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六章 アイオン落日編
真、会心の回避を決める
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ウェイツ孤児院は現在クズノハ商会からの支援だけで運営されていた。
僕らが援助を始めた頃、まず大口だったレンブラント商会が手を引いていた。
他の中小の商会、個人についても孤児院との関係悪化だったりウチとの関わりを疑われたくないとかだったりで少しずつ撤退していったらしい。
レンブラント商会が手を引いたのは多分、僕らがここの人材もあてにしていると思ったから気を利かせてくれたんだろう。出資だけして何もしないでおくのは商会としてはマイナスだし、クズノハ商会と孤児院について共同で援助している状態が向こうにとっても僕らにとってもメリットがないと判断したのかも。
実際、ツィーゲでの孤児院と商会との関係は結構歪だから。
それを僕は知ったのはここ最近で、来た頃はまるで意識してなかった。
レンブラントさんの方で危なげにフラフラ動いていた僕を避けてくれていたって事だろうな。
「正直、こちらの孤児院は期待外れだと、考えております」
『っ!』
ひとしきりの挨拶と世間話を終え、僕らと主要な職員らの間で会談が始まった。
「ライム=ラテ。彼ほどの人材を生んだ場所ならば、と期待してこれまで手厚く応援させて頂いてきたのですが。彼以降、部下の巴の目に適う者は一人も出てきてはいないようで」
すみません。
正直、そんなのは全く考えてません。
大体、ここにお金を出し始めた頃の僕はと言えば、ヒューマンを雇用する気持ちすらこれっぽっちもなかったです。
「ライム君はここの出身者では一番の成功者ですから。中々彼の様な子は出てきません」
これも当たり前。
ウェイツ孤児院は、というか少なくともツィーゲの孤児院のほぼ全ては子どもを大人にする場所でしかない。
子どもを子どものまま死なせない為の場所、のが正しいかな。
今回の件に絡んで孤児院事情は一通り予習したけど、商会の青田買いと人身売買の温床、それが孤児院の実情だ。
補助金狙いのとこもあるけど、元々出てる補助金も大した額じゃあない。
それを見込んで孤児院をやるってのは、つまり商会みたいに補助金を収入に見立てて孤児院を運営するなんてのはほぼ不可能に近い。
何かしらの誤魔化しをしなければ無理だと思う。
あくまでツィーゲ、内情は商人ギルドの意がほぼほぼなんだけど、ここが出してるのは補助金。
運営費そのものじゃないんだから。
プラスどこかの商会や篤志家からお金を引っ張って、何とかやってるのが大半の孤児院の実情だ。
上手にお金を引っ張れているのがごく一部のプラスが出てるやり手の孤児院。
かつかつの自転車操業しながら後ろめたい事はさほどなくやってるのがここを含めたまあまあの孤児院。
ここまでがまあ上澄みとして、残りはもう言い方が悪くなるけど悪徳ペット業者並みかそれ以下。
残念ながらこの最悪の部類に当てはまるのが半数以上。
そしてまあまあに分類されるウェイツ孤児院でさえ、孤児への教育は最低限。
ロッツガルドに入れてやるとかはレンブラントさんとこみたいな大商会の子息令嬢じゃなきゃ無理なのはわかる。
でもツィーゲ内に数ある私塾から講師を招いて何らかの教育を与える機会も殆どない。
職員が自前でしてやれる最低限の教育しかなされていない。
その職員自身の学も悲惨なものだから想像を絶する。
「そのようですね。今は我々だけの援助で運営は出来ているようですが、それでも決して楽な運営とはなっていない」
「過分な援助を頂いております。ですが院の運営は何分にも人の命、生活そのものでして。クズノハ商会様だけに頼っている現状は常々改善の必要がある、と痛感しております。日々皆で努力はしていますが……」
……これがさ。
余分が出た分は着服して院長や職員が豪遊してるってパターンならさ。
寄場とかじゃなくてもっときつい手も打つべきなんだろうね。
でもさ。
ここの人達の選択は違った。
子どもをさ。
増やしちゃったんだよね。
衣食に余裕がでたからってこれは悪手もいいとこではないかと。
キャパよりも遥かに多い人数を受け入れちゃってる訳で。
これには巴も呆れていたみたいだ。
やっぱりここに216人は多い。
日本人的感覚だと多すぎる。
僕のイメージではインドの通勤列車状態に近い。
そうじゃなく、中の設備にお金かけるとか。
僕らが今日ここで言うまでもなく教育にお金かけるとか。
何より残念なのは、後半の言葉については、申し訳なく思ってるけどこれからも理解して援助してくれ、って言ってるようなもので。
ごくごく一部の変わり者じゃなきゃ見返りなしにここに金出そうとするヤツはいないってよくわかる。
そりゃセーナさんも僕らを疑うわけだな。
「無理でしょう」
「無理ですな」
僕と巴が同じタイミングで院長の言葉をばっさり斬った。
寄場ってのが最初に頭に浮かんだけど、形になってきたらこれは手習所、筆学所に近いものになるかもしれない。
……寺子屋は主に関西で使われた名称なのに、時代劇とかだと江戸でも寺子屋ってなってるとこ、多いよな。
なんでなのか。
そして巴が何故か照れ照れしているのも、なんでなのか。
ライムじゃないけど、確かに変化してきているのかもしれない。
最近はブラ代わりのさらしぐるぐるもやめたようだし。
格好は相変わらずの男路線、これはもう個人の趣味かも。
「まず、子どもを増やしすぎじゃ。じきに建物からはみだしかねん」
こほんと小さく咳払いした巴が当たり前の事を指摘する。
いくら食べ物着る物に余裕があるといっても、次々に拾ってこられても困る。
酷いと言われようと際限なしで増やすのは不可能なんだから。
「おかげさまで院の方にも余裕が少しだけできましたので、門の前に立つ子を無下に追い払う訳にもいきませんし」
「追い払え、馬鹿者。縋れる甘さにしゃぶりついとるだけじゃろうが。お前らの中にも孤児だった者はおろう? 同じ境遇なら、中を見とる子らの心中にいかなる計算、打算があるかなどわかるはずじゃ」
「しかし、それは」
「良いか院長。お前の言っておる事は優しくも正しくもない。そうやって大勢を囲いこんだおかげで院内の環境は確実に悪化しておる。少なくとも経済的には今も余裕が殆どないままじゃろ」
「……」
「出来た余裕で元からここで暮らして居る子らを手厚く育てる事も出来た。つまり、受けられた筈のより良い境遇をお前たちが子どもから奪った、とも言えような」
「決して、そのような気持ちがあった訳では……」
「これまでの孤児院を、余裕が出た分だけ人数を増やしてこれまで通りされたのでは儂らの目論見とは違う、と言っておる」
巴の視線が僕にバトンを渡してくる。
ここからが本題だ。
テーブルの対面に座る職員さん達と院長。
セーナさんは院長の隣に座っている。
その目は何を言い出すのかと警戒心で満ち溢れていた。
「……今、目論見と仰いました。クズノハ商会様は我々に一体何を望まれているのか私も職員たちも、皆知りたがっております。折角の機会ですからよろしければ教えていただけないでしょうか?」
院長が巴の誘導通りの内容で僕に質問してきた。
ま、かなりの苦労だと思うけどやってもらうとしよう。
これまで通り、いやこれまで以上の支援はしてもいいからさ。
「わかりました。しかし、まず私はこう言っておきたい。ライム=ラテは、ただのラッキーだったと」
『っ!!』
自分のとこのヒーローを馬鹿にするような発言にテーブルの向こう側で怒気が生まれるのがわかる。
「より真意をわかりやすくお伝えするなら、彼はここで育ったからああなったのではない、という事です」
そう。
ライムは別にどこの孤児院で育っていたとしても冒険者を目指しただろう。
その結果、夢半ばで死ぬか諦めるか、それともまた成功するのかはわからない。
だけど、ライムの現状にウェイツ孤児院の出身でなければならなかった能力的な理由は、一つもない。
今もこれからもここから冒険者を目指す子は出てくるだろう。
中にはライムと同じような成功者になる子だっているかもしれない。
でもそこまでに必要なのはウェイツ孤児院じゃなく、ただの試行回数。
分母でしかない。
要は後何百人、何千人か死ぬまでにそういうのも出てくるかもしれない、と。
ただそれだけの事だ。
どうせお金を出すというならそんな馬鹿らしい分母を増やすのに金を出すより、ここのOB達が他の孤児院よりも明らかに上手に社会に入っていく為に出したいし、使ってもらいたい。
「ライドウ様、仰る意味が良く」
「私の望み、その根底から申し上げました。具体的な行動としては、教育をしろと、申し上げたいのです」
「きょう、いく。ですか?」
「ええ」
「孤児院で? 年齢もバラバラな子たちに?」
「ええ」
確かのここの院長はまともな人だ。
でも職員もそうだけど、根底に「でも所詮孤児なんだから」と一般の子どもと区別して考えている節がある。
「私塾の様に勉学を教えよと」
「いえ」
だからいきなり私塾とかが出てくるんだ。
教育なんてそんなご立派なものじゃなくても良い。
まず始める事からだよ。
そしてそれだけなら、ずっと簡単で敷居も低いはずなんだよ。
「え?」
「別に勉強だけやらせろとは言っておりません。運動方面の訓練も必要でしょう。直接将来に役立つ職能訓練も良いんじゃないでしょうか。子どもはそれぞれ個性がありますし、適性はなくとも幼少からの訓練が将来結実する事だって決して珍しい事じゃありません。……? はい、どうぞ」
セーナさんがおずおずと挙手して僕を見つめていた。
何か話したいのだろう、彼女に許可を出した。
「子ども達を鍛えて、どうするおつもりなんです?」
「どう? 何も出来ないよりある程度物事を学んだ子の方が、まともに仕事に就く確率も高くなると思うのですが? 商会が青田買いするにしても素養だけで選ぶよりも知識も備えていた方がより役に立つでしょう」
「クズノハ商会様に特に優秀な子を差し出せ、と」
「は? いえいえ私どもが必要とする人材は最低限ライム君です。孤児の皆さんに求めるのは無理なレベルかと。私が言いたいのは、教育というものは無形の財産であり子どもに持たせてやれる一番の贈り物になりうる、という事です。確かに、食べる物と着る物、雨に濡れない寝床を提供するのが孤児院の最低限の役割でしょう。しかし余力を得てなお、そこに甘んじていてもらっては困るのです」
「困る?」
「困るでしょう。現状のままではいつまでたっても孤児の未来は暗いままじゃないですか」
「……」
「とはいえ、いきなり将来学者や研究者になりたいと望む子がいてもそれは難しい。ツィーゲは学術が盛んな都市でもありませんから。しかしほぼ商人見習いか冒険者の二択という現状は好ましくありません。手に職をつける、という意味で職人としての訓練や基本的な学問、読み、は良いのか」
共通語め。
だけど書く方はある程度訓練もいるし、ツィーゲみたいなとこだと別の亜人の言葉だったりを使えても損はしない。秘境の部族の言語レベルの扱いで学んでいる人も使える人も少ないけど、将来性は多分ある。
「?」
「いえ、失礼。文字を書く訓練や数字を扱う訓練も並行すれば、彼らの選択肢はきっと大きく広がりますよ。何か?」
今度は別の、男性職員から手が挙がる。
セーナさんと院長だけじゃなく、この孤児院からは意欲を感じる。
ライムの例じゃないけど、実は素材はかなり良いんじゃなかろうか。
現在半分以上の職員さんは唖然としてるけどね。
「すみません。根本的な事なんですが、それは……その。どんな得があるんですか?」
「孤児自身へのメリットはご説明しましたし、優秀な子が出てくればそれだけ皆さんの孤児院運営も楽になっていくでしょう。ライム君のように孤児院を気に掛ける子も当然出てくるでしょうから」
孤児院出身の成功者が皆そうとは限らないが、ライムの様に事あるごとにお金や物を差し入れたりするのは珍しい事でもない。今はごく数人だろうけど、寄場が軌道に乗ればもっと多くの出身者がここにお金を持ってきてくれる。
これはビジネスになるレベルになるかもしれない。
人の善意に期待するのがメインだと苦しいから、ある程度の就職が叶ったらお金入れるのを義務化する契約を交わしたりすれば……。
「違います」
「?」
「貴方には、どんな得があるんですか? まったくわからないんです」
「ああ、そんな事ですか」
「……とても、大事な事だと思います」
「莫大な利益になります」
「……どこで儲けられると言うんです。お話を聞いた限りではお金は今以上に出ていくばかりになるかと」
「まず、孤児がまともな収入を持つ住人になります。手に職を持っている、基本的な知識は持ち合わせている住人です」
これまでは面白いくらいに死んでたからね。
間違いなく人口増加に繋がると思うよ。
ま、ここ一つだけじゃ知れてるけど。
今大事なのは細かい数字じゃない。
僕がいかにぶっ飛んだ事を考えてるいっちゃってる人物か、彼らにそう思って貰える事が一番。
「……」
「すると街に人が増えます」
「?」
「街に人が増えれば買い物をなさるお客様も増えますね」
「……は?」
「お客様が増えて我々の商会も潤う。素晴らしい好循環です。皆が幸せで笑顔になり金銭的にもプラスになる理想的な循環が生まれるんですよ」
「……ほ、本気で仰ってるんですか」
「勿論。ですから我々、いえ私は今後も今まで以上に孤児院に多くのお金や物資を投じていくでしょう」
『……』
おおっと。
思ってたよりも皆さんが僕を見ている視線が凄い事になってるぞー。
少し、やり過ぎただろうか。
大丈夫だろ。
それにもう逃がす気も無いんだ。
問題ない。
彼らは思い知るだろう。
時に理想は現実よりも過酷になるんだと。
叶うとなった時、示される道が想定していたものほど甘いものとは限らないんだから。
「私の求めている事がおわかりいただけたでしょうか、院長」
「……え、ええ。あの素晴らしいお考えだと思います」
「良かった。では孤児への教育及び訓練と今後の運営計画について、こちらの巴に任せますのでそちらからも責任者を数名選出して頂きまして早速打ち合わせを始めたいのですが?」
鉄は熱い内に打つべし。
相手がびっくりしてる内に畳みかけちゃえ、の策。
「い、今からですか!?」
「勿論です。こちらが抱える大きな問題点もわかりましたし、早々に対処すべきと判断しました」
「問題点、とは一体」
いやいや。
余力が少しあるから問題ない、とか本気で思ってそうだな。
カツカツ通り越して赤くなり出しても、何とかなるとか言って頑張っちゃいそうな人だ。
「子どもが多すぎます」
「! いえ、ライドウ様! 出来ません。そればかりはお断りいたします!」
「ですので、建物を増築します。どうせ訓練が出来る場も必要になりますからね。講師は差し当たり五人ほど目をつけております。一人はライム=ラテ。他はキャロ、キーマという木地師、いえ木工職人と料理人の姉妹です。こちらのご出身のようですね。それからクズノハ商会から亜人ではありますが優秀な店員にして森の専門家アクアとエリスというのを出向させます。他にも鍛冶や大工、装飾職人などに心当たりがありますが、それはまた後日調整の上で」
「は、あの。え?」
「しかし院長。これは約束して頂きます。今後の新規受け入れについては断ってもらいます。我々からいくらでもお金は手に入るからどんどん子どもを増やせ、というのは先ほども言いましたがこちらの希望と大きく外れます。少なくとも一区切りつくまでの間は、新路線に集中して頂く。よろしいですね?」
「は、はあ」
「交渉成立ですね! いや、実のある話し合いが出来て実に嬉しいです。ありがとうございました」
今抱えている子には一切マイナスは無い。
あるのはプラスだけだ。
それにもしマイナスになると感じて出ていきたい子がいるなら、止める気もないし、引き留めさせる気もない。
孤児院の職員にとっても講師は別に来るというなら現状の自分の能力でも当面は心配なく働ける。
当面は、ね。
多分凄く忙しくなるよね。
基礎的な勉強なんかはそのうち職員に振る予定でいる。
「え、ここを立て直して、くださる?」
セーナが図太い事を言った。
増築だって言ってんのに。
まあ、いいや。
じゃ建て替えちゃうか。
半日仕事か一日仕事になるだけだ。
その日のうちに住むんだから仮の住まいを用意する必要もないのは楽だね。
「増築では御不満でしたか。わかりました。建て替えましょう」
「不満だなんてそんな! 増築で十分です、ありがとうございます!!」
「いえいえ半日が一日になる程度の事ですから」
魔術ってのは偉大だな。
ロッツガルドでの実地経験があったのもでかいし、亜空でエルドワが建築の訓練を継続的にしていてくれるのもでかい。
元々は穴掘りやら壁作りがメインだったのに、いつの間にあんな凝った事を始めたのか。
ありがとう、と感謝の言葉しかない。
「一日?」
「ええ専門の魔術師と職人を手配しますので」
「孤児院に、そんなブルジョワな工事なんて」
「外から人を連れてくる訳ではありませんからお気になさらず。……ああ、でも」
「?」
「工事代の代わりに皆さんに嗅いでいただきたい香水がありまして。全く別の商売に関わる事ですが皆さんがどんな印象を持たれるか意見を集めているところなんです。よろしければ参加していただけますか?」
ともあれ僕がやるべきはこれで一段落。
ライムがテンパってからこれだけでっち上げたんだから中々頑張った気がする。
気分を一新して、例の香水を取り出す。
怪訝な様子ながらも皆同意してくれて、まず院長に小瓶を手渡して反応を見る。
巴はしたり顔で頷いて応じてくれた。
これが済んだら僕は戻るとして……。
巴はまだ少しここにいてもらう必要があるか。
なら僕の戻りも少し遅らせるか。
一緒に帰りがてらわかった事を聞けば良い。
「!!」
マジでか。
院長が香りを確認するために一噴き。
同じテーブルを囲んでいるからある程度の香りは流れる。
すると、セーナと他数人が明らかに顔を強張らせた。
巴の予想大当たり、か。
って事はリオウの奴、僕がここに来る事を見越して何かを仕掛けたって事になる。
そりゃ予めレンブラントさんにも、紹介はするが信用も信頼もしてはいけない、と言われてたけどさあ。
向こうの反神教騒ぎもまだ手を付けたばかりだってのに、よくやるよ。
ローレルで香水で酷い目に遭ってて良かった。
いや良くはない。
良くもないけど、同じ轍を踏まずには済んだみたいだ。
ちらっと巴を確認。
素人目には表情は無に近い、ニュートラルな感じ。
でも付き合いの長い僕にはわかる。
あれは、ろくでもないものを見た時の反応だ。
早く関わりを無くしたいな、黄昏街。
僕らが援助を始めた頃、まず大口だったレンブラント商会が手を引いていた。
他の中小の商会、個人についても孤児院との関係悪化だったりウチとの関わりを疑われたくないとかだったりで少しずつ撤退していったらしい。
レンブラント商会が手を引いたのは多分、僕らがここの人材もあてにしていると思ったから気を利かせてくれたんだろう。出資だけして何もしないでおくのは商会としてはマイナスだし、クズノハ商会と孤児院について共同で援助している状態が向こうにとっても僕らにとってもメリットがないと判断したのかも。
実際、ツィーゲでの孤児院と商会との関係は結構歪だから。
それを僕は知ったのはここ最近で、来た頃はまるで意識してなかった。
レンブラントさんの方で危なげにフラフラ動いていた僕を避けてくれていたって事だろうな。
「正直、こちらの孤児院は期待外れだと、考えております」
『っ!』
ひとしきりの挨拶と世間話を終え、僕らと主要な職員らの間で会談が始まった。
「ライム=ラテ。彼ほどの人材を生んだ場所ならば、と期待してこれまで手厚く応援させて頂いてきたのですが。彼以降、部下の巴の目に適う者は一人も出てきてはいないようで」
すみません。
正直、そんなのは全く考えてません。
大体、ここにお金を出し始めた頃の僕はと言えば、ヒューマンを雇用する気持ちすらこれっぽっちもなかったです。
「ライム君はここの出身者では一番の成功者ですから。中々彼の様な子は出てきません」
これも当たり前。
ウェイツ孤児院は、というか少なくともツィーゲの孤児院のほぼ全ては子どもを大人にする場所でしかない。
子どもを子どものまま死なせない為の場所、のが正しいかな。
今回の件に絡んで孤児院事情は一通り予習したけど、商会の青田買いと人身売買の温床、それが孤児院の実情だ。
補助金狙いのとこもあるけど、元々出てる補助金も大した額じゃあない。
それを見込んで孤児院をやるってのは、つまり商会みたいに補助金を収入に見立てて孤児院を運営するなんてのはほぼ不可能に近い。
何かしらの誤魔化しをしなければ無理だと思う。
あくまでツィーゲ、内情は商人ギルドの意がほぼほぼなんだけど、ここが出してるのは補助金。
運営費そのものじゃないんだから。
プラスどこかの商会や篤志家からお金を引っ張って、何とかやってるのが大半の孤児院の実情だ。
上手にお金を引っ張れているのがごく一部のプラスが出てるやり手の孤児院。
かつかつの自転車操業しながら後ろめたい事はさほどなくやってるのがここを含めたまあまあの孤児院。
ここまでがまあ上澄みとして、残りはもう言い方が悪くなるけど悪徳ペット業者並みかそれ以下。
残念ながらこの最悪の部類に当てはまるのが半数以上。
そしてまあまあに分類されるウェイツ孤児院でさえ、孤児への教育は最低限。
ロッツガルドに入れてやるとかはレンブラントさんとこみたいな大商会の子息令嬢じゃなきゃ無理なのはわかる。
でもツィーゲ内に数ある私塾から講師を招いて何らかの教育を与える機会も殆どない。
職員が自前でしてやれる最低限の教育しかなされていない。
その職員自身の学も悲惨なものだから想像を絶する。
「そのようですね。今は我々だけの援助で運営は出来ているようですが、それでも決して楽な運営とはなっていない」
「過分な援助を頂いております。ですが院の運営は何分にも人の命、生活そのものでして。クズノハ商会様だけに頼っている現状は常々改善の必要がある、と痛感しております。日々皆で努力はしていますが……」
……これがさ。
余分が出た分は着服して院長や職員が豪遊してるってパターンならさ。
寄場とかじゃなくてもっときつい手も打つべきなんだろうね。
でもさ。
ここの人達の選択は違った。
子どもをさ。
増やしちゃったんだよね。
衣食に余裕がでたからってこれは悪手もいいとこではないかと。
キャパよりも遥かに多い人数を受け入れちゃってる訳で。
これには巴も呆れていたみたいだ。
やっぱりここに216人は多い。
日本人的感覚だと多すぎる。
僕のイメージではインドの通勤列車状態に近い。
そうじゃなく、中の設備にお金かけるとか。
僕らが今日ここで言うまでもなく教育にお金かけるとか。
何より残念なのは、後半の言葉については、申し訳なく思ってるけどこれからも理解して援助してくれ、って言ってるようなもので。
ごくごく一部の変わり者じゃなきゃ見返りなしにここに金出そうとするヤツはいないってよくわかる。
そりゃセーナさんも僕らを疑うわけだな。
「無理でしょう」
「無理ですな」
僕と巴が同じタイミングで院長の言葉をばっさり斬った。
寄場ってのが最初に頭に浮かんだけど、形になってきたらこれは手習所、筆学所に近いものになるかもしれない。
……寺子屋は主に関西で使われた名称なのに、時代劇とかだと江戸でも寺子屋ってなってるとこ、多いよな。
なんでなのか。
そして巴が何故か照れ照れしているのも、なんでなのか。
ライムじゃないけど、確かに変化してきているのかもしれない。
最近はブラ代わりのさらしぐるぐるもやめたようだし。
格好は相変わらずの男路線、これはもう個人の趣味かも。
「まず、子どもを増やしすぎじゃ。じきに建物からはみだしかねん」
こほんと小さく咳払いした巴が当たり前の事を指摘する。
いくら食べ物着る物に余裕があるといっても、次々に拾ってこられても困る。
酷いと言われようと際限なしで増やすのは不可能なんだから。
「おかげさまで院の方にも余裕が少しだけできましたので、門の前に立つ子を無下に追い払う訳にもいきませんし」
「追い払え、馬鹿者。縋れる甘さにしゃぶりついとるだけじゃろうが。お前らの中にも孤児だった者はおろう? 同じ境遇なら、中を見とる子らの心中にいかなる計算、打算があるかなどわかるはずじゃ」
「しかし、それは」
「良いか院長。お前の言っておる事は優しくも正しくもない。そうやって大勢を囲いこんだおかげで院内の環境は確実に悪化しておる。少なくとも経済的には今も余裕が殆どないままじゃろ」
「……」
「出来た余裕で元からここで暮らして居る子らを手厚く育てる事も出来た。つまり、受けられた筈のより良い境遇をお前たちが子どもから奪った、とも言えような」
「決して、そのような気持ちがあった訳では……」
「これまでの孤児院を、余裕が出た分だけ人数を増やしてこれまで通りされたのでは儂らの目論見とは違う、と言っておる」
巴の視線が僕にバトンを渡してくる。
ここからが本題だ。
テーブルの対面に座る職員さん達と院長。
セーナさんは院長の隣に座っている。
その目は何を言い出すのかと警戒心で満ち溢れていた。
「……今、目論見と仰いました。クズノハ商会様は我々に一体何を望まれているのか私も職員たちも、皆知りたがっております。折角の機会ですからよろしければ教えていただけないでしょうか?」
院長が巴の誘導通りの内容で僕に質問してきた。
ま、かなりの苦労だと思うけどやってもらうとしよう。
これまで通り、いやこれまで以上の支援はしてもいいからさ。
「わかりました。しかし、まず私はこう言っておきたい。ライム=ラテは、ただのラッキーだったと」
『っ!!』
自分のとこのヒーローを馬鹿にするような発言にテーブルの向こう側で怒気が生まれるのがわかる。
「より真意をわかりやすくお伝えするなら、彼はここで育ったからああなったのではない、という事です」
そう。
ライムは別にどこの孤児院で育っていたとしても冒険者を目指しただろう。
その結果、夢半ばで死ぬか諦めるか、それともまた成功するのかはわからない。
だけど、ライムの現状にウェイツ孤児院の出身でなければならなかった能力的な理由は、一つもない。
今もこれからもここから冒険者を目指す子は出てくるだろう。
中にはライムと同じような成功者になる子だっているかもしれない。
でもそこまでに必要なのはウェイツ孤児院じゃなく、ただの試行回数。
分母でしかない。
要は後何百人、何千人か死ぬまでにそういうのも出てくるかもしれない、と。
ただそれだけの事だ。
どうせお金を出すというならそんな馬鹿らしい分母を増やすのに金を出すより、ここのOB達が他の孤児院よりも明らかに上手に社会に入っていく為に出したいし、使ってもらいたい。
「ライドウ様、仰る意味が良く」
「私の望み、その根底から申し上げました。具体的な行動としては、教育をしろと、申し上げたいのです」
「きょう、いく。ですか?」
「ええ」
「孤児院で? 年齢もバラバラな子たちに?」
「ええ」
確かのここの院長はまともな人だ。
でも職員もそうだけど、根底に「でも所詮孤児なんだから」と一般の子どもと区別して考えている節がある。
「私塾の様に勉学を教えよと」
「いえ」
だからいきなり私塾とかが出てくるんだ。
教育なんてそんなご立派なものじゃなくても良い。
まず始める事からだよ。
そしてそれだけなら、ずっと簡単で敷居も低いはずなんだよ。
「え?」
「別に勉強だけやらせろとは言っておりません。運動方面の訓練も必要でしょう。直接将来に役立つ職能訓練も良いんじゃないでしょうか。子どもはそれぞれ個性がありますし、適性はなくとも幼少からの訓練が将来結実する事だって決して珍しい事じゃありません。……? はい、どうぞ」
セーナさんがおずおずと挙手して僕を見つめていた。
何か話したいのだろう、彼女に許可を出した。
「子ども達を鍛えて、どうするおつもりなんです?」
「どう? 何も出来ないよりある程度物事を学んだ子の方が、まともに仕事に就く確率も高くなると思うのですが? 商会が青田買いするにしても素養だけで選ぶよりも知識も備えていた方がより役に立つでしょう」
「クズノハ商会様に特に優秀な子を差し出せ、と」
「は? いえいえ私どもが必要とする人材は最低限ライム君です。孤児の皆さんに求めるのは無理なレベルかと。私が言いたいのは、教育というものは無形の財産であり子どもに持たせてやれる一番の贈り物になりうる、という事です。確かに、食べる物と着る物、雨に濡れない寝床を提供するのが孤児院の最低限の役割でしょう。しかし余力を得てなお、そこに甘んじていてもらっては困るのです」
「困る?」
「困るでしょう。現状のままではいつまでたっても孤児の未来は暗いままじゃないですか」
「……」
「とはいえ、いきなり将来学者や研究者になりたいと望む子がいてもそれは難しい。ツィーゲは学術が盛んな都市でもありませんから。しかしほぼ商人見習いか冒険者の二択という現状は好ましくありません。手に職をつける、という意味で職人としての訓練や基本的な学問、読み、は良いのか」
共通語め。
だけど書く方はある程度訓練もいるし、ツィーゲみたいなとこだと別の亜人の言葉だったりを使えても損はしない。秘境の部族の言語レベルの扱いで学んでいる人も使える人も少ないけど、将来性は多分ある。
「?」
「いえ、失礼。文字を書く訓練や数字を扱う訓練も並行すれば、彼らの選択肢はきっと大きく広がりますよ。何か?」
今度は別の、男性職員から手が挙がる。
セーナさんと院長だけじゃなく、この孤児院からは意欲を感じる。
ライムの例じゃないけど、実は素材はかなり良いんじゃなかろうか。
現在半分以上の職員さんは唖然としてるけどね。
「すみません。根本的な事なんですが、それは……その。どんな得があるんですか?」
「孤児自身へのメリットはご説明しましたし、優秀な子が出てくればそれだけ皆さんの孤児院運営も楽になっていくでしょう。ライム君のように孤児院を気に掛ける子も当然出てくるでしょうから」
孤児院出身の成功者が皆そうとは限らないが、ライムの様に事あるごとにお金や物を差し入れたりするのは珍しい事でもない。今はごく数人だろうけど、寄場が軌道に乗ればもっと多くの出身者がここにお金を持ってきてくれる。
これはビジネスになるレベルになるかもしれない。
人の善意に期待するのがメインだと苦しいから、ある程度の就職が叶ったらお金入れるのを義務化する契約を交わしたりすれば……。
「違います」
「?」
「貴方には、どんな得があるんですか? まったくわからないんです」
「ああ、そんな事ですか」
「……とても、大事な事だと思います」
「莫大な利益になります」
「……どこで儲けられると言うんです。お話を聞いた限りではお金は今以上に出ていくばかりになるかと」
「まず、孤児がまともな収入を持つ住人になります。手に職を持っている、基本的な知識は持ち合わせている住人です」
これまでは面白いくらいに死んでたからね。
間違いなく人口増加に繋がると思うよ。
ま、ここ一つだけじゃ知れてるけど。
今大事なのは細かい数字じゃない。
僕がいかにぶっ飛んだ事を考えてるいっちゃってる人物か、彼らにそう思って貰える事が一番。
「……」
「すると街に人が増えます」
「?」
「街に人が増えれば買い物をなさるお客様も増えますね」
「……は?」
「お客様が増えて我々の商会も潤う。素晴らしい好循環です。皆が幸せで笑顔になり金銭的にもプラスになる理想的な循環が生まれるんですよ」
「……ほ、本気で仰ってるんですか」
「勿論。ですから我々、いえ私は今後も今まで以上に孤児院に多くのお金や物資を投じていくでしょう」
『……』
おおっと。
思ってたよりも皆さんが僕を見ている視線が凄い事になってるぞー。
少し、やり過ぎただろうか。
大丈夫だろ。
それにもう逃がす気も無いんだ。
問題ない。
彼らは思い知るだろう。
時に理想は現実よりも過酷になるんだと。
叶うとなった時、示される道が想定していたものほど甘いものとは限らないんだから。
「私の求めている事がおわかりいただけたでしょうか、院長」
「……え、ええ。あの素晴らしいお考えだと思います」
「良かった。では孤児への教育及び訓練と今後の運営計画について、こちらの巴に任せますのでそちらからも責任者を数名選出して頂きまして早速打ち合わせを始めたいのですが?」
鉄は熱い内に打つべし。
相手がびっくりしてる内に畳みかけちゃえ、の策。
「い、今からですか!?」
「勿論です。こちらが抱える大きな問題点もわかりましたし、早々に対処すべきと判断しました」
「問題点、とは一体」
いやいや。
余力が少しあるから問題ない、とか本気で思ってそうだな。
カツカツ通り越して赤くなり出しても、何とかなるとか言って頑張っちゃいそうな人だ。
「子どもが多すぎます」
「! いえ、ライドウ様! 出来ません。そればかりはお断りいたします!」
「ですので、建物を増築します。どうせ訓練が出来る場も必要になりますからね。講師は差し当たり五人ほど目をつけております。一人はライム=ラテ。他はキャロ、キーマという木地師、いえ木工職人と料理人の姉妹です。こちらのご出身のようですね。それからクズノハ商会から亜人ではありますが優秀な店員にして森の専門家アクアとエリスというのを出向させます。他にも鍛冶や大工、装飾職人などに心当たりがありますが、それはまた後日調整の上で」
「は、あの。え?」
「しかし院長。これは約束して頂きます。今後の新規受け入れについては断ってもらいます。我々からいくらでもお金は手に入るからどんどん子どもを増やせ、というのは先ほども言いましたがこちらの希望と大きく外れます。少なくとも一区切りつくまでの間は、新路線に集中して頂く。よろしいですね?」
「は、はあ」
「交渉成立ですね! いや、実のある話し合いが出来て実に嬉しいです。ありがとうございました」
今抱えている子には一切マイナスは無い。
あるのはプラスだけだ。
それにもしマイナスになると感じて出ていきたい子がいるなら、止める気もないし、引き留めさせる気もない。
孤児院の職員にとっても講師は別に来るというなら現状の自分の能力でも当面は心配なく働ける。
当面は、ね。
多分凄く忙しくなるよね。
基礎的な勉強なんかはそのうち職員に振る予定でいる。
「え、ここを立て直して、くださる?」
セーナが図太い事を言った。
増築だって言ってんのに。
まあ、いいや。
じゃ建て替えちゃうか。
半日仕事か一日仕事になるだけだ。
その日のうちに住むんだから仮の住まいを用意する必要もないのは楽だね。
「増築では御不満でしたか。わかりました。建て替えましょう」
「不満だなんてそんな! 増築で十分です、ありがとうございます!!」
「いえいえ半日が一日になる程度の事ですから」
魔術ってのは偉大だな。
ロッツガルドでの実地経験があったのもでかいし、亜空でエルドワが建築の訓練を継続的にしていてくれるのもでかい。
元々は穴掘りやら壁作りがメインだったのに、いつの間にあんな凝った事を始めたのか。
ありがとう、と感謝の言葉しかない。
「一日?」
「ええ専門の魔術師と職人を手配しますので」
「孤児院に、そんなブルジョワな工事なんて」
「外から人を連れてくる訳ではありませんからお気になさらず。……ああ、でも」
「?」
「工事代の代わりに皆さんに嗅いでいただきたい香水がありまして。全く別の商売に関わる事ですが皆さんがどんな印象を持たれるか意見を集めているところなんです。よろしければ参加していただけますか?」
ともあれ僕がやるべきはこれで一段落。
ライムがテンパってからこれだけでっち上げたんだから中々頑張った気がする。
気分を一新して、例の香水を取り出す。
怪訝な様子ながらも皆同意してくれて、まず院長に小瓶を手渡して反応を見る。
巴はしたり顔で頷いて応じてくれた。
これが済んだら僕は戻るとして……。
巴はまだ少しここにいてもらう必要があるか。
なら僕の戻りも少し遅らせるか。
一緒に帰りがてらわかった事を聞けば良い。
「!!」
マジでか。
院長が香りを確認するために一噴き。
同じテーブルを囲んでいるからある程度の香りは流れる。
すると、セーナと他数人が明らかに顔を強張らせた。
巴の予想大当たり、か。
って事はリオウの奴、僕がここに来る事を見越して何かを仕掛けたって事になる。
そりゃ予めレンブラントさんにも、紹介はするが信用も信頼もしてはいけない、と言われてたけどさあ。
向こうの反神教騒ぎもまだ手を付けたばかりだってのに、よくやるよ。
ローレルで香水で酷い目に遭ってて良かった。
いや良くはない。
良くもないけど、同じ轍を踏まずには済んだみたいだ。
ちらっと巴を確認。
素人目には表情は無に近い、ニュートラルな感じ。
でも付き合いの長い僕にはわかる。
あれは、ろくでもないものを見た時の反応だ。
早く関わりを無くしたいな、黄昏街。
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