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スワンシュー
しおりを挟むスエヒロの家へ遊びに行ったら、真っ白くてフワフワで、まんまる頭の犬がいた。
「ビションフリーゼっていう種類の犬なんだよ」
スエヒロは、白いポンポンみたいな犬の頭を指差しながら、淡々とした口調で僕に告げた。
「綿あめみたいだね」
と言ったら
「いや、大福でしょ」
と返された。
「大福はフワフワしてないじゃん。絶対に綿あめの方が似てるよ」
「でも、もう大福って呼んでるから。改名する気は無いから」
「……別に改名しなくていいし。えっ、ていうか大福って呼んでんの? めっちゃ洋風な顔つきの犬なのに? お前んち、洋菓子屋やってんのに?」
「別にいいだろ、細かいなぁ。お前のそういうところ、本当に嫌い」
我々の間に不穏な空気が流れたところへ、大福が乱入してきた。
スエヒロの足に飛びつこうとしてかわされてしまった大福は、床にべちゃりと腹這いになる。
「酷っ。なんで避けんだよ」
「犬、嫌いだから」
「……嫌いなのに飼ってんの?」
「飼ってるわけじゃない。うちの店の常連さんが海外出張に行ってる間、預かってるだけ」
「あー、なるほど。そういうことか」
そこで僕は、ハタと気付いた。
「それじゃあ、大福って名前をつけたのは、お前じゃなくて本当の飼い主なのか」
「いや、大福って呼んでるのは俺だけ。本当の名前はメレンゲ」
「……えっ? 預かってる犬に違う名前つけて呼んでんの?」
「そう。メレンゲって呼びにくいから」
「へえ……」
何言ってんの、こいつ。
と思ったが、喧嘩になるのもめんどくさかったので、口には出さずにおいた。
大福は床でゴロゴロしている。
そっと手を伸ばして頭を撫でると、気持ち良さそうに目を細めた。
しばらくフワフワの感触を堪能していると、階下にある店の方から怒鳴り声が聞こえてきた。
「糞ジジイ! レジから金抜いて飲みに行っただろ! 死ね! この生ゴミ野郎!」
「俺の店だぞ! 自分の金使って何が悪いんだよ!」
スエヒロの兄の拓真さんと親父さんが、何やら言い争っている。
「お前の店じゃねーよ! 爺ちゃんが遺した店だろ! 大体お前、店のこと何っっっにもしてねーじゃねーか! 出てけよ! 二度と帰って来んな!」
「誰が育ててやったと思ってんだ!」
「お前じゃないことだけは確かだよ!」
「出てけ!」
「お前が出てけ!」
その後も、罵り合いは続く。
「うるさいでしょ。音楽でも聴く?」
スエヒロが、棚の上に置いてあるヘッドホンを指差した。
「……いや、いい」
「あっそ。じゃあ帰れば? たぶん親父、このあとここに来るよ」
スエヒロが視線を動かして、仏壇の方を見る。
「兄ちゃんと喧嘩した後は、いつも愚痴こぼしにくるから。酔っ払いの相手すんの面倒だったら、帰った方がいいよ」
どうしようかな、と迷っている間に怒鳴り声が聞こえなくなり、ドスドスという足音を響かせながらスエヒロの親父さんが居間に入って来た。
「何だよ、また来てたのかよ」
親父さんはバツの悪そうな顔をしながら、ドサリと仏壇の前であぐらをかいた。
「あーあ、お前が死んじゃってから、拓真がうるさくて仕方ねーよ」
仏壇に置かれた写真立てに向かって、親父さんが話しかける。
「帰って来いよ。そんで、拓真のこと手伝ってやってくれよ。お前の代わりに、俺がそっち行くからさぁ」
親父さんは、泣いていた。
「なぁ、俺が代わってやるから、早く帰って来いよ。なぁ、早くしろよ。俺はもう、耐えらんねぇよ」
気持ちよさそうにウトウトしていた大福がムクリと起き上がり、親父さんの背中に飛びついた。
「お前の大好きな犬っころもいるぞ。預かりもんだから、もう少ししたら返さなくちゃいけないんだけどさ。……前にお前が拾って来た捨て犬、飼ってやれば良かったなぁ。元の場所に返してこいなんて言って、悪かったなぁ。お前が死んじゃうって知ってたら、あんなこと言わなかったのになぁ」
え?
と思って、僕は親父さんに話しかけた。
「あの……スエヒロって、犬が好きだったんですか?」
親父さんはちょっとビックリした顔をしてこっちを見た。
僕がいたことなど、すっかり忘れていたらしい。
「あいつは犬だけじゃなくて、動物は何でも好きだよ。犬でも猫でも鳥でも、何でも拾って来ちゃうから困っててなぁ。毎回、元いた場所に戻してこさせてたんだけど、こんなことになるなら家で飼ってやれば良かったよ……」
僕がスエヒロの方を見ると、奴は横を向いた。
何だよ、こいつ。
犬が嫌いなんて嘘つきやがって。
素直じゃねーなぁ。
「あの日も、薄汚い犬を拾って来たから……『今すぐ元の場所に返してこい』って怒鳴ったんだ」
親父さんが苦しそうに言葉を吐き出す。
「うちは食い物を売ってるんだから、動物なんか飼えないって、あいつが小さい頃から何度も何度も言ってきたんだよ」
「でも、あいつは毎回……こっそり河原の橋の下にダンボールの小屋作って、新しい飼い主が見つかるまで世話してた。あの日は、台風が近付いてきてるって知って、犬の様子を見に行く途中で……車に跳ね飛ばされたんだ」
「俺のせいだ。俺のせいで死んだんだ」
親父さんは、子供みたいに声を上げて泣きじゃくった。
「違うよ」
スエヒロが親父さんに近付き、肩に手を載せる。
「違う。誰のせいでもない」
でも、スエヒロの声は親父さんに届かない。
永遠に、届かない。
だけど、僕には聞こえる。
「あの……スエヒロが、『違う』って……親父さんのせいじゃないって……言ってます」
我ながら薄気味悪いこと言ってんなぁと思いつつ、話を続ける。
「親父さんがそうやって泣いてると、あいつ、気になって成仏出来ないんじゃないかなって思うんで、もう気に病まない方が――」
そこまで言った時、親父さんが僕に掴みかかってきた。
あまりの勢いに畳に押し倒された僕は、呆気にとられながら親父さんの顔を見上げた。
「お前にっ! お前なんかに何が分かる!! 大体、何でそんな落ち着いてんだよ! 通夜でも葬式でも、涙一つこぼさなかったじゃないか! お前っ……本当にタカユキの友達だったのかよ!」
騒ぎを聞きつけて、拓真さんが素っ飛んできた。
親父さんを羽交い締めにして僕から引き離し
「何やってんだよ!」
と大声をあげる。
親父さんは拓真さんにねじ伏せられて、畳に顔を押し付けながらひとしきり喚いたあと、電池が切れたように動かなくなり、そのまま寝てしまった。
「悪かったね。ちょっと待ってて」
拓真さんは一旦部屋から出て行き、少ししてからスワンシューを二つと、グラスに入った麦茶をお盆に載せて戻ってきた。
「お詫びに食べてって。竹田君、うちのスワンシュー好きなんでしょ? タカユキが言ってたよ」
と言って一つはちゃぶ台の上に置き、もう一つは仏壇に供えた。
「竹田、俺スワンシュー嫌いだから、お前が二つ食べていいよ」
スエヒロがボソリと呟く。
そう言われても、スエヒロの声が聞こえているのは僕だけみたいだから、お供えものを勝手に取って食べるわけにもいかない。
すると、仏壇に向かって手を合わせていた拓真さんがこちらを振り向き
「これも食べる?」
と言って、仏壇に供えたばかりのスワンシューを指差した。
スエヒロの声が、拓真さんにも聞こえたのだろうか。
確認しようと僕が口を開くよりも先に、拓真さんが話し始めた。
「タカユキもスワンシューが大好きだったんだよ。でも、竹田くんが遊びにくる時はいつも自分の分まであげてたからさ。きっと、君に食べてもらえたら嬉しいんじゃないかなと思って」
「え? スエヒロって、スワンシュー嫌いなんじゃないんですか?」
「まさか。小さい頃からの大好物だったよ。竹田君にはスワンシューが嫌いだって言ってたの? ……そっか。きっと、君が気兼ねなく二つ食べられるように、そう言ってたんだね」
僕が信じられない気持ちでスエヒロの方に目をやると、あいつは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
何だよもう、嘘ばっかりつきやがって。
「タカユキは昔っからあまのじゃくでさ。自分の気持ちを素直に言わないんだよね。竹田君にもいろいろと嫌なことを言ったかもしれないけど、タカユキは君のこと、大好きだったと思うよ」
僕もです。
僕にとってもスエヒロは、大好きで大切な友達なんです。
今でもずっと。
言葉にならない想いを胸に抱えたまま、僕はスエヒロの家を後にした。
裏口の扉を開けて振り返ると、仏頂面をしたスエヒロが見送りに来ていた。
「それじゃまた、次の月命日に来るから」
「もう来なくていい」
「あっそう、じゃあ来るのやめるね」
「……」
「嘘だよ」
「うぜぇ」
しかめっつらをしているスエヒロに手を振り、僕はゆっくりと扉を閉めた。
全ては、僕の心が作り出した幻なのかもしれない。
スエヒロの姿も声も、僕の脳内にしか存在していないのかもしれない。
だけど今の僕にはまだ、この幻影が必要なのだ。
いつか、スエヒロのいない世界を受け入れられる日が来るまでは。
どうしても、どうしても、必要なのだ。
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