夫の浮気相手は私の妹でした

柚鳥

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6話

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 ミシェルは寝室の鏡台の前に座り、自分の顔を見つめていた。目の下にはわずかな隈ができているが、表情には迷いがない。しかし、心の中では緊張が渦巻いていた。

「本当にこれでいいのかしら……」

 彼女が訪ねようとしているのは、ストラスバーグ伯爵だ。その名を口にするだけで人々が眉をひそめるほどの悪辣な人物であることは承知している。それでも彼に頼る以外に方法はないという結論に達していた。

 アンドルーの浮気と裏切りが明らかになった今、ミシェルにはただ一つの選択肢しか残されていない。それは自分もまた利用する側になることだった。これまで彼女は常に礼節を重んじ、他人の感情を慮ることを優先してきた。しかし、もうそんな甘い考えでは生きていけない。この世界では、強くならなければ踏みにじられるだけだと悟ったのだ。

「でも、伯爵様に頼むなんて……」

 彼の評判は決して良いものではない。冷酷で狡猾、そして相手を徹底的に追い詰める手腕を持つことで知られている。しかし、それこそが今のミシェルが必要としているものだった。彼女自身が直接手を下すことはできないが、伯爵ならば確実に目的を果たしてくれるはずだ。

 ミシェルは小さく息を吐き、立ち上がった。身なりを整え、薄暗い廊下を進む。使用人には「用事がある」と告げ、馬車を手配させる。目的地は伯爵の屋敷――普段なら近づこうともしない場所だが、今はそれが最も安全な道だと信じていた。





「やあ、ミシェル嬢。よく来てくれたね」

 ストラスバーグ伯爵の印象は思ったよりも親しみやすいものだった。しかし、その奥に潜む危険な雰囲気は隠しようがない。

「お時間をいただき、ありがとうございます」

 ミシェルは深々と一礼した。彼女にとって初めての対面であり、失礼があってはならない。

「まあ、堅苦しい挨拶はよそう。君がここに来た理由は大体想像がつく。さあ、話してみなさい」

 伯爵はソファに腰掛け、悠然とした態度で話を促す。ミシェルはゆっくりとテーブルの向かいに座り、封筒を取り出した。

「これが……私の夫、アンドルーに関する証拠です」

 中身を見せると、伯爵は興味深げに目を通した。写真や記録に目を走らせながら、彼の口元には微かに笑みが浮かぶ。

「なるほど、これは面白い。彼の不貞行為だけでなく、もっと深い何かが絡んでいるようだね」

「そう思います。私はただ……彼を許すことができません」

「それで、何を望む?」

「彼の破滅です。そしてニコルの……妹の破滅も」

 ミシェルの言葉には強い意志が込められていた。しかし、次の瞬間、彼女の表情が僅かに曇る。

「ただし、私の実家には迷惑がかからないようにお願いしたいのです」

「ふむ、賢明な条件だね。だが君、これでは見返りにならないのではないかな?」

「見返りよりも私の希望を叶えていただければそれで構いません。強いて言うなら……私の正義を貫かせていただけるなら、それが見返りになります」

「正義か……」

 伯爵は低く笑った。その笑顔には皮肉と嗜虐的な色が混ざっているように見えた。

「分かった。君の希望通り、彼らを徹底的に追い詰めてみせよう。ただし、結果については保証できない。それでいいな?」

「もちろんです。すべてをお任せします」

 ミシェルは力強く頷いた。ここまで来た以上、もう後戻りはできない。

「面白いね、君は。君のような女性は珍しい。楽しみにしておくといい」

 伯爵は満足げに微笑み、席を立った。ミシェルもそれに続き、丁寧にお辞儀をして応接間を後にした。

 ミシェルの胸中は複雑な気持ちだった。自分が正しい道を選んだのかどうか、まだ分からない。しかし、少なくともこれで何もしないよりはましだった。
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