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extra17 その頃ツィーゲ ~夏休みに起こっていた事②~
しおりを挟むジン=ロアンをはじめとする臨時講師ライドウの講義を受講している学生たちは、夏休みを利用して各々自分に合った戦闘スタイルを獲得しよう、高めようと毎日を有意義に過ごしている。
既におぼろげながら理想像を思い描いている者、それを見出そうとしている者。
現状の段階は様々だ。
しかし、研鑽し合う仲間と別行動をしている二人がいる。
辺境都市ツィーゲの豪商レンブラントの娘二人だ。
シフとユーノ。
今年の夏はライドウが何とか引き受けてくれた補講と自己鍛錬で過ごす心算でいて、里帰りの予定は無かった姉妹。
不幸な事に彼女達の父親であるレンブラントは商人としてライドウと付き合いがあり、しかもライドウはレンブラントを慕っている節もある。
父親からなら突っぱねる事も容易かった帰省勧告も、呪病を治してくれた恩人ライドウからとなると断りにくい。
いや、断れない。
思わぬ搦め手にシフとユーノは夏休みの後半を実家で過ごす事になった。
姉妹はどちらも現状伸び悩んでいて、あのまま夏をロッツガルドで過ごすよりも環境を変えた方が良い影響に繋がる可能性はおおいにあった。
だから父親の溺愛故の行動も彼女らにとって決してマイナスと決まった訳では無い。
一応ライドウは姉妹がツィーゲに戻る日に彼女らにやんわりと父親をあまり責めない様に、前述の内容を言葉を選んで伝えた。
残念な事に、二人から返ってきた「わかりました」は明らかに納得していない顔だったが。
レンブラントへの義理から姉妹を送り出したライドウは、まあ何とかなるだろうと、苦笑いを心中に隠しながらシフらを見送った。
「ツィーゲ、よね?」
「うん、終点だから、多分」
数日後。
故郷への門をくぐったレンブラント姉妹はその場で二人揃って目を点にした。
迎えの者がどこかにいる筈だが、探すよりも先に驚きで固まる。
黄金街道と呼ばれる流通・交通の経路の一つと、ツィーゲの街を結ぶ門。
ツィーゲは、荒野というフロンティアを抱える特殊な街。
街中に転移陣は一つも無い。
門を通過しないと街への出入り、荒野への出入りは出来なくなっている。
だから姉妹が今いる場所は、例えるなら駅前。
街の発展が最も目に見えやすい場所の一つである。
流通が盛んな事もあり終日喧騒が止む事が無い場所だ。
「見える範囲でレゾー通り位しか面影が無いわ……」
「人も無茶苦茶増えてる。学園に戻る時も結構アレだったけど、凄い、ねえ」
黄金街道から街の中心部に伸びる一番目立つ大きな通り。レゾー通りは流石にその姿を変えていたりはしなかった。
だが両側に並ぶ建物は見覚えの無いものが殆どで、しかも通りを埋める人と馬車、それに荷物が二人の記憶にある街の印象と大きく違っていた。
活気は学園都市などよりもずっと上だと、姉妹は感じていた。
荒野へのアプローチが盛んになった事で景気の上向きが止まらない状態にある故郷ツィーゲの活力を、少しの間離れていた事で思い知り、圧倒されていた。
「シフお嬢様、ユーノお嬢様!」
「ただいま」
「モリス!」
「お帰りなさいませ。そのお顔、やはり驚かれましたか」
「ええ。凄いわね、そんなに経っていないのにこんなになるなんて……」
「びっくりだよ! 家まで変わってないよね!?」
「この辺りは丁度工事がまとめて終わった所で、私もこれほどの活気はまだ慣れませんな。ユーノお嬢様、屋敷はお二人が学園に行かれる前と全く変わっておりませんよ」
呆然としていたシフとユーノに低いが良く通る声が掛けられた。
レンブラント家に長く仕える執事、モリス。
二人のお嬢様が戻ってくると言う事で、彼が迎えに来ていた。
痩躯ながらも背に芯が入った美しい姿勢。
別れる前と少しも変わらないモリスの姿は二人を安心させる。
本来はレンブラント自身が来る予定だったのだが、彼は急な商談の為に仕方なく断念。
商談の方を断念しようとしていたのを妻と執事に慌てて止められ、二人を迎える役はモリスに委ねられた。
「そう。何だか見て回る場所が沢山ありそう。生まれ育った街なのに、なんだか不思議ね。それに……てっきりお父様がここに来ると思っていたのにモリスだったのも不思議」
「あーー! そうだよ、お父様! ライドウ先生使うなんて卑怯な事して!! 文句言ってやろうと思ってたんだよ!!」
「急な商談が入りまして、今日は私が代わりに参りました。外出されるのでしたらご用意致しますので、まずは馬車の方へ。何事もまず一度屋敷に戻られてから」
「お母様もモリスも、大変ね。時々お父様がどうやってあそこまで大きな商会を経営する商人になったのか疑問に思うわ」
「……お父様の事だから商談をキャンセルしかねないと思ったけど、そこはまだちゃんとしてるんだ」
急な商談。
その一言でシフは大体何があったのかを把握し、ユーノはまだ少しは父を信じる発言をした。
はは、とモリスは曖昧な笑いを浮かべて二人を商会の印が入った馬車に誘う。
酷い混雑だと言うのに、海を割るかのように馬車の進行方向の人や物が左右に片付いていく。
ツィーゲにおけるレンブラント商会の権勢が如実にわかる光景だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「という訳で冒険者ギルドに来てみた、んだけど」
ユーノ=レンブラントは目をこする。
彼女の眼前には冒険者ギルドがある。
ロッツガルドには無いが、依頼の斡旋をしてくれる冒険者馴染みの場所だ。
道中、道が増えたり建物が出来ていたりと困惑こそしながらもユーノは一人、ここまで来る事ができた。
本来当たり前の事なのに、かなり難しい事をやり遂げたかのような妙な達成感が彼女の中にある。
あるのだが……。
「なんで、ギルドが二個?」
そう。
ユーノの前には似たような作りの建物が二つ並んで建っている。
どちらにも冒険者ギルドの看板が出ている。
謎だった。
間違い探しをすれば違いにも気づいただろうが、ユーノは目をこすって確認してみただけで、さした躊躇も無く彼女から見て左のギルドに入った。
迷ったら左、は彼女の指針の一つだ。
「うっ」
凄い熱気がユーノを包む。
人人人、受付が見えない。
何度か入った事があるユーノでも困惑してしまう程の混雑ぶりだ。
「邪魔だ、どけっ」
「入口につったってんじゃねえよ!」
「わっ、とごめんなさい」
怒鳴られて慌てたユーノは反射的に謝罪して脇にずれる。
病気を患う前の彼女なら即座にレンブラントの名を出して相手をいたぶっている所だ。
逆に見下される可能性もあるにせよ、人としては成長した振る舞い。
ユーノに気づかれる事なく陰で見守っていたモリスは密かに涙ぐんだ。
「……なるほど。こっちは荒野専門のギルドなんだ。流石に荒野に入るのは無理だよね、外れたか私」
周囲を観察したユーノが状況を理解する。
以前は一つの建物で荒野に出る必要がある依頼とそうでない依頼を掲示板を分けて掲示していた。
今は、扱う依頼が増えたのか建物そのものが分けられた事を知ったのだ。
静かに外に出てもう一つのギルドに入る。
人はそれなりにいるものの、混沌とした雰囲気は無い。
ユーノは覚えがある雰囲気のギルドに安心感を抱いた。
ふとある場所で観察していた目を止める。
目的の受付まで進んで彼女はカウンターに肘を乗せた。
「いらっしゃいませ、御用件は……ってユーノ! なに、あんた! いつ帰ってきたのよ! 久しぶりーー!」
「へへー、ついさっきだよ。真面目に受付やってるね感心感心」
「上から目線か、この~。そりゃお仕事だからね、真面目にやりますとも。向こう程忙しくないけど間違いには厳しい職場だしね」
「久々に帰ったらギルドが増えてるんだもん。そりゃびっくりだよ。街もまるで別物みたいに変わってるしさ」
「別物は言い過ぎでしょ~。……あ~、でも最近結構何ヶ月ぶりかで来る冒険者さん何かから道案内を頼まれたりするわね」
ユーノが見かけたのは故郷の友人だった。
彼女が座る受付で再会した二人は久々の友人の無事な姿を喜びながら雑談を始める。
所々に冒険者が来ていない受付がある状況だから許された事ではあるが、二人はあまり気にしていないようだった。
「すっごい変わってるからわかる。アーちゃん、今日仕事終わるのいつ? コネで入ったんだし抜けられないの?」
「え、そうね。あと一時間位かな。ってあんた、わざわざ私に会いに来てくれたの? レンブラントのお嬢様が? あとコネ言うな、真面目にやってんの」
「ううん、偶然。出来そうな依頼を見に来たんだけどアーちゃん見かけたから声かけただけ。依頼は無理に今日請けなくても良いし、友達優先って事で」
あっさりと首を横に振るユーノ。
「偶然って、ばっさりと。でも嬉しい。じゃ依頼でも見繕いながら待ってて。最近話題の場所とか案内してあげる、あんたの奢りでね」
「ええ!? 帰ってきた私が奢るのお!?」
「さっきの女心がわからない発言へのペナルティね」
ぶつぶつ文句を言うユーノだったが、本来の目的である依頼漁りをする事にしたのか受付嬢に背を向けて掲示板に向かう。
学園の友人は、友人ではあるが同時にライバルでもあり高め合う間柄。
つまりはどこか気を張る必要がある友人だ。
だがツィーゲでの友人は、ユーノにとって、本当に年相応、かつ肩肘をはらないで良い楽な関係である友人だった。
無理に学園の友人と比較するならゆるい友人とでも言うべきもの。
だからだろうか。
元々裕福な育ちのユーノには奢る事も比較的あっさりと受け入れられた。
「えっと、個人向けの七十代かパーティ向けの五十代くらい推奨で何か無いかなっと」
掲示板を見ながら、ちゃっかりと受付嬢から特別に貸してもらった依頼のカタログをパラパラめくるユーノ。
ツィーゲに帰ってきたからといって彼女に鍛錬をサボる気は無い。
報酬よりも経験を目当てに彼女は依頼を品定めする。
ユーノ=レンブラントはまだ自分の理想とする戦闘スタイルを見いだせていない。
何かが足りない気がする、と彼女は感じていた。
だからその何かを何とかして掴みたいと思っているのだ。
「もう二刀流で突き進んでるジン先輩とか見てるとなーんか焦るんだよねえ。かと言って識さんの槍はあくまでも術を主体にしたスタイルだし、ライドウ先生の弓は変態だし」
ライドウの指導を受けて大分魔術方面も鍛えられているユーノだが、とてもメインに置いて戦える代物ではない。
やはり命を預けるなら得意な武器戦闘の方が良い。
一応彼女は冒険者登録をしていて、冒険者としての職業を有している。
当然、固有のスキルなどもそれなりに会得しているので駆使すればそれなりに戦える。
だが、ライドウの方針で、特に簡単な詠唱と宣言で使えるスキルにはあまり頼らない様に言われている。
スキル戦闘を主眼に置くスタイルは戦士職に就く冒険者ではスタンダードで、学園でも多くの生徒がそうやって戦っている。
だから初めは指示にかなり違和感を感じたユーノだったが、今ではその理由もわかってきていた。
スキル、特に宣言で使用する能動スキルは人の体を強制的に動かす。
例えば軽装戦士系列で広く知られているハイスラッシュ。
地に足がついている状態で使用できるスキルで、使うと相手の頭上高くまで飛んで斬りつける。
飛んでから相手に斬撃を放つまで行動の自由が効かない。
場合によっては、例えば外したりすると致命的な隙になる。
勿論、本来の脚力を超えた跳躍力を得られるし、利点もあるから使い様ではあった。
ユーノは、まずは自分の体だけでしっかり戦えるようになってからスキルを活かすようにしろ、という事なのだろうとライドウの意図を憶測していた。
とは言っても、いざスキルを使わずに戦うとなると、中々難しい。
これまでは便利なスキルに隠れてあまり気にしなかった、自分に合った戦い方というものが気になってきてしまい、ユーノは悶々と悩む日々を過ごしている。
ちなみにライドウは能動スキルなど一つも使えない。
ごく低レベルから選択の余地もある職業にしても、彼はレベル1故に獲得していないのだからある意味当然だ。
ルトがギルドシステムに設定した全ての職業はレベル1ではなれない。
知らないから教えられない。
意外と真相は情けなかったりした。
されど時に誤解は凄い奇跡をも生む。
ジンなどは、闘技大会に使用する事も出来ないから元々使えない前提で鍛えるべきだと言われている気になって励んでいる。
能動スキルは冒険者ギルドの恩恵の一つ。
学園都市の闘技大会は勿論、ある程度格式のある武技を競う場では使用が禁止されている事も少なく無かった。
もちろんライドウはそんな事を知らない。
結局ユーノはその日、これだと思える依頼に出会う事も出来ず、友人の仕事あがりに合わせてギルドを後にした。
◇◆◇◆◇◆◇◆
アーちゃんことアーシェスと楽しい夜を過ごしていたユーノ。
しかし、今のツィーゲの夜が彼女の知る危険度を遥かに超えていた事に気付いたのは残念ながらトラブルに巻き込まれた後だった。
「ど、どうしよう」
隣で怯えるアーシェスの声にユーノも同じ事を考えた。
この街でのトラブルは大体レンブラントの名前一つで片付くのだが、例外はある。
相手がレンブラント商会を敵視していた場合、そして正気では無い場合だ。
今夜のは後者だった。
酒による酩酊。
ユーノが腕に覚えがあると言っても、それはあくまで学生としての事。
日中、間違えて入った方のギルドで怒鳴られたから覚えがある顔の冒険者を何とか出来るかと問われれば答えはノーだ。
会話で穏便に済めば良かったが、相手はユーノ達に声を掛けて絡んできた時点で既にかなり酔っていた。
そして、酔っているとは言え荒野に出て依頼をこなせる冒険者。
自身も多少酒が入っているユーノに太刀打ち出来る相手ではなかった。
周囲は無関心か、それとも見物の雰囲気。
良くも悪くもツィーゲらしい反応だった。
(出来るだけ騒ぎを大きくして私を知ってる人に仲裁に入ってもらう、ってのが一番かな。家を黙って抜け出してきたのが裏目に出たー)
ユーノはそれでもまだ冷静に対処を考えていた。
が……。
「きゃ、ぐうぅっ!」
一瞬。
知人はいないものかとユーノの視線がいちゃもんをつけてきた二人連れから外れた瞬間だった。
喉に野太い手が触れ片手で男に持ち上げられてしまうユーノ。
酒が入っているとは思えない鋭い動きだと彼女は思った。
すぐに友人を確認すると、アーシェスの方は抵抗を封じる必要さえ無いと思われたのかいきなり抱きつかれていた。
何とかしてあげたいものの、ユーノものど輪状態のまま持ち上げられて呼吸もままならない。
(まず! どうしよ、ここから何をどう。ああもう。故郷だけど何て治安の悪い街なの……)
苦しいながらもまだパニックにはなっていないユーノが毒づく。
レンブラントの名前が通用しないなら荒野に出る冒険者を撃退する手段はユーノには無い。
逆に言えば、通常この街にいる冒険者でユーノに対処出来ない対象は無いことになる。
現に、今こうしてユーノらを追い詰めている冒険者にしても、既にその命運は尽きている。
ここからどう振舞っても、明日には彼らは激怒するレンブラント商会代表の怒りをかってこの街から消えるだろう。
だがそれは今を解決する手段では無い。
今彼女の助けになるとすれば、それは……。
「さて、この辺りにして頂きましょうか」
静かな声が野次馬の煽りの中、酒場に響いた。
一日の疲れを吐き出して、代わりに臓腑に酒を染み渡らせる時間なのに、びしとバトラースーツを着こなした男性が一人。
声は彼からだった。
躊躇いなくユーノとアーシェス、男二人の四人がいる現場に足を踏み入れ、なにげなくユーノにのど輪をかけている男の右手、その肘辺りを右拳で軽く打った。
「あ~? お前俺が誰だか……うおあっ!?」
それ程強く打撃を加えた訳では無いのに、巨漢がユーノを離して腕を縮めて引っ込めた。
湧き上がる歓声。
だが男は気にするでも無くユーノをお姫様抱っこすると、視線をもう一人の被害者アーシェスに向ける。
失礼致します、とユーノに一言断って手を持ち上げメガネをくいと上げる。
「アーシェス様、バンザイでございます」
「へ」
「両手でバンザイ、です」
「あ、はい」
「っと、なんだお嬢ちゃん」
老齢の男から突然妙な事を言われたアーシェスは唖然としながらも、その人物を思い出すと言われるがまま万歳する。
すると彼女に覆いかぶさって両腕を掴んで動きを封じていた男が大きく前に仰け反った。
注意がお互いに老人に向いていたから出来た事でもある。
注目されている執事服の男はニコリと笑う。
「では思い切り膝でございます」
「膝、こうっ!?」
「ごっ!!」
「あ」
「パーフェクトでございます。どうぞ、こちらへ」
言われるままに思い切り膝を上げた彼女はその結果をようやく知る。
丁度男の股間に膝がのめり込んだ。
それも、遠慮も何もなくただ条件反射のように思い切り放った膝が。
男の体から力が抜けるのを感じると、アーシェスはアドバイスをくれた男の所に急いで避難する。
哀れな男は同性にしかわからない激痛に口から泡を吹いて白目をむいていた。
「モ、モリスさん! 怖かったですーー!!」
「もう大丈夫ですよお嬢様方。アーシェス様、ユーノお嬢様をお願い致します」
「は、はい」
「うっ、ごほっ……。モリスありがと」
「ユーノお嬢様、お姿が見えず肝を冷やしました。すぐに済ませますので屋敷に帰りましょう。……奥様がお待ちです」
奥様が、と付け加えたモリスの言葉にユーノが呻く。
怒られる未来を悟ったのだろう。
モリスは上着を脱いでチョッキ姿になると、首をコキコキと鳴らしながらのど輪をしていた男に近づいていく。
「てめえ! 俺は荒野で稼ぐ冒険者だぞ!? 暗土のベースまで行ける実力者様だ!! わかってんのか!?」
「暗土。二つ目のベースですな。半年も前なら威張っていても構わない程度ですが、今となってはどうという事も無いレベルかと。レンブラントの名に怯えぬだけの代物とも思えませんな」
「はっ! 商人風情がいつまでもでけえ顔できると思ってんじゃねえ! 俺はなレベル百三十――っぶぅ!!」
モリスの細い右足が巨漢の鳩尾に突き刺さる。
「私、大したレベルでもなく恐縮ですが三百ほどでございます」
そう言った老齢の執事は残る左足を含めて全身に力を溜める。
ユーノはバネが縮む様子を連想した。
次の瞬間、モリスの体は宙を舞っていた。
上品な様子の老齢の執事がバク宙よろしく翻ったのだ。
力の解放と同時に左足が跳ね上がって巨漢の下顎を蹴り砕いた。
既に突き刺さっていた右足が左足を追う様に男の体を離れ、モリスはそのまま宙返りをして着地した。
あくまで落ち着いた所作で裾の埃を払う。
アクロバティックな動き。
とても老いた者の動きとは思えない鮮やかさだった。
「やれやれ、荒っぽい若者が増えると、老体に鞭打つ機会が増えて困りますな」
モリスの言葉を音頭にして辺り構わずグラスをぶつけ合う音が響いた。
酒場は今宵一番の盛り上がりを見せている。
アーシェスもキャーと叫んでユーノと握り合った手をぶんぶん上下させていた。
そんな中ユーノは呆けた顔でモリスを見上げていた。
「さ、ユーノお嬢様。私と帰りましょ――」
「……見つけた。これだ」
「お嬢様?」
「モリス!!」
「はい、何でございましょう?」
「私に今みたいなの、教えて!!」
「……は?」
ユーノは全身の震えを感じていた。
父親に仕える執事モリス。
幼い頃からずっと傍にいる家族同然の人物。
強いのだという事自体は彼女も聞いた事があった。
だが、何を獲物にどう戦うのかなどは知る機会も無かった。
荒野に出入りする冒険者、それもそこそこの実力者をまるで子ども扱いする程強かった事にも勿論驚いた。
が、それ以上にユーノを震えさせた、いや奮えさせたのは見事な体術だった。
槍か弓か。
自分の方向性に悩んでいたユーノにとって、モリスの見せた動きは正に天啓の様に見えたのだ。
彼女は自分の器用さを理解している。
大抵の武器をそれなりに扱える特性を。
それは汎用性という強力な利点でもあり器用貧乏という悩みにも繋がるもの。
だがユーノは今、悩んでいた自分の進む道に一つの光明を見た。
様々なリーチの武器を扱う技術、それを結ぶ根幹となるもの。
彼女は自分にとっての柔軟な芯になる武術と遂に出会った。
この時初めて、彼女は半ば強制的に帰省させた父親に心から感謝したのだった。
彼女の夏休みはこうして動き始めた。
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