バーチャルアルファとオレ

コオリ

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番外編

瞳に映る、月の色は

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 いつもより、二日も早く発情期が来た。
 つがいができた後はしばらくの間、フェロモンのバランスが崩れやすくなることがあるって夏月先生からは聞いていたけど――どうやらそれは、オレにも当てはまったらしい。

 ――まあ、二日ぐらいなら誤差か。

 でもやっぱり、いろいろ準備ができていないタイミングに来るのは、ストレスだったりする。
 今まできっちり一ヶ月で発情期が来ていたオレは、オメガの中でもかなり恵まれていたほうだったらしい。

そう、大丈夫?》
【平気。たぶん、そろそろ治まるんじゃねえかな。悪いな、悠吾ゆうごんちのトイレ占領して】
《大丈夫だよ。しんどかったり、気分が悪くなりそうだったら、遠慮せずに声掛けて》

 個室に持ち込んでいるスマホに、悠吾からのメッセージが届く。
 偶然にも、今回の発情期は悠吾の部屋に遊びに来ているときに始まった。それは幸運だったかもしれない。
 とはいえ、いつもの前兆現象でトイレを占領しちゃうのは申し訳ないんだけど。
 最初は気を使って、腹痛の合間にトイレから出るようにしていたけど、だんだんそんな余裕もなくなってくる。さっきからはもう二十分以上、こうしてトイレに篭りっきりだった。
 他のオメガはこういうとき、どうやって対処しているのか、ちょっと聞いてみたい。

《一緒に住む家はトイレが二つあったほうが、奏も遠慮しなくて済むかな?》
「は? 何言って――」

 お腹の痛みも治まって、そろそろ出ようと思った瞬間、そんなメッセージが届いた。
 思わず扉の前で立ち止まる。

 ――一緒に、住む家?

 相変わらず、悠吾の発想はオレの斜め上をいく。なんでトイレから、そんな話になるんだよ。
 番になったんだから、いつかは今の家を出て悠吾と一緒に暮らすんだろうなってことぐらいは考えていたけど――悠吾はそのために、新しく家を買うつもりなんだろうか。

 ――この部屋だって、賃貸じゃないって言ってたのに、金持ちアルファの発想って。

 それだけは、いまだに理解できそうにない。


   ◆


 お昼過ぎに前兆現象である腹痛が始まって、それが本格的な発情に変わったのは日が暮れた後だった。
 抑制剤は飲んでいない。悠吾もだ。
 先にシャワーを浴びた後、寝室のベッドに全裸のまま、くったりと横になる。水のペットボトルを持った悠吾が遅れて部屋に入ってきた。
 悠吾もオレの後にシャワーを浴びたらしく、素肌の上にバスローブを羽織っている。

「何か食べておく?」
「いらない」

 発情期になると、あんまりお腹が空かなくなる。それよりも、今は別に欲しいものがあった。
 こくりと喉が鳴る。

「――悠吾」

 名前を呼べば、悠吾はすぐにベッドに上がってきてくれた。
 手に持っていた水をベッドサイドに置いて、横たわるオレに覆い被さるように身体を近づけてくる。
 間近で悠吾の香りを嗅げば、すぐに理性は溶けて、消えてなくなった。

「おいしそうな匂いがするね」

 うなじに顔を寄せた悠吾が低い声で囁く。
 その声を聞いているだけで、気持ちよくて、おかしくなりそうになる。

「――なら、食べろよ」

 答えながら、自分からも悠吾にうなじを晒した。
 そこに刻まれた所有の証をねろりと舐め上げられれば、身体中が歓喜に震える。それだけで、軽く達したみたいになった。

「ふ、ぁ……っ」
「前も後ろもあふれてるね」
「言わなくて、いい……っ、んッ」

 からかうような悠吾の声に、首を横に振りながら反論する。顎を軽く掴まれたかと思えば、そのまま唇を塞がれた。
 くちゅり、と濡れた音が耳に届く。
 絡み合った舌から、悠吾の唾液の甘い味が染み込んでくる。気持ちよさに、ふるりと身体を揺らせば、悠吾が吐息だけで笑った。

「どんどん匂いが濃くなってくる」
「……悠吾のだって」
「今日は満月だから、余計に我慢が効かないのかも」

 そう言って、悠吾が視線をバルコニーのほうへと向ける。つられるように同じほうに視線を向けると、ぽっかりと浮かんだ満月と目が合った。
 驚くほど大きな月に、思わず釘づけになる。

「――今日は、中秋の名月なんだって」

 説明するようにそう言ったのに、悠吾の大きな手がオレの両目を塞ぐ。
 さっきよりも激しく口づけられた。

「月に見惚れてないで、俺だけを見て」

 合間に囁かれた言葉に全身の熱が上がる。
 強くなった番のフェロモンに包まれれば、もう他のことは何も考えられそうになかった。


   ◆


 ――あれって、月に嫉妬してたのか?

 ちゃぷん、と湯船のお湯を揺らしながら、一日前の悠吾の言動について考える。丸一日抱き合って、ようやく頭がはっきりしてきたからだ。
 オレの身体には、覚えのない痕が大量についている。くっきりと残った歯形は指で触れると、ちりっと痺れたみたいな痛みを伝えてきた。

「ごめん。それ、痛い?」
「いや、そこまでじゃねえけど」

 身体を洗い終えた悠吾が、しょんぼりとした表情でオレのことを見ていた。
 湯船の淵に指をかけて、目線を合わせるようにオレの顔を覗き込んでくる。叱られたワンコの顔だ。

 ――こんな美形なのに。

 その表情は可愛くて仕方ない。
 濡れている髪に指を差し込んで、くしゃりと撫でてやった。髪から落ちてきた雫が目に入りそうになったのか、悠吾がきゅっと目をつむる。
 でもその口元は少し緩んでいて、嬉しそうなのが、オレをたまらない気持ちにさせる。
 
「――あーあ。満月、もうちょい見たかったなぁ。あんなにでかい月、ちゃんと見たことなかったのに」
「あ……ごめん」

 わざとらしく不満を漏らすと、緩んでいた口元がきゅっと締まった。
 またしょんぼり顔に戻った悠吾の顔を見ていると、笑いが込み上げてくる。

「――っぷ、はは。冗談だって。オレだってそんな余裕なかったし。ほら、悠吾も風呂入れよ。そこにいたら冷えるだろ?」

 そう言って促せば、一緒の湯船に悠吾が入ってくる。向かい合って座っていたオレの身体を軽々持ち上げて、自分の脚の間に座らせた。
 オレにとってもそこは定位置なので、文句を言うつもりはない。まだ発情期の真っ只中だし、こうやって悠吾と身体をくっつけているのが一番安心できる。

「来年は一緒にお月見を、って約束したいけど……やっぱり無理かな」
「なんでだよ」

 そういう約束もいいなと思ったのに、先に「無理」って言うなんて。
 不満を口にしつつ振り返ると、肩越しに真剣な表情をした悠吾と目が合う。
 その目の色が、いつもより淡く光っているように見えた――昨日見た、あの満月の色に似ているような気がする。
 ぞくり、と身体の奥にあるオメガの欲が喚び起こされる。

「――満月ってすごく興奮するみたいなんだ。だから、奏を抱かずにいられる自信がない」

 ――あ、だめだ。呑み込まれる。

 悠吾のフェロモンに一気に搦めとられた。
 オメガの欲を無理やり引き出されても、もう嫌だなんて思わない。
 それよりも、もっと欲しいと願ってしまう。

「オレも、同じかも――」

 オレの答えに、悠吾が嬉しそうに目を細めて笑う。
 でも、その瞳はどこか凶暴さも秘めていて――綺麗だけど、怖い。

 それはやっぱり、あの満月とよく似ているような気がした。







 お月見番外編『瞳に映る、月の色は』END.
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