクシデントが起こったのは想像に難くない。
 
「……モリス」

 そんな屋敷の状況を咎めるでもなく、遠くでその微かな音を聞くだけのこの家の主が静かに呟いた。
 主と家族の寝室にまでは、まだ使用人達の喧噪はそこまで伝わって来ていない。
 長年の相棒の名。
 主人と執事という立場でありながら、親友でもあり。
 彼が呟いたのは、ある意味で妻よりも自分をよく知る男の名前だった。
 
「は」

「こんな奇跡が、俺などにも訪れるものなんだな」

 長らく自分の事を私と称していたレンブラントが俯いたまま、己を俺と呼び、腕の傷を抑える対の手に込める力を強めた。
 彼の中に何らかの葛藤があるのは誰の目にも明らかだった。

「……確かに。あの男が今日、この場にいて我々の助けとなってくれていなければ。今この家を満たしているのは希望ではなく……癒える事のない絶望だったでしょう。十分に奇跡と呼べる事だったかと。ですが神殿にも随分寄付をしてきましたし、慈善事業にも金は撒いてきました。奇跡の順番というのであれば、旦那様は決して“こんな俺”などと卑下なさる必要はないかと思いますが」

「ははっ、寄付か。確かに随分とくれてやったな。結局、助けを求めた時には何もしてくれなかったが」

「……。女神様は全能なる方ですから」

 モリスの口調が随分とシニカルな、主人の言葉の意図に追随するものへと変わる。

「“だから”何もしない、か。確かに、あのお方には何もしないでいて頂く方が世の為かもしれんな、まったく。ああ、しかし奇跡は起きた。俺は……失わずに済んだ」

「はい。おめでとうございます」

 顔を上げたレンブラントの目を見て、主の様子を察したのかモリスが柔らかい言葉で彼に祝いの言葉を述べる。
 もっとも、自らの子と家族を持たないモリスにとって、レンブラント家こそが家族であり親友パトリックはもとより、いや実はそれ以上に彼の妻と娘にもモリスは心からの忠義を抱いていた。
 今回の凶事に際し、己が磨き上げたスキルの悉くが事態の解決に役に立たない事を悟った時のモリスの心中、そこに渦巻いた絶望と怒りは測り知れない。

「ああ、ありがとう。本当に、ありがとう」

「……」

 パトリックが絞り出す様に、これまでの出口の見えない闘いを思い返してもう一度礼を口にする。
 二度は祝いを述べず、小さく頷くだけのモリス。
 それだけで、二人は通じ合い分かり合っていた。
 レンブラント家を襲った危機は去った。
 嵐のような奇跡が全てを吹き飛ばした。
 だからこれから待っているのは、口にして励まし合いながらも実現を諦めかけていた回復への道。
 それは、彼らにとって文字通り光り輝く明日だ。
 モリスは胸の内から湧き上がる、今すぐにでも身体を動かそうとする活力を心地よく受け止め、それに従おうと決めた。
 使用人の誰もが忙しく、余裕もなく、だが笑顔で仕事に励んでいる今。
 彼もその一人として動きたい気分だったのだ。

「では、旦那様。私も色々としなければならない事がございますので。ええ、もう手配をしなくてはいけない事が山積みです。それでは」

 モリスが踵を返し仕事に取り掛かろうとしたその時だった。
 小さく何度も頷いていたパトリックが既に背を向けた親友に言葉を投げた。

「モリス。例の件だが」

 これまでとは違う、むしろ普段の彼が使う冷静な声。
 妻と娘の奇跡に喜ぶ一人の男ではなく、大商会の代表としての言葉だった。

「はい。最早露ほどの憂いもなく。すぐにジオを動かしそちらも始末をつけます」

「いや、違う」

「?」

「あれは、オーダーストップだ」

「……なに?」

 予想外の主の言葉に執事が微かに怒りを帯びた言葉で、普段の彼には似つかわしくない言葉で振り返った。

「ライム=ラテの暗殺は、中止だ」

「奴は……ルビーアイの瞳を調達する依頼を、妨害し続けた男です。リサ様、シフ様、ユーノ様を愚かにも亡き者にしようとこの家に害した――」

「それは、俺の若い頃のミスが原因だ。ライムは事の全貌も知らん、ただの阿呆だ」

「であっても奴には報いが必要です。少々不確定ではありますが奴の代わりもおります。大体ライムの始末はパト、旦那様が命じられた事ではありませんか」

「ああ。だから俺が中止する。あの組合は依頼の中止も可能だった筈だ。無論、前金の返還など求めんし経費の請求にも応じる。問題はない」

「私は、流石にこの件につきましては納得が――」

「決めたんだ、モリス」

「何故!? 奴には死の制裁こそ相応しい! そうでしょう!?」

「奴は」

「っ?」

「ライムは近い内に必ず、マコト殿達に手を出す」

「!?」

「間違いない。彼はライムが妨害していた依頼を達成してしまったのだからな。少なくとも悪意なく関係を持った俺達は彼に救われた。ならば、悪意をもって彼を排除しようと接触する冒険者は一体そこに何を見る?」

「……始末を、譲ると?」

「そうじゃない。ただ、少し興味が湧いただけだ。今はな。彼らの接触が何を生むか、もしかしたら信じがたい奇跡をまた生みだすんじゃないかとな。だから、少し様子を見たい」

「では、延期、と受け取らせて頂いても?」

 モリスの目が宿す危険が、若干その勢いを弱めた。

「……そうだな。中止とは言ったが改めて実行を決めるかもしれん。延期が妥当な言葉か」

「ならば一旦のオーダーストップを伝えます」

「そうしてくれ。冷静になって考えてみると、俺がここまでなりふり構わず奴を殺す為に動くというのは、隙だ。妻と娘の苦しみを考えると今も奴への殺意は収まらんが……助かるのであれば俺は反省をして考えなくてはいかん」

「と言いますと?」

「脇の甘さや隙を作るのは、驕りや慢心ともあいまってここまで登り詰めた俺でさえ家族を失いかねんという教訓についてだよ。ライムへの執着は、俺の築き上げてきたイメージのどこかに亀裂を生むかもしれん」

「……」

 モリスは、淡々と語るパトリックの様子を見るうちに背を伝う冷たい汗を感じた。
 本当に長い付き合いだ。
 だが未だに目の前の男が時に見せる、己の命をも秤に乗せる様な冷徹な思考は理解できない時がある。
 どれほど感情的になっていても、この男は不意に、というか常に頭のどこかにこの怜悧な思考を潜ませている。
 そして立ち止まり、あるいは踏み込み、または道を変える。
 その判断の結果は、彼が今日までに作り上げてきた商会と街での彼の立場を見れば明らかだ。
 
「お互いに少し落ち着こう、モリス。無論、必要ならライムは殺すし例の孤児院も凄惨に消えてもらう。だが状況は変わった。いうまでもなくマコト殿だよ。彼が商会を作る。面白そうじゃないか。一体この街でこれから何が起きるのか」

「旦那様……」

 冷酷なのか無邪気なのか。
 パトリックは残酷な言葉も口にしながら、遊園地の開園を待つ子供のような表情でモリスに語った。

「リサとシフ、ユーノの回復に備えた医者と治癒術師の手配、服屋と宝飾店への準備願いなどももちろん必要だし最優先だが。同時にそちらも少し動いておきたいな。そうだな、手始めに『素材屋』ジオ辺りに荒野の素材を見張らせてくれ」

「ジオにですか?」

 モリスが意外な名前に怪訝な表情で聞き返す。
 確かに、これから別件で会う相手ではあるが改めて主の口から名前が出るとは思っていなかった。

「オーダーストップの件で会うんだから丁度いいな。ほら、さっきアルケミーマイスターの彼が口にしていただろう? マコト殿の知り合いのレベルについて。本当なら荒野の素材の需給が動く、調べておくに越した事はない。それから素材卸しの……ミリオノ商会! 確か代表はハウとかいったか。彼とジオも近々引き合わせておいた方が良い時期だ。これは面白くなるぞ」

「……」

「モリス?」

 いつもなら何らかの反応を返してくる執事が口元に手を当てて沈黙しているのを見てパトリックが彼の様子を窺う。

「……思い出しました。何かお伝えし忘れているような気がしていたのですが、ええ、思い出しました」

「何だ?」

「マコト殿の身体能力を目にする機会があったと申し上げたのを覚えていらっしゃいますか?」

「ああ、覚えているとも」

「実はあのアルケミーマイスターの青年、ハザル君なのですが」

「うむ」

「完成した秘薬をぞんざいに扱った挙句、危うく割る所でした」

「!?!?!?」

 レンブラントが目を見開く。
 あまりの告白に呼吸も止まる。
 しかし衝撃はそこに留まらない。

「しかも二度」

「!?!?!?!?!?!?」

「マコト殿がいなければ……本当にどうなっていた事やら。もっとも……あのハザル君を紹介してくれたのもまた彼なのですが」

 パトリックの顔は目が飛び出さんばかりに見開かれ、鼻の孔も興奮で広がり、そして至るところで血管が太く浮き出していた。
 赤くなったり青くなったり、中々レベルの高い顔芸を披露している。
 モリスはそんな主の史上稀に見る愉快な表情を見て、少しだけ溜飲を下げた。

「では、ジオをはじめ仕事を始めさせていただきます。旦那様は、せめて今日くらいはゆっくりなさって下さいませ。……ああ、ハザル君なら地下に設けた製薬室ですよ?」

 全てを納得した訳ではない。
 だが。
 少なくとも確実に、今の足取りは軽い。
 だって治るのだから。
 また昔のレンブラント家の賑わいが帰ってくるのだから。
 モリスは親しい数人にしかわからない、本当の喜びの感情を顔に満たし上機嫌で廊下を歩くのだった。
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