月が導く異世界道中

あずみ 圭

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一章 ツィーゲ立志編

リッチ、真に出会う ~リッチ~

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書籍三巻収録箇所ダイジェストその3になります。
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 思えば、どれだけの時間を過ごしたか。
 かつてはヒューマンであった経験を持つ私にとって、リッチに転生して得た時間はひたすらに長く……多くのことを曖昧にさせてもいた。
 人であった頃の数々の執着や嗜好、そして記憶が時間に削られていった。
 だが私に諸々の喪失への恐れはなく、構わなかった。
 私が人であることよりも時間を欲した代償だと、転生する前から受け入れている。
 私が求めているのは、この世界の外に広がる様々な世界に任意に転移できるといわれているヒューマンの上位種族、グラントに至る道。
 既に若さを失ってから研究を始めた私にとって、グラントを追い求めることは無謀だった。
 そもそもグラントは存在すら疑問視されている。
 しかも女神信仰の総本山である神殿の連中が調査を徹底的に妨害してくる始末だ。
 奴らは問答無用で私を異端扱いしてきた。
 ……もっとも、あのおかげで私はグラントは存在すると確信し、人を捨てる決心をしたのだが。

「既に肉の体があった頃の自分の姿さえ思い出せぬ。だが私は、それでももう一度お前に会いたい。人の話も聞かずに、話すだけ話して興奮して出て行った――」

 ……?
 はて。
 お前、とは……。
 ああ。
 そうだ、私の親友だ。
 異世界に魅せられた男。
 荒唐無稽な話だが、絶対に異世界はあると豪語していた。 
 研究熱心で妙に気が合う、私とは違う人懐っこい性格の男。
 私は、彼ともう一度会いたいのだった。
 これだけは、絶対に忘れる訳にはいかぬ。
 もう既に、自分の名前さえ記憶を書き留めたノートを見なければ思い出せぬことがあるほどに、昔のことを思い出せなくなってきている。
 全てを忘れてしまえば、私はただの凶悪なアンデッド、だ。
 気を付けねばな。
 研究を進めることは出来る、調査をすることもできる。
 だがそれは私が目的を持っているからだ。
 生きていた頃のそれを忘れていないからだ。
 リッチに転生すると、無限の時間が与えられる。
 寿命から解放されるのだ。
 無論デメリットもある。
 生者への憎悪に縛られ、誰もが必ずいつか人であった頃の記憶を忘れ去り、ただただ恨みと憎しみの念が命ずるままに動くようになると言われていた。
 私は時間が欲しかっただけで、やりたいこともあった。
 だから生者への憎悪などとは無縁だと思っていたのだが……。
 例外はなかった。
 何十年と過ごすうち、意味もなく生きている者、限りある命を持つ者に憎悪が湧くようになった。
 一度意識すると、憎悪は濃くなりはしても薄まることが一切なかった。
 アンデッドへの転生が禁術とされる理由の一端がわかった気がした。
 既に寿命などない私が、限りあるがゆえに強烈に輝く命を持つ者に嫉妬する、いや強制的に嫉妬させられる。
 馬鹿げた衝動だ。
 今はある程度コントロールはできるが、昔は発作的に人を殺したくなって困ったことも多々あった。
 最終的には我慢することなどないのだから、好きにすればいいのだと思うことにしたが。
 私と遭遇したのが不運だったのだと、勝手に結論付けた。

「何故かな。昔の感覚をやけに思い出す。研究に倫理など持っていた青臭かったあの頃を……」

 呟く言葉は温かみもなく。
 己のものではないかのようだ。
 当然かもしれない。
 今や声を発することさえ魔力を使用する体だ。
 だが、その違和感さえ久々だ。
 原因を考えてみる。
 やはり、奴だろう。
 私は森鬼の村で、彼らの秘められた能力“樹刑”を覚醒させて人の変異に関するデータを集めていた。
 ちょうど見込みがある者がいたからコトは上手く運んだ。
 奴の中に入りこんで、もう十年以上は経った。
 対象の魂の構成にまで干渉し驚くべき短時間で、生物を樹木化させる能力。
 確かに強力で独特な固有能力には違いない。
 だが樹刑が生物の根源ともいえる魂に干渉するとわかった時は心躍ったが、どうやら私のグラント研究を進めてくれるものではない。
 残念だが、ここでの時間は無駄だったようだ。
 しかし今この村で出会った、あの少年。
 二人組みで女連れだった。
 変わった服装の女も気になりはするが、黒髪の女についてはどちらかといえば強さを調べてみたい程度のものだ。
 人に擬態している魔物の類だろうと想像がつくのもある。
 だが、あの少年は違う。
 あれは人だ。
 そして、強さを全く感じないのに、その身からはヒューマンとは違う異質な何かを感じた。
 森鬼の村は荒野にあり、世界の果てと呼ばれるここはヒューマンの領域ではない。
 だというのに彼からは恐怖や、不安を一切感じない。
 異常だ。
 この少年は、グラントへの手がかりになるかもしれない。
 研究者たる者が口にするのは論外かもしれないが、直感とはこういうものをいうのだろうと思った。
 うむ。
 次は、あの少年を調べよう。
 グラントへの糸口になる可能性は低いが、無駄足であっても一向に構わない。
 結局研究など特殊な閃きを得られるその時まで、どこまでも愚直に地道に課題と向き合うしかないのだ。
 閃きなどなくとも、向き合った日々が成果になることもままある。
 いつか必ずグラントになる。
 なに、私が私でいる限り。
 そして諦めぬ限り。
 時間など無限にあるのだから。




◇◆◇◆◇◆◇◆





 ……森鬼の村で宴が催された。
 私はこれを好機と酒を飲んだ少年、ライドウを拉致すべく宿主にしていた森鬼の個体から出て奇襲をかけた。
 当然、奴は宴の場に武器など持ち込んでいなかった。
 まずはライドウの存在を見ていた、魔族の間者でもあった森鬼の男を最優先で確保し、その生命を吸い尽くして口止めと一時的な魔力増幅を同時に済ませた。
 都合よく黒髪の女は宴を欠席し、その上ライドウは森鬼を背負う位置に留まってくれた。
 おかげで私にとっては非常に戦いやすい状況だった……はずだった。
 
 ライドウは、私の姿を目にしても冷静だった。
 相変わらず表情には焦りも恐怖も不安もない。
 淡々と私と話を始め、リッチという名前をも言い当ててみせた。
 魔力と瘴気、荒野に溢れる人の負の情念を組み合わせて高速のまま詠唱を完了、これまで無敗を誇る自慢の術を放った。
 私の戦術は、思い描いた通りに進行した。
 これで奴は終わりなく襲い来る状態異常と悪夢に支配されて身動きも取れぬまま叫ぶだけの人形と化し、私はそうなったライドウを持ち帰りモルモットにする。
 いつも通り、完璧な手順。
 なのに一体、何がどうして私はここで、見知らぬ場所で転がっているのだろう。
 何度考えてみても、起きたことが飲み込めない。
 私の術は、ナニカに食われた。
 酷く耳障りで、しかし異様な程素早く術を構成した、聞いたことのない魔術言語。
 少年は見たことのない魔術を展開した。
 黒い歯型が私の術を一瞬で食い散らかした。
 聞いたことのない言語、見たことのない魔術。
 私は混乱していたのだと思う。
 すぐに対応できずにいた。
 ライドウの術は私の術を潰しただけでは終わっていなかった。
 黒い歯型は私のローブに、身を包む魔力に、次々群がってきた。
 急ぎ展開した障壁は、十分な威力を想定した強度だったにも関わらず黒い歯型どもの餌にしかならなかった。
 結局防御がまるで追いつかず、私は一瞬で戦う力を奪われた。
 あっという間だった。
 実際の時間も大して経過していなかっただろう。
 そして、私は意識を失い、目が覚めたら見知らぬ場所。
 同じ部屋にはライドウと黒髪の女、澪。
 それにもう一人、青い髪の女がいた。
 女はどちらも奇妙な服を着ていて、話しぶりからライドウの部下のようだった。
 彼らは話に区切りがついたのか私に興味を向け、既に覚醒していた私は彼らと話をした。
 森鬼のこと。
 あの戦いのこと。
 この場所のこと。
 少年の名前ライドウは偽名であり、本名は真ということ。
 途中失言で死にかけたが魔術書を譲る取引のこと。
 そして……。
 グラントのこと。
 ……私は、追い求めたグラントの真実を、ある程度知ることができた。
 私がここで初めて会った巴という女性が教授してくれた。
 彼女は上位竜の中でも幻の竜だとされている二竜の内の一匹、蜃らしい。
 リッチ如きに嘘などいう必要がある存在でもないだろう。
 ライドウと支配の契約を結び、彼の従者になっているのだとか。
 実在していたのか、という気持ちとヒューマンに支配されたとは何の冗談だろう、という気持ちが入り乱れた。
 グラントの件といい、驚き所が多すぎる。
 何とか状況を整理しようと懸命に情報整理に努めていた。

「お主、若の従者になれ」

 もはや、考えるだけ無駄か。
 これまで多くの命を弄んできたが、そうか。
 これがモルモットになる側の心境か。
 碌なものではないな。
 青い髪の女、巴の発した言葉に、私は文字通り言葉を失った。
 あまりに非常識なことが起こりすぎて、私は思考を半ば放棄した。
 ここにいる三人が三人とも私を雑魚扱いする凶悪な実力者だということも諦めの念を深めさせていた。
 私は巴の言葉に頷いた。
 もうどうにでもなれ、というのが本音のところだった。
 巴と澪が術の準備をする中、私とこれから契約を結ぶライドウの力の差が明らかになった。
 糧の契約。
 私はライドウの養分にしかならぬ、ということだ。
 隷従し、己の意思さえない人形として使役される資格さえないと、そういうことだ。
 しかも、養分になることさえ巴と澪に拒絶された。
 ライドウに混じり物が入るのが嫌だと。
 清清しいまでにモルモット、いやそれ以下の扱いだった。
 いっそ気持ちが良かった。
 結局私はライドウの魔力がこもった、血の様に真っ赤な色の指輪を十三個も指にはめた状態でその指輪の魔力を私のものと契約儀式に誤認させるという、とんでもない荒業でライドウと契約を結んだ。
 常識とは、理とは、一体なんなのだろうとぼんやりと考えながら私は向かいにいる、もうすぐ絶対の主人となる少年を見る。
 
「っ!」

「なに? 三回目だけど、別に痛くも苦しくもないから楽にしてればいいよ」

「あ、ああ」

 一瞬だけ。
 私はこれまで感じられなかったライドウの魔力を感知できた気がした。
 どこまでも落ちていく瀑布の滝壷を覗き込んでいるかのような、恐ろしく不吉で不安を誘う圧倒的な量の魔力を彼の瞳から感じた。
 契約を結んでいる最中だからだろうか。
 しかし、もし今の私の感覚が得た彼の魔力が確かなものならば……っ?
 
「なんだ、胸が熱い……」

 とうに失った熱を、空虚な胸から感じる。
 魔法陣の赤い光は一気に最高潮の激しさを見せ荒れ狂い、向かいにいるライドウの姿さえもシルエットでしかわからないほど。
 その最中に、私の胸から全身にどこか懐かしい熱さが広がっていく。
 自分に何が起きているのか、把握できない。
 耐え切れず、膝をつく。
 右手で胸を押さえながら、私はやや“荒い”呼吸を静めていく。

「ほおお。どんな姿になるかと思ったがそうきおったか!」

「ふぅん、元の元は、確かにヒューマンなんですものね。もしかして生前の姿なのではなくて?」

 二人の女性の声が“鼓膜を”震わせた。
 私は徐々に自分の体に起きたことを理解していく。
 まさか。
 一度捨てた、あの限りある眩しい生命が、再び私に!
 手で、体を確認していく。
 どこも、暖かい!
 右の手のひらからは、遥か昔に忘れていた鼓動が伝わってくる!

「あたた、かい。命の鼓動を、感じる……!」

 思わず、声が零れた。
 見上げるとそこにはライドウの、いや……真様の姿があった。
 どこか引いた様子で私を見ている。
 そうだ、立たねば。
 まだ挨拶をしていない。
 肉体を喜ぶのは、これからいくらでも出来る筈だ。
 今は主への挨拶を無事に済まさねばならない。

「真様――」

 上位竜をも従え、アンデッドに命を付与する方。
 人間という、ヒューマンの祖となった種族は本当に規格外で。
 私は血の通う肉体を得た感動が全身を駆け巡るのを感じた。
 肉体の価値とは、失って初めてわかるもの、なのかもしれぬ。
 喜びを何とか抑えこんでの忠誠の口上を、真様は快く受け入れてくれた。
 確信する。
 私は今、生まれ変わったのだと。
 貴重な知識を持つ先輩の従者、そのお二人以上に力の底がわからぬ強大な主。
 グラントを求める私の探求はこれからも続くだろう。
 そしてその終わりはこの方々と共に、遠くない内に迎えるのだろうと、不思議と信じられた。

「っっ!!」

 様々な感動も覚めやらぬ中。
 焦ったような巴殿の声を追う様に、強烈な光が外で発された。
 すぐに光量に負けぬ強い衝撃も伝わってくる。
 その波が通過すると、周囲一帯に濃密な魔力が漂う。
 魔力による現象である証拠だ。
 ……早速の初仕事になるか。
 望むところだ。
 何が起きたのかはわからないが、主人の願いを叶え、その万難を排そうではないか。
 体に溢れる、これまでとは全くステージの異なる力で。
 ヒューマンからリッチになり、リッチからまたヒトへと戻る。
 呆れるほど数奇なこの運命が、何故かひどく心地よかった。


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