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67 信念と行動
しおりを挟む「まさか……人間じゃなくなってたなんて」
夜、自室のソファーに寝そべりながら、アロイヴは溜め息混じりに呟いた。
カルカヤの衝撃発言から時間は経っていたが、まだ実感はない。アロイヴなりに違いを探してみたものの、どこも変わった気はしなかった。
「あれの話だって……気づくわけないじゃん」
カルカヤに耳打ちされた内容を思い出し、腕に抱えたクッションに顔をうずめる。
初めて繋がった日から、紫紺と触れ合わない日はなかった。
毎回挿入にいたるわけではないが、魔力を繋げる行為は欠かさずやっている。
魔力を繋げる行為は、身体を繋げる行為と似ていると思う。実際に身体を繋げたときほど強い快感や衝撃はないが、甘く達するような感覚と多幸感が癖になっていた。
そして何度かに一度は、身体も繋げ合う。
このことは誰にも話していなかったのに、まさかこんな形で指摘されるなんて。
「他の人にも、バレるのかな」
カルカヤが気づいたのは、サクサハと同じ魔視を使えるからだろうか。それとも、誰が見てもバレバレなのだろうか。
怖くて聞けなかった。
引きこもりが悪化しそうである。
「……紫紺、今日は遅いな」
しばらくジタバタと悶えてから、アロイヴは時計を見た。
いつもなら、とっくに部屋に戻ってきている時間なのに、紫紺が戻ってくる様子はない。
「明日の準備で忙しいのかな」
明日、ヴェアグロネズが裁かれる。
裁くのは、魔王である紫紺だ。
カルカヤによると、こういう裁きが公開で行われることは珍しいらしい。
通常なら魔王が独断で決めることだ。
誰も、魔王の決定には逆らわない。
強い者に従うのが、魔族にとって当たり前だからだ。
「……今回そうしなかったのには、やっぱり理由があるんだよね?」
そこにアロイヴが呼ばれたのにも、おそらく何か事情がある。
カルカヤは明言しなかったが、何か役割を求められているように思えてならない。
「紫紺にも、話を聞きたかったんだけどな……」
いつになったら、戻ってくるのだろう。
開かない扉を見つめながら、アロイヴは小さく溜め息をついた。
◆
次の日の朝。
アロイヴの元には、迎えが来ることになっていた。
朝食を準備してくれているケイの背中を見ながら、こっそり溜め息をつく。
昨日、紫紺に会えなかったのが尾を引いていた。
「なんで、寝ちゃったんだろ……」
紫紺を待っている間に、ソファーで寝落ちしてしまった。そのせいで夜遅くに部屋に戻ってきた紫紺に会えなかったのだ。
朝も、アロイヴが起きるより先に部屋を出てしまっていたので、昨日の朝見送ってから丸一日、紫紺の顔を見ていないことになる。
ベッドに残ったぬくもりと香りだけでは、到底満足できなかった。
「大丈夫ですか? アロイヴ様」
「……大丈夫じゃない。紫紺が足りない」
「紫紺様も、同じ顔で同じことをおっしゃっていましたよ」
ケイは早朝、部屋の前で紫紺に会ったらしい。
「……ずるい」
起きなかった自分が悪いのだが、そう言わずにはいられない。
続けて不満を漏らしたアロイヴを見て、ケイはなんだか嬉しそうに笑っていた。
食事と着替えを終え、迎えを待つ。
誰が迎えにくるかは知らされていない。
ちょうどケイが席を外したタイミングで、部屋の扉がノックされた。
アロイヴが扉を開くと、そこには初めて見る魔族の青年がいた。
見上げるほど背が高い。身体は分厚い筋肉に覆われていて、見るからに強そうだ。
その体格がヴェアグロネズと似ていたせいで一瞬緊張が走ったが、どう見ても別人だった。
――兵士の人、だよね?
青年が着ているものには見覚えがある。魔王軍の制服だ。
でも、よく見かけるものより装飾が豪華だった。
これと色違いのものを、フィリが着ていた記憶がある。
「ロイ、どないしたん? ぼーっとして。体調悪いん?」
「え……?」
知らない相手のはずなのに、その話し方をアロイヴは知っていた。
改めて、相手の顔を見上げる。
ツンツンと尖ったオレンジの髪に、琥珀色の瞳。
額に生えるツノの本数と身体の大きさこそ違うが、これと似た特徴を持つ人物をアロイヴは知っている。
「……サクサハ?」
「せやで。あ、そっか。こっちの姿で会うんは初めてやったな」
「本当に?」
「ほんまやで。ロイが元気そうで安心したわ」
サクサハは豪快に笑いながら、アロイヴの頭をくしゃくしゃと撫でた。
見た目も声も変わったのに、話し方も笑い方も間違いなくサクサハだ。
「まだ時間あるし、部屋の中で話さへん?」
「あ、ごめん。気づかなくて」
サクサハを部屋に招き入れる。
戻ってきたケイが、二人分のお茶とお菓子を用意してくれた。
ケイはこの姿のサクサハを知っていたのか、驚いている様子はない。
「こっちが本当の姿なの?」
「別にどっちもほんまやで。でも、こっちのほうが威厳があってええやろ?」
「大きすぎて、びっくりしたけど」
兄のカルカヤと比べても、身体の大きさが違いすぎる。
サクサハが本当はこんなに大きな身体だったなんて、想像もしていなかった。
「それで驚いとったんか」
「だって、びっくりするよ……でも、サクサハも元気そうで安心した。最後に会ったときは大怪我だったし」
「もう、ぴんぴんしとるで。魔力も戻ったしな」
そういえば儀式の前、紫紺がサクサハから奪った魔力を戻したと言っていた。
だから、この姿に戻れたのだろうか。
「でもまさか、あの狐くんが魔王さんやったとはなぁ。ほんまびっくりやわ」
「サクサハも全然気がついてなかったの?」
「気づくほうがおかしいやろ。色と表情がちゃうだけとは思えんぐらい別人やん」
サクサハはそう言うと、つまんだ焼き菓子をポイッと口に放り込んだ。
その美味しさに目を輝かせた後、「そういえば」と口を開く。
「今もロイの周りでちょろちょろしとる影狐って、魔王さんとは無関係やんな?」
「え?」
「もしかして気づいてへんかった? 今も首の辺りにおるねんけど」
「……気のせいじゃなかったんだ」
気づいていなかったわけではない。
この身体になってから、いつも傍にあたたかい気配を感じていた。
ただ見えないし、はっきり感じ取れるわけでもないので、気のせいかと思っていたのだ。
「サクサハには見えるの?」
「魔視を使っても、うっすらとやけどな。これが〈精霊〉って呼ばれとるやつなんか?」
「……精霊?」
「せや。器を失った魔獣はごく稀に、精霊っていう存在に変化するねん。この影狐はたぶん、それなんやと思うわ。オレも、こんな近くで実物を見たんは初めてやけど」
サクサハの手がアロイヴの首元へ伸びてくる。
そこに、いるのだろうか。
自分と紫紺を救ってくれた、あの影狐が。
「その子に、僕の声って聞こえてるの?」
「聞こえとるみたいやな。めっちゃ頷いとるで」
「あのさ、君に名前をつけちゃだめかな?」
前から考えていたことだった。
あの子の名前を呼びたくても、呼べないことがずっと気になっていたのだ。
「ええって。喜んどるで」
「じゃあ……ソラ。ソラっていうのはどうかな?」
漢字で書くなら、天穹の穹。
澄んだ水色の瞳と、可愛らしい鳴き声にちなんだ名前だ。
「お、なんや?」
「え……?」
突然、サクサハの指先が光り始めた。
サクサハが何か魔法を使ったのかと思ったが、どうやら違うようだ。
サクサハ自身も驚いている。
「ロイが名前をつけたら、なんか特別なことが起こるようになっとんのか?」
光が集まり始める。
その中心に見覚えのあるシルエットが浮かび上がった。
◆
時間が近づいてきたので、サクサハと一緒に移動する。
城内は、いつもより騒がしかった。
サクサハの姿を見て、声を潜める者がほとんどだが、それでも話している内容は聞こえてきてしまう。
ひそひそと交わされる会話のどれもが、魔王である紫紺に対する不満だった。
「紫紺って、よく思われてないんだね」
「ずっと寝とったせいやな。実際、ヴェアグロネズを支持する声も少なくなかったみたいやし」
「そうなの?」
「せやで。今もそう思とるやつ、結構おるんとちゃうかな」
「そういう人に罰はないの?」
「罰なぁ……強いもんに従いたいと思うんは、魔族の本能やしな。それだけで罰するんは難しいと思うで。だから結局、力を見せつけるしかないねん」
「そっか……だから、今日の公開処刑なんだね」
どうしてヴェアグロネズの裁きがこういう形になったのか、その理由がやっとわかった。
でもまだ、自分がその場に呼ばれた理由はわからない。
「ロイ、気分悪かったら聞こえんようにしとったろか?」
サクサハは魔法でそんなことまでできるらしい。結界魔法の応用だろうか。
心配してくれているのが伝わってくる。
「平気だよ。ちゃんと知っておきたいから」
「無理したらあかんで」
「無理なんてしてないよ。ただ、この人たちの言葉に重みはないから、気にすることじゃないかなって」
ここにいるのは、何もしてこなかった人たちだ。
ヴェアグロネズを支持するといっても、実際に行動を起こしたのはヴェアグロネズだけ。
安全なところからこうして文句だけを言って、結局は何もしてこなかったからこそ、今もこうしてここにいられるのだ。
そんな人の言葉が刺さるわけない。
「ロイはそんな風に考えるんやな」
「僕も……同じだったからね」
嘆くだけで、行動を起こせない人の気持ちはよくわかる。
自分も同じだったからだ。
「僕も、現状を嘆くだけで何もできなかった」
「そんなことないやろ。ロイはちゃんと自分で行動しとったで。じゃなきゃ、オレとも会えんかったやろ」
「でもそれは、みんなが背中を押してくれた結果だよ。それに……紫紺がいつも傍で、手を引いてくれたから」
ここまで来られたのは、自分だけの力じゃない。
周りのみんなが助けてくれたおかげで、今の自分はある。
「僕は周りに恵まれただけだ」
「それでも、ロイがほんまにどうしようもないやつやったら、オレは手ぇ貸さへんかったけどな」
「サクサハ……」
「理不尽に真正面から立ち向かうだけが行動するってことやないと思うで。ロイは自分は何もしてけえへんかったって思うんかもしれへんけど、オレはそんなロイに助けてもろたしな」
そんな言葉をかけてもらえるなんて。
頭に触れるサクサハの手のあたたかさに、目頭が熱くなってくる。
「ロイはもっと胸張ってええで」
「そうだな。この世界を救った人物がそんなことでは困る」
「あっ……カルカヤさん」
後ろからカルカヤが現れた。
アロイヴの肩に手を置き、顔を覗き込んでくる。
「わかっていないのか? キミがいなければ、この世界がとんでもないことになっていたのは間違いないんだぞ。魔族も、魔獣も、人間も――どれだけの命が失われていたことか」
「僕は、別に何も」
世界を救うなんて、そんな大それたことはしていない。
アロイヴが首を横に振ると、「本当に自覚がないのか?」と、カルカヤはさらに詰め寄ってくる。
「魔王を目覚めさせたのも、勇者を退けたのも、キミの功績だろう?」
「紫紺を目覚めさせたのはそうかもしれませんけど、勇者を元の世界に帰したのは紫紺で――」
「そうすれば戦いが終わると、彼に知識を授けたのは誰だ?」
「それは……僕ですけど」
「なら、キミの功績で間違いない」
それ以上の異論は受け付けてもらえそうになかった。
カルカヤは満足そうに笑っている。
少し強めの力で、アロイヴの肩を叩いた。
「ロイ。主にはキミが必要だ、わかるな?」
「それは、わかってます。誰がなんと言おうと、紫紺から離れる気はありません」
自分にどれだけのことができるかは、まだわからない。
でも紫紺の隣にだけは、誰にも譲る気はない。
「っははは。そこは揺るがないんだな」
「自分の功績にも、同じぐらい自信持ちぃや」
カルカヤとサクサハが大口を開けて笑っている。
二人の笑い方は、とてもよく似ていた。
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