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10巻
10-1
しおりを挟むプロローグ
◇◆◇◆◇
広々とした部屋の中央に天蓋付きの豪華な寝台がひとつ。
夜更けに相応しく、室内はしんと静まりかえっていた。
だが、突如その静寂を破ってバタバタと何かを叩く音と、甲高い笑い声が室内を満たした。
「ふ、ふふふふ……。凄い、凄いよ!! これが異世界人なんだ。これがニンゲンって奴なんだよ! だから彼らとの付き合いはやめられない。思いもよらない、途方もない事を平然とやってのける!」
冒険者ギルドのマスター、ファルスことルトははしゃいでいた。
まるで子供のように足をばたつかせながら、ベッドの上で何度も左右に転がっている。
普段の――何事にも動じる事なく穏やかな笑みを湛えた彼を知る人が今の様子を見たら、間違いなく絶句するだろう。
ここはルトの寝室の一つ。
冒険者ギルドの奥、普段は誰も近づかないように彼が命じた区画の中にある。
寝室には徹底した防音処理が施されているため、この醜態が外に漏れる心配はない。
今、彼の眼前にはうっすらと光る四角形が浮かんでいる。
それは物質ではなく、映像だった。ルトはそれを見て興奮しているのだ。
「真君は厳密には人間じゃなくてヒューマンのはずなのにな。原初の世界で彼らと同じように生活すると、皆ああなるんだろうか!? ああ、是が非でも試したい。彼の子を、可能性を、僕がこの身に宿せるのかどうかを!!」
宙に浮く光の四角形の中では、目まぐるしく映像が切り替わり続けている。
最悪のカメラワークと断言出来るくらい酷い映像だ。
上下左右、無秩序に動くブレまくった代物で、とても見られたものではない。
ただ一点、どれだけ無茶苦茶に映像が動いても、中央にはほぼ常にオレンジ色の〝人型のナニカ〟が映っている。
この映像は、それを中心にして高速で動いている何者かの視界、そんな感じだった。
ルトは乱れた映像に一言の文句も言わずに、ただただ楽しげに目で動きを追っている。
もし彼がこの映像から状況を把握しているのなら、凄まじい動体視力だ。その能力の高さには目を見張るものがある。
「竜殺しのソフィア……か。つまらないイレギュラーだと思っていたのに、なかなか良い仕事をしてくれる。もしこの場を切り抜けられたなら、ご褒美に一目くらい会ってやってもいい。彼女のおかげで真君の力をこの目で見る事が出来たんだから」
会う可能性はないと冷静に分析しながら、ルトは心にもない事を口にする。
映像の舞台はリミア王国の王都、ウル。
しかし、世界に知られたその壮麗な街並は見る影もない。破壊の嵐に蹂躙され、もはや都市としての機能は失われたと誰もが判断する、そんな惨状だ。
「王都はこれまでだね。けれど女神の介入の甲斐もあって勇者は命拾いし、魔将は早くも退場した。入り乱れる力のせいで巴と澪がどこで何をしているのかよく分からないけど、真君と識が見られるだけでも十分。開幕から爆笑ものの防具できっちり笑いを取ってからの大暴れ、そして、本命の能力発動! 飽きるどころか、君を見ているのが日に日に楽しくなってくるよ。ねえ? どうやったら……どういう思考で何をすればそんな力に行き着くんだい?」
ルトは映像の中央にいる人型の何かを纏った人物――深澄真に問いかける。
オレンジ色の人型……端的にいえば、それは魔力の塊。
だが、ただの魔力ではない。
物理干渉――言い換えれば物質化を可能にした、魔力そのものの活用法。
あまりにも非効率でヒューマンからも魔族からも見限られた、とうに死んだ研究の果てにあるものだった。
真がこの能力を明らかにした時、ルトの顔から一瞬全ての感情が消えた。次いで彼は食い入るようにその姿を見つめた。
そして、突如バスローブを脱いで寝台に飛び込むと、深夜という時間も考えずに全裸で大騒ぎし始めたのである。
「錬金術における奥義の一つ、賢者の石の生成……。もしも混じり気なしなら、正真正銘の〝補い満たすもの〟」
ルトは不意にある言葉を思い出した。
賢者の石――それは錬金術師でも相当に研究を進めた者にしか理解出来ない高度な理論と技術、すなわち奥義によって生成される高級触媒である。
彼が口にした通り、もし完全な物ならば、その効果はまさに万能の触媒となり、計り知れない価値を持つ。もっとも、完全な賢者の石をヒューマンが作ったなどという事は、ルトが知る限り一度もない。
「錬金術師達にとっては、賢者の石への到達は至高の目的になり得る。だからいつからか、錬金術師に限らず研究者は、自らの生涯の目標を賢者の石と呼ぶようになった。……でもね」
己の言葉の選択に、ルトは思わず口元を綻ばせる。
真がやってのけた〝魔力の物質化〟は、錬金術からは壮絶に道を外れながらも、とんでもない成果を生んでいた。それがルトの脳裏で錬金術の用語と結びついたのだ。
以前、真はルトにこんな相談をしていた。
一度に運用出来る魔力の量を増やしたい、保有する魔力に相応しいだけの放出量が欲しい、と。
程度の差はあれど、これは魔術師にとってありふれた悩みである。
もちろんルトは、彼にいくつかの方法を紹介した。真に好意を抱いているが故の、ちょっとしたサービスである。
だが、はっきり言って真にはその素質がなかった。
だからルトが示した最も効率的かつキツい修練を続けたとしても、平均的なヒューマンの何割分かの成果しか見込めない。気の毒だが、夏休みの一月やそこらで目に見える成果が出るような課題ではないと、ルトはそう考えていた。
当然、真にもその事は説明した。
それでも真は、学園の夏休み期間中にどこかに籠もって修練を続けたらしい。
たとえ即効性はないとしても、継続は力であり、努力する事自体は無駄にならない。真が自分を見つめて鍛えるのはむしろ好ましい事だと思って、ルトは特に異議を唱えなかった。
それにしてもだ。
真が今回目指していたのは、一度に術に込められる魔力量を目に見えて増やす事だったはずだ。
ところが……。
「無茶苦茶だよ。魔力を体外で具現化した上で留め、必要に応じて使うだなんて……。あの人型を構成する魔力は術を展開する一歩手前、臨界に近い状態で維持されている。確かに、魔力が一番物質への干渉力を持つのはその瞬間で間違いないけど、燃費が悪すぎて普通なら話にならない。僕だって十分も保つかどうか」
真が取ったのは限りなく非効率的な解決手段である。
一体どれだけの魔力を保有していたら、こんな事を思いつくのか。
ルトは真の魔力を〝上限なし〟と再評価した。
無論、限界がないわけはない。
だが、計算や数値化に臨んでも、ゼロを書き並べて疲れ果てそう、という判断だ。
ルトも〝似たようなもの〟を少量構築するだけならある程度は可能だと考えている。しかし、真がソフィアを相手にやってみせているように、実戦であれだけの量を使い続けるなど、とても出来るとは思えない。それだけの魔力を消費するのなら、いっそ周囲一帯をまとめてクレーターにした方が手っ取り早いし、楽なのだ。
まさしく、真にしか出来ず、彼にしか考えつかないオンリーワンの能力だった。
「臨界寸前の多様に変質し得る魔力。それを具現化して自在に攻防に活用する、か。完全どころかありふれた賢者の石を目指していた者が、一足飛びに本物の混沌を作り出すようなものだよ。でも君はそれをやってのけた。とんでもなく馬鹿げていて、とんでもなく凄い。偉業だ」
映像が唐突に黒く染まる。
ルトが目を離した一瞬の間に、ソフィアが地に墜ちたらしい。
この映像は彼女の視界である。
揺れたり、ブレたりと、顔につけた小型カメラからの映像に近いのはそのためだ。
だから彼女の視界が塞がれれば、当然映像もブラックアウトする。
まさか探し求めた〝万色の竜〟にカメラ代わりに使われているとは、ソフィアには思いもよらないだろう。
ソフィアが何をされてダウンしたか、ルトは把握していなかったが、あまり残念そうな様子はない。そもそも彼はソフィアが健闘する事すら期待していないのだ。
いくつかの上位竜の力を手にした程度の彼女が及ぶ相手ではないと、真が能力を発動した時からルトには分かっていたから。
同時に彼は、竜殺しの異名を持つ冒険者に哀れみの念を抱く。
分を弁えていれば。
ランサーと企み事などせず、上位竜を狩るなどと考えなければ。
自分に挑もうとさえしなければ。
ただの冒険者として活動しているだけならば、彼女はルトの力の恩恵で、その一生を成功者として終える事が出来ただろうに、と彼は思う。
今となってはもう、全て意味のない話だが。
「魔力版〝第一原質〟とでも言おうか。……もしもまだあの能力に名がないのなら、彼に提案してみようかな。恐らく君はその言葉の意味も知らないのだろうけど。君が後回しにして逃げた、魔術による創造理論。今君は、事実上それにさえ力業で到達しつつある。未だ一切の理に至っていないというのにだ。真君。君はまさに僕の理想のヒューマンだ。僕が思い描き、いつか実現させようと渇望する存在が既にいる。しかも目の前に! ああ……体の芯が疼くよ。蕩けて……どうにかなってしまいそうだよ」
ルトは混沌の別称とも言うべき名を真の能力に添えた。
その言葉の真意は語られず、ただ言葉とともに吐かれた彼の熱だけが室内に籠もる。
再び映像は空からの視点になった。
無数の紅い光が真が纏う人型に向かって撃ち出される。
まったく違う場所から放たれているのに、着弾点は恐ろしく正確。
曲射のように軌道を変えて、人型の一点に集中して撃ち込まれていく。
極めて高い技術と集中力、そして抜群のセンスの為せる技だ。
それでも……熱に浮かされたルトの瞳が見つめるのは、人型に包まれた真だけ。
いつの間にかルトは、その姿を女に変えて、身を震わせる。
収束しつつあるとはいえ、彼のお膝元でもあるロッツガルドで起きている大事件、変異体の襲来など、まるで忘れてしまったかのように。
ルトは眠れぬ夜を過ごす。
1
「……ドラゴンっつっても、大した事ねえや。クズノハの姐さんらの方が威圧感あるっての」
ようやく炎上が収まってきたリミア城下。
ヒューマンの冒険者が巨大な影に向かって悪態をついた。
だが彼は、かろうじて自身の足で立ってはいるものの、かなり負傷している。その言葉が強がりでしかない事は、男の表情を見れば明白だった。
今も王都の各所から煙が上がっているが、先ほどから争いの音はぴたりと止んでいる。
魔族とヒューマンの戦闘はすっかり停止しているようだった。
魔将ロナからの撤退命令の影響もあるが、直前に降り注いだ大量の光の剣による破壊の影響が一番大きいだろう。
(同感だな)
冒険者の男が絞り出した言葉に、彼らとは少し離れた瓦礫の山に立つ人影が首肯した。
しかし、その同意に強がりは一欠片も含まれていない。
まさしく言葉通りの意味である。
光沢のある黒い生地に、金糸で控えめな彩りが加えられたローブを纏っている魔術師風のシルエット。だが彼の姿は人のそれではなく、明らかに異形。
その頭部を覆うフードが後ろにはだけた事で露わになった顔は、髑髏そのものだった。
眼窩に、赤い光が瞳のようにうっすらと輝きを放っている。
謁見の間で竜殺しソフィアと戦っている〝魔人〟の従者、識だ。真との契約で人の姿を得た彼だが、今は勇者達に正体を悟らせないために、かつてのリッチの姿を纏い、ラルヴァと名乗っている。
王都で殺戮を繰り広げる魔族の兵を止めようと飛び出したリミアの勇者――音無響の後を追って城下に出た彼は、空から降り注ぐ光の剣を凌いだ。
その直後、彼らの前に巨大な影が降り立った。
「手間が省けたが……」
彼は横目で勇者達の様子をちらっと見て、そう呟いた。
悪態をついた冒険者は疲労を色濃く滲ませ、同様に騎士のベルダも剣を杖代わりにして、やっとの事で立っている。
巨大な影を警戒する響の背後で必死に回復魔術を展開しているのは、ローレルの巫女、チヤだ。
そして……。
中でも識が注目したのは最後の一人……地に伏した魔術師、ウーディだった。
防御に失敗したのか、それとも流れ弾に当たったのか、彼の腹部には痛々しい穴が空いていた。
響があまりに暴走するようなら、仲間を何人か半殺しにして動きを封じようかと考えていた識にとって、彼女達が仲間の治癒で身動きできない今の状況は、願ってもないものだった。
まさに、手間が省けた、である。
勇者達の現状を確認すると、識の視線は再び降りてきたモノに向けられ、今度はぴたりと固定された。
彼の興味がどちらに向いているかは明白だ。
見張り塔よりも更に巨大な影は……竜だった。
二本の足で立つ白銀の竜。
その鱗は鎧の如く変質し、まるで武装しているかのように見える。ある箇所では鋭利な刃、そしてまたある箇所では滑らかな円盾を思わせる。
異質な姿をしていた。
その竜が、下等な獣とは異なる、意思と知性を宿した瞳で識を見下ろす。
「リッチか……。魔族に加わっているわけでもなさそうだが……まあ、見逃してやろう。去れ」
開口一番の言葉は識に向けて放たれた。
「上位竜ランサー。〝御剣〟……まさか会えるとは思っていなかった」
対する識は威圧される事もなく、ぽつりと呟いた。
識はその竜が上位竜と知ってもなお、恐怖を感じてはいないようだった。
むしろ、その言葉に漂う気配には、喜色が読み取れる。
瀕死の重傷を負った宮廷魔術師の名を叫ぶ勇者達の声が響くも、識はなんの感情も示さずランサーを見つめたまま。
やがて彼は、手にした飾り気のない一見ただの棒にさえ見える黒い杖の先端を、竜の巨躯に向けて静かに構えた。
「……その構え、なんのつもりだ?」
「我が名はラルヴァ。魔人の従者。そう名乗れば、こちらの意図は分かるな?」
「魔人だと? 奴め、手勢がいたか」
ランサーが憎々しげに吐き捨てた。それと同時に、ランサーから亜竜の咆哮並の威圧が漏れ出た。
上位竜はただ戦闘を意識しただけでも、これだけのプレッシャーを周囲にまき散らす。
しかし識は身を縛られる事もなく、涼しい表情で黒杖をかざしたままだ。
「話が早い。では始めようか」
大人の下半身を隠す程度に霧が包む廃墟の如き王都で、ただの高位アンデッドにすぎないはずのリッチと、上位竜ランサーの、あり得ない〝戦い〟が始まった。
◇◆◇◆◇
「貴様は間違いなく魔人の従者のようだな。まったく、リッチとは名ばかりの存在よ。ヒューマンの皮を被った奴に似ている」
お互い本気ではないと分かる攻撃の応酬を経て、ランサーが先にその手を止めた。
まだどちらにも負傷はない。
「くくく……」
「だが、残念だったな。会うのが遅すぎた。貴様がいくら健闘してみせようと、今や我はただの上位竜ではない。それにしても……上位の竜に並ぶほどの力を持つ従者がいるとは、やはり魔人、ライドウは危険だな」
「……」
「ラルヴァと言ったか。遊びは終わりだ。我はソフィアとの合流を急ぐのでな……いや、正直に言えばこの手で魔人を殺したいからな。……一時とはいえ、奴には足を奪われた借りがある」
沈黙を守る識になおも語りかけたランサーは、その姿を変容させていった。
見る間に竜の姿が縮み、人の姿になる。
しかし、帝都で彼が見せた子供の姿ではない。
識の目の前には、ソフィアと同い年くらいと思しき、二十代前半の細面の青年が立っていた。
僅かに発光する刺青のような紋様が白い肌に浮かび上がり、彼の姿を淡く照らして幻想的な雰囲気を醸し出している。
「殺したい? それこそ私の台詞だ、ランサーよ」
「口の減らぬ――」
ランサーがそう吐き捨てた直後、識を取り囲むように出現したいくつもの光の剣が、一斉に彼に襲いかかった。
識は即座に反応し、数本の剣を術で破壊して逃げ道を確保する。しかし光の剣が爆発した時の衝撃からは逃げられず、風に舞う木の葉のような軽さで吹き飛ばされた。
彼は器用に空中で体勢を整えて、勇者の傍に着地した。
「ラルヴァ殿、この霧を解いて! そうすれば私達だって戦える。貴方があの竜を討つ手助けが出来る」
響が叫ぶ。
「ふ、ふふ、リミアの勇者よ。お前はどうも状況が見えておらぬようだな。私は別に苦戦などしていない」
「……どこが。いくらなんでも強がりがすぎるわよ。今の攻撃、避け切れていなかったじゃない」
まともな直撃は受けていないものの、幾度となくランサーの攻撃に晒されて、識のローブはかなり損傷してボロボロになっている。
お相手のランサーはといえば……より強大になった力を縮んだ人型の身に漲らせて、悠然と立っていた。
誰が見ても識が苦境に立たされている構図である。
「マスターの許可が取れた。奴の余裕は間もなく消える」
識は響を振り返りもせずに応えた。
「マスター……あの白い人? ラルヴァ殿、本音を言うわ。この王都をここまで破壊して大勢の民を殺したあの竜を、共に討たせて」
「響、それは無理だ。これからの私にはお前達を気にかけてやる余裕などないのでな。今お前達が立っているこの場所を結界で守ってやるのでさえ、出来なくなるだろう」
「そんな! 今これを解除されたら、ウーディさんが耐えられません! 死んじゃいます!」
仲間の死を意味する発言に、チヤが悲痛な叫びを上げる。
「ローレルの巫女よ、その心配はいらない。この霧も間もなく消える。それだけではない。一つ、お前達に一つ、魅力的な提案をしてやろう」
「魅力的な提案?」
響は訝しげに髑髏の顔を、表情の窺えない光る目を覗き見ようとした。
既に共闘の提案は蹴られている。
その上、識は会話をしている最中でも響達をちらりとも見ず、ランサーを見据えたままだ。
言葉通りの意味で受け取って良いのか。
響の悩みはもっともなものだった。
「そうだ。お前達が大人しく守りのみに徹してくれるのなら……その術師、戦いの後で救ってやる。もちろん、巫女が回復魔術を続ける事を前提としてだがな」
「――っ!? 貴方が救う!? アンデッドである貴方が、生者のウーディさんを!?」
チヤが思わず驚きの声を上げる。
通常、アンデッドは回復術を使えない。
ごく一部の高位アンデッドにはそれが可能なものも存在するが、そもそもの大前提として死者は生者を憎む。
自らが失い、二度と取り戻せない生命の輝きを羨み、憎悪するのだ。
積極的に生者の命を救う行動など取るわけがない。
だから響達にとって、識の提案は珍妙に聞こえたのである。
チヤに限らず、皆に驚きの表情が浮かんでいるのはそのためだ。
これは至って常識的な反応だった。
「この状態のウーディを確実に救えるとでも?」
半信半疑といった様子だが、響は識の提案に期待を滲ませた。
「当然だ。ヒューマンの腹に拳大の穴が空いたくらい、なんとでもなる。そもそも、私とお前達とでは治癒における生死の境界線も判断の基準も異なる。一緒にされるのは迷惑というものだ。さて、どうか? この提案のために私はお前達の傍まで退いたのだが?」
「……その言葉、信じるわ」
「響!」
ベルダが響の即断に非難の意を込めて名前を呼ぶ。
先ほどからお世辞にも好意的とはいえない態度を取り続けるこのリッチに仲間の命を預けるなど、正気を疑うのも無理はない。
だが、それまで傍観していた冒険者の男がベルダの横に出て、冷静に彼の抗議を中断させた。
「いや、それで正解でさ。あの竜も普通じゃねえが、互角に戦っているそいつもただもんじゃない。それに、さっきからそのリッチがまき散らしている空気は、ある人達に似てるんでね。やると言ったらやる、そういう連中の気配にそっくりだ」
「だが……!」
「ラルヴァ殿。約束は守って」
響はもう一度識に念を押して、下がった。
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