【完結】魔王の贄は黒い狐に愛される

コオリ

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54 さよなら

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 無言で後ずさる。
 ふらつくアロイヴを、紫紺が守るように自分の後ろに隠した。

「……嘘だ」

 紫紺の背中に縋りついたが、震えは止まりそうにない。

 ――生贄の役目を果たすときが、来たなんて。

 いつかはそうなるかもしれないと覚悟していたこととはいえ、現実はそう簡単に受け入れられるものではなかった。

 ――ここから、逃げたい。

 それが許されないのはわかっている。
 でも、そう願わずにはいられない。
 紫紺の腰に手を回し、背中にぎゅっと顔を押しつける。いつの間にか流れ出していた涙が、紫紺の服を濡らした。

「アロイヴ様」

 一人分の足音が近づいてきた。
 フィリが一団を離れ、こちらに近づいてきたのだろう。名前を呼ばれたが、顔を上げる気にはなれない。

「イヴ」

 今度は、紫紺がアロイヴの名前を呼んだ。
 しがみつくアロイヴの手に自分の手を重ね、上から強く握り込む。
 誰にも渡す気はない、と言ってくれているようだった。

「話を聞いていただけますか?」
「…………」

 何も答えられないアロイヴの代わりに、紫紺が低い唸り声を上げる。
 フィリを威嚇する声だ。
 紫紺を止めるべきなのはわかっている。
 でも、自分を守ろうとしてくれている紫紺の背中が頼もしく思えてならなかった。

「これが、アロイヴ様にとって酷な宣告だということはわかっています。ただ……我々とって必要なことなのです」

 そう告げたフィリの声は、心なしか震えて聞こえた。
 アロイヴはおそるおそる顔を上げる。
 三歩ほど離れた位置に立つフィリと目が合う。
 まっすぐ射抜くような視線に耐えられず、アロイヴはすぐさま目を逸らした。
 紫紺の身体に回した腕に、さらに力を込める。

「……嫌だ、こんなの。どうして、僕なんだ」

 それは、自分の称号を知った日からずっと、アロイヴが問い続けてきたことだった。
 どうして自分なのか。
 その問いに、答えが出たことは一度もない。

「どうして……っ」
「イヴ」

 腕の中で反転した紫紺が、アロイヴの身体を正面から抱きしめた。宥めるように背中を撫でながら、髪に何度も口づけを落とす。
 それでも、アロイヴの乱れた感情は収まらない。
 自分だけがどうしてこんな目に遭わなくてはいけないのか。理不尽への苛立ちを紫紺にぶつけてしまう。
 拳を振り上げ、何度も紫紺の身体に振り下ろす。
 涙が止まらなかった。

「もう……いやだ」

 紫紺の胸に顔を押し当てながら、くぐもった声で吐き出す。
 その直後、異変が起こった。

「……っ、何?」

 急激に膨らみ始めた魔力の気配に、アロイヴはびくりと身を竦める。
 すぐに、それが紫紺の魔力だと気づいた。
 慌てて顔を上げる。

「紫紺、何して……」

 涙越しでもはっきりとわかるぐらい、紫紺の瞳が鮮やかに発光していた。禍々しさを覚える輝きだ。
 表情も険しい。

「……っ!」

 ゆらり、と空間が揺らいだ。
 紫紺の身体から放出された大量の魔力が動いたせいだ。
 純粋な魔力は目に見えないものなのに、ここまで強く存在を感じるなんて、通常ではあり得ないことだった。
 紫紺はいったい、何をしようとしているのだろう。
 不穏な表情からして、いいことのようには思えない。その場にいる全員が、紫紺を警戒している。
 そんな中、フィリの後ろに控えていた魔族の一人が動いた。目深に被っていた外套のフードを下ろすと、燃えるような赤髪が現れる。
 それは、アロイヴのよく知っている人物だった。

「……カルカヤさん?」
「悪く思うなよ。お前たちを守るためだ」

 カルカヤは低い声で言いながら、外套を脱ぎ捨てる。手に持っていた何かを、アロイヴたちに向かって投げつけた。
 それはアロイヴが魔獣戦のときに使う麻痺玉に似ているが、色が違う。
 数個同時に投げられた無色透明の玉は空中で留まると、周囲に広がった魔力を一気に弱まらせた。

「……く、ッ」

 放出していた魔力を乱され、紫紺がその場に膝をつく。その隙を狙って、カルカヤが素早くこちらに駆け寄ってきた。
 紫紺の腕の中からアロイヴを引き離すと、二人の間に割って入る。

「……っ、イヴ!」

 アロイヴを取り戻そうした紫紺の腕を捻り上げ、地面に押さえ込む。怒りの表情を浮かべる紫紺を、鋭く睨みつけた。

「次にその力を使ったら、無事では済まないと忠告したはずだ」

 カルカヤの言葉に、紫紺は低く唸るだけだった。
 動揺したのはアロイヴのほうだ。

「無事では済まないって……どういうこと?」

 呆然と聞き返していた。
 紫紺は話すなと言わんばかりに首を横に振っている。
 カルカヤは、紫紺の意思など無視をすると決めたのか、短く溜め息をついてから、アロイヴのほうを振り返った。

「狐くんが今使おうとしたのは、これまで食らって溜め込んだロイの魔力だ。主の贄であるロイの魔力は食らうこと自体が禁忌だというのに――そんな魔力を使って、身体が持つはずがない」
「それ、って……」
「禁忌を犯した者の身体は内側から侵蝕され、いずれ崩壊する。この痣がその証拠だ。ほら、また広がっただろ」

 カルカヤの言うとおり、紫紺の顔にあるひび割れのような痣が、目の下のあたりまで広がっていた。
 色も濃くなっている。

「紫紺……そんな」

 ショックで足元から崩れ落ちそうになる。
 そんなアロイヴを後ろから支えたのは、フィリだった。

「フィリさんも、知ってたんですか?」
「これまでの貴方たちを見てきて、彼だけは例外なのだと思いたかったのですが……」

 フィリも知っていたのだ。
 信じられない言葉の連続に、アロイヴは震えが止まらない。今は自分のことよりも、紫紺のことで頭がいっぱいだった。

「……僕の魔力が、紫紺を蝕んでいたなんて」
「ロイ、キミのせいじゃない。狐くんが無理にその力を使おうとしなければ、何も起こらなかったはずだ」

 カルカヤの言葉に、アロイヴは首を横に振った。

「ひび割れは、少し前から始まってたんです。それが最近、急に広がって……でも、紫紺はなんともないって言うから、僕はそれを信じて……何も調べようとしなかった」

 ひび割れがここまで急速に広がったのは、ここに逃げてきてからだ。
 ギルドが襲撃されたとき、ヴェアグロネズの攻撃から逃れるために紫紺が使った力も、アロイヴの魔力だったのだろう。
 でも、その前からひび割れはあった。
 禁忌を犯したことによる侵蝕は、もっと前から始まっていたのだ。

「ギルドに残っていた魔力の痕跡で、狐くんが禁忌を重ねたことには気づいていた。だが、ここまで侵蝕が進んでいるとは、ボクも想像していなかったんだ」

 紫紺を見るカルカヤの表情は悲痛に歪められている。それだけ酷い状態なのだろう。
 それなのに、紫紺はまだ抵抗を諦めていないようだった。
 カルカヤの拘束を必死に解こうとしている。
 こんなときでも、アロイヴを助けようとしてくれているのだ。

「……もういいよ、紫紺」

 アロイヴがそう言っても、紫紺はやめようとしなかった。
 ピシッ、と何かがひび割れる高い音が響く。
 カルカヤが投げた魔道具――宙に浮かんでいる透明な玉にヒビが入った音だった。

「まだそんな力が残っているのか」

 カルカヤが驚いている。
 紫紺が再び魔力を放出し始めたからだ。
 なんとかして止めようとしているようだが、魔道具の力がなければ難しいのか、カルカヤの表情に焦りの色が見え始める。

 ――紫紺は、こんな僕のために……でも、それはだめだ。

 アロイヴは、そっと胸に手を当てた。
 その下にある印に向かって、魔力を流し込む。
 こうするのは二度目だ。もう使う気はなかった力だが、今こそ使うべきなのだと悟った。

「イヴっ!」

 気づいた紫紺が止めようと叫んだが、アロイヴはやめない。
 吸い込んだ息に魔力を乗せる。

「ごめんね、紫紺。〈魔力を収めて……その場から動かないで〉」

 従魔術による命令だった。
 アロイヴと従魔契約を結んでいる紫紺には、絶対に逆らえない。
 膨らみかけていた魔力が一瞬にして霧散する。

「……僕のためだってわかってるけど、もういいよ。大丈夫」

 こんなのはだめだ。
 絞り出すようなアロイヴの言葉を聞いて、紫紺がぎゅっと唇を噛む。瞳を潤ませ、首を横に振った。

「紫紺の気持ちはちゃんと伝わってるよ。いつも……僕のことを一番に考えてくれてありがとう」

 紫紺はいつだって、アロイヴの味方でいてくれた。
 アロイヴも紫紺のことだけは、心から信じられた。屋敷を出た日から、アロイヴの真の味方は紫紺だけだった。
 だからこそ、繰り返すわけにはいかない。
 ケイのときと同じ過ちだけは。
 
「大好きだよ、紫紺。でも……僕が紫紺を蝕む存在なら、もう一緒にはいられない」
「いえ、そんなことは」

 言葉を挟んだのは、後ろに立つフィリだった。
 アロイヴは振り返って首を横に振る。

「だめなんです。僕は紫紺が近くにいたら甘えちゃうから……そんな僕を、紫紺はきっと守ろうとしてくれる。それじゃだめなんです」
「アロイヴ様」

 紫紺のことを考えるなら、今ここで手を離すべきだ。
 離さなくては、いけなかった。

「ずっと一緒にいてくれて嬉しかった。僕は紫紺のことが誰よりも大切なんだ。だから……ここでお別れしよう」

 これが最後になる。
 だから、きちんと言葉で伝えたい。
 従魔術に縛られて動けない紫紺に近づく。その頬に手を滑らせた。

「紫紺には生きてほしい。僕の代わりにたくさん、いろんな景色を見てきてほしいんだ。この世界には、僕の知らないものがまだまだあるはずだから。そして、また会えることがあったら……そのときに、どんな素敵なものがあったのか、僕に教えて」

 それがいつになるかは、わからないけれど。
 死後の世界が存在するなら、紫紺とももう一度会えるかもしれない。
 そうであってほしい。

「――……バイバイ、紫紺」

 震える声で別れを告げる。
 ゆっくりと身体を屈めて、紫紺の額に最後の口づけを落とした。
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