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64 新しい器 *
しおりを挟む――あ、これ……紫紺の匂いだ。
深い眠りから、最初に覚醒したのは嗅覚だった。
もっとたくさん紫紺の匂いを感じたくて、香ってくる場所を探す。
「目が覚めた?」
声が聞こえた。紫紺の声だ。
たぶん、すぐ近くにいる。
返事をしようとしたが、声がうまく出せなかった。
――あれ、僕の身体……どうなってるの?
匂いと音は感じるのに、それ以外の感覚がない。
――え、どういうこと?
身体の感覚がないなんて異常事態だ。
アロイヴは一瞬にして、パニックに陥っていた。
「イヴ、慌てないで。俺が手を握っているのがわかる?」
――……あ、わかる。
落ち着いた声とともに、紫紺の体温を感じた。
そこが、手なのだろう。
自分の意思では動かせないが、紫紺が指を絡め、優しく握り込む感触が伝わってくる。
「じゃあ、これは?」
「……っ」
唇に柔らかいものが触れた。
手と同じく、ここにあるのだと教えるように、ゆるゆると表面をなぞられる。
「……ん」
気持ちよさに喉が鳴った。
紫紺の触れている場所から少しずつ、自分の形を思い出していく。
じんわりと全身に体温が戻っていくような、不思議な感覚だった。
重い瞼をこじ開ける。
至近距離から、こちらを見下ろす紫紺と目が合った。
どうやら、ベッドに仰向けで寝かされていたようだ。首から下にはシーツがかけられている。
紫紺は、そんなアロイヴのすぐ横に座っていた。
微笑みかけられ、ほうっと息が漏れる。
「おはよう、イヴ」
「……お、ぁ」
おはようと返したつもりだったのに、うまく言葉が出てこなかった。
声は細く掠れてしまっているし、呂律も回らない。
まるで、話し方を忘れてしまったようだ。
「うまく話せない?」
紫紺の問いに頷く。
不安が顔に表れていたのか、紫紺の手が優しく頬に触れた。
「新しい身体は馴染むまで、少しかかるから」
そう言いながら、顔を近づけてくる。
さっきもしたように、柔らかく唇を重ねた。
唇同士を擦り合わせた後、舌先で唇の境目をなぞる。くすぐったさにアロイヴが唇を開くと、その隙間から舌を滑り込ませてきた。
「ふ……ぁ」
紫紺のキスは気持ちいい。
不安な気持ちは、すぐにどこかに消え去っていた。
アロイヴからも求めるように舌を絡める。
紫紺の舌を吸うと、唾液と一緒に魔力が流れ込んでくる。
――あれ……前と、なんか違う。
うまく言語化できないが、今までしてきたキスとは何かが違っている気がした。
「これでどう? 話せるようになったんじゃない?」
「ん……あ、話せそう」
紫紺の言うとおり、声が出せた。
キスの気持ちよさで意識はとろんと蕩けていたが、何度か発声して確かめてみる。
「魔力の流れに問題があったみたいだね」
キスのおかげで、その問題が解決したということだろうか。
首を傾げながら、紫紺の顔を見上げる。
「さっき、新しい身体って言ってたけど……僕の身体、前とは違うの?」
「そうだよ。前のイヴの身体は、俺が全部食べちゃったからね」
「……っ」
ぞくっ、と身体の奥から震えが走った。
怖かったからではない。
紫紺が淫靡な表情で笑って、舌舐めずりをしたからだ。
「イヴ、嬉しいの?」
「……うん」
魔王の贄として食べられたことが嬉しいなんて、おかしいのかもしれない。
でも、紫紺を満たせたのが自分であったことが、とても嬉しくて誇らしかった。
「可愛い、イヴ」
紫紺が覆い被さるように、身体を密着させてきた。
上半身のシーツをめくり、顔だけでなく、首から鎖骨にかけて、いくつもキスを落としてくる。
――え、待って……僕、裸?
シーツの下から現れたアロイヴの身体は、一糸纏わぬ姿だった。
気づいて、羞恥に全身が熱くなる。
「紫紺、待って……」
慌てて紫紺の身体を押し返そうとしたのに、腕が重くて持ち上がらなかった。
これも、新しい身体が馴染んでいないせいなのだろうか。
「身体にもまだ、魔力が流れ切ってないみたいだね」
紫紺もすぐに気づいたようだった。
一度、身体を起こすと、アロイヴの下半身を覆っていた残りのシーツを一気にめくる。
「えっ、何して」
「このままだと不便だろうから、治療しておこうか」
そう言った瞬間、紫紺の姿が変わった。
人から獣の姿に――魔王になっても、魔獣の姿になれたらしい。
体の大きさは前よりさらに大きく、姿も凛々しく変化していた。
まるで魔獣の王だ。
元の影狐からは掛け離れた姿だった。
紫紺はその姿で裸のアロイヴの上に跨ると、大きな舌でアロイヴの顔全体を、ねろりと舐める。
「ん、ぁ……っ」
舐められたところから、びりっと甘い痺れが走った。
アロイヴは堪らず声を上げる。
――何、これ。
唾液に混ざる魔力の影響だろうか。
身体がおかしい。
「待って、紫紺……やめて」
いやいやと首を横に振って訴えたが、紫紺は聞き入れてくれなかった。
首、鎖骨、胸と少しずつ位置を変えながら、アロイヴの身体を余すところなく舐め回していく。
「あ……や、ぁッ」
舌が触れるたび、身体がびくびくと震えてしまう。
特に下腹部を舐められてからが酷かった。
紫紺の舌が臍に触れた直後から、腹の奥の疼きが治らない。腹の窪みに溜まった唾液が内臓まで浸透し、熱を生み出しているかのようだ。
――だめだ、こんなの。
肌もどんどん敏感になってきていた。
これ以上は、おかしくなる。
紫紺を止めたいのに、手足はまだ動かせないままだった。
「やめて……紫紺、もう」
『だめだよ、これは治療なんだから』
「え……」
魔獣の姿なのに、紫紺の声が聞こえた。
驚いて紫紺のほうを見ると、紫紺もこちらを見ている。
「言葉が、話せるの……?」
『イヴがあの子と混ざったおかげで聞こえるようになったんだよ。ほら、まだ話せる余裕があるなら大丈夫だよね』
「余裕なんて……んぁあっ」
紫紺は舌先を尖らせると、アロイヴの臍に突き立てた。
敏感になった場所を容赦なく責められ、びくびくと腰が何度も強く跳ねる。
「やめっ、やだぁ……もう治療は、いいから」
『どうして?』
「それ、は…………」
理由を言うのは恥ずかしかった。
これが治療行為だというのはわかっている。
アロイヴの身体が、違う反応を示してしまっているだけだ。
『イヴ、理由を教えて』
返事に悩んでいる間にも、腹の奥の疼きは酷くなっていた。
腰がひくひく動いてしまっていることに、アロイヴは気づていない。
「……く、なっちゃうから」
『何?』
「紫紺が舐めると、気持ちよくなっちゃうから……」
紫紺の顔は見れなかった。
アロイヴはぎゅっと目を瞑ったまま、早口で理由を告げる。
紫紺は黙ったまま聞いていた。
「……だから、紫紺……もう、んァっ」
もうやめて、と続けるつもりだったのに、最後まで言い切ることはできなかった。
背筋に強い電流のような快感が走ったからだ。
「――っ!!」
驚きに目を見開いたアロイヴが見たのは、内腿に舌を這わせる紫紺の姿だった。
「やっ、なんで……!」
『知ってたよ。イヴが俺に舐められて、気持ちよくなってること』
「え、……ふぁッ」
『気づかないわけないでしょ。そんな可愛い顔して、たくさん喘いで、腰だって揺れてるし。それに、ここだって――』
「あ、あ……待って。だめ、そこは」
『だめ? 本当に?』
紫紺は、アロイヴの制止を聞き入れてくれた。
だが、上目遣いでこちらを見る表情は、アロイヴを試しているようにしか見えない。
――そんなとこ、舐められたら。
紫紺が次に狙いを定めている場所は、言われなくてもわかる。
アロイヴの視線もその場所に釘付けだった。
そこは、まだ一度も触れられていないのに張り詰めてしまっている中心だ。
「ん……、く」
紫紺の顔がすぐ傍にあるせいで、吐息が触れる。
そんな些細な刺激だけでも感じてしまう。
『イヴ』
そんな声で名前を呼ぶのは反則だ。
アロイヴの思考は淫欲の熱に侵されつつあった。
こんなことは恥ずかしいのに、気持ちよくなりたい自分がいる。
紫紺に気持ちよくしてほしい、紫紺と気持ちよくなりたい――その欲があふれてしまいそうになる。
でも、堪えた。
眉根にぎゅっと力を込める。
「……紫紺、ずるいよ」
『っ』
アロイヴの言葉は、紫紺は少なからず動揺を与えたようだった。
紫紺が魔獣の姿から、人の姿に戻る。
「イヴ……」
「……僕だって、紫紺に触りたいのに……身体が自由に動かせないんじゃ、何もできない」
話してる間も何度も込み上げる気持ちよさに耐えながら、アロイヴは紫紺に気持ちをぶつけた。
焦った様子だった紫紺の表情に、驚きが混ざる。
「イヴも、俺に触れたいの?」
「……僕から触るのは、だめ?」
「いいけど、ただ触れ合うだけじゃ済まないってわかってる?」
紫紺の問いに、アロイヴはこくんと頷いた。
前世も今世も経験こそないけれど、知識ぐらいはある。
「わかってる……だから、僕にも紫紺を愛させて」
一方的に触れられるだけじゃなく、自分からも紫紺に触れたい。
もっと近くで、紫紺を感じたい。
「……イヴには敵わないな。そうだね、一緒に気持ちよくなろう」
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