月が導く異世界道中

あずみ 圭

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五章 ローレル迷宮編

亜空は進化した!

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 亜空はローレルからの移住者と特産物の流入でにわかに活気づいていた。
 これまでは実物もなくただ目で見た描かれた完成形と真の味見を頼りに日本の食を再現してきた亜空の面々だったが、ここにきてようやく、真以外の日本人たちとヒューマンが作り上げた実物を見て触って食する機会を得たのだ。
 効果は覿面てきめんだった。
 真の記憶や知識、言葉が役に立たなかったという訳ではない。
 しかし実際に作り、食し、当たり前にそこにあるものとしての食材や調味料、料理、酒というものは、ただ物であるというだけでなく食文化を伝える力を持っている。
 いかに異質な文化だったとしても、隣ではこんな物をこうやって食べているらしいと人や物の行き来がある場合と、遥か遠くの国ではこんな食材があってこの絵の様な料理を食べているらしいと聞かされる場合では再現の難易度も受け手の理解度もまるで違う。
 そんな訳で賢人の伝えた食文化と、それに慣れ親しむ亜人たちの移住というのは亜空に食方面でブレイクスルーをもたらした。

「赤味噌と白味噌とはこれほど違う物だったの。甘い味噌、こういうのが白」

「ほら、米麹で良かったんだって! 後は思い切りよく試してけば、いけそうだろ?」

「となると合わせ味噌は……赤とこれを混ぜるのか?」

「米と米麹じゃなく豆と米麹? なんでそうなるの?」

「この魚の白味噌漬け、馬鹿ウマなんですが」

「焼け! それは焼いて食うヤツらしいぞ!」

 味噌一つで住人の人だかりが出来ている。
 酒でも米でも醤油でもその他のものでも、興味を持つ様々な種族が集まってはワイワイと議論を交わし、ローレルの味を楽しんでいる。

「それで若様は?」

「数日の間にこちらにお戻りになるそうだ。それからは少しゆるりとされるかもしれん、と巴様から聞いている」

「そうか! いや若様がこちらにお見えの時は大体誰かさんが説教交じりに仕事を持ち込むもんじゃから、てっきりここを避けておられるのかとばかり思っておった」

「……おさ、自分の娘の事じゃないですか」

「おかげで儂まで若様にお会いする機会が減っとるからな。エマめ、若様がこちらにおられるのが嬉しくてたまらぬ癖に何かと口うるさくするから若様もお困りになる」

 ハイランドオークの長が己が娘の困ったところを指摘、いや愚痴る。
 
「いやいや、エマさんは良くできた娘さんじゃないですか。聡明だし努力家だし強いし美人だし」

「そんな事はわかっとる。もうちょい、こう、肩の力を抜いてだな」

「……あ、俺ちょっと酒の方見てきますわ」

「大体だな、近頃の若いモンは……」

 長がいつものモードに入って説教が始まるのを見越してオークの若い衆が人混みの中にそそくさと消える。

「ぬ、まったく。だがこれで亜空の和食求道は一段と熱が入ろう。とはいえ……」

 長の脳裏に亜空に来て少しした頃の食卓が浮かんでくる。
 そこにはタケノコのサラダ、シロツメクサやアカシアといった花々の天ぷら、オクラの汁物が並んでいた。
 いずれも絶品だ。
 数百を超えるレシピが亜空に誕生してなお、ごく初期に感動したメニューは色あせる事なく鮮明なまま。
 まだほどの時間は過ぎていないとしても、あまりにも多くの変化が時に懐古の念を生む事もある。
 娘であるエマは新しい食べ物にも果敢に挑戦するが、長はどうかといえば定番が出来つつあるのを感じていた。
 ハイランドオークの実質的なリーダーとなっているエマは今も忙しく各種族の間を駆け回っている。
 刺激も多いし、さぞ日々が輝いて見えている事だろう。
 一方、父親である彼は名誉職の様なもので、種族としての意見の摺り合わせや折衝が主な役割となっている。
 気楽なものだ……昔の、荒野で生きていた頃に比べれば。

(そういえば、エマはレンゲの蜂蜜でパンを食べるのが好きだった)

 今や亜空で生産される蜂蜜の種類は一つ二つではない。
 十を超える種類の蜂蜜が亜空に住まう多くの種族に愛されている。

「ねえ、このお塩色が付いてる! 綺麗!」

「揚げ物に合うんだって。緑のはお茶で、ピンクは梅、肌っぽい色のは海藻で味も全部違うんだ」

 塩?
 長の耳がピクリと動く。
 塩といえば天ぷらに合う。
 ツユか醤油か塩か、これは未だに一番が決まっていない悩ましき問題である。
 味の付いた塩とはこれいかに、と彼はついつい天ぷらとの相性を考えてしまっていた。

「これは?」

「タケノコの料理だって、メンマ? とかって」

「瓶詰め、そのまま食べるのか? 漬物か調味料みたいな?」

「食べてみたけど、酒の|肴(さかな)って感じだった」

(!? タケノコ!)

 タケノコはハイランドオークにとってなくてはならない食材である。
 酒の肴になるレシピがあるというなら是非に取り入れねばならない。

「へえ味噌汁ってのも使う味噌で大分印象が違うね」

「確かにな。普段使ってる赤にしても味が随分違う。用途別に最適な種類があるのかもしれん。発酵は奥が深いからなあ」

「美味しいけど沼だよね、味噌と醤油って」

 追求を望めば望んだだけ深みにはまる。果てしないのだ。

「ああ。酒と良い勝負だよ」

「俺としては今回は醤油にやられたな。薄口、濃口、赤に白、たまり。感動さえ覚えた。この使い分けは食卓を大きく変える。海の都市にも是非伝えてやりたい」

(そんなにも種類があるのか。オクラの粘りにより合う汁物の下地があるかもしれん)

 亜空の古参であるハイランドオーク、ミスティオリザードだけでなく、今やほぼ全ての種族に料理人がいる。
 料理を学び、料理を再現し、料理を創る専門職だ。
 戦闘面では亜空ランキングで強者たちが切磋琢磨して限界を越えんと努めている。
 生産面では識を中心とする魔術師を中心に、ちらほらと研究を専門とする学者が出始めていた。
 生活面ではドワーフらが建築や発明に携わり、多岐に渡り活躍している。
 更にそれらの中から例えばドワーフが陶芸を究めんとするなど、芸術や文化といった部分にも興味を示し険しき道を行こうとする者が名乗りを上げている。
 料理人もその一つ。
 荒野から亜空に移住した住人が自らの進む道、可能性として選び、掴み取ったものだ。
 第一の民などと言われ、他種族から一目置かれるハイランドオークの長である彼は頭の硬い亜空の年長組でもある。
 そんな彼でさえ、聞こえてくる会話の一つ一つに耳を傾ける。
 ローレルからの新しい風に、定番の食卓をアレンジしてもよいかな、などと考えている。
 まだまだ若い。
 巴が提案した、今回の移住者の住人への挨拶を兼ねた展示会兼物産展は大成功に終わり、蜃気楼都市や海岸に姿を成しつつあるもう一つの都市へも熱と衝撃を伝えていくのであった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


 亜空第一の都市には蜃気楼都市という別名がある。
 主に冒険者に知られている名はこちらである。
 もっとも、冒険者が知る蜃気楼都市とは街のほんのひと区画に過ぎない。
 彼らは「客人」と呼ばれ、亜人や魔物の街である幻の街でほんのひと時を過ごすわけだ。
 その箱庭の中で迷い込んだ彼等は歓待を受け、経験や知識の提供、時に金銭や財産の対価として、蜃気楼都市にしかない素材や武具を贈られる。
 荒野のどこかにあるとされるこの都市から出てくる数々の素材は、冒険者の実力を上げ魔術の研究を促進し、ツィーゲの力を更に高める貴重品として高値で取引された。
 荒野入りした冒険者はいつかはその幸運を自分も掴みたいと望み、蜃気楼都市の名は今では黄金郷の様に語られつつある。
 そんな蜃気楼都市では今、巴と識を中心としてあるテストが行われていた。
 冒険者絡みだが、彼らは何も知らない。
 元々荒野とは何の関わりもない種族、海王族の一人がある冒険者に興味を持ったのが切っ掛けだった。
 冒険者再考試案。
 一応ふんわりと真にも説明をして了解はもらっているテストである。
 だが主への叛意ではなく、彼の利益を心から望む動機ゆえに巴と識の真意は別にあった。

 に考えれば当たり前の事だが、この都市にはヒューマンの住人はいない。
 に考えれば極めて異常な事だが、この都市にはヒューマンの住人はいない。

 今、亜空の主である真の頭の中には彼自身は無意識だろうが、この二つの「普通」が上手く消化されないままになっている。
 巴と識はこれが真にとって良くない事だと思っている。
 澪はこれを何とも思っていない。
 たまきはこれが当然の事だと思っている。
 同じ主に忠誠を誓う従者であってもその仕え方、思考、手段は大きく異なる。
 余程でなければお互いの独自の行動は黙認し合うのが彼女たちのルールでもある。
 とは言いながら、実際には巴と澪の発言力がかーなーり強いのだが、それはまあ置いておくとして。
 
「第一陣は問題なさそうだね」

「ロングソード振り回してたローニンか。中々様になってるみたいだな」

「再訪は?」

「問題なし。ハナっから変わり種だったようだが、特に馬鹿な行動を起こす事もなく都名ツナさんにしごかれてる」

「仲間の方は?」

「馬鹿が一人いたようだが、幸か不幸か傷心のレヴィにしつけされてツナさんにも会って、考えを改めたみたいだ。一応、子供らの方には行かせないよう気を付けてるよ」

「客人から常連に、ってのは順調な訳か」

「二陣、三陣でも良い反応は出てるみたいだぜ?」

「門を越えて住人になる事を望んだら俺の勝ちだから」

「わかってるよ。俺は門を越えて、でも帰る方を選ぶ、だけどな」

「この街の全貌を知ったら多少のオツムがあればこうべを垂れるに決まってる」

「でもここにはあいつらがご執心の冒険者ギルドは無いし、同じヒューマンもゼロからのスタートだぜ? 帰るに決ってる」

 基本的には一度きりの冒険者による蜃気楼都市入り。
 ここに複数回の来訪を許可する、「客人」から「常連」への扱いの変化を加える。
 特定の冒険者の蜃気楼都市との繋がり、住人との関係を濃く太くする。
 そして亜空ランキングの個人ランカーが当番制で勤める門番との力比べによる試しの開始。
 合格するほど力をつけた常連に街の更なる発展した姿を見せ、かつ真に彼らを見せ観察してもらう事でヒューマンと冒険者に対する彼の考え方を柔軟に変化させ、改めて評価をしてもらおうと。
 冒険者再考とは、大雑把にはそういう計画だ。
 会話をしているのはミスティオリザードと翼人。
 記念すべきテストの第一陣に関する報告の取りまとめと連絡係を命じられている。
 結果がどうなるかで賭けをしているが、仕事ぶりは至って真剣である。
 真はヒューマンに対して、一線を引いて接したり考えたりしている節がある。
 では亜空では、そこに住む皆はどうかと言えば概ね「どうでもよい」と考えている。
 ただ真やクズノハ商会、亜空に敵対するのであれば戦うべき敵として見る、ただそれだけだ。
 元々亜空に移住する時にヒューマンへの敵意が強い種族は基本的には排してきた結果であり、自然でもある。
 真の様に妙な偏見などはあまりない。
 巴や識といった亜空の最高幹部たる上司に命じられて断るようなわだかまりについては、一切なかった。
 むしろ同じチームに所属して直で命令を受けられる機会に二人とも喜んでいる。

「しっかしこの元馬鹿、本当面白い星の下に生まれてるよな」

「いきなりレヴィに半殺しにされたヤツ?」

「今回のあそこの区画、門番はミトさんだったんだぜ?」

「だよねぇ。本当、良く生きてたもんだよ。第一陣の前の連中にも門番に挑んだのはいても、ミトさんの時で助かったのっていた?」

 二人はしみじみと門番に挑んだ馬鹿の話をする。
 いきなりイレギュラーにスキュラに襲われ、正式な門番はハイランドオークのミト。
 報告書には状況が詳細に記されていた。
 聞かれた方は首を何度も横に振る。

「個人ランカーとしては下位だけどさ。正直俺はレヴィよりもミトさんのがこえぇ」

「同感。むしろ怖ぇってかエグい」

 ミトの基本戦術を思い出して二人は頷き合いながら震える。
 といってもそう複雑ではない。むしろかなりシンプルだ。
 魔術抵抗を剥がしとり、精神を混乱させ、即死。
 三つの術を流れる様に一人で繋ぐ。
 所謂いわゆる、初見殺し型である。
 ミトはこの三つの魔術以外は足止めのスタンと防御結界しか使えない。
 亜空に来て自分の生き方を決め、今のスタイルを確立した。
 たった五つ、潔いまでに特化している。
 最低限自衛が出来ればいい。
 自分の本領は土いじりと読書で発揮する。
 彼女はそう断言している。
 ちなみに農業、陶芸、読書では優劣はつけられず、いつも時間が足りないとボヤキながら友人の恋バナには必ず首を突っ込む乙女である。
 ただしその三つの魔術の練度が相当に高い。
 最初の魔術抵抗を削り取られた段階で勝負が決まりかねないレベルだ。
 何せその後の精神混乱を受ければ肉体的にも精神的にも無防備な状態で即死魔術を叩き込まれるのだから。
 まず死ぬ。
 途中経過というものが殆ど存在しない。
 数秒で全てが済む。

「まだ先の話だろうけど」

「ん?」

 唐突に話題を変えて翼人が話を振る。

「この亜空にヒューマンも暮らすなんて未来が来るのかな」

「わからねえ。ただまあその時には魔族も大勢仲間入りしてるだろうしヒューマンの俺様主義も終わってるんじゃないか?」

「確かに、今のままじゃ実験台モルモットを呼び込むのが精一杯だね。魔族も姫さん一人だし」

「うちの若様は懐も器もべらぼうに広くてでかいが、亜空で戦争やられちゃたまらんしな」

「亜空で戦争かぁ、ふふ、それは確かに許せないね」

「だろ? 後からプチプチ潰すくらいなら最初にちゃんと見極める方が楽でいい。亜空も汚れない」

「了解。あ、終わったらローレルの食べ物一緒に見に行こうよ。結構凄いらしい」

「それな! 俺も行こうと思ってた!」

 異なる種族の二人だが。
 彼らの間に異種族だから、というような壁は感じない。
 亜空は確実に進化している。
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