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六章 アイオン落日編
あらこんなところに逆鱗が
しおりを挟む 明朝。
ライムと語った夜は明け、僕は日課である早朝の弓の鍛錬で汗を流した。
酒で口が滑らかになったライムから孤児院への思い入れや亜空への想い、ロッツガルド学園の教育と亜空のそれを両方見てきた感想などなどじっくりを聞かせてもらった。
加えて彼自身が常々感じてきた孤児だから狭められてしまう選択の不条理、何より亜空をライムが異界というよりも可能性に満ちた新天地だと感じていた事を明かしてもらった。
「あそこまで言われちゃあ……ね」
ヒューマンに抱くわだかまりがそれで、ただの一晩の語らいで全て溶けたかと言われればノーだ。
でも機会の一つも与えずに問答無用に拒絶するなんて姿勢を自分が取ろうとしていたのははっきりと自覚させられたし、ヒューマンの受け入れが必ずしも女神の世界のしがらみを持ち込まれるのとイコールではないと理解もできた。
……。
結局、僕は条件付きではあるけれどヒューマンを亜空に入れる事を許した。
今すぐではないにせよ、遠からず亜空にヒューマンの住人が加わる、と。
「ま、今から考えすぎてもどうにもならんよね。ケリュネオンはあれで上手くいってるんだから亜空も何とかなるでしょ」
亜人とヒューマンが作る街やら社会やらはケリュネオンとツィーゲが前例として既にある。
で、どちらも僕の目には成功しているように見える。
当たり前ながら、必ずしもヒューマンがやらかすとは限らない。
「……ライムはやらかしたけどなー」
片付けを済ませて顔に苦笑を浮かぶのを感じながら、朝を迎えて別行動する事になったライムの事を思う。
水のシャワーで汗を洗い流して着替える。
朝食の席に向かうとそこに彼の姿は……やっぱりない。
四人の従者が迎えてくれるいつもの朝食風景だ。
明け方、巴と澪に連行されたライムの姿はどこにも見えない。
いつも通りの空気が逆に恐ろしい。
環は通常運転、識は何かを察してはいるのか若干表情が引きつっている、様にも見えた。
さて、一応ライムの無事を確認するべきか……。
暖かな湯気が立ち上る食卓と四人、間に流れる空気を読みとった結果。
スルーする事にした。
「おはよう」
『おはようございます』
本当にいつも通りの朝の風景。
最近は基本的に和食で迎える朝が多くて、今日もその通りだった。
変化があっても一品か二品、澪が凝っている料理が加わる位のものだけどそういうのは今朝は無し。
明けぬ夜はなく、終わらぬ嵐もない。
唐揚げの乱は終わったんだ。
ちなみに週末は洋食風になる事が多い。
何故かこの辺りは深澄家の習慣がそのまま輸入されてるんだよな。
澪どころか、特に誰かに話した覚えも無いんだけど。
『いただきます』
特に声を張るでもなく、合掌して普通に食事の始まり。
早速巴と識が何やら話を始め、澪は一通り味を確かめ満足気。
環はにこにこ行儀よく食事を進め、話を振られたらどんな話題にも興味津々といった表情で加わっていく。
朝食の席はそのまま一日の予定を話し合う場にもなってて、巴からは主にツィーゲ関連、澪からはその中でも食材やら全体の雰囲気、識は学園周り、環は亜空の神殿周りや海の方を中心に報告をくれたり予定を聞かせてくれたりする訳だ。
念話って便利な魔術があるとはいっても顔を合わせての報連相も習慣になってきてる気がする。
(ただこうやって毎朝顔を合わせるようになったのは……割と最近か。ローレルから戻ったころ、かな? 皆色々動き回ってもらってたもんな)
商会の事だったり、研究の事だったり、ヒューマンや魔族の付き合いだったり。
それこそ念話で済ませる事の方が多くて、皆が一同に集まるのは週に何度かといった感じだった。
ああいう忙しく働いてる、動いてる感じも嫌いじゃないけど、どちらかと言えば僕は今の方が好きだ。
あれで意外と識は箸の使い方で苦戦してるよな、とか発見があったりするしね。
巴は努力の甲斐あってか箸はほぼマスターしてる。
澪も料理を覚えていく中で食器の扱いという意味で器も道具もちゃんと使えるようになってる。
僕は元々箸を扱うのに慣れてる。普通、人並みってとこだと思う。
環は別格。
箸の先端ほんの少しが汚れるだけとかいう、それ系の検定があれば十段とか取りそうな名手だ。
味噌汁やら納豆ご飯、焼き魚や煮魚でさえ美しく食べよる。
そして識は時々料理によって箸をフォークの様に使い、巴と澪から怒られたりする。
無理に使わなくてもフォークでもナイフでもスプーンでも良いと言ってるのに、識もそこに甘んじたくない性格してるんだよな。
なんだかんだ負けず嫌いなんだ。
亜空では特に使う食器に指定は無い。
それぞれの種族が料理に合った食器を使えば良いって方針で、多くの種族が集まる場での難しいマナーや礼法なんてものも無い。
何せ上にいるのが僕だから。
うろ覚えのマナーを掘り出して皆に強制しても誰得ってもんでしょと。
「悩みどころじゃの、確かに学園の方も若に締めてもらわんとならんのは確か」
「巴殿の仰るようにコランにも早めに顔を出しておく方が良さそうですが……」
ロッツガルドに、ツィーゲの傘下に入ると早々に宣言したお隣の港町コラン。
巴と識の話は僕の今日の予定に関する話題になっているみたいだ。
今日は特に予定なかったっけ。
となれば午前も午後も好きに動けるし、どんな予定が入っても問題は無い。
商人ギルド関連では特に呼び出しもなく、どこの商会も今は新生ツィーゲにおける自らの立ち位置を探ったり足場作りをしたりと必死だから。
会合は大小問わないなら毎日どこかでやってる。
クズノハ商会としては僕が出るのは大きいのからいくつか、残りは従業員で持ち回りで出席してくれている。
参加しなくちゃいけない所にはどこも必ず一回は顔は出して事情を説明するようにしてるから、以前ほどの摩擦や誤解もない。
小康状態とはまさに今の事じゃなかろうか。
巴と識がどんな結論を出しても対応は出来る。どんとこいだ。
「海の方は新しい食材で何か見つかってませんの?」
澪が環を見て話を振る。
この二人は料理の事で揉めもするけど、基本的にはそこそこ良い関係だ。
と、僕は見てるけど当の二人に言わせれば「ふふふ」「あらあら」とはぐらかされるんだこれが。
「普段の食卓には向かないかもしれませんが、巨大な貝が見つかったそうです」
「貝?」
「あまり動かぬ種で海底に根を張っているように立って口を開けているのだとか」
海に立つ貝。
タイラギみたいな?
あれは貝柱が半端なく美味いんだ。
一回しか食べた事無いから余計に記憶が美化されてるにしても、とにかく美味しかった。
磯辺焼き……いかん、思い出してしまった。
「それはまた珍妙な」
「こう、ぱっくりと。戦闘能力も高く迂闊に近づいて挟まれようものなら最早成す術無しとか」
……シャコ貝?
「挟まれて詰むとなると人くらいの大きさですか?」
「いえ、ちょっとした小屋ほどはあるらしく。私も今日案内してもらう予定でおりますがよろしければ澪さんもどうです?」
あ、そうだ。
ここ亜空だわ。
「……味は?」
「手のかかる食材ですが極上の美味だと、海王とローレライが口を揃えて絶賛していました」
「行きます」
環と澪は海(亜空)と。
小屋サイズの貝ねえ。
調理法が確立したとしても宴会用かな。
でかいといえば久しぶりに荒野の何ていったか陸ガニの……アレも食べたいもんだね。
どこかの種族が鍛錬で狩る予定が無いか後で聞いてみようか。
このダイニングと直結してる厨房には各種族から料理当番が来てる。
今も厨房で僕らと同じようなメニューを多分食べてるはず。
別に大きいテーブル用意して皆で食べても良いのに、どの種族もそこは固辞するんだよ。
家族サイズのテーブルで囲む食卓も懐かしさを感じて好きだから良いけどさ。
澪に鍛えてもらっている料理当番はこの後それぞれの種族に戻って料理に精進する。
結果的に料理の基本が澪流になってしまっているのは仕方ない。
その内色んな個性が生まれてくるだろう。
亜空でもようやく料理人という職業が定着したと思えるのが、今は純粋に嬉しい。
「若、昨日はどこぞ動かれていたようですが本日は何かお約束などございますかな?」
「……いや、今日は特に。明日も孤児院で弓道を少し教える予定があるだけ」
「あ、そういえばアーシェス? とかいう娘がお願いに来てましたわ」
巴の質問に答えると澪も思い出したように会話に加わってきた。
丁度昨日二人の事でファンクラブ詣でをしてたのを思い出して何とも不思議な気分になる。
ああ、ファンクラブの事は二人には言ってない。
非公式だしわざわざ伝える事でもないと思ったからだ。
巴の方はライムが陶芸をツィーゲに広めるならその内存在に気付くかもしれない。
……ライムが無事なら、だけど。
「では……少しお付き合いをお願いしてもよろしいですか。儂の方はコランでちと挨拶回りをするのに若にご一緒頂いた方が都合が良いので。昼には終わるかと」
「了解。じゃ昼はコランで済ませよう。澪、良いかな?」
「もちろんです。夜はお肉をメインにお作りしますね」
「ありがとう。で、話の感じだと午後は学園?」
識に視線を移す。
あ、そういえば識もファンクラブあるんかな。
学園の方で凄い事になってるのは知ってるけど、ツィーゲでの識がどんな感じかは調べた事ないな。
レンブラントさんやモリスさんからの評価は良いから特にそこまで気にしてなかった。
「講義もですが事務局や上層部からの呼び出しが続いております。それから……」
「?」
「神殿関係にも動きがありまして」
「ああ、そういえば」
司教さんの事があったか。
「いえ、そちらではなく患者、いえ元患者の方でして」
「……あ」
アイオン王国の。
いたな。
将軍の息子さんだか貴族の息子さんだか。
「いずれも些事ではありますが、若様に一度お出で頂いて済ませるのが一番かと」
「わかった。じゃ、午後ね。時間があれば講義も」
「ありがとうございます」
ん。
独立のごたごたもこれで終わりにできるかな。
そしたらゆっくり……とはならないか。
ツィーゲは加速する、ってね。
せめてこんな朝を維持する余裕は保てるよう、今日も一日頑張るかね。
◇◆◇◆◇◆◇◆
時は少しだけ遡る。
夜通し語り明かし、そして朝を迎えた男二人。
一人は徹夜の疲れも感じさせず酒を残した様子もなく日課の弓道に向かった。
では、もう一人は?
徹夜明けの彼は両手に花と洒落こんで、ちょいとそこらの地下室にしけこんでいた。
「……一晩若を独り占めとはまた、随分と偉くなったもんじゃなあライム?」
「ポッキー、桂剥き、たわし、モップに……後はどうしてくれましょうねぇ」
「……ひぃ」
「夜は、極力、若を、空けろと」
「よーっく言い聞かせていますわよねえ?」
「今日は……今日だけは仕方なかったんで!」
「あぁん? 孤児どもの進路なんぞ明日でも明後日でも日中幾らでも切り出す時間が溢れとろうが!」
「あの方との夜を! 私から! 奪う程の価値が! ある訳ないでしょう!!」
「……いやいやいや、旦那は特にお困りの様子はありやせんでしたし……その、言っちゃなんすけどたった一晩じゃないっすか。その、今日だってまた夜は来るんすよ?」
『……』
正座したライムの弁明に、両手の花こと巴と澪は顔を見合わせて首を横に振った。
聞き届けられたリアクションではない。
一世一代の大舞台を無事に終えた後だというのに、何故こんな事になってしまったのか。
彼は混乱の極致にいた。
「昨夜は?」
「……は?」
「昨夜はもう戻ってこんじゃろ」
「まったくです。時も戻せぬ癖に夜はまた来るなどと。昨日の夜はもう戻ってこない、戻せない……」
「や、やだなあお二人とも。覚えたてで猿になるのはむしろ旦那の方で、そんな、もう。落ち着きやしょう。まずは一度深呼吸して、で思いの丈は今晩にとっておくって事で……どうでしょう?」
何を言ってるんだ、ライムは心からそう思った。
普段厳しくとも聡明な彼の上司二人が完全にどうかしていた。
「話にならん」
「有罪」
二人は真顔だった。
本当にたった一晩の事だというのに。
主であるライドウの方はいつも通りだというのに。
マジか、ライムは呆然とした
巴がライムの顔、その少し上に視線をずらした。
「?」
「うむ。まずは髪でいくか」
「わかりました。後がつかえていますから手早くこの怒りを鎮めましょう」
「良かったのう、朝餉前で」
「運の良い事」
「ご、ご勘弁をーーーーー! あっ――!」
その日、ツィーゲでライムの姿を見た者はいなかったという。
ライムと語った夜は明け、僕は日課である早朝の弓の鍛錬で汗を流した。
酒で口が滑らかになったライムから孤児院への思い入れや亜空への想い、ロッツガルド学園の教育と亜空のそれを両方見てきた感想などなどじっくりを聞かせてもらった。
加えて彼自身が常々感じてきた孤児だから狭められてしまう選択の不条理、何より亜空をライムが異界というよりも可能性に満ちた新天地だと感じていた事を明かしてもらった。
「あそこまで言われちゃあ……ね」
ヒューマンに抱くわだかまりがそれで、ただの一晩の語らいで全て溶けたかと言われればノーだ。
でも機会の一つも与えずに問答無用に拒絶するなんて姿勢を自分が取ろうとしていたのははっきりと自覚させられたし、ヒューマンの受け入れが必ずしも女神の世界のしがらみを持ち込まれるのとイコールではないと理解もできた。
……。
結局、僕は条件付きではあるけれどヒューマンを亜空に入れる事を許した。
今すぐではないにせよ、遠からず亜空にヒューマンの住人が加わる、と。
「ま、今から考えすぎてもどうにもならんよね。ケリュネオンはあれで上手くいってるんだから亜空も何とかなるでしょ」
亜人とヒューマンが作る街やら社会やらはケリュネオンとツィーゲが前例として既にある。
で、どちらも僕の目には成功しているように見える。
当たり前ながら、必ずしもヒューマンがやらかすとは限らない。
「……ライムはやらかしたけどなー」
片付けを済ませて顔に苦笑を浮かぶのを感じながら、朝を迎えて別行動する事になったライムの事を思う。
水のシャワーで汗を洗い流して着替える。
朝食の席に向かうとそこに彼の姿は……やっぱりない。
四人の従者が迎えてくれるいつもの朝食風景だ。
明け方、巴と澪に連行されたライムの姿はどこにも見えない。
いつも通りの空気が逆に恐ろしい。
環は通常運転、識は何かを察してはいるのか若干表情が引きつっている、様にも見えた。
さて、一応ライムの無事を確認するべきか……。
暖かな湯気が立ち上る食卓と四人、間に流れる空気を読みとった結果。
スルーする事にした。
「おはよう」
『おはようございます』
本当にいつも通りの朝の風景。
最近は基本的に和食で迎える朝が多くて、今日もその通りだった。
変化があっても一品か二品、澪が凝っている料理が加わる位のものだけどそういうのは今朝は無し。
明けぬ夜はなく、終わらぬ嵐もない。
唐揚げの乱は終わったんだ。
ちなみに週末は洋食風になる事が多い。
何故かこの辺りは深澄家の習慣がそのまま輸入されてるんだよな。
澪どころか、特に誰かに話した覚えも無いんだけど。
『いただきます』
特に声を張るでもなく、合掌して普通に食事の始まり。
早速巴と識が何やら話を始め、澪は一通り味を確かめ満足気。
環はにこにこ行儀よく食事を進め、話を振られたらどんな話題にも興味津々といった表情で加わっていく。
朝食の席はそのまま一日の予定を話し合う場にもなってて、巴からは主にツィーゲ関連、澪からはその中でも食材やら全体の雰囲気、識は学園周り、環は亜空の神殿周りや海の方を中心に報告をくれたり予定を聞かせてくれたりする訳だ。
念話って便利な魔術があるとはいっても顔を合わせての報連相も習慣になってきてる気がする。
(ただこうやって毎朝顔を合わせるようになったのは……割と最近か。ローレルから戻ったころ、かな? 皆色々動き回ってもらってたもんな)
商会の事だったり、研究の事だったり、ヒューマンや魔族の付き合いだったり。
それこそ念話で済ませる事の方が多くて、皆が一同に集まるのは週に何度かといった感じだった。
ああいう忙しく働いてる、動いてる感じも嫌いじゃないけど、どちらかと言えば僕は今の方が好きだ。
あれで意外と識は箸の使い方で苦戦してるよな、とか発見があったりするしね。
巴は努力の甲斐あってか箸はほぼマスターしてる。
澪も料理を覚えていく中で食器の扱いという意味で器も道具もちゃんと使えるようになってる。
僕は元々箸を扱うのに慣れてる。普通、人並みってとこだと思う。
環は別格。
箸の先端ほんの少しが汚れるだけとかいう、それ系の検定があれば十段とか取りそうな名手だ。
味噌汁やら納豆ご飯、焼き魚や煮魚でさえ美しく食べよる。
そして識は時々料理によって箸をフォークの様に使い、巴と澪から怒られたりする。
無理に使わなくてもフォークでもナイフでもスプーンでも良いと言ってるのに、識もそこに甘んじたくない性格してるんだよな。
なんだかんだ負けず嫌いなんだ。
亜空では特に使う食器に指定は無い。
それぞれの種族が料理に合った食器を使えば良いって方針で、多くの種族が集まる場での難しいマナーや礼法なんてものも無い。
何せ上にいるのが僕だから。
うろ覚えのマナーを掘り出して皆に強制しても誰得ってもんでしょと。
「悩みどころじゃの、確かに学園の方も若に締めてもらわんとならんのは確か」
「巴殿の仰るようにコランにも早めに顔を出しておく方が良さそうですが……」
ロッツガルドに、ツィーゲの傘下に入ると早々に宣言したお隣の港町コラン。
巴と識の話は僕の今日の予定に関する話題になっているみたいだ。
今日は特に予定なかったっけ。
となれば午前も午後も好きに動けるし、どんな予定が入っても問題は無い。
商人ギルド関連では特に呼び出しもなく、どこの商会も今は新生ツィーゲにおける自らの立ち位置を探ったり足場作りをしたりと必死だから。
会合は大小問わないなら毎日どこかでやってる。
クズノハ商会としては僕が出るのは大きいのからいくつか、残りは従業員で持ち回りで出席してくれている。
参加しなくちゃいけない所にはどこも必ず一回は顔は出して事情を説明するようにしてるから、以前ほどの摩擦や誤解もない。
小康状態とはまさに今の事じゃなかろうか。
巴と識がどんな結論を出しても対応は出来る。どんとこいだ。
「海の方は新しい食材で何か見つかってませんの?」
澪が環を見て話を振る。
この二人は料理の事で揉めもするけど、基本的にはそこそこ良い関係だ。
と、僕は見てるけど当の二人に言わせれば「ふふふ」「あらあら」とはぐらかされるんだこれが。
「普段の食卓には向かないかもしれませんが、巨大な貝が見つかったそうです」
「貝?」
「あまり動かぬ種で海底に根を張っているように立って口を開けているのだとか」
海に立つ貝。
タイラギみたいな?
あれは貝柱が半端なく美味いんだ。
一回しか食べた事無いから余計に記憶が美化されてるにしても、とにかく美味しかった。
磯辺焼き……いかん、思い出してしまった。
「それはまた珍妙な」
「こう、ぱっくりと。戦闘能力も高く迂闊に近づいて挟まれようものなら最早成す術無しとか」
……シャコ貝?
「挟まれて詰むとなると人くらいの大きさですか?」
「いえ、ちょっとした小屋ほどはあるらしく。私も今日案内してもらう予定でおりますがよろしければ澪さんもどうです?」
あ、そうだ。
ここ亜空だわ。
「……味は?」
「手のかかる食材ですが極上の美味だと、海王とローレライが口を揃えて絶賛していました」
「行きます」
環と澪は海(亜空)と。
小屋サイズの貝ねえ。
調理法が確立したとしても宴会用かな。
でかいといえば久しぶりに荒野の何ていったか陸ガニの……アレも食べたいもんだね。
どこかの種族が鍛錬で狩る予定が無いか後で聞いてみようか。
このダイニングと直結してる厨房には各種族から料理当番が来てる。
今も厨房で僕らと同じようなメニューを多分食べてるはず。
別に大きいテーブル用意して皆で食べても良いのに、どの種族もそこは固辞するんだよ。
家族サイズのテーブルで囲む食卓も懐かしさを感じて好きだから良いけどさ。
澪に鍛えてもらっている料理当番はこの後それぞれの種族に戻って料理に精進する。
結果的に料理の基本が澪流になってしまっているのは仕方ない。
その内色んな個性が生まれてくるだろう。
亜空でもようやく料理人という職業が定着したと思えるのが、今は純粋に嬉しい。
「若、昨日はどこぞ動かれていたようですが本日は何かお約束などございますかな?」
「……いや、今日は特に。明日も孤児院で弓道を少し教える予定があるだけ」
「あ、そういえばアーシェス? とかいう娘がお願いに来てましたわ」
巴の質問に答えると澪も思い出したように会話に加わってきた。
丁度昨日二人の事でファンクラブ詣でをしてたのを思い出して何とも不思議な気分になる。
ああ、ファンクラブの事は二人には言ってない。
非公式だしわざわざ伝える事でもないと思ったからだ。
巴の方はライムが陶芸をツィーゲに広めるならその内存在に気付くかもしれない。
……ライムが無事なら、だけど。
「では……少しお付き合いをお願いしてもよろしいですか。儂の方はコランでちと挨拶回りをするのに若にご一緒頂いた方が都合が良いので。昼には終わるかと」
「了解。じゃ昼はコランで済ませよう。澪、良いかな?」
「もちろんです。夜はお肉をメインにお作りしますね」
「ありがとう。で、話の感じだと午後は学園?」
識に視線を移す。
あ、そういえば識もファンクラブあるんかな。
学園の方で凄い事になってるのは知ってるけど、ツィーゲでの識がどんな感じかは調べた事ないな。
レンブラントさんやモリスさんからの評価は良いから特にそこまで気にしてなかった。
「講義もですが事務局や上層部からの呼び出しが続いております。それから……」
「?」
「神殿関係にも動きがありまして」
「ああ、そういえば」
司教さんの事があったか。
「いえ、そちらではなく患者、いえ元患者の方でして」
「……あ」
アイオン王国の。
いたな。
将軍の息子さんだか貴族の息子さんだか。
「いずれも些事ではありますが、若様に一度お出で頂いて済ませるのが一番かと」
「わかった。じゃ、午後ね。時間があれば講義も」
「ありがとうございます」
ん。
独立のごたごたもこれで終わりにできるかな。
そしたらゆっくり……とはならないか。
ツィーゲは加速する、ってね。
せめてこんな朝を維持する余裕は保てるよう、今日も一日頑張るかね。
◇◆◇◆◇◆◇◆
時は少しだけ遡る。
夜通し語り明かし、そして朝を迎えた男二人。
一人は徹夜の疲れも感じさせず酒を残した様子もなく日課の弓道に向かった。
では、もう一人は?
徹夜明けの彼は両手に花と洒落こんで、ちょいとそこらの地下室にしけこんでいた。
「……一晩若を独り占めとはまた、随分と偉くなったもんじゃなあライム?」
「ポッキー、桂剥き、たわし、モップに……後はどうしてくれましょうねぇ」
「……ひぃ」
「夜は、極力、若を、空けろと」
「よーっく言い聞かせていますわよねえ?」
「今日は……今日だけは仕方なかったんで!」
「あぁん? 孤児どもの進路なんぞ明日でも明後日でも日中幾らでも切り出す時間が溢れとろうが!」
「あの方との夜を! 私から! 奪う程の価値が! ある訳ないでしょう!!」
「……いやいやいや、旦那は特にお困りの様子はありやせんでしたし……その、言っちゃなんすけどたった一晩じゃないっすか。その、今日だってまた夜は来るんすよ?」
『……』
正座したライムの弁明に、両手の花こと巴と澪は顔を見合わせて首を横に振った。
聞き届けられたリアクションではない。
一世一代の大舞台を無事に終えた後だというのに、何故こんな事になってしまったのか。
彼は混乱の極致にいた。
「昨夜は?」
「……は?」
「昨夜はもう戻ってこんじゃろ」
「まったくです。時も戻せぬ癖に夜はまた来るなどと。昨日の夜はもう戻ってこない、戻せない……」
「や、やだなあお二人とも。覚えたてで猿になるのはむしろ旦那の方で、そんな、もう。落ち着きやしょう。まずは一度深呼吸して、で思いの丈は今晩にとっておくって事で……どうでしょう?」
何を言ってるんだ、ライムは心からそう思った。
普段厳しくとも聡明な彼の上司二人が完全にどうかしていた。
「話にならん」
「有罪」
二人は真顔だった。
本当にたった一晩の事だというのに。
主であるライドウの方はいつも通りだというのに。
マジか、ライムは呆然とした
巴がライムの顔、その少し上に視線をずらした。
「?」
「うむ。まずは髪でいくか」
「わかりました。後がつかえていますから手早くこの怒りを鎮めましょう」
「良かったのう、朝餉前で」
「運の良い事」
「ご、ご勘弁をーーーーー! あっ――!」
その日、ツィーゲでライムの姿を見た者はいなかったという。
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