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68 魔王の贄は黒い狐に愛される

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 魔王城の大広間には、すでに大勢の魔族が集まっていた。
 皆、ヴェアグロネズに裁きが下されるのを見にきた者たちだ。供を連れた高位魔族らしき者の姿もある。
 アロイヴは彼らの目に触れないよう、裏にある別扉から大広間に入った。

「ほな、あとは頼むで。フィリ」
「ええ。アロイヴ様、ご案内します」

 サクサハたちは、待っていたフィリにアロイヴを預けると、それぞれ自分の持ち場へと戻っていった。
 二人とも、他にやることがあるのだろう。

「フィリさんは大丈夫ですか? 忙しいんじゃ」
「ご心配なさらずとも、今はアロイヴ様を案内するのが私の役目ですよ」

 フィリはそう言ったが、忙しいには違いないだろう。
 せめて時間を取らせまいと、なるべく早足でフィリの後ろをついていく。

「…………ここ?」

 案内された席を見て、アロイヴはぽかんと口を開いて固まった。

 ――ここって、僕が座っていい場所なの?

 そこは大広間の正面の高く設けられた場所にある玉座のすぐ隣、明らかに重要人物のために用意された椅子だった。
 その周囲だけ天井から垂らされた布で目隠しされており、まるで個室のようになっている。

 ――紫紺の隣を譲る気はないっていうのは、嘘じゃないけど。

 こんなところに座っていいのだろうか。
 用意された椅子とフィリの顔を交互に見つめる。

「アロイヴ様にはこの場所で、すべてを見届けていただきたいのです」
「すべてを、見届ける?」
「はい。紫紺様がヴェアグロネズを裁き、屠るまでのすべてを」
「……っ」

 アロイヴは息を呑んだ。
 これから、ここで行われることを理解していなかったわけではない。
 ヴェアグロネズに下されるのが極刑だろうことにも、なんとなく気がついていた。

 ――そっか。ヴェアグロネズをこの場で殺すのも、紫紺の役目なんだ。

 皆の前で力を示すとはそういうことだ。
 わかっていたはずなのに、ショックを受けてしまっている自分がいる。

「……必要なこと、なんですよね?」
「ええ。我々は必要だと判断しました」
「それなら、見届けます」

 少し迷ったが、アロイヴは覚悟を決めて頷いた。
 フィリたちが無駄なことをするとは思えない――そう信じているからだ。
 アロイヴは改めて周囲を見回す。

 ――これ、魔道具だ。

 天井から吊り下がる目隠し用の布が、魔道具であることに気がついた。
 外からは中の様子が全くわからなかったのに、中からははっきりと外の景色が見える。まるでマジックミラーだ。

 ――それに、これ……結界?

 布の機能はそれだけではなかった。
 強力な結界の気配がする。この布は結界でもあるのだ。

「これ、カルカヤさんが作った魔道具ですか?」
「ええ。わかるのですか?」
「なんとなくですけど。結界の役割もあるってことは……ここで、危険なことが起こるんですか?」
「その可能性があるというだけです。もし何かが起こっても、この中は安全ですので、アロイヴ様は決してここから出ないでください」

 ――可能性、か。

 フィリはそう言ったが、何かが起こる気がしてならない。
 それを見届けなければならないのだ。


   ◇


 フィリは話が終わってすぐ、サクサハに呼び出されて行ってしまった。
 一人になり、急に心細くなる。
 アロイヴは立派すぎる椅子の端にちょこんと腰を下ろすと、まだ空っぽの玉座へと視線を向けた。

「立派だな……」

 さすがは魔王の玉座だ。
 漆黒の玉座には、全体に複雑で繊細な彫刻が施されていた。背面の上部に埋め込まれた闇の魔石が異様な存在感を放っている。
 美しいが、恐ろしい。
 その玉座には、そう思わせる何かがある。

「……そら、出てこれる?」

 虚空に向かって、アロイヴは穹の名前を呼んだ。すぐに柔らかな尻尾がアロイヴの顔を撫でる。
 名前を与えてから、穹はアロイヴが名を呼ぶと、こうして姿を見せてくれるようになった。
 体は半透明で実体はないが、触れている感覚はある。きゅう、という可愛らしい鳴き声もちゃんと聞こえた。

「穹も、フィリさんの話聞いてた?」

 穹が頷く。
 やはり、穹は言葉をきちんと理解しているのだ。

「いったい、何が起こるんだろう……」

 紫紺がヴェアグロネズを裁き、屠るまでを見届けろ――と、フィリは言っていた。
 でも、本当にそれだけだろうか。
 それなら、こんな大それた結界は必要ないはずだ。
 何か別のことが起こると、フィリたちは警戒しているのではないだろうか。
 
「だとしても、僕はここで見届けるしかないんだよね。ねえ、穹も一緒にいてくれる?」

 いいよと言ったのか、穹がきゅっと張り切った声で鳴いた。



 大広間の空気が変わった。
 この場にいる全員の注目が一か所に集まっている。
 紫紺が姿を現したのだ。

 ――鳥肌が、すごい。

 肌にびりびりと感じるのは、紫紺から放たれる純粋な魔力だろうか。
 アロイヴはこの魔力を誰よりもよく知っているはずなのに、それでも鳥肌が止まらない。

 ――いつもと別人みたいだ……見てるだけなのに、ぞくぞくする。

 正装の紫紺を見るのは、これが初めてだった。
 全身が黒で統一された、いかにも魔王らしい格好だ。
 首の詰まった滑らかな素材のドレスシャツには、しゃらしゃらと細かなチェーンで装飾されている。揺れたときに輝きを放っているのは魔石だろうか。
 羽織の襟と袖口、外套の肩の部分にそれぞれ施された繊細な刺繍には、紫紺の瞳と同じ深い紫色の糸が使われている。角度によって上品に煌めくそれに、アロイヴは何度も視線を奪われた。
 でも、何より惹きつけられてやまないのは、それを纏っている本人だ。
 紫紺の姿に呆然と釘づけになっているのは、アロイヴだけではなかった。
 この大広間にいる誰もが、目を離せないでいる。
 さっきまで紫紺の批判を口にしていた者たちも、今は陶酔しきった表情を浮かべていた。

 ――力を示す必要なんて、ないんじゃないかな。

 直感でそう感じるほど、この空間にいる者たちは皆、紫紺に引き込まれていた。

「……あ」

 紫紺がこちらを見た。
 布で隠されているはずなのに、紫紺にはアロイヴの姿が見えているようだった。
 紫紺の目元がわずかに動く。
 だが、表情の変化はそれだけだった。
 目が合ったのは気のせいだったのかと思うほど、紫紺はあっさりと視線を外す。
 感情のこもらない瞳で広間に集まった魔族たちを見た後、軽く目を伏せ、玉座にどっしりと腰を下ろした。

 ――これが、魔王の紫紺なんだ。

 ヴェアグロネズの裁きが始まるまでの時間、アロイヴは紫紺だけを見ていた。
 ここから見えるのは、紫紺の横顔だけだ。
 この場にいる誰よりも近い場所にいるとはいえ、二人の距離は数メートルほどある。

 ――もっと、紫紺の近くに行けたらいいのに。

 そう思っても、ここから出るわけにはいかない。
 これからどんな危険が起こるか、まだわからないからだ。

「……?」

 周囲が騒がしくなった。
 声の上がったほうを見てみると、正面の扉が開かれている。

 ――ついに、始まるんだ。

 ヴェアグロネズの姿が見えた。
 その両側にはサクサハとカルカヤ、さらにその周りを数人の兵士が取り囲んでいる。
 ヴェアグロネズは、全身を黒い鎖で拘束されていた。
 金属の擦れる重い音が、少しずつこちらに近づいてきている。アロイヴにはそれが、威嚇に唸る猛獣の鳴き声に聞こえた。

「紫紺……」

 玉座に座る紫紺を見る。
 紫紺の視線は、ヴェアグロネズをまっすぐ捕らえていた。
 瞳がうっすら発光しているのがわかる。
 ヴェアグロネズは玉座の前に辿り着くと、ここまでずっと俯いていた顔をゆっくりと上げた。

「……っ」

 引きずるような足取りのせいで、ヴェアグロネズは弱っているものと勝手に思い込んでいた。
 だが、そんなことはない。
 ヴェアグロネズの目は爛々と輝いていた。
 玉座に座る紫紺に向かって、にたりと嫌な笑みを浮かべる。何も諦めていない顔だ。
 アロイヴは無意識に、腕の中にいる穹の体を抱きしめていた。

「やはり、貴様にその玉座はふさわしくない」

 ヴェアグロネズの第一声はそれだった。
 静まり返った大広間に、ヴェアグロネズの声だけが響く。まるで地の底から響いてくるような声だ。

「――貴様に、我が裁けるのか?」

 裁かれる立場のはずなのに、ヴェアグロネズは余裕の表情を浮かべていた。
 まだ玉座を狙っているのか、紫紺を見つめる瞳からは殺意すら感じられる。
 その瞳が、こちらを見た。

「……っ」

 ヴェアグロネズにも、こちらの姿が見えているのだろうか。

 ――いや……目は合ってない?

 見えているのではなく、何かを感じ取っているだけだろうか。
 わからない。
 だが、恐ろしい。
 ヴェアグロネズはじっとりとねぶるようにこちらを見た後、唇の端を上げ、舌舐めずりをした。

「――ヴェアグロネズ」

 紫紺が静かな声で呼んだ。
 ヴェアグロネズの視線が玉座に戻る。

「罪状を読み上げます」

 フィリがヴェアグロネズの罪状を読み上げた。
 ヴェアグロネズの罪は一つだけではなかった。
 その中でも最も重い罪とされたのは、無断で持ち出した禁書を『神の教え』だと偽って教会を唆し、勇者を召喚したことだ。

 ――紫紺を殺そうとしたことは、罪にはならないんだ。

 そんな気はしていた。
 魔王になる条件は、先代の魔王を屠ることだ。紫紺もそうやって魔王になった。
 だから、それ自体は罪には問われない。
 それでも魔族の存続をも危ぶむようなヴェアグロネズのやり方は、許されていいものではなかった。

「それで我を屠るというのか。貴様のような、力しか持たぬ若輩者が」
「不満か?」
「不満に決まっている。どれだけ強大な力を持っていようとも、貴様には扱いきれぬ。無用の長物だ」

 ヴェアグロネズは、紫紺を魔王だと認める気はないようだった。

「貴様に対して疑念を抱いているのは、我だけではない。貴様もわかっているのだろう? それゆえ、我の言葉に反論できないのだ」

 紫紺は何も答えなかった。
 黙ったまま、ヴェアグロネズを見ている。
 アロイヴはそんな紫紺の横顔を、じっと見つめていた。

「紫紺は、何か迷ってるのかな……」

 ふと、そんな気がした。
 紫紺の表情に変化があったわけではない。
 でもアロイヴには、紫紺が迷っているように見えた。

「貴様は弱い。力以外の何もかもが」

 ヴェアグロネズは、なおも言葉の刃を振りかざす。
 紫紺の命令がないからか、誰もそれを止めようとしない。ヴェアグロネズの両側に立つサクサハとカルカヤも、ただ黙って状況を見守っていた。

「……紫紺もこんな風に考えたことがあったのかな」

 自分は魔王の器ではないと。
 紫紺は元より、望んで魔王になったわけではない。
 ただ、消滅したくなかっただけだ。
 生き延びるためには、自分を手にかけようとした先代の魔王を倒すしかなかった。
 強すぎる力に勝手に運命を定められ、誰も信じられず、魔王として孤独に生きるしかなかったのだ。

「でも、僕たちと出会った」

 きゅう、と穹が同意するように鳴く。
 穹の祈りが、紫紺を孤独から救ってくれた。
 アロイヴと二人で一緒に見つけてきた感情は、本当に弱さだけだろうか。
 
「――そんなことない」

 アロイヴには確信があった。
 答えがわかっているのに、ここでただ見届けるだけなんて無理だ。
 立ち上がって、勢いだけで外へと飛び出す。
 紫紺の下へ駆け寄った。

「紫紺、あんなやつの言葉に惑わされないで」

 玉座にいる紫紺に触れていいのだろうか。
 迷いながら手を伸ばすと、その手を紫紺が掴んだ。

「イヴ」

 いつもあたたかい紫紺の手のひらがひんやり冷たい。
 それにしっとりと汗ばんでいた。

「なんだ、あいつは」
「人間か?」
「どこから出てきやがった」

 いきなり飛び出したアロイヴを見て、魔族たちは混乱している様子だった。
 でも、そんなことはどうでもいい。
 アロイヴにとって大事なのは紫紺だけだ。

 ――守られるだけの存在でいたくない。

 それだと、今までの自分と何も変わらない。
 紫紺を守れる存在になりたい。

「紫紺は弱くなんかないよ」

 だから迷わないでほしい。
 これだけは、自分の口からちゃんと伝えておきたかった。

「何を言う。貴様こそが弱さの根源ではないか」
 
 ヴェアグロネズが冷たく言い放つ。
 アロイヴは紫紺の手を握ったまま、ヴェアグロネズを見た。
 
「あなたは、僕が紫紺の弱さだって言うんですか?」
「その通りであろう?」
「あなたには、そう見えるんですね」

 今までのアロイヴなら、そうだと認めてしまっていたかもしれない。
 だけど、もう譲る気はない。
 紫紺の手をさらに強く握りしめる。
 カッ、と身体の奥に激しい熱を感じた。

「あなたがなんと言おうと、僕は紫紺の傍を離れる気はない。お互いを支え合うことを弱さだなんて思わない」
「――言いたいことはそれだけか?」
「……ッ!」

 急に周囲の温度が下がった気がした。
 背筋にぞくりと震えが走る。
 ビシッ、と何かにひびが入る音が聞こえた。

「くそ、こいつ……まだ隠し持っていやがったか!」

 叫んだのはカルカヤだ。
 さっきの音は、ヴェアグロネズを拘束していた鎖が破壊された音だったのだ。

「これはあかん! 全魔力を解放する気や」

 サクサハはヴェアグロネズを暴走を抑え込もうとしたようだが、うまくいかなかった。
 紫紺が立ち上がる。
 ヴェアグロネズに向けて攻撃を放とうとしたが、すぐに動きを止めた。

「なんだ、気づいたのか」
「……最初から、そのつもりだったのか」

 紫紺は何かに気づいた様子だった。
 ヴェアグロネズは愉快そうに笑っている。

「ああ。我を屠れば、この城ごと吹き飛ぶだけの魔力を溜め込んでおいた。転移も使えぬようにしてな――全員、道連れにしてやろう」

 ヴェアグロネズは最初から自爆を考えていたのだ。
 許容量を超えた高濃度の魔力に晒された影響か、ヴェアグロネズの身体はどろどろと溶け始めている。

 ――まさか、こんなことまでするなんて。

 でも、そんなヴェアグロネズを見ても、全く恐怖を感じていない自分がいた。
 不思議と負ける気がしない。

「さあ、終わりにしようか」
「――勝手に終わりにしないでよ」
「イヴ?」

 アロイヴは紫紺の前に立つと、ヴェアグロネズに向かって手を翳した。
 発動したのは、アロイヴが唯一得意とする結界魔法だ。

「貴様ごときの結界で何ができ……ッ」

 ヴェアグロネズが顔色を変えた。
 ありえないものを見るような目で、アロイヴを見ている。

「貴様……なんだ、その力は」
「これが、あなたが弱さだと決めつけた力だよ」

 アロイヴの手から放たれた力には、アロイヴと紫紺と穹、三人分の魔力が混ざり合っていた。
 魔力は強固に絡み合い、結界となってヴェアグロネズをすっぽりと包み込む。
 中のヴェアグロネズが何をしたところで、絶対に壊されることのない強力な結界が、あっという間に出来上がっていた。

「ずっと独りだったあなたに、僕たちが負けるはずない。これは、僕たちの絆が生んだ力だ」

 結界の中で一人消滅しゆくヴェアグロネズに、その言葉は聞こえただろうか。
 背中に紫紺、首に穹のぬくもりを感じて、こんなときだというのにアロイヴの心は幸せでいっぱいだった。


   ◇


「身体に膨大な魔力を溜め込んでいたのは、ヴェアグロネズだけではなかったということだな」

 しみじみとカルカヤが呟く。
 ここはアロイヴの部屋だった。
 今日は珍しく、紫紺と二人きりではない。
 ヴェアグロネズの裁きを終えた後、いつものメンバーがアロイヴの部屋に集まってきていた。
 しかも、カルカヤの手には酒の入ったグラスが握られている。

「カルカヤさん……その言い方、なんか含んでませんか?」
「そうか?」
「オレがわかりやすく言うたろか? ロイがあいつに勝てたんは、魔王さんとたーっくさん愛し合ったおかげやって」
「サクサハの言い方は、もっと嫌だ!」

 サクサハも酒が入っているせいで、絡み方に容赦がなかった。
 同じテーブルにはフィリとケイもいたが、二人ともこちらを見て、にこにこと微笑んでいるだけだった。

「注がれた魔王の精を自分の力に変換するなんて、よく思いついたものだな」
「……それ、褒めてるんですか? それとも揶揄ってるんですか?」
「もちろん、後者だ」
「もう!!」

 もうこれ以上、酔っぱらいには付き合っていられない。
 アロイヴは勢いよく立ち上がると、魔獣の姿でくつろいでいた紫紺の下に駆け寄った。
 紫紺の隣には穹も一緒にいる。

「酔っぱらいの相手、僕だけに押しつけないで」

 胸の毛皮に顔をうずめながら、紫紺の身体に思いっきり抱きつく。
 すぐに人型に戻った紫紺に抱きしめ返された。

「楽しんでいるようだったから」
「楽しかったけど……いっぱい揶揄われたし」
「あのときのイヴは、本当にかっこよかった」
「でしょ。僕だって守られてるだけじゃないんだよ」

 アロイヴがふふんと鼻を鳴らすと、尖らせた唇に紫紺の唇が重なった。
 触れるだけのキスから、少しずつ深いキスへ――気づけば、アロイヴも夢中で紫紺の舌を追いかけていた。
 紫紺の手が、アロイヴの腰を撫でる。
 気持ちよさが腹の奥に溜まり、熱い疼きに変わってくる。

「そろそろお開きのほうがええんとちゃう?」
「お邪魔みたいだしな」
「明日は、いつもより遅い時間に起こしにまいりますね」
「アロイヴ様、おやすみなさい」

 四人がまだ同じ部屋にいたことを、すっかり忘れていた。
 熱くなった顔を紫紺の胸に押しつけていると、部屋の扉がパタンと閉まる。
 穹もいつの間にか姿を消していて、いつものように紫紺と二人きりになっていた。

「なんか、急に静かになったね。ちょっと……寂しいかも」
「でも、そろそろ眠かったんじゃないの?」
「それはそうかも。今日はいろいろあったし……」

 今日はいろんなことがあった。
 たくさんのことが起こりすぎて、すべてが今日一日の出来事だったとは思えない。

「紫紺を守れてよかった」
「……誰かに守ってもらえるのが、こんなに幸せなことだったなんて知らなかったよ」
「もう、一人で戦わなくていいんだよ。これからもずっと、僕が紫紺を守るから」

 紫紺の手を取って、手の甲にそっと口づける。
 お返しとばかりに紫紺がアロイヴの顎を持ち上げ、唇を奪った。甘く蕩けるキスを堪能する。

「――そういえば、イヴ」
「ん、何?」
「イヴは自分の新しい称号に気づいてる?」
「え……称号?」

 目をぱちぱちと瞬かせる。
 あれだけ自分の称号に振り回されてきたのに、称号の存在すら忘れてしまっていた。

「気づいてなかったんだね」
「……もしかして、紫紺は知ってるの? あ、待って。言っちゃだめだからね」

 慌てて口止めしたからか、紫紺が苦笑いを浮かべている。
 アロイヴはごろんと寝返りを打つと、天井に鑑定板を表示させた。
 おそるおそる称号の欄に視線を向ける。

「……っ」

 魔王という文字が見えた瞬間、ドキッとしてたが、後ろの言葉が変わっているのにすぐに気づいた。

「魔王の、つがい? それと……もう一つある」

 称号は一つではなかった。
 アロイヴは一つ目の称号を読み上げた瞬間、ぼやけていたもう一つの称号の文字がくっきり浮かび上がる。

「――黒い狐に愛されし者」

 その称号を口にした瞬間、涙も一緒にあふれていた。

「俺と穹の気持ちだよ」
「……こんなの、ずるいよ」

 ぽろぽろとこぼれる涙を拭っていると、紫紺に腕に優しく包み込まれた。
 再び姿を現した穹が、アロイヴと紫紺にまとめて巻きついてくる。
 二人のあたたかさが嬉しい。

「ずっと、ずっと……一緒だからね」
「うん。いつまでも俺の隣にいて――イヴ」

 初めて出会った時と変わらない、きらきらと輝く紫紺の瞳を見つめる。
 誓い合い、口づける二人を祝福するように、穹が嬉しそうな声で鳴いた。




「魔王の贄は黒い狐に愛される」End.
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感想 4

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みんなの感想(4件)

ちびハララ
2024.07.07 ちびハララ

初めましてこんにちは(^^)
完結おめでとうございます!
素敵な作品ご馳走様でした\(^o^)/
アロイヴと紫紺の未来が気になって気になって仕方なかったですが…それよりも2人が可愛すぎてたまらなかったです!
他のキャラクターも生き生きしてて久しぶりにドキドキとワクワクをありがとうございました(*^^*)
ウィルとカイの2人がどうなるのか…気になりますが(*´∀`*)♡

お疲れ様でした。次の作品も楽しみにしておりますm(_ _)m

解除
ハピエン好物

アロイヴと紫紺が可愛くて癒されます!更新を楽しみに生きてる(* ̄ー ̄)いつも素敵な作品をありがとうございます!\(゚∀゚)/

解除
るか
2024.04.10 るか

コメント失礼します、めちゃくちゃ面白いです!ゆっくり続き待ってます!

コオリ
2024.04.11 コオリ

コメント嬉しいです🌟
ありがとうございます!!

解除

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