妖の森

熊猫珈琲店

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第一部

支配者の憂鬱

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 ハヤテは海で魚を取ってくると、木の枝で串刺しにしてからき火であぶり焼きにしてくれた。
 大きな葉っぱをお皿代わりにして、焼けた魚を載せてもらう。

「ありがとう」
 ユキがお礼を言って受け取ると、ハヤテは洞窟の奥を指差して言った。
「奥に湧き水をめるところがあるから、後でヒサギに案内してもらえ。おけたるも置いてあるから、体を洗いたければ樽に水を汲んで水浴びしろ」

 ユキは、気になっていたことを聞こうかどうしようか迷っていた。

 何か言いたげな様子に気付いたハヤテが
「どうした? 言いたいことがあるなら話せ」
 とユキを促す。

「あの……トイレは……?」
 恥を忍んでユキが尋ねると、ハヤテは一瞬考える顔つきになってから
「ああ……かわやのことか。その辺の茂みで済ませればいい。一人になると妖魔に狙われるから、ヒサギを見張りに立てるのを忘れずにな」
 と言って、さっさと洞窟から出て行ってしまった。

 その辺で?
 見張り付きで?
 そんなの絶対無理!

 ユキが困り果てていると、ヒサギの声が頭の中で響いた。

「安心しろ。見張る時はお前に背を向けるから」

「嫌だよ! 周りから見えないところじゃないと落ち着かない!」

 断固として拒否するユキに、シグレが着物とひもを持ってきた。

「二本の木に着物の両袖を縛り付けて広げれば、目隠しになるんじゃない?」
 そう言って、シグレが赤い着物を広げる。かなり色褪いろあせており、所々ところどころほつれている。

 申し出はありがたかったが、色もサイズも明らかにシグレの物ではなさそうだったから、勝手に使うのは躊躇ためらわれた。

「これは誰の着物なの? 私の他にも、この島に人間がいるの?」
 ユキの質問に、シグレは目を伏せて答える。
「僕の母さんの着物だよ」

「お母さん? それなら、使ってもいいかどうか聞いてからにしないと。どこにいるの?」

「……この島にはいない。僕の父さんを追いかけて妖魔の国へ行ったきり、帰ってこないんだ。母さんは、僕にこの島の支配者の地位を譲ってからいなくなった。たぶんもう、戻ってくるつもりはないんだと思う」

「そんなこと……だって、あなたはまだ子供じゃないの」
 ユキの言葉に、シグレはムッとした顔をする。
「こう見えても、僕はユキより年上なんだぞ」

 さりげなく、ヒサギがユキとシグレの間に入ってくる。

「怒るな、シグレ。今のユキには、お前に関する記憶が無いんだ」

 どうやら、シグレを子供扱いするのは地雷のようだ。
 ユキとしても、得体の知れないシグレを怒らせるようなことはしたくない。

「そうだよね、あなたは話し方も考え方も私よりずっと大人だもんね。子供だなんて、失礼なこと言ってごめんなさい」

 心にもない言葉だったが、シグレは素直に受け取ってくれたようだ。

「そうかなぁ? そんなに大人っぽい? 自分では分からないけど、ユキにそう言ってもらえると嬉しいよ」

 機嫌を直したシグレは、着物を持って洞窟の外にある木にするすると登り、二本の木に着物の袖を縛り付けて目隠しになる場所を作ってくれた。

 湧き水を汲める場所で水浴びをし、干し草の上に横たわると、ユキのすぐ近くにシグレも並んで寝転んだ。

「ずっと一人ぼっちだったから、誰かと一緒に眠るのは久しぶりだな」
 シグレが弾んだ声を出す。

「ハヤテとヒサギがいるじゃない」

 ユキが言うと、シグレは乾いた声で心の内を語り始めた。

「あいつらは、母さんに命じられたから仕方なく僕のそばにいるだけだよ。島の妖魔達だってそうだ。僕が支配者の地位を譲り受けたから……逆らえば恐ろしい目に遭わされると分かっているから従っているだけで、本当は僕のことなんか大嫌いなんだ。そんな奴らと一緒にいたって、寂しくなるだけだよ」

 シグレの言葉には、深い孤独と悲しみがにじんでいた。
 ユキは、思わずシグレの手を握る。

「ユキは変わらないね。昔、僕が寂しいって言った時にも、こうして手をつないでくれて……僕のお姉ちゃんになってくれるって言ったんだよ。僕より年下のくせに。でも……凄く嬉しかった」

 シグレがユキの手を強く握り返す。

「人間の世界に帰る前に、ユキは僕に約束したんだよ。『必ず戻ってくる』って。だから、ずっと待ってた」

 ユキは、つないだ手からシグレの思いが流れ込んでくるような気がした。

 そうか。シグレにとって私は、お姉ちゃんなんだ。
 そして、果たされるかどうかも分からない約束を信じて、待ち続けてくれていたんだ。ずっと、ひとりぼっちで。

 ユキは胸がいっぱいになり
「待っててくれてありがとう」
 と言うのが精一杯だった。

 しばらくするとシグレの手の力がゆるみ、安らかな寝息が耳に届く。
 干し草の匂いに包まれながら、ユキも目を閉じる。
 時折響き渡る、妖魔達のかすかな鳴き声を遠くに聞きながら、ユキは眠りについた。
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