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心の動き

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 とりあえず、俺たちは病院の近くにある、四階建ての宿で泊まることになった。手続きはクリス嬢がやってくれたんだけど――。
 二階にある部屋の入り口で、俺は躊躇いと戸惑いと、そして……狼狽えの三重奏を一人で奏でていた。夕日が差し込む部屋の中には四つのベッドが並び、その一つではすでにエイヴが「エイヴはここ!」と言いながら、もう寝そべっていた。
 クリス嬢は入り口から動かない――もとい、動けない俺を振り返ると、困ったような、それでいて少し楽しげな顔をした。


「そんなところで立ってないで、入って来て下さいね」


「あの、その……この状況は一体?」


「仕方ないじゃありませんか。この部屋しか空いてないって話なんですもの」


「いやまあ……そんな状況とはいえ、よく部屋を貸してくれましたね……」


 この辺りでは教会の影響か、男女の相部屋というのは忌避される傾向がある。不特定の男女で同室など、まかりならん――ということらしい。だから、未婚の男女が宿で同じ部屋になるのは、夫婦以外ではかなり難しい。
 そんな俺の疑問に、クレア嬢はあっさりと答えた。


「それなら、夫婦ってことにしてありますから。全然大丈夫ですわよ?」


「いやそれ……大丈夫って言っていいんですか?」


 帰ってから、しばらくは伯爵に会わないようにしよう。そうしよう。
 仕方なく、俺は部屋に入るとドアを閉めた。鍵をしてから、所在なしげに窓へと向かう。飯はともかく、着替えとかまったくないんだけど……どうしよう。
 ああ、あと風呂もなあ……部屋の中にあるんだっけ?
 そんな現実逃避をしている俺に、クレア嬢が話しかけてきた。


「トト、明日はどうしましょう? なにか、捜査の手掛かりとか、思い当たるところはありまして?」


「特に、決め手となるのはないですね。こいつらに訊けたらいいんですけど」


 俺は上着から、オークが封じられている黒曜石を取り出した。家に置いたまま遠出するのが躊躇われたんで、念のために持って来ていた。
 オークの言語は特殊らしくて、ガランでも通訳はできなかった。
 尋問ができたら、色々と助かるんだけど……。
 俺が取り出した黒曜石を見て、クリス嬢は見覚えのある石を手の平に載せた。


「彼女――に訊いてみましたら、少しならわかるようです。仲介をお願いしてみませんか?」


「それって、ティアマトですか? 声なんかしなかったのに――」


「ええ。わたくしの許可するまで、喋らないという約束でしたから。ティアマト、もういいですわよ?」


〝ええ。お久しぶりで御座います、王よ。そして、トト?〟


 石から思念というのか、そんな感じに聞こえてきたのは、確かにティアマトの声だ。
 俺が驚いていると、クリス嬢の手にある石の上に、半透明のティアマトの姿が浮かび上がった。
 手の平サイズのティアマトは俺に一礼をすると、黒曜石に目を向け、なにかを喋り始めた。少しして、ティアマトが頭を上げた。


〝オークどもは、山中に固まっていたところを人間に掘り出されたようです。しばらくは石でできた山にいた……と。そこで、人の言葉を覚えた三体に、瀕死の人間の身体が与えられたようですわ〟


 恐らく、この手法はティアマトが人間の身体を乗っ取ったのと同じやり方だ。
 となると、相手は幻獣の存在を知っているだけでなく、人間の身体を乗っ取る方法まで熟知している存在となる。
 そこまで考えた俺は、先日に黒い馬車から漏れていた声のことを思い出した。
 馬車の中のいた者たちは、『我らの王』と言っていた。俺には、これがギルメンたちの証言で出てきた『新たな王』に関連があるようにしか思えない。
 もし、この二つの『王』が同一の存在だった場合、敵は幻獣である確率が高い。しかも最悪の場合、人間の身体を乗っ取り、ある程度の富――もしくは権力を握っている。

 今回の件、厄介ごとでは済まないかもしれない。

 そんな考えに冷や汗が出た俺が視線を窓の外に逸らしたとき、宿に面した通りに三台の馬車が停まった。そこから背広を着た男たちが出てくるのを見た俺は、窓から離れた。


「ちょっと使いたいので、ハンカチを一つ貰えませんか?」


「え? ええ……それは良いですけれど。なにに使うんですの?」


「ちょっと。あと、必要最低限の荷物だけ持って、ちょっと外に出ましょうか。エイヴもおいで」


「トト、どこにいくの?」


 ベッドから起き上がったエイヴに、俺は「今は内緒」と冗談めかしながら答えた。

   *

 三人を通りに停めた馬車の前に残して、六人の男たちが二階へと上がった。
 階段から廊下に出た男たちは、まっすぐにトラストンらが泊まっている部屋へと近づいた。
 男たちは互いに頷き合うと、先頭の一人がドアをノックした。


「……お客様。警備隊から荷物が届いております」


 声を掛けてみたが、返答はない。ドアに耳を付けたが、物音は聞こえなかった。さらに男がドアノブを回してみると、鍵はかかっていなかった。
 勢いよくドアを開けたが、室内には誰もいなかった。夕日が照らす室内を見回した男たちは、窓の一つが開いていることに気づいた。
 男の一人が窓から外に出ると、窓の右側にある窓枠と壁の境目に、ハンカチが挟まっていた。
 男は手を伸ばしてハンカチを取ると、下にいる男たちへ怒鳴った。


「おい! 標的は何処へ行ったっ!?」


「いや――俺たちは見てないが?」


「二階の窓は見ていたか!? ここに女物のハンカチが引っかかっていたぞ!!」


「な、なんだって――?」


 宿の出入り口は見ていたが、二階までは気にしていなかったのだろう。下にいた男たちは焦りながら周囲を見回し始めた。
 悪態をつきながら顔を室内に戻した男は、仲間を引き連れて一階へと降りていった。


「宿の周辺を探せ! まだ、そんなに遠くへは行っていないはずだっ!!」


 その怒鳴り声は、階段を通って各階へと響き渡った。



 とまあ――俺は階段に近い三階の廊下で、男の怒鳴り声を聞いていた。
 クリス嬢やエイヴも、すぐ側にいる。念のため、ガランやティアマト、そしてオークたちにも黙るように指示を出してある。
 足音が聞こえなくなってから、俺はようやく警戒を解くことができた。


「行ったようですね。でも、思っていたより、動きが速かったなあ」


「トト、どうやって気づきましたの?」


「敵が見えないときは、最悪のことを考えるようにしてるんです。どうやら、かなり厄介な相手みたいですけど。多分、この街の警備隊か医者に仲間か手下か……そんなヤツがいるみたいですね」


「そんな……」


 信じられない、といった顔をするクリス嬢は、力なく首を振った。


「この状況から考えると、そうなっちゃいますね。ティレスさんを助けた俺たちのことを知っているようですし、この街に来たことも把握していたとすると……警備隊かあの病院の関係者しかいませんし。
 けど、今は取り急ぎ……もうちょっと待ってから、宿を変えましょうか。ここは危険ですからね」


「変えるって……どこに? 他の宿なんて、もう泊まれませんわ」


「そうですね……ティレスさんの家とかどうです? 家がこの前のままなら、侵入口はありますし」


「呆れた……この前も、そんなことをしていましたのね」


「緊急事態ってことで、許して下さい」


 俺はクリス嬢に答えながら、そっと階段の下を見た。
 先の男たちは、もういないようだ。二階に戻って荷物を回収すると、俺を先頭に、慎重に階段を降りた。
 一階のロビーに男たちの姿がいないのを確かめてから、俺たちは裏口へと向かった。
 従業員から奇異の目を向けられながら、俺は厨房横にあるドアをゆっくりと開けた。こっちの裏通りには、誰もいない。
 俺は念のため、龍の指輪を握り締めた。


「ガラン……《精神接続》」


〝承知した〟


 俺とガラン、二人の〈目〉で警戒をしながら、俺は裏通りに出た。慌てずに……だけど、できるだけ早足で、俺たちはティレスさんの家へと急いだ。

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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!

わたなべ ゆたか です。

本格的に早出現場が始まりまして……眠気と戦いかながら書いてます。
ただ今回、ワープロソフトの誤字脱字チェックをしたら、指摘箇所が0。眠い方が調子がいいのは、どういうことでしょう?

とりあえず、今年最大の謎ってことにしました。個人的に。


少しでも楽しんで頂けたら幸いです。


次回もよろしくお願いします!
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