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59 強くなりたい
しおりを挟む「こんなところで転生者に会えるなんてな」
勇者――相馬竜己は興味に目を輝かせながら、人懐っこい笑顔をアロイヴに向けた。
――僕が転生者だって、こんな簡単に信じてくれるなんて。
もっと疑われたり、警戒されたりすると思っていたのに、竜己は驚くほどすんなりとアロイヴが転生者だと信じてくれた。
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幽体のアロイヴまで同じように隠れる必要はない気がしたが、竜己に見えているのは事実なので、念のためにそうしている。
竜己との出会いに驚いている間に、アロイヴをここまで連れてきた影狐はいなくなってしまっていた。
アロイヴと竜己を出会わせるのが、影狐の目的だったのだろうか。
「しかも同じ日本出身だろ? この世界に来てから、理不尽なことばっかり続いてたからさ。こんなに笑いながら話せたの、ロイが初めてだよ」
竜己は本当に嬉しそうだった。
元々よく話すタイプなのか、アロイヴがうまく相槌を打てなくても笑顔で話しかけてくれる。
全く人見知りしない竜己のペースに乗せられて、すぐに名前で呼び合うようになっていた。
「竜己くん、大変だったんだね」
「まあな。異世界召喚ってなんだよって感じだし。その上、胡散臭い教会の連中に『これで魔王を倒せ』って剣なんか渡されて、こんなところに飛ばされてさ。チュートリアルなしでラスボス戦とか、ゲームでもあり得ないだろ」
竜己は召喚主である教会に、あまりいい印象を抱いていなかった。そうなって当然の扱いを、教会が竜己に対してしていたせいだ。
竜己がこの世界に召喚されてから、まだ数日しか経っていない。
それなのに教会の人間は、ろくな説明や訓練もなしに、竜己をこの魔王城に送り込んだのだ。無茶にも程がある。
――普通の高校生に、いきなり魔王を倒せだなんて。
ブレザーの制服がよく似合う竜己は、普通の高校生にしか見えなかった。
黒目黒髪だが真面目そうというわけではなく、どこかヤンチャで活発そうな印象の青年だ。容姿はかっこいいと可愛いのちょうど中間あたりで、老若男女から好かれそうな雰囲気があった。
腰からぶら下げている長剣だけが異質だが、それ以外に勇者らしいところは見当たらない。
「竜己くんは、勇者の称号を持ってるんだよね?」
「ああ。教会のやつらはそう言ってたし、ステータスにもそう書いてあるよ」
竜己は答えながら、何もない空中へと視線を向けた。
おそらくそこに〈鑑定板〉と呼ばれるステータスウィンドウが表示されているのだろう。
「マジでゲームみたいだよな、これ」
「そうだね……」
初めて鑑定板を見たとき、アロイヴも同じように感じたことを思い出していた。
でも、今はそんな気持ちでは見れない。
望まない称号なんて、見てもつらい気持ちになるだけだ。
「……これが、すべての元凶なんだけどな」
忌々しげに呟いたのは、竜己だった。
ハッと顔を上げたアロイヴが見たのは、苦しげに顔を顰めた竜己の横顔だ。
ついさっきまで明るい表情で話していたのに、その横顔からは苛立ちや寂しさといった複雑な感情が伝わってくる。
「夢じゃないんだよな」
竜己はそう小声でこぼしながら、今度は視線を魔王城のほうに向けた。
「……夢だったら、よかったのにね」
思わず、そう返していた。
声に出したつもりはなかったのか、竜己が驚いた顔でこちらを振り返る。笑って誤魔化そうとしたようだが、うまくできていなかった。
「……悪い」
「気にしないで。急にこんなことが起こったら、誰だってそんな風になるよ。僕だって……」
「ロイ?」
「ううん、なんでもない。竜己くんは、本当に魔王を倒すつもりなの?」
勇者の称号を持っているからといって、絶対にそうする必要はない。
だが、竜己はアロイヴの問いに一瞬も迷うことなく頷いた。
「やるよ」
「どうして?」
こんな無茶な役目を押しつけられて、逃げ出したいとは思わないのだろうか。
「別に教会のやつらのためじゃないからな。正義のためでもない。俺は俺のために、そうするんだ」
余計にわからなくなった。
その困惑が表情から伝わったのか、竜己が続ける。
「魔王を倒せば、向こうの世界に帰してくれるって約束なんだよ。本当かどうかわかんないけど、それでも帰れる可能性があるなら、やるしかないだろ」
竜己はそう言うと、自分の左手首に視線を落とした。
「それ、ブレスレット?」
「お揃いで買ったやつなんだ――付き合ってるやつと」
「え……」
「付き合い始めてすぐなんだ。幼馴染みでずっと一緒にいたけど、恋人になったのは最近でさ……だから、絶対に帰らないとだろ? っつうか、俺が早く会いたいだけなんだけどさ」
寂しげに見えた横顔には、そういう理由があったらしい。
「そのために、俺は魔王を倒す」
竜己の声には、強い決意が込められていた。
――竜己くんは、強いな。
称号など関係なく自分で未来を切り拓こうとしている竜己は、称号から逃げることばかり考えてきたアロイヴとは正反対に思えた。
とても眩しく感じる。
――僕も、もっと強くいられたら……何か違ったのかな。
自分の称号と向き合う勇気があれば、結果は変わっていたのだろうか。
だけど、今さら考えても遅すぎる。
大切な人は――紫紺はもう、戻ってこない。
「ロイ、泣いてんの?」
「え……」
「悪い。俺、もしかしてロイを傷つけること言った?」
「違う、そんなことは……」
泣いているつもりはなかった。
ふるふると首を横に振ると、目の端に溜まっていた涙が飛び散る。
「竜己くんは何も悪くないんだ……僕はだめだなって、気づいただけで」
「だめって、どういう意味?」
「弱かったせいで、僕は大切な人を守れなかったから。ずっと一緒にいてくれたのに……僕のことをたくさん支えてくれたのに」
「……ロイ」
「僕が紫紺を死なせてしまった。僕がもっと強ければ、紫紺にあんな無茶をさせずに済んだのに……魔王に殺されたりしなかったのに」
こんなことを言っても仕方がないのはわかっている。
でも、この後悔だけはどうやっても消えてくれなかった。
「そっか――魔王は、ロイの仇なんだな」
凄みを含んだ竜己の声に、アロイヴは俯いたまま、びくりと肩を震わせた。
顔を上げると、真剣な表情の竜己と視線が絡む。
瞳の奥から強い光を感じて、アロイヴは小さく息を呑んだ。
――これが、勇者の力?
見た目は何も変わっていないのに、目の前にいる竜己が、先ほどまでとは別人に見えた。
全身から強い覇気を感じる。
これが勇者本来の力なのだろうか。
「魔王を倒す理由がもう一つ見つかった。俺がロイの仇を討つよ」
「……竜己くん?」
「ちょっとだけ迷ってたんだ。元の世界に帰りたいっていうのが、魔王を倒す理由でいいのかって。俺は魔王がどんなやつかも知らないのに、自分勝手すぎるんじゃないかってさ――でも、これで迷いは完全になくなった」
竜己の手が、アロイヴの手に重なる。
幽体のアロイヴには触れられないのに、重なった場所から手の熱が伝わってくる気がした。
「俺とロイが出会ったのは、このためだったのかもな」
――あの影狐は、そのために?
竜己の迷いを断ち切り、勇者が持つ真の力を引き出すために、必要な出会いだったということだろうか。
「ロイ、俺に全部任せてくれる?」
「……僕は」
竜己の言葉に、アロイヴは素直に頷けなかった。
勇者である竜己が魔王が倒してくれれば、アロイヴも死なずに済むかもしれない。
だけど、それで本当にいいのだろうか。
「僕は…………僕も、何かしたい」
竜己の目をまっすぐ見つめ返しながら、そう口にしていた。
言葉にして、ようやく自分の気持ちに気づく。
「もう、何もしないのは嫌なんだ。僕も自分の手で紫紺の仇を討ちたい。そのために、できることをしたい」
紫紺を喪ったときも同じことを考えていた。
でもあのときは、自分も死にたいという気持ちだけだった。
今は違う。
少なくとも、死にたいとは考えていない。
「僕も、強くなりたいんだ」
その気持ちがすべてだった。
「うん。いいな、その顔」
「顔?」
「ずっと幽霊みたいな顔してたけど、今のロイは違って見えるよ。そうだな、一緒に魔王を倒そう」
にっと歯を見せて笑った竜己が、アロイヴに向かって拳を差し出した。
◇
「竜己くんに会ったの……ちゃんと現実だったんだ」
薬で鈍くなっていた身体の感覚が戻っていた。
思考もはっきりしていることを確認しながら、アロイヴは天井に向かって掠れた声で呟く。
「お目覚めですか、アロイヴ様」
「うん。水をもらってもいい? ケイ」
ベッドの傍らに控えていたのはケイだ。
フィリとカルカヤの姿はどこにもなかった。
「お加減はいかがですか?」
「まだ少しぼんやりするけど、大丈夫」
「薬はまだ完全に抜けていないので、無理はなさらないでくださいね」
ケイの大きな手が、アロイヴの背中を支えてくれる。
受け取った水をちびちびと飲みながら、アロイヴはケイの顔を見つめた。
「……ケイは昨日のこと、夢だと思わなかったの?」
勇者である竜己と一緒に魔王を倒すことを決意し、作戦を練った後、アロイヴは幽体のまま、ケイの部屋に向かった。
自由に動かせない身体に戻ってしまっては、意思を伝える手段を失ってしまうからだ。
幽体のアロイヴが頼んだことを夢だと思わず実行してくれるかはケイ次第だったが、それに賭けるしかなかった。
ケイに頼んだことは二つだ。
一つはカルカヤとフィリに内緒で薬の使用をやめてもらうこと、もう一つは二人を部屋から遠ざけてもらうことだ。
そんなことを頼める相手はケイしかいなかった。
「夢だなんて思うはずがありませんよ。アロイヴ様の強い意志が伝わってきましたからね」
「二人にバレないようにするの、大変じゃなかった?」
「いいえ、全く。アロイヴ様が一番に私を頼ってくれて、とても嬉しかったです」
フィリもカルカヤも簡単に誤魔化せる相手ではなさそうなのに、ケイはいったいどんな手を使ったのだろうか。
――それに……ケイはどこまで知ってるのかな。
ケイはアロイヴの称号について、二人から何か聞いているのだろうか。
今日がアロイヴにとって最後の日になるかもしれないことを、知っているのだろうか。
――僕が紫紺の仇を討とうとしてることにも、気づいてるのかな。
頼み事をしたとき、ケイは理由を聞かなかった。
何も聞かずに引き受けてくれたのは、全部気づいているからかもしれない。
それでも、気づいているのかと自分から確かめる気はなかった。
「アロイヴ様、これを」
「これ……紫紺の魔石? 首飾りにしてくれたの?」
ケイがアロイヴの首にかけてくれたのは、細紐を編んだ首飾りだった。
先端の網状の部分に、紫紺の魔石が包み込まれている。
「これなら、肌身離さずにいられるでしょう?」
「ありがとう、ケイ」
「それと、これを」
「これって――」
続けて手渡されたのは、黒刃のナイフだった。
紫紺が、不器用なアロイヴのために魔力を注いでくれたナイフだ。
「紫紺の魔力……まだ、残ってたんだ」
紫紺が消えてしまったのと一緒に、このナイフに注がれた魔力も消えてしまったものだと思い込んでいた。
でも、この刃の色は間違いなく紫紺の魔力の色だ。
「あれ? このナイフ……魔道具の中に収納してあったはずじゃ」
あのポーチ型の魔道具の中身は、持ち主であるアロイヴにしか取り出せないはずだ。
それなのに、どうしてナイフがここにあるのだろう。
「アロイヴ様が目を覚ます直前、机の上に急に現れたんですよ。だから、必要なものかと思いまして」
ケイの説明を聞きながら、アロイヴは手元のナイフをまじまじと見つめた。
――これを使えってことなの? 紫紺。
心の中で紫紺に問いかけた。
返事は期待していない。
目の前にあるこのナイフが、きっと答えなのだろう。
「ありがとう、紫紺」
胸にかけた魔石から、紫紺の甘い香りを感じた気がした。
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