【完結】魔王の贄は黒い狐に愛される

コオリ

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55 奇跡のような再会

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 転移魔法で魔王城へと移動する。
 途中で休憩を挟んだものの、アロイヴはまたしても転移酔いを起こしてしまった。
 前にも増して、吐き気が酷い。

 ――紫紺がいたら、治してもらえたのに。

 あの治療行為も紫紺の負担になっていたのだろうか。
 自分の魔力が紫紺の身体を蝕んでしまっていたなんて……紫紺と別れてから数時間経つのに、そのことばかり考えてしまう。

「顔色が悪すぎるな」

 隣から話しかけてきたのは、カルカヤだ。
 カルカヤは移動中もずっとアロイヴについていてくれた。
 アロイヴを監視する目的があるのかもしれないが、それでも他の魔族より見知った相手が傍にいてくれるほうがいい。

「……転移魔法は、得意じゃなくて」
「強力な結界をいくつも越えたからな。そのせいもあるんだろう。ほら、薬草茶だ」

 そう言って、運んできたお茶の器をアロイヴの前に置いた。
 アロイヴたちが今いるのは魔王城の一室、応接室のような部屋だ。室内にいるのはアロイヴとカルカヤ、それと扉の前に二人、黒い外套を羽織った魔族がいる。ここまで一緒に移動してきた魔王軍の兵士だ。
 彼らから向けられる視線がなんだか怖くて、アロイヴは極力、彼らを視界に入れないようにしていた。

「これ、淹れてくれたのはフィリさんですか?」
「ああ。直接渡せばいいのにな」
「……フィリさんには、嫌な役割をさせてしまったので」

 顔を合わせづらい気持ちはわかる。
 アロイヴも同じだった。

「フィリを嫌ってやるなよ。ロイを傷つけるとわかっていて、自分からロイを迎えにいくと名乗り出たんだ」
「そう、だったんですか……」

 フィリの淹れてくれたお茶を一口飲む。
 転移酔いに効くとされるお茶は前にも飲んだものだが、味が少し変わっていた。薬草茶独特の苦味の後に、口の中に清涼感が残る。

 ――僕が気に入って飲んでたお茶に似てる。

 そのお茶の味に合わせて、わざわざ調合を変えてくれたのかもしれない。
 フィリらしい心遣いだった。

「フィリさんも、カルカヤさんも……僕たちを心配してきてくれたんですよね」
「ああ。最悪の結果にはしたくなかったからな」
「…………」

 最悪の結果――カルカヤは、紫紺のことを言っているのだろう。
 あの場にカルカヤがいなければ、本当に取り返しのつかないことになっていた可能性がある。紫紺を死なせてしまっていたかもしれないのだ。
 こうして魔王城に連れてこられたことが最善とは言えないが、それでも自分のせいで紫紺を失ってしまうよりはいい。
 これで、よかった……はずなのだ。

「無理に納得する必要はないんじゃないか?」
「いえ。無理にでも納得しないと、だめなんです……だめに、なりそうなんです」

 お茶の器を持つ手が震えていた。
 でも、たとえ自分を騙してでも……これでよかったのだと思いたい。
 カルカヤはそれ以上、何も言わなかった。
 ただ、立ち去らずにはいてくれる。
 それがただの役目だったとしても、今は黙って傍にいてくれる人の存在がアロイヴを心を支えてくれた。


   ◇


 しばらくして、部屋に案内された。
 アロイヴを部屋まで案内してくれたのフィリだ。
 カルカヤとは別れ、二人きりで廊下を歩く。何度か声を掛けようとしたが、うまく言葉がまとまらなかったのでやめた。
 フィリも、ずっと何か迷っている様子だった。

「ここが、アロイヴ様の部屋です」
「……すぐに、魔王のところに連れていかれるんじゃないんですね」
「ええ。準備が整うまではこの部屋をお使いください」

 いつ魔王の元に連れていかれるのか――アロイヴから聞くことはできなかった
 自分の死がいつになるのかなんて、尋ねる勇気はない。

「後で世話係が参ります。何かありましたら、その者にお申し付けください。今すぐ必要なものがありますか?」
「平気です……今は、一人になりたいので」
「――かしこまりました。それでは、失礼いたします」

 ぱたん、と扉が閉まった。
 広い部屋だ。教会の屋敷で与えられていた部屋の何倍もの広さがある。
 それなのに、あの部屋とよく似ている気がした。
 あの部屋と同じように、ここが自分を閉じ込める檻だからだろうか。
 自由は完全に奪われてしまった。
 荷物が取り上げられることはなかったが、それでも何重もの結界に覆われたこの城を抜け出すことは、どうやっても叶わないだろう。
 脱走を試みるつもりもない。

「はぁ……」

 溜め息をつきながら、アロイヴはベッドに座る。腰につけた収納の魔道具から、あるものを取り出した。
 金属製の腕輪だ。
 アロイヴの手首にも全く同じものがついている。カルカヤから貰った魔道具の腕輪だった。

「紫紺……」

 同じものが二つ。
 片方は、これまで紫紺がつけていた腕輪だ。
 ぬくもりも、匂いも、もう何も残っていないのに、腕輪に紫紺の痕跡を探してしまう。
 寂しさに胸が締めつけられ、苦しくてたまらない。
 それでも、涙は出なかった。

「僕は……一人じゃ泣けないんだった」

 そんなことも忘れてしまうぐらい、いつも隣には紫紺がいてくれた。アロイヴを決して一人にしないように、当然のように傍にいてくれた。
 もう、あのもふもふに触れることもできないなんて――最後にもう一度、撫でておけばよかった。
 今さら後悔しても遅いのだけれど。

「……?」

 コンコン、と控えめなノックの音が聞こえた。
 フィリの言っていた世話係が来たのだろう。今は誰にも会いたくない気分だったが、我がままを言って相手を困らせる気はない。
 アロイヴはおもむろに立ち上がると、部屋の入り口に近づいた。
 そろそろと扉を開き、隙間から外を窺う。

「え…………」

 扉の前に立っていた人物を見て、アロイヴは驚愕に目を見開いたまま、動けなくなった。

「お久しぶりです。アロイヴ様」

 相手が笑顔で話しかけてきても、何も答えられない。思考は完全に停止していた。
 ドアノブに掛けたままの手が震えてしまい、どうしようもない。

「背が伸びましたね。それに顔つきも大人っぽくなった。月日の流れを感じざるを得ませんね」
「ケイ……?」

 その名前を呼ぶことは、もう二度とないと思っていた。
 口から滑り出た名前が、まだ信じられない。

「ケイ……本物なの?」

 扉の前に立っていたのは、屋敷で暮らしているとににアロイヴの世話係をしてくれていた青年、ケイだった。
 アロイヴに名を呼ばれ、ケイは嬉しそうに破顔する。おもむろに腕を伸ばし、震えるアロイヴの肩に手を置いた。
 触れた場所からあたたかさが伝わってくる。

「……生きてたの?」

 ケイとはもう会えないと思っていた。
 教会の屋敷を襲った賊から、命懸けでアロイヴを逃がしてくれたのはケイだ。
 あの日、燃え落ちた屋敷がその後どうなったのか、アロイヴはこれまで調べられずにいた。
 ケイの死を確定してしまうのが怖かったからだ。
 でも、どこかで諦めてしまっていた。ケイは助からなかったのだと思い込んでしまっていただけに、今の状況が理解しきれない。

「ケイ、僕は……」
「体調が優れないと聞きましたよ。こんなところで立ち話をするのはつらいでしょう? 部屋に入れていただけませんか?」
「あ……ごめん」

 慌てて、ケイを部屋に招き入れる。
 ケイは手に持っていた籠を部屋の中央にあるテーブルに置いた。
 籠の中には様々な食べ物が入っている。

「飲み物もありますよ。何か入れましょうか?」
「……じゃあ、水をもらえる?」
「かしこまりました。椅子に座れそうですか? ベッドで横になったほうが楽なら、私に遠慮せずにそうしてください」
「今は休むより、ケイと話したい」
「無理はなさらないでくださいね。約束ですよ」

 嬉々としてアロイヴの世話を焼きたがるケイは、最後に会ったときと何も変わっていなかった。
 アロイヴは、隣の椅子をケイに勧める。
 間近からケイの顔を見つめた。

「ケイは、どうしてここに?」
「危ないところをフィリ様に助けていただいたんです。そのご縁でこちらに」
「フィリさんが?」

 なぜケイが魔王城にいるのか疑問だったが、どうやらフィリが関わっているらしい。
 でも、助けてもらったとはどういうことなのだろうか。

「魔王様の命令でそうしたのだと、おっしゃっていました。私を助けろと命じられたとか」
「え……?」
「私は、アロイヴ様が何かしてくださったんだと思っていたのですが……違いましたか?」
「別に、僕は」

 何もしていない――そう言いかけて、アロイヴは言葉を止めた。
 今日までずっと蓋をし続けていた、あの日の記憶が頭をよぎったからだ。

「そういえば……あのとき」

 ――誰でもいいから、ケイを助けてほしい。

 アロイヴは燃える屋敷を見つめながら、そう願った。
 神様でも……魔王でもいいから、と。

 ――魔王は、僕の願いを聞いてくれたの?

 そうとしか考えられなかった。

「じゃあ、フィリさんがずっと治療してた人間って」
「私のことでしょうね。つい最近まで、ベッドから起き上がれなかったので。ああ、今はピンピンしているので心配は不要ですよ」
「……知らなかった」

 フィリが人間を治療していることは聞いていたけど、それがまさかケイのことだってなんて。

「どうしてフィリさんは、ケイのことを教えてくれなかったんだろう」
「私とアロイヴ様が繋がりがあることに気づいていらっしゃらなかったみたいですよ。私が偶然アロイヴ様の名前を耳にして、世話係を願い出るまでは」
「そうだったんだ……」

 それなら、教えてくれというほうが無理な話だろう。
 何せ、ケイの治療は魔王からの命令だ。
 フィリはそんな重要なことを、軽々しく他人に話すタイプではない。

「フィリさんに、ケイを助けてもらったお礼を言わないとね」

 今はまだ、落ち着いて話せる気はしないけれど。
 でも、そのうち……自分が魔王の元に行くまでには、これまでのお礼を伝えておきたい。

「あ、そうだ」

 アロイヴは、ぽんっと手を打つと収納の魔道具から一冊の本を取り出した。

「これ、ありがとう。返しておくね」
「大切に持っていてくださったんですね。こちらこそ、ありがとうございます」

 ケイに借りていた本だった。
 あの屋敷から持ち出した、数少ないものの一つだ。
 机に置こうとした瞬間、本の隙間から何かが床に落ちる。
 それは、木でできたしおりだった。
 ケイが拾って手渡そうとしてくれたが、アロイヴは動けない。

「…………紫紺」

 しおりに彫られた影狐を見て、紫紺を思い出してしまったからだ。
 わなわなと唇が震え始める。
 一人じゃなくなった途端、役割を思い出した涙腺がアロイヴの感情を膨らませた。
 視界がぼやけ、涙が一気にあふれる。

「ごめん……っ、急に、泣いたりして」

 何をしても、止められなかった。

「いいんですよ。つらい別れがあったんですよね。私でよければ、アロイヴ様の気持ちをぶつけてください」

 ケイは誰かに話を聞いたのだろうか。
 優しく抱きしめられたら、もう我慢なんてできなかった。
 涙と一緒に、決壊した思いがあふれ出す。

「紫紺と、離れたくなかった……ずっと、一緒にいたかった……死にたくない。怖いよ……でも、もう……自分のせいで、誰かを失うのも嫌だ」

 自分の気持ちを優先した結果、誰かが不幸になる。
 そんなことには、なってほしくない。
 ならば、神に与えられた役割を果たすのが正解なのだろう。
 わかっている。
 でも、物分かりのいいふりはできそうにない。

「紫紺に、会いたい」

 あの柔らかな毛並みを、もう一度抱きしめたかった。
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