月が導く異世界道中

あずみ 圭

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序章 世界の果て放浪編

魔物、真と出会う ~エマ~

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※こちらは「月が導く異世界道中」の書籍化に伴いダイジェスト化した部分になります。

********************************************

 世界の果てと呼ばれる荒野がある。
 私たちが住まうのが正にそこだ。
 滅茶苦茶な自然環境の所為で、まともに生きていく事すら困難な広大な大地。
 それでも比較的恵みの多い場所に居を構えた私たちハイランドオークは、作物を作り、一定の獲物を狩り、何とか生活している。
 本心を言えば、もっと豊かな土地に住みたい。
 けれど村を移動するのはリスクが大きすぎる。
 今も良い土地を探して数名の優れた戦士が外に出てはいるけれど、果たして移動出来る範囲にここよりも住みやすい場所がある望みはどれほどなのか。
 将来に不安はあるけれど、日々は過ぎていく。
 それが私達の日常だった。
 なのに、数年前から状況が変わった。
 遥か西にある山に住む、しんと名乗る竜が生贄を要求してきたのだ。
 勿論、ただ受け入れるなんて出来ない。
 私たちは抗おうとした。
 戦士は剣を手にして、魔法使いは杖を構えた。
 ハイランドオークは剣と魔法どちらにも長けた、自分で言うのは恥ずかしいけれど強い種族だ。
 荒野の奥地で滅ばずにいる、少しばかりの誇りだってある。
 しかし上位竜、強大な竜の中でも最強の一角である蜃の力は絶大だった。
 彼方にある蜃の拠点まで部隊単位の遠征をする事は出来ない。
 私たちに出来る事は基本的には迎撃で、でもそれさえ出来れば相手も諦めるだろうと思っていたんだ。
 でも蜃のやった行動は、奴が司ると言われる霧で村をすっぽりと包む事だった。
 視界を奪い、周囲の環境も合わせて体力も奪う霧。
 作物の育ちも悪くなった。
 とにかく延々と霧は村にまとわりついた。
 そして、それ以上の事はやってこない。
 剣でも魔法でも打ち払えない。
 バランスが崩れてしまった。
 私達がこの荒野で上手く生活してきた大事なバランスが。
 勿論、すぐに滅んだりはしないだろう。
 でも遠くない未来にそうなると誰もが理解できる状況だった。
 その後も様々な試みはなされたけど、結局事態は解決せず、私達は蜃の要求を飲むことにした。
 半年に一度、娘を生贄にする。
 これだって、結局はより緩慢な滅びに向かう道に違いはない。
 屈辱的な選択だった。
 村から霧は取り払われて、私達は蜃を神のように拝む事になった。
 村に害しかない存在に様と敬称をつける日々が始まった。
 少しずつ減っていく村の娘。
 村長の娘である私も、例外では無い。
 とうとう今回、私エマが生贄として選ばれた。
 ついにこの時が。
 閉塞感漂う村と、まとわりつく絶望。
 どうしてこんな事になってしまったのか。
 そう言えば。
 何度か青い肌の、あまり見ない種族が私達に助けの手を差し伸べようとしてくれたが、何故か父は首を縦に振らなかった。
 確か魔族と言った気がする。
 少ししか話をした事は無いが、紳士的で好感の持てる人達だった。
 これ程追い詰められているのだから、彼らに力を貸してもらえば良いのに、と私は思っていた。
 村の決定は父と有力者が話し合って決める事で、女の私が口を挟む事じゃないのはわかっていたから、これまでは口にしなかったけど。
 これでもう私は死ぬんだと思うと、最後に一言、父に意見を言おうと決める事が出来た。
 村を出る前夜の事だ。

「父さん。お願いがあるのだけど」

「……エマか。なんだね?」

「私が行ったら、魔族の人の話を聞いてあげて欲しい。彼らが私達に何を望んでいるのか私は知らないけれど、このまま村が無くなってしまうのは嫌」

「……」

 父は無言だった。

「生贄になるのはもう納得しているわ。でも」

「……怖いか」

 父は私が何だかんだ言って助かりたいと思っていると感じたのか、違う意味で言ったのかはわからないけど、怖いかと聞いてきた。
 静かに顔を横に振った私。

「村がなくなったら、私やこれまでに生贄になった全ての娘達が、無駄死にになってしまうから。それは嫌。ハイランドオークの将来の為に死ぬ。せめて、そうでありたいの」

「……」

「お願い」

「エマ……。わかった。もしお前が生贄に行っても、また生贄が要求されるようなら、魔族との同盟を受け入れよう」

「ありがとう、父さん」

 良かった。
 これで。
 私が最後の生贄になれるかもしれない。
 魔族の協力を得られれば、蜃との関係もまた良いモノに変わるかもしれない。
 自ら死地に向かっていると言うのに、私はどこか晴れやかな気持ちで荒野を歩いていた。
 見晴らしの良い道を選び、好戦的な魔獣や種族を見かけた時には先手必勝で魔法を炸裂させてここまでは何とか進んでこれた。
 先手さえ取れれば大概の魔獣なら私一人でも何とかできる。
 最初の生贄の頃には戦士が同道して蜃のいる神山まで見送られたものの、今では生贄が一人で幾つかの中継地を経てそこに行かなくてはいけない。
 人手が足りなくなってきているんだ、仕方無い。
 だから生贄に選ばれた娘は半年の間に魔法を叩き込まれる。
 戦士向きの娘は武器の扱いを叩き込まれる。
 私は半年と言わず、元々魔法を学んでいたから特に問題なかった。
 半年間、集中して魔法を学べたのが少し嬉しかったくらいだ。
 些細な事だけど、楽しかった半年を思い出して顔がほころぶ。
 そして気を引き締めた。
 顔を上げると、そこにはゴツゴツした岩場と隆起の多い地形が広がる。
 最後の難所だ。
 視界が悪いから不意打ちも考えられる。
 出来るだけ早く通り抜けてしまわないと危険が多すぎる場所。
 ただし、無事に通過してしまえば、後は休憩出来る洞窟を挟んで神山まですぐ。
 よし!
 私は岩場に一歩を踏み出した。





◇◆◇◆◇◆◇◆





「助けてーーーー!! 誰かーーーー!!」

 私は誰に対してか自分でもわからない叫びをあげた。
 杖はさっき弾き飛ばされた上に折れてしまっている。
 もう何の役にも立たない。
 両手に何も持っていない私の正面には一匹の魔獣がいた。
 大型の犬。
 ただし頭が二つ。
 深みがかった青い体毛を持ったそれは、私の知る魔獣だった。

「なんで、リズーがこんな場所にいるの」

 リズー。
 目の前にいる双頭の犬の名前だ。
 群れを作り、火と冷気を吐く凶暴な魔獣。
 距離さえあれば私で対処出来なくもない相手だった。
 でも杖を失い、接近戦の距離になってしまえば手に負える相手じゃない。
 彼らの一番の恐ろしさは、その狡猾さがよく発揮される群れでの狩りだから、単体との遭遇は不自然ではあるけれど、そこは運が良いとも言える。
 言えるけど。
 私が勝てない相手である以上あまり意味の無い幸運だ。
 でもこの辺りにリズーの縄張りなんて無かった筈なのに……。
 
「グルルルルルル……」

 まずい、来る。
 息が浅くなっていく。
 嫌、生贄になって死ぬのならまだしも、こんなリズーなんかの餌になって死ぬなんて!
 冗談じゃない!

「た、助けてーーーー!!」

 心の限り叫んだ。
 リズーが無情にも後ろ脚に力を込め、僅かに身を縮めるのが目に映る。
 これで終わりなんて、私は何の為に!
 え?
 リズーの耳がピクンと動いた。
 身に込めた力を解放してリズーの双頭が二つともあらぬ方向を向いた。
 なに?
 どうなって……?
 リズーにつられて、私もそちらを向く。
 なんだろう、少し土煙が巻き上がっているようだけど……。
 
「なに? 見た事ない種族……」

「グルルォロローー!!」

 リズーが威圧か牽制かよくわからない雄叫びをソレに向ける。
 明らかに私よりも乱入者を気にしている。
 私達オークと同じように二足歩行で、だけど有り得ない速度でこちらに走ってくる影。
 でも、え?
 速すぎない、これ?
 あっという間に私たちとの距離を詰めて、もう姿ははっきりと見えた。

「SDFGHYU<!!」

「グル、ルオーーッ」

 よくわからない叫び声と一緒に踏み切ると、ソレはリズーに飛び蹴りを放った。
 リズーに肉弾戦!?
 戦士なんだろうか。
 弾かれるか、それともダメージを与えられるかで実力がわかりそうだけど。
 でも余程腕に自信が無ければリズーに接近戦は挑まないだろう。
 
「ウソ……」

 私は小さくそう呟いた。
 それが自分の声だってわかるのに少し時間がかかった。
 速いけど、ただの飛び蹴りだった。
 何の魔法も使ってないし、多分特別な装備をしているでも無い。
 それどころか身体の動きにはぎこちなさも感じた。
 なのに。
 リズーを引きちぎるようにぶち抜いた。
 自分で考えている事、見た事なのに、その言葉に現実味が無い。
 着地してゆっくりと、後ろを振り返るソレ。
 その視線の先にはリズーだった肉塊が一つ。
 時折痙攣しているけど、もう絶対に死んでいる。
 ただの一撃で?
 硬い体毛で身を覆われた筋肉の塊、リズーを、殺した?
 
「BHJ、THJILDC……」

 何か、言っている。
 目を背けたり、両手を合わせて目を閉じたりとよくわからない動作をしている。
 言葉は、多分通じない。
 だって叫んだ時も今も、何を言っているかまるでわからなかったから。
 多分、男性だろうと思う。
 声の感じとか、体格とか。
 私の知る知識を総動員してその正体を考えてみる。
 ツルンとした毛の無い顔。のっぺりした感じだ。
 見た事のない生地で作られたシンプルな服。
 でも使われている裁縫の技術はしっかりしていそう。
 爪や牙はなくて、しっぽの類も無い。
 こんな生き物なんて……。
 もしかして、村の外に出る戦士の人達が何度か遭遇した事があるっていう、ヒューマン、だろうか。
 何でも、探索している様な仕草の見慣れない連中がたまにいて、彼らがヒューマンという種族らしいと聞いた事がある。
 倒した敵を解体してバラバラにしたり、戦意を失って逃走する相手を追い回したり、残虐な種族らしい。
 そう言えば、魔族とも対立している危険な種族とも聞いた。
 まさか、そのヒューマンなんだろうか。
 っ!!
 目が合った。
 相手は警戒するでもなく、私に近づいてくる。
 同じ素手だといっても、今のアレを見て条件が同じだなんてとても思えない。
 精一杯集中してその動向に気を払う。

「あ~、はじめまして」

「ひぃぃ! 喋ったーー!!」

 思わず情け無い声を出してしまった。
 でも私は間違ってない。
 さっきまで何を言っているかわからなかったのに、いきなり意味のわかる言葉、私たちの言葉で話し始めたんだ。
 驚かない方がどうかしてる!
 人目で私をハイランドオークだと見抜いて、その言語を使ったとでも言うの?
 ヒューマン(仮)、おそるべし。

「僕は怪しくない。温和で優しい。意味、わかる?」

 僕……。
 やっぱり男なんだ。
 言っている意味は確かにわかる。
 首を上下に振る。
 これが彼にも同じ意味を持つか、その時の私には考える余裕はなかった。
 だけど、何か違和感がある。
 ……お、温和で優しい!?
 何をやっているの、私は!
 慌てて首を横に振り直した。

「リズーを一撃で殺す奴が温和で優しい訳ない!」

 改めてゾッとするのがわかる。
 そうだ。
 彼は何を無茶な事を言っているのか。

「……わかった。俺は強い! お前より強い!」

「ヒイイイイイイイイイイ」

 やっぱりいいいい!!
 身を縮めて震える。
 否定もせず、いきなり威圧してきた。
 それ以上何もしてこないみたいだけど、何か恫喝されている気もする。
 ちらりと、顔を覆った手の隙間から彼を覗き見る。
 所在なげに手を伸ばして、私の怖がり方に狼狽しているようにも見える。
 一体何者なのよおおお!!
 冷静であろうといくら思っても、どうしても恐怖が前に出てきてしまう。
 
「まあ、落ち着け……」

 まるで自分に言い聞かせている様にも見えたけど。
 そう言って彼は私と話を続けてくれた。
 話してみると、これが意外と話がわかる人だった。
 なんと言うのか、良い人だ。
 途中、知識だけで知っているテイマーという特殊な力を持っている存在では無いかと疑ったけど、それも違うみたいで。
 ちなみにテイマーは魔族とヒューマンに稀に存在する特殊能力者で、魔獣や魔物と意思を疎通し、時に支配する存在らしい。
 この辺りの事を聞かれて、それから「君も迷子か」と尋ねられた。
 ヒューマンと呼んで否定されなかったし、彼はヒューマンなんだろうなと思った。
 でも、「も」って事は、彼はたった一人でこの荒野に来て迷子になったんだろうか。
 ……ううん、それは有り得ないわ。
 どんな不条理でそんな馬鹿な事になるのよ。
 しかもここが世界の果てだって事さえ知らない様子だし。
 なんだろう、この不思議な人は。
 私が生贄として神山に向かう途中だと言うと、少し神妙な顔をして私の身を案じて、村の事や普段の生活の事を聞いてきた。
 やっぱり、悪い人じゃないのかも。
 変わったヒューマン。
 マコト、と名乗った彼は私と同じ十七歳で、私が最後に休む予定の「身清めの場」まで護衛を引き受けてくれる事になった。
 恩人でもあることだしマコト様と呼ぶことにする。
 彼は私をエマさんと呼んだ。少しくすぐったい。
 呼び捨てにしてくれて良いのだけど、彼らにはそう言った習慣が無いんだろうか?
 彼を伴ってからの道程は至って順調だった。
 不意打ちも無いし、遠巻きに数度、私達を見る種族がいただけ。
 マコト様を警戒して近づいてこれないみたいだった。
 凄く有難い。
 私はこれで生贄として役目を果たせると胸をなでおろした。
 洞窟の入口が見えてくる。

「マコト様、申し訳ありませんが少しここで待っていてもらえますか? マコト様のことを洞窟の守り人たちに説明しなくてはなりませんから」

「わかりました」

 マコト様に少し待っていてもらうように伝えると、私は洞窟に先行する。
 彼は素直に頷いてくれて、足を止めて私を見送ってくれていた。 

「エマ様、ようこそご無事で」

「ありがとう。道中で命を救ってくれた方がいて、是非こちらで休んでいってもらいたいのだけど、構いませんね?」

「お命を!? わかりました、で、その方はどういう?」

「……驚かずに聞いて。……私は見た事が無いけど、多分ヒューマンよ」

「ヒューマン!?」

「ええ。迷子、らしいのだけど事情はよくわからないわ。ただ私の危機に駆けつけてくれてリズーを一撃で屠ったのは事実。どうしても、もてなしてお別れがしたいの」

「しかし、ヒューマンなど。私も見た事はありませんが奴らは凶暴で欲深く、また極めて残忍な種族だと」

「その方はマコト様と仰るのだけど、彼についてはそんな事は無いわ。お願い」

 根気強く説得すると、彼らは私の言い分を認めてくれた。
 多分、生贄として死が待っている私の我侭を聞いてくれたんだろう。
 感謝しないといけないわね。
 マコト様に向けて入口から手を振って合図を送る。
 彼に興味を持っても私には何の意味も無い。
 もうすぐ死ぬ私には。
 でも。
 突然現れたマコト様、その何もかもが不思議な彼に、私はどんどん好奇心が湧いてくるのを止める事が出来ずにいた。





◇◆◇◆◇◆◇◆





 マコト様を迎えた洞窟での夜は、私にとって久しぶりの楽しい、最高の夜だった。
 私は誰かをもてなすのが好きだ。
 村に来た客人でも、例えば友人の祝い事でも。
 このところ、私はどちらかというともてなしを受ける、特別な立場にいる事が多かったから余計にその夜は楽しかった。
 マコト様はと言えば、私達が使う魔法に興味津々といった様子で、遂に我慢できなくなったみたいで私に尋ねてきた。

「エマさん。あれ、魔法ですよね?」

「え、ええ。私たちが普段使っている日常的な魔法です。ヒューマンは魔術、と呼ぶらしいですが」

 ヒューマンは魔法を魔術と呼ぶと聞いていたから、彼が魔法と言った事に私は少しだけ驚いた。
 その後で彼は、私も魔法が使えるかと聞いてきた。
 これでも村では有数の使い手ですよ、と答えると彼は目を輝かせていた。
 本当は一番だったけど、少し謙遜。
 するとマコト様から、魔法を教えて欲しいとお願いされた。
 ええっと。
 信じられない事に。
 彼はあの荒野にいながら、武器も持たず、そして魔法もまるで使えないと言うのだ。
 ……あの身体能力ならそれも有りなのかもしれないけど、うーん。
 それに、もう三日も何も食べていないと言って、遠慮がちながら洞窟の保存食を結構食べていた。
 お願いされたものの、魔力の存在自体もよくわからないと言うから、あまり期待はせずに恩返しのつもりで私たちが使っている詠唱と、魔力の事を少しお教えしてみた。
 すると、本当に一回の詠唱で初級の攻撃魔法とはいえ、魔法を成功させてしまった。
 余程に強い人なのかと、洞窟に戦利品として保管されていた、レベルの判別紙を持ち出して調べてみるとレベルは一と出てしまうし。
 あの強さでレベル一は無い。
 せめて二百から三百は間違いないと思っていたのに。
 村に来る魔族の人はレベル三百前後の人が多かったから。
 実に不思議な人だ。
 天才、なんだろうか。
 特に優れた才能を持つ人には近寄りがたい雰囲気なんかがあったりするけど、この人にはそんな気配は微塵も無い。
 結局、知る限りの詠唱を記して後でお渡しすると約束して、その日はお開きになった。
 私は夜通しで知る限りの詠唱を、革をなめした用紙に書いて書いて書きまくった。
 私の知識が、恩人であるマコト様の中にこれからも残ると言うなら、それは嬉しい事だと思ったから。
 皆が寝静まった夜更けに、彼に割り当てられた寝床まで行ってその紙をそっと置き、私も休んだ。
 昨夜の彼はハイランドオークの中にただ一人違う種族として存在しながら和気あいあいと過ごしていた。
 戦士の皆も、少しは彼への警戒を解いたように、私には感じられていた。
 翌朝。
 少しだけ遅くまで休んでいた私は、恩人の姿を求めて広間に行ってみた。
 でも……見当たらない。
 マコト様の姿がどこにもない。
 まだ寝ておられるのかな。
 もうすぐお昼なのに。
 私がここを出るのはまだ少し後だから構わないけど、出来れば少しでも沢山の事をマコト様にお伝えしておきたい。
 内部を見ても寝ていた所を訪ねても彼はいなかった。
 だから入口まで戻って門番をしてくれている戦士に聞いてみる。

「おはよう。マコト様を知らない?」

「彼ならば、早朝にここを出ましたが」

「ええ!?」

「彼から手紙を預かっております」

「手紙ってマコト様が!?」

 差し出された手紙には確かに文字が書かれていた。
 それも、間違いなく私たちの文字だ。
 一体彼は何者なんだろう。
 文字を扱えるのは村でもそんなに多くないんだけど。
 ええっと。

“昨日はありがとう。屋根のある場所で眠れたのは久しぶりで良く休めました。枕元に置いてあった魔法の詠唱は有り難くもらっていきますね。僕みたいな余所者よそものに丁寧に魔法を教えてもらえて凄く感激しました。そんな優しくしてくれたエマさんの為に何かしてあげたい、と僕は思ってしまいました。どこまで出来るかはわかりません、でも神山に行くのを一日だけ待ってください。蜃様というのを何とかしてみようかと思っています。ただ、恐らくそちらにはもう戻りません。もしも明日神山に蜃様がいなくなっていれば、僕のことは忘れて皆さんと村に帰って下さい。誰とも会えずにもう駄目かと思っていた時にあそこにいてくれて本当にありがとう。 マコト”

 ……なんて事を。
 マコト様は確かに強いだろう。
 でも、だからと言ってドラゴンの頂点、上位竜の一角である蜃に挑める訳がない。
 どんな存在であれ、同じ上位竜や上位の精霊でもない限り、一対一で何とかなる相手ではないのだ。
 それを、私が教えたつたない魔法だけで挑むなんて。
 そんなものは戦いじゃない、ただの自殺だ。
 急いで出立の準備をする。
 追いつける保証なんて無いけど、それでも間に合うなら彼に思いとどまってもらわないと。
 彼と私たちの関係を蜃が知っているとは限らないけど、もしも彼が戦いを挑んだ事を理由にして蜃が私たちを滅ぼそうとしてきたら。
 そんな事も考えてしまう。
 もう私は自分が死ぬ事は受け入れているんだ。
 だから、その私を助ける為に誰かに死んで欲しくはないし、私が助かっても村が滅ぶならそんな助けは望まない。
 彼が善意で申し出てくれたのは痛いほどにわかる。
 それでも。
 その好意は受け取ってはいけないものだ。
 急ぐ。
 最低限の準備だけをして出立を伝えると洞窟を出る。
 そこには。
 マコト様がいた。
 知らない女性と一緒に。
 あれ?

「ああ、手紙読んだんだ。その、ごめん。戻ってきちゃった。ただいま」

 私の格好と、顔から私が何をしようとしているのかを察したんだろう。
 居心地が悪そうに、バツがわるいといった顔で。
 ごめんと謝ったマコト様は私に、ただいま、と言った。
 




◇◆◇◆◇◆◇◆





 見た事も無い不思議な衣装に身を包んだヒューマンらしき女性は、何と蜃、様だった。
 マコト様と話をして、彼に惚れ込んで、一緒に旅をする事にした、らしい。
 何が起きているのか、私にはさっぱりわからない。
 ただはっきりしているのは。
 私たちは身清めの場を引き払って、中継地を次々に逆走しては戦士たちを回収し、今は村に帰ってきている、という事。
 これは、夢?
 私たちを長年苦しめた蜃は、実はそんな事はしていなくて。
 ただ寝ていただけだと言った。
 生贄がどうのは、蜃、様の名をかたった誰かの仕業だろうって。
 青く長い髪の長身の女性。
 これが、蜃様。
 マコト様は、上位の竜を相手に一歩も引かず、それどころか自分に優位な関係で契約まで結び、彼女を支配してしまったらしい。
 上位の竜を相手に、姿を自分に引き寄せてしまう程優位な関係で契約を結ぶ?
 ……。
 強い、と私が考えている強さとは明らかに次元が違う気がした。
 何だか蜃様に振り回されている様子のマコト様を見ると、「支配?」と首を傾げたくもなるけれど、ヒューマンに近い蜃様の姿を見れば疑いようが無い。
 顔を殴り飛ばされてもう嫁に行けん、とか、もう少しでドラゴンステーキにされる所だった、とか。
 出来の悪い作り話を聞いている気分だった。
 なのに私は、蜃様が笑いながら語る内容が本当なんだろうな、と何故か頭のどこかで納得もしていた。
 貴重なお酒を、水みたいに際限なく飲んでいく蜃様と、洞窟の時よりも遠慮なくご飯を食べるマコト様を見て私は夢の中にいるみたいだと思った。
 うたげ
 それも、問題が解決した後の祝いの宴だ。
 まさか私にこんな未来があるなんて……。
 酔った戦士たちが名乗りを上げては主賓であるマコト様と蜃様の前で戦い、演じてみせる。
 技量を見せあったりするものだから、命の取り合いにはならないけど、迫力は十分伝わっているのかマコト様は楽しんでおられるようだった。
 女達は同じ様に名乗っては、戦いではなく踊りを披露する。
 父もマコト様を歓待しながら、隠しきれない喜びを浮かべていた。
 生涯で最高の夜。
 そう思った翌日にまた最高の夜が来るなんて、信じられない。
 マコト様が席を立ちお休みになると、宴はやや落ち着いたものの、それでもまだ熱気が続いていた。
 これは、朝までだな。
 間違いないだろう。
 私は苦笑して不意に周りを見渡すと、少し離れた場所で蜃様が父と話しているのを見かけて近づいていく。
 何を話しているんだろう。

「と言う訳じゃ。皆に伝えるかどうかはお前に任せる」

「……そうでしたか。ではマコト様は我々の、生贄となった娘達の仇を取って下さった方でもあるのですね」

 !?
 なんですって!?
 仇って、でも蜃様の名を騙った奴は正体がわからないって……。
 どういう事?

あるじはそのような事をわざわざ言う方でもないがな」

「感謝を。改めてお礼をさせて――」

「そんな事は良い。が、お前達に一つ提案がある」

「なんでございましょう?」

「果ての荒野はどこも過酷じゃ。中には肥沃な場所もあるが、そこは常に争いが絶えぬしな」

「ええ、私たちもかつてはそういった土地を手に入れる為に争いに明け暮れましたが、無益と判断してこの村に引っ込んでおります。手に入れた後も防衛を強いられ、終わりなく他種族との戦いの日々が続くだけですからな」

「賢明かもしれん。そこでじゃ。お前ら、恵み多き地に住みたくはないか?」

「っ。それは、再び戦えと仰るので?」

「違う。主と契約した事で偶然見つかった土地があっての。そこにはまだ誰も住んでおらんし、私や主の許しが無ければ入る事さえ叶わん。緑が豊富で、住みやすい場所だと見たが、どうじゃ?」

「蜃様の神域に、我らをお呼び下さると?」

 肥沃な土地?
 安全な場所?
 神域?
 仇の事がもう話の端にも出てこなくなったけど、私は二人の話が気になって仕方なかった。

「神域とはまた、ゾッとせんな。亜空あくうじゃ。まあ呼び名はどうでも良い。これよりお前たちが我が主の庇護を受け、また尽くすと言うのなら。お前達に豊かな土地を与えよう。そういう事じゃ」

「それは、しかし……どれほどの土地があり、どこにあるのかもわからぬ場所となれば……」

 父は戸惑いを感じているようだ。
 確かに、いきなり村を捨てろと言われても困る。
 でも、マコト様と蜃様に庇護された土地。
 それは物凄い場所なんじゃ。

「ふむ、一理あるな。ならば、長であるお前に一度見せてやろう、来い」

「っ」

 蜃様が言うが早いか、父と蜃様は濃い霧に呑まれて消えてしまった。
 その土地に行った、という事かな?
 あんな風に行く場所なら、確かに凄く安全だろう。
 歯が、ガチガチと鳴る音がした。
 私のだ。
 興奮、高揚する気持ち。
 どんどん加速していくのがわかる。
 マコト様を主としてお仕えしながら、豊かな土地で平和に暮らす。
 何て、魅力的な。
 マコト様の事は確かにまだよく知らないけど、決して悪い方じゃない。
 豊かな土地という事は、もしかしたら軽く耕しただけで種を植えれば作物が育つような土地なんじゃないだろうか?
 この荒野にあれば間違いなく皆が血眼になって奪い合うような。
 そんな場所で、上位竜の蜃様と、あのマコト様に仕えて暮らせる。
 蜃様の提案は凄く魅力的に聞こえていた。
 父が戻ってきたら私も説得に加わらなくちゃ。
 密かに決意を固めていると、二人が戻ってきた。
 父の様子がおかしい。
 でも説得しないと。
 私は構わず二人の傍まで行き、そして止まった。

「父さ――」

「蜃様。他の者は今夜中に説得してみせます。どうか、我らをあの土地に住まわせて下さい!」

「え?」

「ん、エマ?」

 先ほどまでの逡巡を一切感じない、父の移住を求める言葉に私は間の抜けた声で応じてしまった。

「ふ、娘も賛成のようじゃな。真様への忠誠は誓えるか?」

「元より娘の恩人。これよりは我ら種族の恩人となる方。どうかお仕えさせて下さい」

「私の命はあの方に救われたのです。恩返しは当然の事です」

「ふむ。よかろう。主の説得は明日にするとして、お前達は今夜中に、騒いでおる連中をまとめておくんじゃな」

「はい!」

「わかりました!」

 翌日。
 呆気なく移住は受け入れられた。
 私たちは、マコト様と蜃様の治める土地で、新しく生きていく事になった。
 どれだけ豊かな土地なのか、父が皆に熱弁する様子を横目に見ながら、私は私でこれからの毎日に期待を寄せていた。
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特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

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 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

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