月が導く異世界道中extra

あずみ 圭

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extra58 月が導く異世界道中前日譚 最初の奇跡(前)

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 深澄真は日本で生まれ育った。
 彼は現代そこが科学に支えられた世界だと信じている。
 もちろん、彼が知る限りにおいてそれは真実だ。
 真が育った日本は法治国家であり、小学校と中学校までの義務教育があり、多くの子はそこから高校を目指し大学まで進学する子も多い。実に恵まれた先進国と言える。
 日常生活で銃を見かける事はないし、動く兵器を見たければ自衛隊の演習などを見に行かなければならない。
 武器も戦争も外で起こる事でしかなく、周りは平和そのもの。
 そして……超能力や魔術などはオカルトやSF、ファンタジーといったフィクションの小道具であり創作物の中にしか存在しない。
 誰もがそう考える、当たり前の世界。
 法を守りルールを守り、社会の中で職を得て皆と同じように暮らしていく場所。
 だが。
 あくまでもそれは深澄真が知る、彼が把握している限りの世界の話だ。
 当然の事だが彼が知る世界が世界の全てでは無い。
 現代の地球においても法が意味をなさない無法の国は存在する。
 治安などという言葉が全く機能していない地域もそこかしこに散在している。
 アウトローが警察を遥かに凌ぐ力を持っている国だってある。
 笑ってしまうような話だが、政治と警察とマフィアが仲良くグルになって誰にも裁かれずに甘い汁を吸う、なんて事だって不思議でも何でもない。
 真が聞けばそんな馬鹿な、と思うような事実は幾らでもあるのだ。
 そして彼だけではなく、世界の多くの人々が知らない事実の一つ。
 超能力も魔術も、この世界には実在する。
 決してメジャーでもないし、世界を裏から支配するというレベルでもないが確かにそういったものは存在していた。
 これは深澄真に訪れた彼自身も知らない最初の奇跡。


◇◆◇◆◇◆◇◆


 平和な国だ、と彼女は思った。
 少し前から彼女は夏の強い日差しの中、木陰にある公園のベンチに腰掛け子供らが遊ぶ様子を眺めている。
 日本人ではありえない白い肌。
 クセのない金髪はショートボブで切り揃えられている。
 日本の住宅街。
 それもさして広くも無い公園にいるには少々不似合いな雰囲気を持った白人女性だった。
 ただ突然やってきて休憩しているだけの彼女は、興味こそ引いたもののそれまでの遊びを中断してまで関わりたいと子供たちに思わせる事は無かったのか、放置されていた。
 下に着ているのはタンクトップながら、ジャケット姿でサングラスをかける女性に話しかけ難かったのかもしれない。
 実のところ、彼女は公園に用があるでもなく約束の時間までの時間を潰しに来ていただけだった。
 
(まだ一時間はあるわね。こんなに早く着けるなんて思ってもみなかったから、つい公園なんて来てみたけど。本当に平和な国ね、気持ちが優しくなる)

 平和。
 それは彼女にとって必ずしも近しいものではなかった。
 だから何度もそう思うのだ。

(それでもミスター息吹に会うのはあまり気が進まないけど、ね)
 
 息吹要いぶきかなめ
 齢六十を越えて尚若々しい肉体を誇る老人。
 彼女、カリン=アクサナの約束の相手であり、患者。
 今日は治療の日だった。
 息吹の事を考えて小さく溜息をつくカリン。
 息吹要は欲望が人の皮を被っている怪物、と言うのが彼女の心象だった。
 代々続く名家の当主でありながら、まるで成金の様な強い物欲を持つ。
 金も物も女も、彼はあらゆるものを手に入れようとし、またしてきた。
 手付かずであろうと、既に誰かのものであってもお構いなしに。
 非道外道のそしりなど彼の本質は気にもしない。
 だが既に相当の財力を手にした状態からのスタートとは言っても、彼は別にそこにあぐらをかいていた訳では無い。
 性質たちが悪い事に彼は努力を惜しまなかった。
 まともなビジネスの力は勿論、暴力や権力、それに金の使い方。話術に詐術に人を使うすべ
 次々と能力を高めていった彼は、その欲望を向けられた対象や障害とみなされた敵以外には、人格者で人あたりの良い好人物として知られていく。
 故に彼の欲が満たされる度に家は更にその力を増し、それまで地方の名家に過ぎなかった息吹家は彼が六十に差し掛かる頃には日本でもそれなりに知られる程度に名を高めていた。
 だが、天罰とでも言おうか。
 人を人とも思わないようなやり方で、情も涙も踏みにじりながら我が道を進んできた代償が彼に訪れる。
 病だ。
 三ヶ月に一度は身体のメンテナンスに病院を訪れる息吹だったから発見は早かった。
 ごく初期ながら癌。
 当然、手厚い治療を受けるだけの金は十分あるのだから何事もなく治療を終えその時は事なきを得た。
 だが終わらない。
 一年もするとまた癌が見つかった。
 治しても治してもキリが無い。
 息吹の怒りは理不尽にも医者に向き、何人もの医師が消息を絶った。
 だが完治させられなかった医師をどうこうした所で彼の病気が治る訳は無い。
 むしろ消されたなどと噂が立ち命を惜しむ医師が増えて逆効果になるだけである。
 余裕を失い、好人物のメッキが禿げかかった頃。
 息吹要はカリン=アクサナを知った。
 どんな病気をも治す奇跡の人物『癒し手』。
 しかし報道などで表に上がっている人物では無い。
 世の中の裏側でひっそりと囁かれる女性だった。
 息吹は人脈と金を惜しげなく使い彼女との接触に成功する。
 本来の依頼ルートなど無視したかなり強引なやり方で。
 そして、高額な報酬を支払いその治療を受けた。
 カリンの治療は医療技術や知識に基づくものでは無い。
 彼女が行うのは異能、超能力……いわゆるオカルトに属する力だった。
 そんなものに縋る程に息吹は追い込まれていた。
 だが見事、医者では無い彼女の奇跡の力によって息吹の身に巣食った病は取り除かれ、彼は今度こそ癌を克服した。
 以後一年に一度、息吹は健康診断に加えカリンの診断を受ける約束を取り付け、彼女も報酬に納得したのか年に一度の契約を受け入れる。
 三か月に一度、と望まれたがそこはカリンの方が突っぱねた。
 日本に住んでいる訳でもないのにそんな短いスパンで通えるか、と。
 じゃあ家と国籍も用意すると難なく告げた息吹に対し、カリンもそれとなくお前の身も危なくなるぞ、と自分の患者にどんな人物がいるかを匂わせ断った。
 この時点で中々に辟易する人物だと、彼女の息吹への印象は最悪に近いものになったのだった。
 契約を結んだとはいえ、欲の化身と表現していきすぎの無い男に会うのは彼女にしても不快であり、約束の時間ギリギリまで潰していた所だった。
 
「さて、お金を稼ぎにいきましょうか。お仕事お仕事――ん?」

 カリンは立ち上がり、公園を後にする。
 息吹家までの道のりを歩く彼女は何かに気付く。
 それは日本では非常に珍しい光景だった。
 道の端に体を丸めた子どもが横たわっている。
 周囲には誰もいない。
 
(熱中症かしら? 日本でも毎年増えていると聞くけど……)

 急ぐでもなく進行方向に倒れる子どもに視線を向けたまま歩くカリン。
 足元にその子の姿が来たとき、彼女は立ち止まる。
 
(救急車を呼ぶナンバーは119だったかしら。日陰に倒れているし症状も重くなさそうだから病院に任せておけば大丈夫でしょう)

 携帯電話をバッグから取り出して番号を頭で確認する。

「……あいめあ、ゆう、ふぉなん」

「っ!?」

 子どもがうなされるように声を出した。
 言葉にもなってないような不思議な韻の言葉だった。
 だが、カリンはその言葉を聞いて奇妙に思う顔をするのではなく、目を見開いて驚きに息を呑んだ。

「……めおじーえ」

 子どもは男の子だった。
 彼は意識を失ってはいないのか、朦朧としているのか、ぶつぶつと小さな声で不思議な言葉を繰り返す。

(魔術の、詠唱……!? これ自己強化、よね。まともな発動はしていないみたいだけど、魔力は感じる。身体の中の魔力が術として発現しつつある。でも、これは良くないわ。一見しただけでも彼は術を体に通すだけの体力そのものが無い。術になり切れない魔力が体を駆け回って却って逆効果だわ。こんな年の子がわかって使っているようにも見えないし……)

 カリンは口元に手を当てて考える。
 科学全盛の世の中で、魔術の存在など知る者はごく少数だ。
 彼女の様に奇跡の存在と言われて力を実際にふるう者は、その多くが異能と呼ばれ人と違う存在として差別を受け、非難を向けられる。
 現代では、魔術に代表される全ての異能は決して認められざるものだった。
 だから彼女も普段は力を秘匿して社会に溶け込み、生きてきた。
 そんな秘すべき術理を子どもが口ずさむ。
 明らかに異様な光景だ。
 難しい顔で子どもを見ていたカリンが携帯電話をバッグに戻す。
 そのままひざまずき、荒い息の合間に詠唱を呟く男児をお姫様抱っこすると、道を外れてアスファルト舗装のされていない土手に彼を寝かせた。
 周囲を確認するカリン。 

(住宅街でも、少し道をずれるとこんなものなのかしら。人目について良い事も無いし、さっさとやってしまいましょう)

 彼女はおもむろに男児にのしかかり、顔を近づけてその額を見つめる。
 
(な!? 何この子!?)

 額を見つめていたカリンが僅かに顔を離して男児をまじまじと見直す。
 異能者である彼女は世の裏側をよく見てきていた。
 その過程で自分以外の異能者や魔術師と呼ばれる存在も見知っている。
 とりわけ、万病を癒す『癒し手』などと呼ばれている彼女は様々な人物と会う機会も多かったからだ。
 だが、その中でも今目の前にいる子は異質だった。
 殆ど全ての魔術属性に適性があるのだ。
 普通、技術を磨き様々な事象を操る、複数の属性を扱うに長けた魔術師達であっても、干渉出来る力の種類は一つから三つ。
 それ以上を扱える者は世界にも数える程しかいない。
 生まれつきの素質によるのだと言われていたが、詳細は21世紀の今に至っても何もわかっていない。
 ただ異能同士で結ばれ子をなすと、更に力を持つ子が生まれる事があると言われているくらい。
 遺伝が関係するのではと研究されている最中だ。
 事実、長く続く魔術の名家ほど、複数の術に適性をもつ者が出やすい。
 もちろん、唐突に一般人から魔術の適性が天才並に高い子が生まれる事もあるにはある。
 二千年以上も研究されてなお、確立されている事などさほどない。
 それが異能、魔術の現状でもあった。

(この子、火水風土の全て、それに強化と回復まで『持って』いる。……信じられない。でも、その全部が弱々しいわ。これじゃあ一生魔術に目覚めるなんて事はなさそうね。だとすれば、この子の属性って単なる奇跡の産物なのかしら? 扱える属性は遺伝で強化されていく法則があるんだって聞いた事があるけど、この子のそれはまるで……日常的に魔術を扱っているかのような……ええ、当たり前さがある)

 彼女が見ることが出来る身体の中にある魔力の核とでも言う部分。
 そこから多様な色合いのラインが体に伸びているのが見て取れる。
 色彩の一つ一つが魔術を行使する際の通り道になる重要なみちだ。
 苦しそうに呻く男児の体を物理的にではなく確認したカリンの驚きはもっともな事だった。
 内から放つだけではなく、外界から魔力を取り入れる取り入れ口もまた数多くあり、彼の異常とも言える魔術の適性はそれだけの事なのだから。
 何故か核の大きさ、力の勢いは常人よりも遥かに弱く、か細いものだったが、彼が普通の子どもでない事は確実だ。
 何か重要な秘密を持つ実験体の類かもしれない、と恐ろしい考えを彼女は抱きかけた。
 だがそこまで考えてカリンは自分の考えの馬鹿らしさに気付く。
 あらゆる属性に適する、そんな優秀な魔術の血筋などは聞いた事が無いし、第一存在したとすれば一族の結晶たるこの子を無防備に外に出す訳も無い。
 今こうして自分が無事で、何者の気配も感じないという状況は有り得ない。
 人道など一切を無視して秘密を保つに足る、堅牢な場所で一生を幽閉状態で過ごしていても何ら不思議ではない存在なのだから。
 考えすぎだ、と己を窘めると彼女は本来の目的である治療を始めることにした。
 既に気にしてしまったこの子を助ける事は、カリンの中では当然の事となっていた。
 あまりにも興味深い存在過ぎるという好奇心もかなりあった。
 非常に珍しい事に、この時の彼女の頭からは金の計算が消えていた。
 それに彼女の治療は、基本的には実に単純なものだ。
 体をスキャンする。
 発見した悪い場所に力を流し元に戻す。
 ただそれだけ。
 しかもその際に細かな事を知っている必要も医療知識を持つ必要も無い。
 治れ、と願えばいいだけ。
 まさに奇跡の人物だった。
 現代に存在する最高の癒し手たる所以でもある。
 いつも通りに肉体の状況をスキャンをすると、その男児の身体の惨状にカリンはまたも驚く事になる。

(……良く、今まで生きていたわね。組織の全てが虚弱。まるで、この世界に適応していない生き物じゃないかと疑うレベルね……。参ったわ、お手上げ。治す意味が無いと言うか、治しても一緒と言うか。熱中症は治療したけど……これ以上はどうしましょう。体の中身全部を作り変えるに近いオペが必要だろうし、このまま土手に寝かせて出来る事でも無いわ。ミスター息吹との約束もあるし……)

 逡巡する思考がまとまったのか、閉じていた目を開けてカリンは男児から離れる。
 もう一度彼を見て、一つ頷くと両手で彼の頬を包んだ。
 治療を施しているのか、他の何かをしているのか。
 少なくとも男の子の寝息は穏やかになり、眠りに落ちたようだった。
 土手に寝かせた時は抱っこだったが、今度は男児をおんぶして彼女は立ち上がる。

「ごめんね、ほっとけなくなっちゃったから。少しだけ寝ていて頂戴。後でお家に連れて行くからね。あ、誘拐と勘違いされても困るわね。確かここの所轄署は……。ん、ミスター坂田がいる所ね。この子の写真を送って家族から問い合わせがあった時には対応してもらいましょう」

 運良く知人の刑事が勤める警察署がこのエリアを担当している事を思い出したカリン。
 手早く行動を済ませると、腕時計を確認して男児をおんぶしたまま、彼女は早足で息吹家に向かった。
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