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56 勇者召喚と命の期限
しおりを挟む次の日の昼、アロイヴは魔王城内にあるカルカヤの私室を訪ねることになった。
腕輪の通信具にカルカヤから直接、「話したいことがある」と連絡が入ったからだ。いつでもいいと言われていたが、アロイヴは一番早く会える時間を選んだ。
「こんなにすぐでなくても、よかったんだぞ」
「……誰かと話してるほうが、少しは気が紛れる気がして」
「そんな腫らした目で言われてもな」
昨日はケイと再会してから、ずっと泣きっぱなしだった。ようやく涙が止まったのは、日が昇り始める時間になってからだ。
そのせいで、アロイヴの瞼は遠目に見てもわかるぐらい赤く腫れていた。
「回復薬を飲んでおくか?」
「大丈夫です。そこまでしなくても」
「じゃあ、せめてこれで目元を冷やしておけ」
渡されたのは、手のひらサイズのゼリー状の物体だった。
つるりとした見た目から想像したとおり、触るとひんやり冷たくて気持ちがいい。
――これも、カルカヤさんが作った魔道具かな。
この部屋は一時的に借りているだけだと聞いていたのに、室内はカルカヤの私物であふれていた。
そのほとんどが魔道具だ。
作りかけのものもたくさんある。
――カルカヤさんらしいな。
広いだけで何もない自分の部屋より居心地がいい。この部屋に来られただけでも、いい気分転換になった気がする。
勧められた椅子に座り、アロイヴは部屋の中をじっくりと眺めた。
「ケイは一緒じゃないんだな」
「はい。朝まで一緒にいてくれたので……今日はゆっくり休んでほしいって、僕からお願いしました」
泣き続けるアロイヴの傍に、ケイは黙ってついていてくれた。
もう大丈夫だと言っても聞き入れてくれず、結局、朝まで一緒だった。代わりに、今日は夕方までゆっくり休んでもらうことになったのだ。
「それに、話の内容によっては……一緒にいないほうがいいのかなって」
「気を遣ってくれたのか。別にどちらでもよかったがな。彼はキミにとって信用できる相手なんだろう?」
「はい」
それは断言できる。
迷いなく頷いたアロイヴを見て、カルカヤは眩しそうに目を細めた。
「それで……話っていうのは」
「〈勇者〉のことだ」
カルカヤはそう言うと、テーブルの上に一冊の本を置いた。
表紙に『神の教え』と書かれたそれは、前にアロイヴが前に翻訳を頼まれた本だ。
「この本に勇者を召喚する方法が書かれているのは、キミも確認したんだったな」
「……はい」
「召喚には生贄が必要になる。教会はキミをその生贄にしたかったのだろうが、それは叶わなかった」
「代わりに……他の贄の子が攫われたんですよね」
「知っていたのか。だが、彼らもボクが救出済みだよ」
「え……」
それは初耳だった。
聞き返したアロイヴを見て、カルカヤは口の端を上げる。
「目的がわかっていて、奴らの思いどおりにさせるわけがないだろう? ヴェアグロネズを出し抜いてやったのさ。あいつがボクのギルドを襲ったのは、その腹いせもあったんだろうな。まあ……そこまでしても、勇者召喚は防げなかったわけだが」
カルカヤは教会の調査だけでなく、贄の少年たちの救出も同時に行っていたのだ。
長い間、ギルドを空けていた理由はこれだったらしい。
「じゃあ、教会は生贄なしに召喚を行ったんですか?」
「いいや、それは無理だ。召喚には必ず生贄を用意しなくてはならない。奴らは奪われた称号持ちの人間の代わりに、街一つ分の人間の命を犠牲にしたんだ」
「そんな……」
信じられなかった。
まさか、そんなことになっていたなんて。
「……街一つ分って、とんでもない人数なんじゃ」
「一万は下らないだろうな。犠牲になったのは、教会の信者ばかりが暮らす街だ。彼らが生贄となることを望んだのか、何も知らされずに殺されたのかはわからないが、教会の連中は『街が滅びたのは魔族の仕業だ』と触れ回っていたよ。そんな危機に勇者が現れたものだから、残された信者は彼を救世主だと疑っていなかったね」
「教会は、どうしてそこまでして……」
魔王を亡きものにしようと目論んでいるヴェアグロネズが勇者召喚にこだわる理由はまだわかる。
だが、教会がそれに協力する理由がわからなかった。
魔族の支配に不満があるのだとしても、勇者を召喚するために街一つ分の人間を……しかも、教会の信者を犠牲にするなんてどうかしている。
「ヴェアグロネズとの間に何か契約でもあるのかもしれないな。教会の上層部は元々、魔族との取引でうまみを味わってきた腐りきった人間の集まりだ。自分たちの利益しか考えていないのだろう」
「信じられない……」
アロイヴには理解できなかった。
教会とは人々に神の教えを説き、迷う者を導き、救う立場ではないのだろうか。
アロイヴは自分にこんな役割を与えた神をあまりよく思っていなかったが、それでも教会を信じる者が多いのは知っている。そんな人たちをこんなにも簡単に裏切り、切り捨てるなんて。
「召喚された勇者は……そんな教会に協力するんでしょうか」
「どうだろうな。勇者はキミと変わらない歳の少年だったし、奴らは言葉巧みに人を操るからな」
「もしかして、カルカヤさんは勇者を見たんですか?」
アロイヴの問いに、カルカヤは頷いた。
「ああ。勇者という存在をこの目で確かめておきたかったからね。変わった服を着た、黒目黒髪の少年だったよ。名前はソウマ・リュウキというそうだ」
――黒目黒髪。それに、そうまりゅうきって……きっと、日本人だ。
見た目の特徴と名前の響きからして、召喚された勇者は日本人で間違いなさそうだった。
前世のアロイヴが暮らしていた世界と同じ世界から召喚されたかはわからないが、繋がりを感じずにはいられない。
「どうかしたか?」
「あ、いえ……なんでもないです」
驚きが顔に出てしまっていたのか、カルカヤが窺うような視線をこちらに向けていた。
誤魔化すように首を横に振る。
アロイヴが前世の記憶を持っていると知っているのは紫紺だけだ。それ以外の誰にも、この秘密を話したことはない。
これからも話すつもりはなかった。
「どうであれ、こちらは勇者が攻めてくると考えて動くしかないだろうな。主の目覚めを待っていても仕方がないし」
「……魔王は、まだ目覚めてないんですか?」
勇者が召喚され、魔王の目覚めが近いことは聞いていた。だが、実際にいつ目覚めるのかまでは教えてもらっていない。
もう目覚めているのかもしれないとも思っていたが、今のカルカヤの口ぶりからして違っていたらしい。
「まだだな」
「いつ、目覚めるのか……カルカヤさんは知ってるんですか?」
「その質問の意味を、キミはわかっているのか?」
「……わかってます」
魔王の目覚め――それはすなわち、アロイヴの命の期限を意味している。これを聞くのは、自分はいつ死ぬのかと尋ねているのと同じだ。
それでも、聞いておきたかった。
「何も知らずに怯える日々には、もう疲れたので……」
昨日は死にたくない気持ちが大きかった。
ケイに縋って、涙が枯れるほど泣いた後、アロイヴの中にはもう一つ、それとは矛盾する感情が生まれていた。
――早く、楽になりたい……なんて。
そんなことを願うのは、これまで必死に自分を守ろうとしてくれた紫紺への裏切りなのかもしれない。
でも、その紫紺はもういない。
今はたった一人、死を待つだけなのだ。
「よくないことを考えていないか?」
「自分でもよくわかりません。でも……逃げたりはしませんよ? だから、教えてください」
カルカヤは小さく溜め息をつくと、一度アロイヴから目を逸らす。
思案するように視線を揺らした後、カルカヤにしては珍しく、苦しげな表情をアロイヴに向けた。
「本当にいいのか?」
「はい」
アロイヴが頷くと、カルカヤの眉間の皺が深くなった。
唇がゆっくりと動く。
「――四日後だ。四日後の深闇の刻に、主は目を覚ます」
◇
残された時間は少ないと教えてもらったのに、何もできないまま、気づけば夕方になっていた。
カルカヤの話を聞いた後、自分がどうやってこの部屋まで戻ってきたのか思い出せない。覚悟はしていたはずなのに、やっぱりショックは大きかったらしい。
アロイヴは、自室の窓からぼんやりと外を眺めていた。
「あと……四日、か」
魔王が目覚めたら、自分は魔王の贄として死ぬ運命にある。
それが、アロイヴが神から与えられた役割だ。
贄の死にどんな意味があるのか、アロイヴは知らない。知っているのは魔王だけだ。でも、それがどんな価値のあることだったとしても、アロイヴには関係のないことだった。
たとえそれで多くの人が救われようと、アロイヴに訪れるのは死――終わりなのだから。
「なんだか、眠くなってきた……」
あれこれ考えたいことはあるのに、昨日ほとんど眠れていないせいか、急に眠気が襲ってきた。
目を擦るが、睡魔に抗えそうにない。
椅子に座ったまま、窓枠に身体を預けた。
――眠ってる間に、全部終わってたらいいのに。
自分が気づかないうちに、すべて終わってくれていたらいい……そう願ってはいけないだろうか。
――夢の中だけでいいから……紫紺に、会えないかな。
瞼を下ろす瞬間、そんなことを考えていたせいだろうか。
アロイヴは黒い小さな獣の夢を見た。
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