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第4章 勇者と森のクマさん編
第35話 森のクマさん……その名はオーガベアー!
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オーガベアー Cランク 危険度 ★★★★☆
熊系モンスターの中ではトップクラスの獰猛さで、執念深さはAランク並。
最大の特徴は四肢が六肢ある点だ。二本の後ろ脚で立ち上がり四本の前脚で攻撃するさまは、さながら暴風の過ぎ去ったあとのごとく全てをなぎ倒し、ズタズタに引き裂く。
単純な手数だけでも二倍になり、その猛攻を防ぎ切るのは困難を極める。
発達した筋肉から繰り出される一撃は、下手な防具では防げず、鋼鉄に匹敵する鋭い爪は鉄の防具すら簡単に引き裂いてしまう。
また体を覆う分厚い筋肉と体毛は、鉄壁の壁として冒険者達に絶望を与えるだろう。
硬い体毛は刃を通さず、分厚く弾力のある筋肉が打撃の衝撃を逃してしまいダメージが通らない。
自身がBランク、もしくはパーティーメンバー全員がCランクでないのならば、逃げる事をお勧めする。
だが、運良く逃げられたとしても、安心してはならない。
オーガベアーは視覚が弱い反面、嗅覚が異常に優れている。身近な生き物で嗅覚が優れている犬は、人の100倍もの嗅覚を持つとさえ言われている。これは人間の嗅ぎ分けられる最小の匂いを、さらに100倍に薄めても匂いを感じる事が出来ることを表している。もっとも、嗅覚が優れた犬種でも、人の300倍と言われている。
だがオーガベアーの嗅覚は、その犬のさらに7倍と言われ、実に人の2100倍もの嗅覚を持っている。オーガベアーに匂いを覚えられてしまえば、もう逃げ切るのは不可能である。
執ようなまでの執念深さが、獲物をどこまでも追い掛ける。運悪くオーガベアーに出会ってしまった者は、死を覚悟して挑まなければならない。
逃げ切れたとしても、安心してはならない。オーガベアーは匂いを辿り、必ず逃げ出した者の前に現れるのだから……。
著 冒険者ギルド 魔物図鑑参照
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「グォォォォォォォ!」
「まさかオーガベアー⁈ ヒロ逃げてください! 私が時間を稼ぎますから!」
リーシアは咆哮を上げた魔物を見て、その六肢の特徴から森の中で出会えば最悪と言われる、オーガベアーだとひと目で看破していた。
リーシアがオーガベアーの注意を引き、ヒロの逃げる時間を稼ごうと叫ぶが、オーガベアーはリーシアではなくヒロに狙いを定め突進する。
「……」
「ヒロ!」
突進するオーガベアーをヒロは放心状態で見つめていた……殺意が込められた咆哮を、まともに受けてしまったヒロは恐慌状態に陥っていた。産まれて初めて叩きつけられる明確な殺意に、ヒロの心は恐怖し思考が停止した。
突進するオーガベアーは前脚の二本を振り上げ、ヒロを切り裂き駆け抜けて行く。
リーシアは名前を読んでも反応が鈍いヒロを見て、瞬時に彼に飛びつき、辛くもオーガベアーの突進を回避した。
ランナーバードほどではないが十分に動きは速い上、四本脚で走りながら二本の前脚で攻撃する突進は脅威だった。
リーシアは飛びついたヒロと一緒に、地面を転がって突進を回避するとすぐに立ち上がり彼の顔を覗く。
オーガベアーの殺意に心が恐慌状態になり、放心を続けるヒロにリーシアは両の手で彼の頬を優しく包み込むと……『ゴンッ』と音が鳴るほど勢いよく、ヒロのオデコに頭突きを炸裂させた!
痛みで我に返るヒロ……目の前にリーシアの顔が視界一杯に広がった。
「痛っ、リーシア……僕は一体?」
「正気に戻りましたね。あの咆哮には恐怖付与の効果があるみたいです。気をしっかり持ってください。不意を突かれなければ恐慌状態になりません」
オーガベアーが立ち止まり振り返ると、その巨体を立ち上げ二本脚でノソノソと二人に向かって歩き出した。
「時間は私が稼ぎます。ヒロは町まで逃げて助けを呼んで来てください!」
「ですが……」
リーシアはヒロの話を聞かずに、オーガベアーへと走り出していた。オーガベアーの攻撃対象をヒロから自分に移しつつ、彼が逃げる時間を稼ぐために真正面から戦いに挑むリーシア……手の高さを加えると三メートルを越す巨体に、半分の身長しかない華奢な少女が肉薄する。
自分に向かってくる者を見たオーガベアーは立ち止まると、上から斜め下へ袈裟斬りのように、二本の左腕を同時に振り下ろす。
リーシアは迫り来る攻撃を、さらに加速する事でタイミングをズラし避ける。オーガベアーの左側に出たリーシアは、走る勢いをそのままに、後ろ回し蹴りを繰り出していた。
オーガベアーは左手の攻撃で体を振り抜いていたため、左側面がガラ空きだった。
リーシアの鉄入りの編み上げブーツのカカトがオーガベアーの脇腹に炸裂する。
だがオーガベアーは、リーシアの攻撃がヒットしたにもかかわらず、何事もなかったかのように、ゆっくりと彼女の方へ振り返る。
リーシアの蹴りは決して弱い訳ではない。相手の勢い、絶妙な重心移動、攻撃を入れる的確なタイミングと場所、全てを同時にこなす事で、華奢な体からは想像も出来ない打撃を繰り出していた。
現にランナーバード戦においても、リーシアの打撃で倒し切っている。
だがオーガベアーにはリーシアの攻撃は通用しない。弾力のある厚い筋肉と、刃を通さない体毛が攻撃を無効化しているのだ。
リーシアは自分の蹴りが効いていないと知ると、ヒロがいる位置とは反対側に体を逃し、オーガベアーと対峙する。
リーシアは視界に映るパーティー画面を操作して、チャット機能をオンにする?
『ヒロ! 私が引き付けている内に逃げてください』
リーシアの声がヒロの頭の中に響く。
オーガベアーに気付かれずにヒロを逃すため、リーシアはチャット機能を用い、周りに聞こえない程の小声でヒロと会話していた。
ヒロも素早くパーティー画面の会話機能をオンにして答える。
『ですが、リーシアを置いて逃げられません』
ヒロはショートソードを構え、背面からオーガベアーにBダッシュからの攻撃を加えようとするが……。
『ーー足手まといが居て邪魔なんです! ヒロがなんの役に立つのですか? 私一人でなら役立たずを守って戦わなくて済む分、まだ勝機があります! だから……役立たずはサッサと逃げてください!』
攻撃の手を止め、口を閉ざすヒロ……リーシアの辛辣な言葉がヒロの心に突き刺さる。
だがヒロは何も言い返せない……役立たず、まさにその通りだった。リーシアの攻撃が通用しない敵に、彼の攻撃が通らない事は明白だった。
レベルでも戦いの技術でも、ヒロはリーシアに勝るものがない。
目の前の強敵相手に何も出来ず、ただ見ているしか出来ないヒロは、まさに役立たずだった。
だが、リーシアの言葉を聞いてもヒロはまだ迷う。
Bダッシュの構えを解いたが、いまだオーガベアーから逃げ出さないヒロに、リーシアが追い討ちを掛ける。
『あなたとパーティーを組もうと思ったのは、アイテム袋を持っていて便利だったからです。あなた自身には何の価値もありません! ここで死なれて、そのアイテム袋が失われるのが惜しいだけです。だからサッサとアイテム袋を持って町に逃げ帰ってください! 私が生きて帰れたら、せいぜいアイテム袋を持ったあなたをコキ使って、儲けさせてもらいますよ!』
そう言うと、リーシアは後ろへ飛び、距離を離すとオーガベアーが追い縋ってくる。熊は逃げる者を追う習性があり、ヒロとの距離を開けるため、リーシアはワザと大きな動きでオーガベアーの気を引いていた。
『私を殺したいのですか⁈ 冗談じゃありません。お前のせいで死ぬなんて真平御免です!』
その言葉を聞いたヒロは、無言でリーシアとオーガベアーを置いて、反対方向へと静かに移動し戦いから抜け出していた。
遠ざかるヒロの気配に気づいたオーガベアーは、獲物を逃すまいと、ヒロの方へ振り向き咆哮を上げる。だが、距離が離れて過ぎているため、その咆哮は意味を為さなかった。
オーガベアーがヒロに振り向き、視線を外したチャンスをリーシアは見逃さなかった。重心を落とした独特な歩法で、上半身を揺らさずに、地面を滑るようにオーガベアーへ近づく。
狙うは鉄壁の防御を無視して体内を破壊する、浸透系打撃技……俗に暗勁と言われる技だった。
暗勁は震脚で発生した力の波を、インパクトの瞬間に打撃力に変える発勁とは違い、相手の体内で力を爆発させる打撃技である。
相手と密着する事で、敵の防具や体を自分の身体の一部とし、震脚で発生した力の波を相手の体に送りこみ、爆発させ体内を破壊する技である。
しかし、暗勁は密着した状態からの震脚による力の発生と、体の捻りによる力の増幅に一瞬の隙が出来てしまう。戦いにおいて一瞬でも動きを止める事は死を意味していた……そして暗勁は爆発させる場所が相手の体内に限定されており、敵が動けば爆発する場所に力が伝わらず、不発に終わる可能性も高い。戦いの最中、動く者に暗勁を当てるのは至難の技なのだ。
だがリーシアにチャンスは来た。
オーガベアーに肉薄したリーシアは、右ヒザ裏に手を置き、震脚からの力を、拳からオーガベアーの巨体へと流し込み……。
「波動衝!」
リーシアの練り上げた気が、オーガベアーに伝わると力が体内で爆発した。
苦悶の顔を上げるオーガベアー……ヒザを崩し、倒れ込みながらも、二本の右腕を広げリーシアに襲い掛かる。
技を打った後の硬直で、一瞬逃げるのが遅れたリーシア……避けられないと判断すると、腕と足で体をガードして攻撃とは反対方向へと飛んだ!
腕と足に衝撃を受け、少女は横に吹き飛ばされる……地面を何度も転がり、衝撃を逃すことで難を逃れるが、確実にダメージは入っていた。
腕と足に鈍い痛みが走るが、リーシアは痛みを無視して無理やり立ち上がる。
オーガベアーも右ヒザを破壊とまでいかないが、足を引きずり、走るのが困難な状態にする事に成功した。
オーガベアーに吹き飛ばされたリーシアは、10メートル以上の間隔を空けて再び対峙する。
「これで最悪、ヒロが町まで逃げる時間は稼げそうです」
先程まで、自分の目の前にいたヒロの顔を思い出し、悲痛な顔をするリーシア……その顔は体ではなく、心の痛みによるものだった。
リーシアもオーガベアーとの戦いは想定外で、ヒロを守りながら戦うのは難しかった。リーシアの事を心配して逃げてくれないヒロを逃すために、本心でないとはいえ心にもない事を言ってしまい、心が痛んでいた。
「ずっと一人で戦ってきましたから、こういう時どう言えば良いのか分かりません……生きて帰れたら謝らないとです」
「ガァァァァッ!」
オーガベアーが唸り声を上げてリーシアを威嚇する。
完全にヒロの事を忘れ、自分に痛みを与えた存在に敵意を向ける。
「やはりこのままでは勝てませんね。ここで何としても仕留めないと、匂いでヒロを付け回す可能性が高いです……仕方ありません。誰もいないですし、むしろ好都合です」
リーシアは目をつぶり、心の内に意識を集中する。
戦闘中に自殺行為とも言える少女の行動に、オーガベアーが反応し、右ヒザを庇いながら突進を始めた。
普段、心の奥底に鍵を掛け隠している感情を解き放とうと、リーシアは母が殺された時の光景を鮮明に思い出す。
怒りが……心の奥底に鍵を掛け封印していた感情が膨れ上がり、体の中から溢れ出す勢いで荒れ狂う!
そして母の首が切り落とされた瞬間を思い描いた時、耐え切れなくなった心の鍵が吹き飛ばされ、怒りと殺意が心の中で爆発した!
突如、噴き上がった強烈な殺意に、オーガベアーは一瞬躊躇しながら突進による腕の攻撃を少女に加えるが……目の前にいたはずの獲物の姿が忽然と消え、その攻撃は空振りに終わる。
そして次の瞬間、推定重量300キロを超えるオーガベアーの巨体が、急に加えられた横からの衝撃で揺らいだ!
鉄壁の防御のおかげでダメージは全く入っていないが、自分の巨体を揺るがすほどの衝撃に驚き、横に立つ者に顔を向けるとそこには……鬼が立っていた。
この世の者とは思えない怒りで顔を歪ませた鬼が、殺気を漲らせて佇んでいるのだった。
〈心の奥底に封印されていた怒りが解放された時、怒りと復讐に燃える鬼が現れた!〉
熊系モンスターの中ではトップクラスの獰猛さで、執念深さはAランク並。
最大の特徴は四肢が六肢ある点だ。二本の後ろ脚で立ち上がり四本の前脚で攻撃するさまは、さながら暴風の過ぎ去ったあとのごとく全てをなぎ倒し、ズタズタに引き裂く。
単純な手数だけでも二倍になり、その猛攻を防ぎ切るのは困難を極める。
発達した筋肉から繰り出される一撃は、下手な防具では防げず、鋼鉄に匹敵する鋭い爪は鉄の防具すら簡単に引き裂いてしまう。
また体を覆う分厚い筋肉と体毛は、鉄壁の壁として冒険者達に絶望を与えるだろう。
硬い体毛は刃を通さず、分厚く弾力のある筋肉が打撃の衝撃を逃してしまいダメージが通らない。
自身がBランク、もしくはパーティーメンバー全員がCランクでないのならば、逃げる事をお勧めする。
だが、運良く逃げられたとしても、安心してはならない。
オーガベアーは視覚が弱い反面、嗅覚が異常に優れている。身近な生き物で嗅覚が優れている犬は、人の100倍もの嗅覚を持つとさえ言われている。これは人間の嗅ぎ分けられる最小の匂いを、さらに100倍に薄めても匂いを感じる事が出来ることを表している。もっとも、嗅覚が優れた犬種でも、人の300倍と言われている。
だがオーガベアーの嗅覚は、その犬のさらに7倍と言われ、実に人の2100倍もの嗅覚を持っている。オーガベアーに匂いを覚えられてしまえば、もう逃げ切るのは不可能である。
執ようなまでの執念深さが、獲物をどこまでも追い掛ける。運悪くオーガベアーに出会ってしまった者は、死を覚悟して挑まなければならない。
逃げ切れたとしても、安心してはならない。オーガベアーは匂いを辿り、必ず逃げ出した者の前に現れるのだから……。
著 冒険者ギルド 魔物図鑑参照
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「グォォォォォォォ!」
「まさかオーガベアー⁈ ヒロ逃げてください! 私が時間を稼ぎますから!」
リーシアは咆哮を上げた魔物を見て、その六肢の特徴から森の中で出会えば最悪と言われる、オーガベアーだとひと目で看破していた。
リーシアがオーガベアーの注意を引き、ヒロの逃げる時間を稼ごうと叫ぶが、オーガベアーはリーシアではなくヒロに狙いを定め突進する。
「……」
「ヒロ!」
突進するオーガベアーをヒロは放心状態で見つめていた……殺意が込められた咆哮を、まともに受けてしまったヒロは恐慌状態に陥っていた。産まれて初めて叩きつけられる明確な殺意に、ヒロの心は恐怖し思考が停止した。
突進するオーガベアーは前脚の二本を振り上げ、ヒロを切り裂き駆け抜けて行く。
リーシアは名前を読んでも反応が鈍いヒロを見て、瞬時に彼に飛びつき、辛くもオーガベアーの突進を回避した。
ランナーバードほどではないが十分に動きは速い上、四本脚で走りながら二本の前脚で攻撃する突進は脅威だった。
リーシアは飛びついたヒロと一緒に、地面を転がって突進を回避するとすぐに立ち上がり彼の顔を覗く。
オーガベアーの殺意に心が恐慌状態になり、放心を続けるヒロにリーシアは両の手で彼の頬を優しく包み込むと……『ゴンッ』と音が鳴るほど勢いよく、ヒロのオデコに頭突きを炸裂させた!
痛みで我に返るヒロ……目の前にリーシアの顔が視界一杯に広がった。
「痛っ、リーシア……僕は一体?」
「正気に戻りましたね。あの咆哮には恐怖付与の効果があるみたいです。気をしっかり持ってください。不意を突かれなければ恐慌状態になりません」
オーガベアーが立ち止まり振り返ると、その巨体を立ち上げ二本脚でノソノソと二人に向かって歩き出した。
「時間は私が稼ぎます。ヒロは町まで逃げて助けを呼んで来てください!」
「ですが……」
リーシアはヒロの話を聞かずに、オーガベアーへと走り出していた。オーガベアーの攻撃対象をヒロから自分に移しつつ、彼が逃げる時間を稼ぐために真正面から戦いに挑むリーシア……手の高さを加えると三メートルを越す巨体に、半分の身長しかない華奢な少女が肉薄する。
自分に向かってくる者を見たオーガベアーは立ち止まると、上から斜め下へ袈裟斬りのように、二本の左腕を同時に振り下ろす。
リーシアは迫り来る攻撃を、さらに加速する事でタイミングをズラし避ける。オーガベアーの左側に出たリーシアは、走る勢いをそのままに、後ろ回し蹴りを繰り出していた。
オーガベアーは左手の攻撃で体を振り抜いていたため、左側面がガラ空きだった。
リーシアの鉄入りの編み上げブーツのカカトがオーガベアーの脇腹に炸裂する。
だがオーガベアーは、リーシアの攻撃がヒットしたにもかかわらず、何事もなかったかのように、ゆっくりと彼女の方へ振り返る。
リーシアの蹴りは決して弱い訳ではない。相手の勢い、絶妙な重心移動、攻撃を入れる的確なタイミングと場所、全てを同時にこなす事で、華奢な体からは想像も出来ない打撃を繰り出していた。
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だがオーガベアーにはリーシアの攻撃は通用しない。弾力のある厚い筋肉と、刃を通さない体毛が攻撃を無効化しているのだ。
リーシアは自分の蹴りが効いていないと知ると、ヒロがいる位置とは反対側に体を逃し、オーガベアーと対峙する。
リーシアは視界に映るパーティー画面を操作して、チャット機能をオンにする?
『ヒロ! 私が引き付けている内に逃げてください』
リーシアの声がヒロの頭の中に響く。
オーガベアーに気付かれずにヒロを逃すため、リーシアはチャット機能を用い、周りに聞こえない程の小声でヒロと会話していた。
ヒロも素早くパーティー画面の会話機能をオンにして答える。
『ですが、リーシアを置いて逃げられません』
ヒロはショートソードを構え、背面からオーガベアーにBダッシュからの攻撃を加えようとするが……。
『ーー足手まといが居て邪魔なんです! ヒロがなんの役に立つのですか? 私一人でなら役立たずを守って戦わなくて済む分、まだ勝機があります! だから……役立たずはサッサと逃げてください!』
攻撃の手を止め、口を閉ざすヒロ……リーシアの辛辣な言葉がヒロの心に突き刺さる。
だがヒロは何も言い返せない……役立たず、まさにその通りだった。リーシアの攻撃が通用しない敵に、彼の攻撃が通らない事は明白だった。
レベルでも戦いの技術でも、ヒロはリーシアに勝るものがない。
目の前の強敵相手に何も出来ず、ただ見ているしか出来ないヒロは、まさに役立たずだった。
だが、リーシアの言葉を聞いてもヒロはまだ迷う。
Bダッシュの構えを解いたが、いまだオーガベアーから逃げ出さないヒロに、リーシアが追い討ちを掛ける。
『あなたとパーティーを組もうと思ったのは、アイテム袋を持っていて便利だったからです。あなた自身には何の価値もありません! ここで死なれて、そのアイテム袋が失われるのが惜しいだけです。だからサッサとアイテム袋を持って町に逃げ帰ってください! 私が生きて帰れたら、せいぜいアイテム袋を持ったあなたをコキ使って、儲けさせてもらいますよ!』
そう言うと、リーシアは後ろへ飛び、距離を離すとオーガベアーが追い縋ってくる。熊は逃げる者を追う習性があり、ヒロとの距離を開けるため、リーシアはワザと大きな動きでオーガベアーの気を引いていた。
『私を殺したいのですか⁈ 冗談じゃありません。お前のせいで死ぬなんて真平御免です!』
その言葉を聞いたヒロは、無言でリーシアとオーガベアーを置いて、反対方向へと静かに移動し戦いから抜け出していた。
遠ざかるヒロの気配に気づいたオーガベアーは、獲物を逃すまいと、ヒロの方へ振り向き咆哮を上げる。だが、距離が離れて過ぎているため、その咆哮は意味を為さなかった。
オーガベアーがヒロに振り向き、視線を外したチャンスをリーシアは見逃さなかった。重心を落とした独特な歩法で、上半身を揺らさずに、地面を滑るようにオーガベアーへ近づく。
狙うは鉄壁の防御を無視して体内を破壊する、浸透系打撃技……俗に暗勁と言われる技だった。
暗勁は震脚で発生した力の波を、インパクトの瞬間に打撃力に変える発勁とは違い、相手の体内で力を爆発させる打撃技である。
相手と密着する事で、敵の防具や体を自分の身体の一部とし、震脚で発生した力の波を相手の体に送りこみ、爆発させ体内を破壊する技である。
しかし、暗勁は密着した状態からの震脚による力の発生と、体の捻りによる力の増幅に一瞬の隙が出来てしまう。戦いにおいて一瞬でも動きを止める事は死を意味していた……そして暗勁は爆発させる場所が相手の体内に限定されており、敵が動けば爆発する場所に力が伝わらず、不発に終わる可能性も高い。戦いの最中、動く者に暗勁を当てるのは至難の技なのだ。
だがリーシアにチャンスは来た。
オーガベアーに肉薄したリーシアは、右ヒザ裏に手を置き、震脚からの力を、拳からオーガベアーの巨体へと流し込み……。
「波動衝!」
リーシアの練り上げた気が、オーガベアーに伝わると力が体内で爆発した。
苦悶の顔を上げるオーガベアー……ヒザを崩し、倒れ込みながらも、二本の右腕を広げリーシアに襲い掛かる。
技を打った後の硬直で、一瞬逃げるのが遅れたリーシア……避けられないと判断すると、腕と足で体をガードして攻撃とは反対方向へと飛んだ!
腕と足に衝撃を受け、少女は横に吹き飛ばされる……地面を何度も転がり、衝撃を逃すことで難を逃れるが、確実にダメージは入っていた。
腕と足に鈍い痛みが走るが、リーシアは痛みを無視して無理やり立ち上がる。
オーガベアーも右ヒザを破壊とまでいかないが、足を引きずり、走るのが困難な状態にする事に成功した。
オーガベアーに吹き飛ばされたリーシアは、10メートル以上の間隔を空けて再び対峙する。
「これで最悪、ヒロが町まで逃げる時間は稼げそうです」
先程まで、自分の目の前にいたヒロの顔を思い出し、悲痛な顔をするリーシア……その顔は体ではなく、心の痛みによるものだった。
リーシアもオーガベアーとの戦いは想定外で、ヒロを守りながら戦うのは難しかった。リーシアの事を心配して逃げてくれないヒロを逃すために、本心でないとはいえ心にもない事を言ってしまい、心が痛んでいた。
「ずっと一人で戦ってきましたから、こういう時どう言えば良いのか分かりません……生きて帰れたら謝らないとです」
「ガァァァァッ!」
オーガベアーが唸り声を上げてリーシアを威嚇する。
完全にヒロの事を忘れ、自分に痛みを与えた存在に敵意を向ける。
「やはりこのままでは勝てませんね。ここで何としても仕留めないと、匂いでヒロを付け回す可能性が高いです……仕方ありません。誰もいないですし、むしろ好都合です」
リーシアは目をつぶり、心の内に意識を集中する。
戦闘中に自殺行為とも言える少女の行動に、オーガベアーが反応し、右ヒザを庇いながら突進を始めた。
普段、心の奥底に鍵を掛け隠している感情を解き放とうと、リーシアは母が殺された時の光景を鮮明に思い出す。
怒りが……心の奥底に鍵を掛け封印していた感情が膨れ上がり、体の中から溢れ出す勢いで荒れ狂う!
そして母の首が切り落とされた瞬間を思い描いた時、耐え切れなくなった心の鍵が吹き飛ばされ、怒りと殺意が心の中で爆発した!
突如、噴き上がった強烈な殺意に、オーガベアーは一瞬躊躇しながら突進による腕の攻撃を少女に加えるが……目の前にいたはずの獲物の姿が忽然と消え、その攻撃は空振りに終わる。
そして次の瞬間、推定重量300キロを超えるオーガベアーの巨体が、急に加えられた横からの衝撃で揺らいだ!
鉄壁の防御のおかげでダメージは全く入っていないが、自分の巨体を揺るがすほどの衝撃に驚き、横に立つ者に顔を向けるとそこには……鬼が立っていた。
この世の者とは思えない怒りで顔を歪ませた鬼が、殺気を漲らせて佇んでいるのだった。
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