【完結】魔王の贄は黒い狐に愛される

コオリ

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57 小さな魔獣の夢

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 小さな魔獣は、死にかけていた。
 全身傷だらけで、黒い毛皮は血にまみれている。
 力なく伏せる地面にも血溜まりが広がり、だらりとはみ出た舌と浅い呼吸は、小さな魔獣の命がもう長くないことを示していた。

 小さな魔獣はきょうだいの中で一番小さく生まれた。
 誰よりも力が弱く、誰よりも足が遅かった。
 ただ、誰よりも賢く、誰よりも自分のことをよく理解していた。
 だからこそ、死にかけていた。

 小さな魔獣に致命傷を負わせたのは、凶暴化した大きな魔獣だった。
 きょうだいたちの命の危機を、小さな魔獣は瞬時に察した。
 そして、気がついた。
 自分が犠牲になれば、きょうだいたちを守れると――これが最小の犠牲だと理解して、己の身をなげうった。

『そんな生に意味はあるのか』

 誰かが言った。
 感情のない声だった。
 死にかけている小さな魔獣には、もう何も見えない。感じない。
 それなのに、その声だけははっきり聞こえた。
 知らない言葉のはずなのに、不思議と意味も理解できた。

『私の生に、意味はない』

 誰かが言った。
 今度は悲しい声だった。
 死にかけの小さな魔獣には、何も応えられない。
 鼓動も止まりかけている。
 そんなことはないと伝えたいのに、言葉を届ける手段がなかった。

 ――誰か。

 だから、祈った。
 この寂しい人に、寄り添ってくれる誰かに届くように。
 小さな魔獣の願いは、一人の魂を喚び寄せた。
 優しい色の光を放つ魂だった。

『こんな、生など――』

 でも、悲しい人には光が届かない。
 小さな魔獣はさらに祈った。
 だけど、今度の祈りは誰にも届かない。
 小さな魔獣の命は、今にも消えてしまいそうだった。

 ――独りじゃ、ないよ。

 小さな魔獣の届かなかった言葉は雫となった。
 雨粒より小さな雫は、小さな魔獣の瞳からぽろんと一粒こぼれ落ちる。
 そのまま、黒い地面へと吸い込まれていった。


   ◆


 雫は長い時間をかけて、新しい命となった。
 それは、小さな魔獣と同じ形を取る。
 四本の脚で大地を踏みしめ、ぐんと勢いよく背を伸ばした。
 胸いっぱいに空気を吸い込む。
 その中に甘く愛しい香りを覚え、何も考えずに駆け出していた。

 生まれ変わった小さな魔獣は、誰よりも強い力を持っていた。
 ただ、誰よりも孤独だった。
 自分が何者なのかも、理解していなかった。
 だからこそ、求めた。
 求めずにはいられなかった。
 自分の本能を突き動かす、唯一の香りを。
 それだけを求めて駆け続けた。
 そして――の元に辿り着いた。

 最初は、近くで香りを嗅いでみたいだけだった。
 でも、一度触れたら離れられなくなった。

 に名前を与えられた。
 生まれた自我は次第に芽吹き、いつしか欲となった。

 の血を口にした。
 人の形を取った獣は、誰かを大切に想うことを知った。

 と魔力を交えた。
 その力を食らい、蓄え――やがて小さな魔獣は、得体の知れない存在ものへと成長を遂げた。

 すべては、のためだった。

「……イヴ」

 彼の憂いとなるものは、なんであろうと排除する。
 それがたとえ――この世界を統べる〈魔王〉であっても。



   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 ――これも、夢?

 アロイヴは夢を見ていた。
 ついさっきまで、違う夢を見ていた気がする。
 内容は思い出せないのに胸が締めつけられるように痛むのは、それがあまりいい夢ではなかったからだろう。

 ――夢から覚めたはずなのに、まだ夢の中にいるなんて。

 不思議な感覚だった。
 これも夢だとわかるのは、自分の目線があまりに低いからだ。
 寝転がったときの目線に近い。
 地面すれすれの高さの景色を見つめているのに、なぜか、しっかりと大地を踏みしめている感触があった。

 ――これは僕の身体じゃない。

 身体の主導権を握っているのも、アロイヴではなかった。
 五感すべての感覚はあるが、意思を持って身体を動かしているのは、別の誰かだ。
 その証拠に、身体が勝手に動く。
 地面を蹴って高く跳躍したかと思えば、わずかに開いた窓の隙間から身体を滑り込ませ、どこかの建物へと侵入した。

 ――ここは、どこだろう。

 すごい速さで景色が流れていく。
 アロイヴの動体視力では、建物の壁や床が石造りであることぐらいしかわからなかった。
 どこへ向かっているのだろう。
 全速力で駆けるこの身体の持ち主には、明確な目的地があるようだった。
 分かれ道があっても、曲がり角があっても、その先に人の気配を感じても――少しも速度を緩めることはない。
 ただ、全力で駆けている。
 視線はずっと行き先だけを見つめていた。
 
 ――どうして、誰も気づかないんだろう。

 人のすぐ横を通り過ぎても、気づかれることはなかった。
 幽霊にでもなった気分だ。

 ――待って、これって……〈姿隠しの術〉?

 アロイヴは、はっとした。
 もし、そうだとすると……この目線の低さや駆ける速さにも覚えがある。

 ――もしかして、僕は今……紫紺の中にいるの?

 もう、そうだとしか思えなかった。
 夢の中でもいいから紫紺に会いたい……そう願ったのは自分だが、まさかこんな形だなんて。

 ――紫紺は、いったい何を。

 紫紺はどこを目指して走っているのだろう。アロイヴにはここがどこなのかも、まだわかっていなかった。



 しばらくして、紫紺はようやく速度を緩めた。
 そこは、これまで通ってきたどこよりも豪奢な装飾が施された広い廊下だった。
 廊下はまだ奥へと続いている。
 紫紺が目指しているのは、どうやらこの廊下の先のようだ。
 アーチ型の天井には立派なシャンデリアがぶら下がっている。両側には緻密な模様が彫り込まれた柱が等間隔に並んでいた。床には毛足の長い深紅の絨毯が敷かれていて、ここが特別な場所に続く廊下であることは、誰が見ても明らかだ。
 廊下の入り口には、二つの人影があった。
 紫紺はこれまでよりも慎重な足取りでその人影に近づく。アロイヴはその二人の格好を見て、小さく息を呑んだ。
 ここがどこなのか、わかったからだ。

 ――ここ、魔王城の中だ。

 廊下に立っていたのはどちらも、フィリがアロイヴを迎えにきたときに連れていた魔王軍の兵士だった。
 フードを目深に被っているので顔は見えないが、手に持っている特徴的な武器に見覚えがある。

 ――どうして、紫紺が魔王城に?

 アロイヴが驚いている間に、紫紺は兵士たちに気づかれることなく、彼らの間をすり抜けた。
 さらに、廊下の奥へと足を進める。

 ――これはただの夢だよね? 僕が会いたいって願ったから……夢を見てるだけなんだよね?

 ただの夢だ。
 そのはずなのに、胸騒ぎが収まらない。
 魔王城にこんな場所があるなんて知らない。
 それなのに、この先に行ってはいけない気がする。

 ――戻って、紫紺!

 廊下の最奥に扉が見えた。
 細かな意匠が隅々まで施された、見るからに重厚感のある巨大な漆黒の扉だ。
 あの扉を開けてはいけない。
 先に何があるのか知らないはずなのに、扉の向こう側にあるものが恐ろしくてたまらなかった。

 ――お願いだから、止まって! 紫紺!

 扉の前に立った瞬間、目線の高さが変わる。獣の姿から、人の姿に変化したのだろう。
 魔力が全身に満ちていくのがわかる。
 それは、カルカヤが絶対に使ってはいけないと言っていた力だった。

 ――だめ!! 紫紺!!

 アロイヴの叫びと、紫紺が魔力で扉を吹き飛ばしたのは同時だった。紫紺は瞬時に黒の双剣を構えると、躊躇なく部屋の中へと飛び込む。
 がらんとした空間だった。
 中央の祭壇に、透明な棺のようなものが見える。
 それを確認できたのは、ほんの一瞬だった。
 急激に膨れ上がった強大な魔力によって、身体を吹き飛ばされたからだ。
 身構える間もなく、部屋から弾き出される。

「イ、ヴ……ッ」

 紫紺が苦しげに自分の名前を呼ぶのを聞いた直後、アロイヴも紫紺の身体から弾き出されていた。

「っ!!」

 勢いよく飛び起きる。
 心臓がバクバクとうるさかった。
 呼吸は乱れ、全身から汗が噴き出している。寒くないのに、身体がガタガタと震えて止まらなかった。

「……夢、だよね?」

 アロイヴはさっきまで見ていた夢の内容をはっきりと覚えていた。
 あまりにリアルで、不吉な夢だった。
 この城に紫紺がいるはずない。
 絶対に、あんなことは起こっていない。
 そう思いたいのに、不安がどうやっても消えてくれなかった。

「……?」

 ふと、廊下が騒がしいことに気がついた。
 話している内容まではわからないが、こんな夜更けにここまで騒がしいのは珍しい。
 嫌な予感がさらに増した。
 アロイヴはよろよろと覚束ない足取りで、部屋の扉に近づく。少しだけ隙間を開けて、外の声に耳を澄ませた。

「――なんの騒ぎだ」
「侵入者だそうだ。なんでも、主の命を狙ったらしい」

 アロイヴは、すぐに扉を閉めた。
 足元から崩れ落ちるように、床に座り込む。震える手で口元を覆い、首を横に振った。

「うそ……だ…………」

 聞こえてきた兵士の言葉に、夢で見た光景が重なる。
 違うと思いたいのに、うまくいかない。
 兵士の話していたことが、紫紺のことにしか思えなかった。

「助けに、いかなきゃ」

 紫紺は怪我を負っているかもしれない。
 襲撃者として捕縛される前に、自分が紫紺を助けなければ。
 なんとか気力を奮い起こして立ち上がり、アロイヴは部屋を抜け出した。
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