月が導く異世界道中

あずみ 圭

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五章 ローレル迷宮編

香気の正体

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 う。
 薄い煙が立ち込める店内。
 予想通りの嫌な匂いが蔓延してる。
 ちょっとたじろぐ雰囲気だな。
 注がれる総じてネガティブな視線はとりあえず無視して目当ての二人を探す。
 いた。
 広い店じゃなかったからすぐに見覚えのある後姿を見つける事が出来た。
 ただ、急いだほうが良さそうだ。
 早歩きで彼女達の所に向かうと、近づくにつれて二人の様子もわかってくる。
 まずい!
 アカシさんがユヅキさんに小さな瓶を近づけて開けようとしてる!
 っ、開けた!!
 くそ、間に合わなかったかっ。
 ……こうなったら、いっそ。
 次善の策でいくしかない。
 
あずさ

 小さく呟いて愛用の弓を呼ぶ。
 その瞬間左の掌に確かな感触が生まれ、僕はそれを掴む。
 矢はつがえない。
 店員や客が騒ぐ間も与えずに弓だけを構え、多めの魔力を付与して弾き鳴らした。

『……っ!!』

 僕を中心にして、立ち込めていた煙と匂いがどちらも吹き消されていく。
 渦巻く風が広がりながら店内を抜けていった。
 何とか、上手にやれたみたいだ。
 魔族のとこ以来だから実はちょっと加減がわからなかったけど、結果よければってやつだね。
 アカシさんが持ってた小瓶は彼女の手から落ち、割れていた。
 木製のテーブルに染みていく液体はそれ自体から一筋、二筋と細い煙を上げ急速に蒸発して消えた。
 僕が感じ取れる限り、そこに『匂い』は残ってない。
 もちろんこの店内にも、それからここにいる客や店員の『中』からもそれは消えた。
 ったく。
 あいつ、とんでもない事を始めてる。
 僕の警告なんてお構いなしって事かよ。
 銃の件といい、これの件といい。
 店内の匂いと小瓶の中身を思い出す。
 発想がとにかく物騒な奴だ。
 ……智樹め。

「や、アカシさんにユヅキさん。奇遇ですね」

 我ながら奇遇も何もって感じはする。
 それでもこの場はそういうしかないと思った。
 取り繕う系のスキルは僕のリストにはあまりないわけで、勘弁してください。
 アカシさんはぽかんとして僕をみつめてる。
 ……さっきの構図から見て、まあ無理もない。
 ユヅキさんは動揺を抑えようとしているみたいだ。
 そこそこ厳しい目で見据えられてる。
 唇をきつく結んでる辺り、ひょっとしたら何か気付いている事があるのかもしれない。

「……ライドウの旦那。なんでこんなとこに」

「ええ、本当に。二言目にも奇遇だなんて仰いませんよね? しばらくは迷宮にかかりきりだと伺っていますけれど?」

「あー。実際半分以上は奇遇という言葉で済むんですが……」

「済まない部分もおあり、という事ですね?」

 ユヅキさんは厳しい表情のまま。
 薬だの、魔法薬だのに関しては僕もそこそこ詳しくはなってきた今日この頃。
 ただしお守りにもタリスマンとアミュレットの様に役割があるように。
 ……いや例えがよくないか。
 お守りは主にアミュレットになるだろうし。
 護符をアミュレット、呪符をタリスマンと考えるなら……って。
 脳内で何の議論を始める。
 今大事なのはアカシさんが手にしていたような類の治療目的じゃない魔法薬に分類されるだろう代物については、僕はまだそれほど精通していないって事だ。
 大雑把にはわかるし、智樹の目的もわかるから深い所まで説明を求められなければ大事ない。
 そこをどう伝えるかって事だ。
 更に言えばだ。
 店内を見渡す。
 誰もが狐か狸に化かされたような顔をして状況を確認している。
 ここは、話を続けるには適当じゃないな。
 密談の類にはなるだろうから……今だと……あそこか。
 一石二鳥だしな。

「ええ。どうやら上の面倒に僕も関わらないといけないかもしれないです。さ、どうせこんな時間です。お二人とも迷宮になんてお供してもらえませんか?」

 秘密も守れるし、尾行なんかがいても簡単に撒ける。
 ついでにベレン達も探せるし。
 大迷宮で色々と話すのが良いだろう。

「なるほど、密談にはもってこいの場所ですね」

「お、おお?」

 ユヅキさんが僅かに目を見開き感心したように呟く。
 首を縦に振りながらって事は肯定と見ていいだろう。
 アカシさんは寝ぼけたみたく僕とユヅキさんを交互に見てる。

「では行きますか」

「わかりました。アカシ、行くわよ」

 ユヅキさんがアカシさんを立たせて、引きずる様に店を後にする。
 僕も小銭を店に置いてその後に続く。
 しかしなあ……。
 智樹の奴。
 まさか、魅了を輸出しだすとは。
 とんでもない事を考える。
 だけど先輩に知られたら魔族との戦争の前にヒューマン同士で戦争が起きかねない。
 多分、響先輩は全力で阻止しようとするだろうし。
 それにしても凄い発想だ。
 魅了はあいつの傍にいなければそもそも効果なんかないし、存在を知っていれば抵抗のしようもある。
 もちろん、完全にシャットアウトできるかどうかは結局の所力比べになるけど。
 強力ではあるけど、ある意味状況が限定される力だとは思ってた。
 だけど魅了の魔眼の力を道具に込めて、それをばら撒くってのは効果範囲が劇的に広がる。
 しかもその道具ってのが香水、あとお香。
 他にもあるかもしれないけど、多分全部匂いに関する物だろう。
 匂い、嗅覚。
 人にとって記憶や印象に大きく関わる部分だ。
 魅了との相性は相当良い。
 防ぐ側にとっても、アクセサリーみたいな身に着ける物よりも余程タチが悪い。
 呼吸はしない訳にはいかないし、ずっと風上に警戒する訳にもいかない。
 そもそも風を操作するだけの魔術なら結構大勢が使える。
 あいつ……本当にどうしようもない方面には頭が回るんだな。
 感心する。
 同時に僕の中にある確信も生まれた。
 ナオイとカンナオイの争い、刑部と戦部の争いはともかく。
 今起きている刑部の内輪争いには智樹か帝国が関わってる。
 結局、この街にはそれなりに関わる事になりそうだ。
 下の事だけでも頭が痛いってのに、どうしたもんか。
 流石にその解決策までは見つからず、僕は二人の後を追って大迷宮に入った。





◇◆◇◆◇◆◇◆





 大迷宮の四層。
 護衛コンビが来れる一番深い所で僕らは一息ついていた。
 ベレン達の痕跡はない。
 この分だとあいつら、もっと下に行ってると見える。
 一体何をしてるんだろう。
 三人とも、特にレベル上げなんてする必要はなさそうだったけど。
 あまり情報がなかった十層以降だって十分立派に仕事してくれてた。
 
「さてと。この辺りなら誰かに聞き耳を立てられるって事もないでしょ。お二人とも、今日はいろはちゃんのとこに戻ってなかったようですけど何を探ってたんです?」

 ユヅキさんはともかく、アカシさんが気になる。
 あの小瓶の出所だ。
 まさか彩律さん絡みって事はないにしても、刑部家のどの辺りまでアレが出回ってるのかが気になるところだ。

「……私は、いろは様のお命を狙う可能性が一番高い方の身辺についての調査をしておりました」

「いろはちゃんの敵対勢力って事ですか。なるほど、でその方は誰なんです?」

「敵対勢力といいますか、現時点で刑部家の実権を掌握されているのはあちらでして。いろは様が特に大きな勢力をお持ちという訳ではありません」

 そういえば前に跡継ぎみたいなものとは無縁らしい事は聞いたな。
 既に政略結婚も決まっている。
 婿取りだから多少こっちでも大事な娘さん扱いかと思ってたのに、そういう訳でもないらしいね。
 そしてユヅキさん、名前は教えてくれないのか?
 まあ、それだけの権力者なら調べればわかりそうだから……二度手間面倒くさい。

「で、どこのどなたで?」

「言い難い事を察してもらえると嬉しいのですが」

「まあまあ、相手がライドウの旦那なら別に良いんじゃない? ユヅキが探ってたのはタツキ=コウゲツって奴だよ。刑部家に長く仕えてるカロウって重職の一人でね、外国人にわかるように言えば……大臣みたいなもん? あ、旦那は賢人だからひょっとしたらまんま通じる?」

 カロウ。
 家老か。
 どの程度の意味合いで使われてるかはともかく、想像の通りならかなり権力を持ってるのはわかる。
 しかし、刑部家の人じゃないのか。
  
「アカシ!」

「なーんか助けてもらったみたいだしさ。借りは返さないと。今掴んでるような情報を出し惜しみする必要は無いって」

 アカシさんが良い感じに口が軽くて助かる。
 ユヅキさんの叱咤も特に気にした風もないし。
 ローレルは家名から個人名って並びで名前を呼ぶから……タツキ家のコウゲツさんが黒幕の可能性高し、か。
 ん、コウゲツ?

「コウゲツ……?」

 つい浮かんだ疑問のまま、今出た名前を呟く。
 そんな僕の様子を見ていたユヅキさんが、何事か諦めた様に嘆息すると口を開いた。

「いろは様の世話役、ショウゲツ様の兄君です。そして……貴方方クズノハ商会の動向にも気を配っておいでのご様子でした。お気をつけを」

「僕らにまで?」

「あんな大層な手形で入国していますから、あの方の目にも留まったのでしょう。中宮様の名と影響力はこのカンナオイでも十分に効果がありますし」

「ああ、手形ですか……」

 まさか印籠並みの力があるとは流石に予想してなかった。
 真面目な話、あれがあれば財布なしでもこの国を快適に旅が出来るくらいの代物らしい。
 彩律さんにでっかい借りを作りそうだから絶対やらないけどね。
 それで目をつけられたか。
 いや。
 智樹の存在がある以上、そうとも決め付けられない。
 慎重にいこう。
 でも現に小瓶を持っていたのはアカシさんだったから、そのコウゲツさんが智樹と手を組んでいる可能性は少し薄い、かな。

「アカシさんは、誰を調べていて、どこであの香水の瓶らしき物を手に入れたんですか?」

「オレ? いや実は、それが良く思い出せないというか。頭に霞がかかってるというか」

「はあ? アカシ、貴女何を言ってるのよ。いろは様の現状を打開するのに確実な繋ぎをつけたって言ってたじゃないの」

 覚えてない。
 つまり途中からはあの香の虜になって動いていたって事か。

「え、オレそんな事言ったか? てか、ユヅキさあ。あんな店で報告し合うなんてちょっと趣味悪くないか、お前」

「呆れた。絶対に安全な隠れ家に出来る場所も見つけたって。そういってあの店に私を連れ込んだのアカシでしょ」

「ええ!?」

 アカシさんの記憶、曖昧になってる。
 後遺症か、それとも自己防衛か。
 後者なら申し訳なくもあるけど、ここは順に思い出してもらうしかない。
 ユヅキさんと協力すれば可能だろう。

「ユヅキさんは、アカシさんに誘われてあの店に入ったのは覚えてますよね」

 こういうのは機を見てなんて考えず、さっさと切り出すに限る。

「もちろん。確かに人目にはつかない場所でしたがあまり客筋が良いとも思えませんでした」

「あの小瓶の事も覚えている?」

「ええ。あれはどこぞで符号に使っている香の一つで調査の上で模倣する必要がある品だと」

「でもアカシさんは覚えていないと」

「あ、ああ。気付いたらライドウの旦那に声を掛けられてた、そんな感じで……確かに、おかしいな」

 智樹の魅了は記憶の改竄までは出来ない筈だ。
 少なくともあの香水と香りにはそこまでの力は備わってなかった。
 なら、思い出させる事は出来る。

「ユヅキさん、今日のアカシさんの行動予定は?」

 混乱しているアカシさんをよそに、ユヅキさんの方に尋ねる。
 二人は連絡を取り合って調査を進めている。
 なら片割れの行動は、彼女にもわかる。

「主要なものは、ある方と繋ぎをつける事ですね。いろは様にとってとても大事な御方で今は近況もわから――」

「つまり、誰ですか」

「……確かに、アカシの様子はおかしい。不穏な動きがこちらに迫っているのは確か。隠し事をしている場合じゃありませんか」

「同感です」

 このユヅキさんって人は諜報員気質なのか、秘密厳守を基本にしているらしい。
 だけどこの街で今、僕に隠し事をする意味ってそんなにないと思う。
 まったく、信用ってのは難しい。

「ハルカ様。いろは様のご母堂です」

「……そうだ。オレ、ハルカ様の居所を掴んで。それでキシモ寺院に招かれた」

 招かれた、だって?
 っと。
 今は彼女に順に記憶を思い出していってもらうのが先決。
 黙ってよう。

「なんですって!? 貴女、奥様に会ったの!?」

「ああ、そう。それで良い匂いのする部屋に通されて。何人も並みの腕じゃない侍従が控えてて……」

 ……おいおい。
 想像していた最悪よりも更に悪い予感が頭をもたげてきた。

「どこ!? どこのキシモ寺院なのよ!」

「え、ええっと。刑部の分家が数家、菩提寺にしてるとこだった。ケゴのオヤシロ通りの先にある、そうあそこだ」

「アカシ! よくやった! 天才よ、貴女!! いろは様もこれでお喜びになるわ!! そう、あの香りはそこの符号だったのね!!」

 ……。
 まずい。
 すごくまずい。
 嫌な予感がどんどん膨らんでいく。
 レンブラントさんのとこで奥さんとあの姉妹を見た時に感じた時以来の、陰鬱とした気分が喉元から漏れそうになるのがわかる。
 出来る事ならこの場から逃げ出したい気分だ。
 
「そこで、言われたんだ。ハルカ様に。いろは様に渡したい物があるって、オレに頼めるかって。それで小さな瓶を預かって……だからオレは……ご主人様のために、ユヅキにも教えてあげなきゃって。待てよ、ご主人様って誰だ」

「アカシ?」

 ……。
 魅了の香の出所は帝国に間違いない。
 どこにどれだけばらまかれているのかはまだ未知数にしろ。
 となると、今下の揉め事の原因になってる僕が殺した智樹の人形。
 あれが治療の途中で逃げ出したのも、その香が何か噛んでいるかもしれない。
 麻薬中毒の患者に治療中に僅かでももう一回薬を与えてしまったら。
 治療が上手く進むかどうかなんて火を見るよりも明らかだ。
 そしてその香は今、少なくともいろはちゃんの母親を侵している。
 アカシさんの話を聞くに、ばら撒く側に回っているのも間違いない。
 見た感じ、アカシさんは何とかセーフだと思う。
 けどハルカって人はまずいな……。
 手遅れって言葉が頭をよぎる。

「気持ち悪ぃ。凄く幸せで気持ちよかった記憶が、吐きそう……」

 ひとしきり記憶を思い起こした後。
 矛盾した事を土気色の顔したアカシさんが呟いてふらふら壁に寄りかかって行った。
 で、お決まりの音が聞こえる。
 でもあれじゃおさまらないだろうな。
 多分、ここから自己嫌悪も加わって二日酔い、三日酔いも可愛いと思えるくらい最悪の気分を味わう事になる。
 ただ、『それで済む』事は幸いだったかもしれない。
 
「くっ……ライドウ殿。何か思い当たる事が?」

「ええ幾つか。まずアカシさんが持っていた小瓶とあの店に充満していたのは魅了の力が込められた香りでした。煙と香水、手っ取り早く魅了の香とでも呼びましょうか」

「魅了の香」

「嗅いだ者をある一人の男の虜にする強力な魅了の力が込められている様です。ろくな物じゃない」

「まさか、それがあのアカシがご主人様などと戯けた事をいった理由!? っ! そうか、コウゲツ!」

「いえ。魅了の香が示す主は彼じゃありません」

「……え?」

「岩橋智樹。帝国の勇者です。魅了の香は、彼の虜を作る道具ですよ」

「勇者!? で、ではこの一件はただのお家騒動などではなかったと、ライドウ殿はそう仰るんですか!?」

「多分。まだ彼の思惑はわかりませんが」

「もう一個、思い出した……」

 アカシさんが最悪の表情のまま会話に戻ってきた。
 その寺院に関する情報なら、今は何でも欲しい。
 助かるね。

「あそこには、コウゲツ様と何人かの姫様のお姿もあった、と思う。うう……」

 少しはさ。
 状況を好転させる情報ってのもありませんかね。
 下は僕を憎んでる娘さんが待ち構え。
 上は智樹の魅了が争いの種になってる。
 なんつー時に来ちまったんだよカンナオイ。
 朝、全員で大迷宮行けるかな。
 もういっそライムとか森鬼ーズとかも呼ぶか?
 呼んだ所で手遅れがそうじゃなくなるって事はないし、結局はなるようにしかならんけども。
 せめて被害の拡大なら防げる。
 はぁ、なんて後手の発想だ。
 畜生!
 智樹もソフィアも余計な事ばっかしてくれやがって!
 特に智樹!
 見知らぬ人まで魅了しちゃおうなんて馬鹿げた事、よく考え付いたもんだよ。
 あー、頭が痛い!
 
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ご意見ご感想お待ちしています。
次回更新は7/24を予定しています。
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